凍結-1.振動波 vs 極低温
空中要塞『アバドン』へと続く険しい山道。そこは本来、ベスパが配置した精鋭兵たちによる鉄壁の防衛線のはずだった。しかし、僕――ルウの目に飛び込んできたのは、炎の道ではなく、静寂に支配された「氷の墓場」だった。
「ひっ、あが……ッ!?」
悲鳴すら瞬時に凍りつく。道を行くベスパの重装歩兵たちが、次々と不自然な姿勢で固まっていく。彼らを襲っているのは、雪でも氷魔法でもない。肉眼では捉えきれないほど細く、そして極低温を宿した「細針」だ。
「お前たち、素材になるに値するほどの努力はしてきたのか? 無価値な肉塊のままでは、私のコレクションには加えられないのだがね」
冷笑と共に歩を進めるのは、マンティの幹部であり彫刻家の異名を持つ男、レニ。彼は踊るような優雅な所作で、指先の間に挟んだ極小の針を次々と弾き飛ばし、襲いかかる兵士たちを瞬時に「生ける彫刻」へと変えていた。
「マンティの幹部……彫刻家、か。死体を凍らせて並べるのが芸術だというなら、反吐が出る。命の輪転を尊ぶ華道家として、その歪んだ美学は看過できん……!」
僕たちと同行していたフロスが鞭剣をしならせ、一歩前に出ようとする。
僕たちがその場に到着した瞬間、空気の密度が変わった。レニは僕たちを一瞥し、値踏みするように目を細める。まるでこちらを待っていたかと言わんばかりの表情だ。
「ほう。444人リストの『最悪の終焉』に、翠影双翼……。これは素晴らしい。ベスパのゴミ掃除のついでに、最高級の素材が手に入るとは。小生は今日、運が良い」
「マンティの部下までここまで来ていたのか……。組織同士の潰し合い、結構なことだが、巻き込まれる森の身にもなってみろ」
フォルトが一歩前に出た。巨大なハルバード『大地の牙』を肩に担ぎ、その巨躯から圧倒的な威圧感を放つ。
「ルウ、フロスさん、ここは俺が相手をしてやる。お前たちは先に行け」
「わかった! フォルト、無理はするなよ!」
「ソロでやるのか? ちゃんと生きてろよ相棒。ブラッシングの刑を増やすなよ!」
アストの憎まれ口を背に、僕たちは先を急ぐ。背後では、フォルトが地面を力強く踏みしめ、地脈を震わせる音が響いていた。
「お前らマンティの連中も、ベスパと同じだ。結局は略奪者と何ら変わらん。自分の『庭』を綺麗にするために、他人の命を勝手に剪定し、凍らせる。その身勝手さが、どれほど自然の調和を乱しているか、その歪んだ頭に叩き込んでやる」
「社会の恥風情が、自然の調和だと? 噴飯ものだ」
レニが細針を構え、瞳に狂信的な光を宿す。
「私はマンティ様の思想すら上回る理想を持っている。略奪者を処分するだけでは足りない。彼らを『美しく凍結保存』し、永遠の秩序の中に閉じ込めるのだ。お前もそのハルバードごと、私の最高傑作の一部にしてくれるわ!」
「――地に還れ!」
フォルトが咆哮と共に、数トンに及ぶハルバードを軽々と振り回した。刃先から放たれるのは、空間を歪ませるほどの高密度振動波。
レニはそれを最小限の動きで回避するが、振動波が掠めた岩壁が粉々に粉砕され、衝撃波だけで周囲の樹木がなぎ倒される。
「(体格のわりに、あんな細い針を……。だが、あの針、細いわりに妙なトリックを仕掛けていやがるな)」
フォルトの直感が警鐘を鳴らす。レニが放つ針は、空気を切り裂く音がしない。それどころか、針が通過した軌道上の水分が瞬時に結晶化し、目に見えない「氷の糸」となって空間に配置されていく。
「なるほど、植物使いか。剪定のし甲斐がある素材だな。だが、凍りついた木々に明日の芽吹きはない」
レニが指先を弾くと、空間に張り巡らされた氷の糸が共鳴し、四方八方から鋭い氷の刃がフォルトを襲った。
「『緑界創生』……!」
フォルトがハルバードを地面に突き立てると、凍りついたはずの大地から強靭な木の根が爆発的に突き出し、盾となって氷の刃を弾き飛ばす。
レニの針は氷を操る。
本来なら、植物の細胞内にある水分が凍り、氷の結晶が細胞を破壊する。細胞膜が傷つくと、中の栄養分が漏れ出てしまい、修復できずにその部分が枯死する。
所詮は植物を細胞の集合体、凍らせれば意味がないと信じていたレニだが、彼にとっての予想外が起こる。
「(凍結に弱いはずの植物が、なぜ……!? 私の極低温を無視して成長しているだと?)」
レニの顔から余裕が消える。フォルトが操るのは、単なる植物ではない。地脈から直接吸い上げた熱い「生命の奔流」そのものだ。
「お前の氷は、死の静寂だ。だが、森の怒りは冷え固まった程度で止まりはせんぞ!」
フォルトはさらに地脈感知を鋭敏にし、レニの不可視の攻撃を完全に読み切る。だがレニもまた、足元に手裏剣のように忍ばせていた小型の凍結爆弾を密かに起爆させようとしていた。
(……こいつ、足元に手裏剣みたいに投げたか。この体格で小さな武器を使えんのかよ)
フォルトはレニの仕掛けた凍結トラップを、地脈の微かな振動で察知した。
瞬時に重力を無視したような跳躍で回避するが、レニの針はすでにフォルトの着地点を完璧に予測して放たれている。
「チェックメイトだ、深緑の亡霊。お前のその熱い命、小生が冷たく美しく、永遠に固定してやろう」
「言ったはずだ……森の怒りを舐めるなと!」
空中で身を翻すフォルト。その瞳には、相棒アストから感覚共有された、上空からの「必殺の視界」が映し出されていた。
レニの背後、そこにはすでにフォルトが地中から這わせた、巨大な「アース・ファング」の牙が、獲物を待つカマキリのように鎌首をもたげていた。
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その頃、戦場から遠く離れた場所。
マンティは静かな場所で椅子に座る。戦争中に似つかわしくないティータイムのようだ。
マンティは独り、花瓶に置かれているホワイトローズを見つめながら、完璧に調律された紅茶を口にしていた。
「……ネールも死に、わが軍勢は取り乱し始めているか。ベスパも、ついに感情に任せて都市を焼き始めた。私がアニルを殺したからなんだというのだろうか……実に不衛生だ」
彼の瞳には、怒りも哀しみも存在しない。ただ、乱れた庭園をいかに効率的に修復するかという、冷徹な計算のみが渦巻いている。
「噂の『飼い主』と呼ばれるイレギュラー……。私は一度水色の髪の女に後れを取りかけたが、彼女らがどれほどの因果を捻じ曲げようと、私の『静寂なる造園』を止めることはできん。ベスパの炎も、義賊の正義も、すべては我が庭を飾るための、一時的な装飾品に過ぎないのだから」
マンティは仕込み杖の柄を優しく撫でた。
「待っているがいいベスパ。お前の不浄な熱量は、我が庭に最も不要な不純物だ」
マンティもいよいよ立ち上がり、陣地から動き出した。
彼にとって、ベスパとの衝突はもはや避けるべき事態ではなく、完了すべき「清掃」のプロセス。そして避けられぬ決定事項となっていた。




