弾丸-3.灰に消える天文台
第5支部の地下要塞は、もはや物理的な建築物としての体を成していなかった。
外壁を構成していた対ミスリル合金は、ベスパが撒き散らす白銀の熱波によって融点を超え、壁面を走る巨大な魔導回路は過負荷によって青白く激しく放電している。空間そのものが軋み、歪み、次元の壁が薄氷のようにひび割れていた。
その破滅の中心で、老戦士ネールは立っていた。
いや、辛うじて存在していた、と言うべきか。
彼は自らの寿命――細胞の一つひとに刻まれた生命エネルギーのすべてを、禁忌の変換術式『生命刻印・星辰還元』によって魔力へと注ぎ込んでいた。
かつては強靭だった彼の皮膚は、水分を失った枯れ木のようになり、触れれば灰となって崩れ落ちそうだ。しかし、その瞳には、老兵の執念と、星々の最期を思わせる超新星の輝きが宿っていた。
「……ベスパ。貴方の存在そのものが、この完璧なる庭における致命的なエラーです。ならば、管理者として、その『一歩』を未来の確定事項から消去しましょう」
ネールの背後で、天空を模した巨大星盤が異音を立てて逆回転を始める。
それは、対象の「存在したという結果」を過去へ遡って削り取る因果律干渉魔法『占星魔術・零式・存在確率抹消』。
ベスパの周囲の空間が、あたかも最初からそこに何もなかったかのように、色と形を失い、虚無の穴となって崩落していく。肉体が、存在の根源から掻き消されようとする、筆舌に尽くしがたい絶望的な重圧。
それでも、破壊神ベスパは止まらない。
概念的な消去攻撃に対し、彼は王杓『デス・スティンガー』を血と溶岩の池と化した地面に深く突き立て、それを支柱にして踏み止まった。
「未来だと……? 存在確率だと……!? 抜かすなッ! 老いぼれがッ!」
ベスパは吼えた。
消失していく空間の穴に対し、彼は自らの圧倒的な魔力質量を、文字通り「物理的な質量と熱量」として叩き込み、虚無を強引に埋め立てながら前進する。
理屈を、概念を、存在の理を、ただの「暴力的な熱量」が力ずくでねじ伏せていく。
二人の距離は、急速に縮まる。
百メートル、五十メートル、十メートル……。
もはや魔法を編む時間などない。互いの吐息が、魔力の奔流となってぶつかり合う、超近接戦闘の間合い。
「管理できぬなら壊せ。壊せぬなら……最初から無かったことにしてやるッ!」
ベスパは王杓を捨て、拳を握りしめた。
彼の右腕が、もはや視認不可能なほどの白光を放ち始める。『熱核格闘』の構え。周囲の大気は数万度の高熱によって瞬時にプラズマ化し、地下空間の酸素は完全に枯渇する。
彼の背後には、地獄の門を開く煉獄の翼が広がり、その威圧感だけでネールの枯れ果てた肉体がメキメキと悲鳴を上げた。
『終焉の煉獄・万象焦土』
ベスパの拳が、ネールの胸前、数センチの空間を殴りつけた。
それは単なる拳の突きではない。一点に凝縮された熱核エネルギーの、ゼロ距離解放だ。
ドォォォォォォォォン!!
音さえも熱に変換され、消滅した。
ネールが展開していた、全生命を賭した幾重もの重力結界、因果の防壁が、まるで薄い硝子細工のように粉々に粉砕される。
その衝撃波は地下要塞を突き抜け、地上へ、第5支部の本体・巨大な天文台まで、一直線の熱線となって大地を貫いた。地殻が割れ、噴き出した溶岩が天を焦がす。
ネールの視界は、自分自身の予言を超えた「絶対的な破壊」の光によって真っ白に染まった。
(ああ……、これほどの不条理。これほどの、圧倒的な無……)
老戦士の心に浮かんだのは、恐怖ではなく、自らの「観測」が完全に敗北したことへの、奇妙な納得感だった。
直撃。
要塞の防壁が蒸発し、衝撃波が中心核を捉える直前。
全身の骨が砕け、内臓を熱核の炎で焼き切られたネールが、血を吐きながら崩れ落ちた。彼の肉体はすでに限界を超え、足元から灰となって崩れ始めている。
しかし、その震える指先は、迫りくる死を前にしてもなお、魔導端末の鍵盤を叩き続けていた。
「……ゴホッ、あ……計算、通り……です……」
ベスパが、煙を上げる拳をネールの枯れ木のような胸ぐらに突き立て、掴み上げた。死に体となった老戦士は、それでもなお、ベスパの黄金の瞳を真っ向から見据え、嘲笑を浮かべる。
「私が……死んでも……貴様の計画なんぞ、既に『エルバ』や『レニ』たち、……そして、世界中の……有能な監視者たちに、流れている……。星の巡りは、変えられない。……貴様を待つのは、救いなき……救いなき沈黙だぁ!」
「……何だと?」
ネールは最後の力を振り絞り、自身の全魔力と全魂を、要塞の超高速通信回路へと同期させた。
第5支部が長年、南の大陸全土を隠蔽し、観測し続けてきたベスパの行動パターン――。
それらが彼らの主・マンティ、そして国家に向けて、一斉に放流された。
それは、マンティの「有能な管理者」としての、そして一人の知略家としての、死の間際の意地の一撃。
自らの命を「情報」という名の、消せない呪いへと変換したのだ。
「おのれ……ッ!!」
ベスパが怒りに任せ、ネールの肉体を握りつぶそうとした瞬間。
要塞の中心核が臨界点を突破した。
ドォォォォォォォォォォォォン!!
旧王都の地平線を、夜が明けたかのような凄まじい大爆発が照らし出した。
第5支部の象徴であった天体観測要塞は、ベスパの放った熱核の渦と、要塞の自爆装置によって、塵一つ残さず消滅した。
爆風が吹き荒れる中、要塞の地下から地上へと吹っ飛ばされたベスパは、空中で身を翻し、溶岩の海と化した地面に着地した。
設定にある『金剛の肉体』をもってしても、ゼロ距離での熱核爆発と要塞崩壊の直撃は、無傷では済まない。プロミネンス・アーマーの一部が剥がれ落ち、肩からは微かに血が滲んでいる。
「……ちっ、有能すぎて鼻につく老いぼれだ」
熱核魔法で第5支部ごと溶けたためか、ネールは遺体すら残らない。
煙が晴れた後、そこには立ち尽くすベスパ一人の姿があった。
ベスパは熱風に吹かれながら、足元に転がっていた、かつて世界を観測していたであろう魔導望遠鏡の割れたレンズを、無造作に踏み潰した。粉々になった硝子の破片が、彼の怒りを象徴するように鋭く光る。
「……俺を地下へ誘い込み、要塞ごと心中するつもりだったか。……死ぬ瞬間まで、効率と論理を優先させおって。……だが、無駄だ」
ネールの死によって、マンティの「目」は確かに潰された。
しかし、それと引き換えにベスパの計画は「公の秘密」と化した。もはや隠密裏に計画を遂行することなど不可能。大陸中の勇者、義賊、そしてマンティの残存兵たちが、この計画を阻止するために動き出すだろう。
ベスパは、焦土の向こう側――ネールのリークを受け取ったであろう、強大な気配を遠くに感じ取った。
「……来るがいい、ネズミども。掃除の時間まであと少しだ」
それは、『最悪の終焉』の名を持つ義賊ルウか。あるいは、未だ姿を見せぬ『完璧なる管理者』マンティか。
ベスパは焼け落ちた空を見上げ、王杓『デス・スティンガー』を再び強く握り直した。
彼の背後では、主を失った第5支部の残骸が、いつまでも静かに、しかし激しく燃え続けていた。




