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最強暗殺者、聖女に詰められ短足猫になる  作者:
第5部-冥静戦争開幕、三大組織の滅亡
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弾丸-2.鉄鋼の揺籃、熱核の予兆

 

 南の大陸の北端、天を衝く天文台の地下深く。そこは地上数百メートルの観測塔とは対照的な、無機質な鉄と魔導回路が支配する閉鎖空間であった。

 直径数十メートルに及ぶ巨大な真鍮の歯車が、大陸の星位を演算するために重厚な音を立てて噛み合い、壁面を走る青白いエーテル・ラインが、要塞の心臓の鼓動のごとく明滅している。


 その静謐な「管理の庭」が、今、内側から溶け落ちようとしていた。


「……一歩。……二歩。……三歩。貴方の歩みは、やはり私の計算から一分一秒の狂いも生じさせない」


 要塞全域に配置されたスピーカーから、ネールの掠れた声が響く。それは物理的な音波以上に、空間そのものを震わせる魔力の圧を伴っていた。


 地下の入り口を塞いでいた厚さ五メートルのミスリル製防壁が、真っ赤に熱せられた飴細工のように歪み、中央から蒸発していく。立ち込める白濁した蒸気の向こうから、一人の男がゆっくりと姿を現した。


 ベスパ。

 彼の身から放たれる熱量は、すでに地下空間の空気を数百度へと引き上げていた。彼が踏みしめる鋼鉄の床は、足裏が触れた瞬間にプラズマ化し、深い足跡となって抉れる。背後には、彼が歩んできた道が溶岩の川となって脈動していた。


「ネール……。コソコソと土鼠のように潜り込みおって。その透かした面を拝みに来てやったぞ」


 ベスパの声は低く、地響きのように響く。その手には、禍々しい黒鉄の王杓『デス・スティンガー』が握られ、刃先からは絶えず熱核の火花が散っていた。


 二人の距離は、およそ百メートル。

 中距離。ネールの精密狙撃が最も威力を発揮し、ベスパが瞬発力で一気に間合いを詰められる殺しの間合いだ。


「ベスパ、お前は……無能なのか?」


 ネールの問いかけは、あまりに唐突で、そして冷酷だった。


「自身の忌まわしき過去という枷に縛られ、ただ感情の赴くままにこの大陸を焼く。それは『王』の所業などではない。庭を荒らし、火を弄ぶだけの思慮浅き子供の火遊びに過ぎん」


「……何だと?」


「私たちが管理し、剪定し続けてきたこの『完璧な庭』において、貴方のような不合理なノイズは不要です。管理できぬ感情、制御できぬ破壊……。それらはすべて、この美しい星図から消去されるべき不浄。私が、この大陸の主であるマンティ様に代わり、貴方という『雑草』を根絶して差し上げましょう」


「不要」、「管理」、「雑草」。

 その言葉が、ベスパの脳裏にある古い記憶を呼び覚ます。親に、国に、神にさえも「管理の価値なし」と切り捨てられ、放置された幼き日の絶望。

 ベスパの黄金の瞳が、憎悪と愉悦の混ざり合った、狂気的な輝きを放った。


「管理だと? 反吐が出る。貴様らの言う秩序など、強者が弱者を飼い慣らし、都合の悪いものを排除するための檻だろうが! ならば俺が、その檻も、その檻の中で夢を見る飼い主も、すべてを無に帰してやる!」


 ベスパが地を蹴った。

 ドォォォォン!! と地下空間を揺るがす爆発音が轟く。彼の踏み込みは地殻そのものを引き裂き、地下数千メートルに眠るマグマを、魔力的な誘発によって地上へと呼び戻す。噴火の如き推進力を得て、ベスパは一瞬でネールとの距離を詰めようとする。


 だが、ネールの背後に浮かぶ巨大な星盤アストロラーベが、異様な速度で回転を開始した。地下空間の天井が、物理的な限界を超えて無限の闇へと変貌する。


「『占星魔術・アンタレスヴェノム』」


 刹那、偽りの夜空から放たれたのは、さそり座の紅い魔力の針。

 それは一万、十万という数に及び、ベスパの進行方向すべてを埋め尽くした。この針は物質的な防御を一切無視する。ベスパが纏う『プロミネンス・アーマー』という数万度の熱障壁さえも、位相をずらすことで容易に透過し、彼の強固な肉体組織、そして魔力経路へと直接突き刺さった。


「……ぐ、ぉぉぉッ!」


 ベスパの全身を、内側から神経を焼き切るような激痛が走る。魔力回路がショートし、全身の筋細胞が強制的に硬直させられる。普通の人間の戦士であれば、一瞬でショック死するか、あるいは魔力そのものを霧散させて崩れ落ちる一撃。


 しかし、ベスパは違った。

 彼は溢れ出す血を瞬時に自身の熱で蒸発させ、爆発的な咆哮を上げた。


「これしきの針……。俺を『放置』したあの世界の冷たさに比べれば、微温湯にもならんぞ!」


 激痛をエネルギーへと変換し、ベスパはさらに加速する。猛毒の雨を浴びながら、彼は自身の歩みを止めるすべての因果を、力ずくでねじ伏せていく。


「……強情な。ですが、その無謀な進撃こそが、貴方の限界を露呈させていることに気づかないのですか? 貴方の熱源反応、心拍数、そして魔力消費率。すべては私の『観測』の内にある。次に貴方が王杓を振り上げる確率は九十九・八パーセント。その瞬間の隙を突けば、貴方の心臓は私の重力弾で砕け散る」


 ネールの声には、確信があった。彼は数キロ先の上空、あるいは要塞の演算中枢から、ベスパという現象を完全に定義しようとしていた。


 だが、ベスパは不敵に笑った。

 その笑みは、知能派を自称する者たちが最も嫌う、理解不能な「不条理」の笑みだ。


「……その魔法、……『放棄』を宣告する!」


 ベスパは降り注ぐ紅い針を、避けるどころか全身で受け止めた。そして、ネールが展開する星盤の中心点――北極星ポラリスに相当する術式のコアを見定めると、自身の掌をその虚空へと突き立てた。


 特殊能力:『魔力捕食(ハチの一刺し)』


「なっ……!? 魔力が……逆流して……!?」


 ネールの表情が、驚愕に染まる。

 彼が要塞の動力源から、あるいは自身の魂を削って送り込んでいた膨大な魔力エネルギー。それが、ベスパの指先という「特異点」を通して、猛烈な勢いで吸い出され始めたのだ。


 術式を分解するのではない。

 ネールが練り上げた「月」と「星」の魔力を、ベスパは自身の「太陽」の焔へと、強引に変換し、飲み込んでいく。それは、洗練された芸術品を、野獣が骨ごと噛み砕き、自らの血肉とするような、略奪の極致であった。


「観測不能……! 貴様の魔力容量(キャパシティ)はどうなっている! なぜ、他者の術式をそのまま自らの糧にできるのだ!」


 ネールが愛用していた魔導望遠鏡のレンズに、不吉な亀裂が走る。

 遠隔投影されていた星の檻が、支えを失ったガラス細工のようにボロボロと崩れ落ち、地下空間に元の冷たい鉄の色が戻り始めた。だが、それは平和の訪れではない。


「観測だと? ならば、お前の腐った目が潰れるまで、俺の炎を見せてやるよ!」


 魔力を吸収したベスパの全身から噴き出したのは、これまでの紅蓮を超えた、純白の輝きを放つ「白銀の炎」だった。

 その熱量は一瞬で地下空間の酸素を消費し尽くし、絶対的な真空を生み出す。空気が失われたことで音が消え、ただ視覚を焼き切るような白熱の光だけが空間を支配した。


「……おのれ、これほどの不条理、計算の外……!」


 ネールは額に冷汗を流しながらも、震える手で次なる禁忌の術式を編み上げる。

 彼は理解した。この男に、通常の戦術は通用しない。

 ならば、対抗できるのは、同じく「条理」を超えた力のみ。


「……面白い。ベスパ、貴方の『絶望』という名の熱量、どこまでこの星々の光を遮れるか試してみましょう。第5支部、全魔力回路直結――『星々の葬送歌レクイエム』を聴きなさい!」


 ネールの咆哮に応じ、要塞全域の歯車が逆回転を始めた。

 地脈から汲み上げられた膨大な魔力が、ネールの老体を媒介にして一本の巨大な光の柱へと収束していく。それは、ここすらも揺るがす、自爆覚悟の超高出力放射魔法。


 ベスパは、その圧倒的な光の奔流を真正面から見据え、王杓『デス・スティンガー』を上段に構えた。

 彼の足元では、要塞の骨組みが断熱圧縮によって白光を放ち、崩壊の序曲を奏でている。


 戦場は、青白く瞬く星の葬送光と、すべてを飲み込む白銀の煉獄が激突し、混ざり合う、混沌の極致へと変貌していく。

 光が影を消し、熱が理を溶かす。

 崩壊を続ける地下要塞の深奥で、二つの「巨悪」の意志が火花を散らす。


 決着の時はまだ、見えない。

 だが、この地下空間そのものが、二人の放つ熱量によって一つの太陽になろうとしていた。

 死の気配だけが、濃密に、そして甘美に、その場を満たしていた。


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