第6話 セレスさんの髪のお悩み相談
「髪留めは、ご自分で外せますか?」
「はい。少々お待ちください」
セレスが頭の後ろへ手を回す。
一つ、二つ、三つ。
小卓に、細い髪留めが置かれていく。
四つ目が出た。
五つ目も出た。
俺は黙って見守った。
魔王の鋏もそうだったが、この城は道具を惜しまず使うらしい。
「これで全部です」
最後の一本が外れると、銀色の髪がするりと落ちた。
肩を越え、背中へ広がる。
きちんとまとめていたときより、顔の印象が柔らかくなった。
セレスは鏡を見て、耳の横の髪を指で払う。
「この状態で、人前に出ることはあまりないので……」
「普段は、ずっとまとめているんですね」
「はい。仕事が終わるまでは」
俺は布を肩にかけ、髪が首元に挟まらないように整えた。
「触りますね。引っかかったら教えてください」
まず毛先をほぐし、櫛を少しずつ上へ入れる。
細いが、毛量は少なくない。結んでいた跡はあるものの、毛先を下ろすと、緩やかな流れが見えた。
耳が長いので、髪を引き出すときは、いつもより角度を変える。
魔王の角に続いて、今度は耳だ。
手の位置を少し変えるだけで済むなら、ありがたい方である。
「召魂の儀のお仕事は、毎日あるんですか?」
「いえ、頻繁に行うものではありません。術式の点検や記録、次に備えた研究の方が多いですね」
「今日の準備も、長くかかったんですか」
「はい。途中で止められない工程もありますから、髪を直すために手を離すわけにはいかなくて」
セレスが小卓の髪留めを見た。
「絶対に崩れないようにしているうちに、少しずつ、きつくなってしまいました」
なるほど。
気になるたびに締め直し、心配な場所へ髪留めを足す。
何となく、その朝の様子が想像できた。
「お休みの日も、同じ結び方ですか?」
「仕事が入ることもありますので」
「……お休みの日ですね?」
セレスは鏡の中で、にこっとした。
答えになっていなかった。
「長さは、今くらいがお好きですか?」
「はい。できれば残したいです」
「では、今日は切らずに、まとめ方を変えてみましょう」
俺は櫛を置き、指で前側の髪を分けた。
「前に落ちてくるのが困るのは、この辺りですか?」
「はい。下を向いて文字を確認するとき、目にかかるので」
「ほかに、気になることは?」
「結び直す回数を減らしたいです。それから……あまり華美でない方が」
「仕事中ですものね」
「はい」
希望がそろった。
長さを残す。視界を遮らない。崩れにくく、引っ張りすぎない。仕事の場に合う形。
俺は髪留めを見せてもらい、先端や留まり方を確かめた。
装飾は控えめで、長さの違うものがある。使い方を選べば、これで十分だ。
「いつもは、全部の髪を上へ引いてまとめていますよね」
「はい。強く結べば、ほどけにくいので」
「今日は低めの位置でまとめます。前側の髪は別に整えて、後ろへ留めましょう」
引っ張らず、自然に沿う位置を探す。
耳の根元に髪が絡まないよう指で分け、左右の毛束を後ろへ送った。
「きつくないですか?」
「はい。でも、緩くすると、ほどけませんか?」
「締めつける強さだけで支えないようにします。留める位置を分けて、髪留めも安定する向きで使いましょう」
長い髪を低い位置でまとめ、毛先を内側へ収める。
いわゆる『ギブソンタック』というスタイルだ。
土台になる部分に髪留めを通して、指を離した。
形が保たれていることを確かめ、もう一本。
引きつれる場所がないか、左右を確認する。
「ここはどうですか」
「平気です」
「耳の後ろも?」
「はい」
前髪を整えると、セレスの指が、そっとこめかみに触れた。
「いつもは、ここがもっと引かれていました」
「このくらいでまとまるなら、強く引かなくて大丈夫です。無理に全部をぴったりさせなくても、仕事の邪魔にならない形にはできますから」
鏡の中で、セレスが少し首をかしげる。
髪は、崩れなかった。
「一度、普段と同じように動いてみてください」
俺が手を離すと、セレスは顔を左右へ向けた。
次に、机の書類を読むように、顎を引く。
顔を上げる。
髪に手をやる。
「まだ、留まっています」
「はい」
今度は両腕を上げた。
下ろす。
また髪に手をやる。
「こちらも……」
「留まっていますね」
鏡を見る。
後ろに手をやる。
俺は口元を緩めた。
「そんなに心配ですか?」
「いつもの締めつける感じがないので、ほどけている気がしてしまって」
「慣れるまでは、気になりますよね」
俺は手鏡を借り、後ろも見てもらった。
低い位置でまとまった銀髪。首元には髪が落ちず、前側も視界を遮っていない。
セレスは鏡の角度を変えながら、じっくり見た。
「……切っていませんよね?」
「今日は、まだ一本も」
「同じ髪なのに」
「まとめる位置や、引く方向でも変わります」
彼女が椅子から立つ。
数歩歩いて、戻ってきた。
手が髪へ行きかけて、途中で止まる。
「どうですか?」
「楽です。頭を動かしても、引っ張られません」
「それならよかったです。頭の痛みについては、しばらく様子を見てください。結び方以外の原因もあるかもしれないので」
「わかりました」
「自分でもできるように、もう一度、一緒にやってみましょうか」
セレスがうなずいた。
二度目は、鏡を見ながら彼女自身に髪を分けてもらった。
髪留めを通す向きだけ、俺が横から伝える。
途中で、いつもの癖でぎゅっと引く手が止まった。
「……これでは、元に戻りますね」
「少し緩めてみましょう」
ほどいて、やり直す。
今度は、うまくまとまった。
セレスは満足そうに鏡を見た。
それから、指を上げた。
水の粒が、空中に現れる。
「術を使うときも、確かめておきたくて」
「ああ、なるほど」
水の粒が、細かな霧に分かれた。
今度は魔王の顔にも、俺の顔にもかからない。
セレスの指の上で、静かに漂っている。
俺は見入った。
「……それ、便利ですね」
「覚えてみますか?」
思いがけない返事だった。




