第1話 出てきた鋏が、どれも惜しい
「お待たせしました!」
兵士が戻ってきたのは、魔王の肩にかけた布を整え終えた頃だった。
ただし、出ていったときは一人だったのに、帰ってきたときは五人になっていた。
全員が、盆を持っている。
先頭の兵士が、誇らしげに胸を張った。
「城内より、片手で扱える鋏を集めてまいりました!」
「ありがとうございます」
ありがたい。
ありがたいのだが、五人も動員する仕事だっただろうか。
俺の店では、鋏を持ってくるだけでこんなに人が集まったことはない。そもそもスタッフが足りない。
鏡の前の小卓に、鋏が並べられていく。
大きいもの、小さいもの、細いもの。
そして、一つだけ妙に金色のもの。
「こちらは裁縫室から」
「こちらは薬草庫より」
「こちらは宝物庫に保管されていた、契約の儀に用いる鋏です」
最後の兵士だけ、声に重みがあった。
金色の鋏は、持ち手が二匹の竜になっていた。尻尾を輪にして、こちらをにらんでいる。
指を入れるところに、牙がある。
見た目は豪華だが、指を動かすたびに牙が当たりそうだ。長く使えば、髪を切る前に俺の指が竜に食われる。
「……これは、何を切るものですか?」
「契約を結ぶ際、双方の髪を一房ずつ」
飾り物かと思ったが、髪を切るための鋏ではあるらしい。ただ、一房だけ切るのと、頭全体を仕上げるのとでは、使いやすさに求めるものが違う。何より使い続けたら俺の指がなくなりそうだ。
兵士の目が輝く。
「お使いになりますか?」
「指が痛そうなので、ほかも見ていいですか」
「はっ」
兵士は鋏を引っ込めた。少しだけ、竜までしょんぼりしたように見えた。
俺は裁縫用の鋏を手に取った。
切れ味は悪くなさそうだ。ただ、刃が長くて重い。細かく開閉するには、少し扱いづらい。
次は薬草用。
軽い。大きさもちょうどいい。
そっと開閉すると、刃の途中で小さく引っかかった。
「これは普段、何を?」
「薬草の茎を切っております」
「なるほど」
「硬い根も切れます」
「なるほど……」
頼もしい履歴なのだが、今日は根を切る予定がない。
「ユウ様。何か足りないのでしょうか」
セレスが、手元をのぞき込んだ。
「少し引っかかるんです。髪って細いので、刃が合っていないと、切れずに挟んだり、引っ張ったりしてしまうことがあって」
鏡の中で、魔王の眉が動いた。
「引っ張るのか」
「合わない鋏だと、そうなることもあります」
「……以前の者は、気合が足りぬと言っていた」
俺は顔を上げた。
「切る方のですか?」
「我のだ」
それは道具を見直してほしい。
魔王の我慢強さで解決する問題ではない。
「今日は気合なしでいきましょう」
「そうか」
魔王が、少し安心した顔をした。
俺は残りの鋏を一本ずつ確かめた。
刺繍用の小さなものは、先が細くて軽かった。手に収まり、開閉も滑らかだ。
指穴は少し小さいが、短い刃なら角の周りでも動かしやすい。
「これ、使わせてもらえますか」
「そのような小さなもので、よろしいのですか?」
「はい。少しずつ切るので」
兵士たちが、一斉に鋏を見た。
どうやら、この城では大きい道具ほど期待されるらしい。
魔王も、大きいしな。
並んだ鋏を、もう一度見渡す。
片側の刃が櫛のようになったものは、一本もなかった。
すきバサミは、なし。
毛量の多い髪を前にすると、つい、いつもの道具を探してしまう。
「ほかの鋏が必要でしょうか?」
セレスが聞いた。
「毛量を減らす専用の鋏があるんです。でも、ここにあるものでやってみます」
「同じものを作らせましょうか」
「いずれ、お願いしたいです。今日は、この一本で」
便利な道具だが、なければ仕事ができないわけではない。
髪を乾かした状態で、どこが膨らみ、どの束が重なっているのかを見る。必要なところを小さく取り分け、普通の鋏の刃先で、少しずつ毛量を調整していけばいい。
時間はかかる。まとめてざくざく切るわけにもいかない。
特に、この角の周り。短い毛を増やしすぎれば、かえって立ち上がるかもしれない。
髪を下ろして確かめ、また少し取る。
久しぶりに、鋏一本でじっくり向き合う仕事になりそうだった。
「櫛と一緒に、洗ってきていただけますか。あと、清潔な布と、手を洗う水もお願いします」
「かしこまりました」
今度はセレスが、兵士の一人に指示した。
ようやく、見慣れた仕事の準備に近づいてきた。
あとは髪を濡らして、癖の出方を確かめたい。
「髪に少し水をつけたいんですが、霧吹きはありますか?」
「……霧吹きとは?」
「水などの液体を、細かい霧状にして噴射するための道具です。髪を少し湿らせたいときに使います」
俺は握った手で、レバーを引く動きをしてみせた。
セレスはその手を見つめた後、うなずいた。
「道具で水を霧に変えるのですね。それでしたら、魔術でもできると思います」
「お願いできます?」
「お任せください」
彼女が指先を上げた。
淡い青の光が集まり、魔王の頭上に水が現れる。
球だった。
それも、かなり大きな球だった。
店のシャンプーボウルに入れたら、確実にあふれる。
「待ってください」
俺は両手を上げた。
「はい?」
「その水、どうする予定ですか?」
「落とします」
「落とさないでください」
仕事の準備が、また遠ざかった。
魔王は鏡越しに、水球を見上げていた。
「布をかけている。問題なかろう」
「この布で防げる量じゃないです」
肩にかけているのは、普通の布だ。切った髪が服に落ちるのは防げても、これだけの水をかぶれば、布ごと服まで濡れてしまう。
セレスが水球を自分の方へ移動させた。
「髪全体を濡らすには、この程度必要かと」
「洗うときならそうですね。今は、表面を少し湿らせたいんです」
「少し」
「はい、少し」
水球が小さくなった。
頭くらいの大きさだ。
「もう少し」
リンゴくらいになった。
「それを、一度に落とさず、細かくできますか?」
「細かく……」
セレスの目つきが変わった。
さっきまでとは違う、考える顔だった。
水球が震え、いくつもの雫に分かれる。
透明な粒が、彼女の手の上に浮かんだ。
「こうでしょうか」
「はい。それをもっと小さくして、ふわっと広げる感じです」
「ふわっと」
「こう……」
俺は指を開いて、髪に向けて軽く振った。
ロンドンの修行先でも、単語が出てこないときはこうして身振りで伝えていた。
まさか、魔法の使い方で同じことをするとは。
セレスが片方の眉を寄せる。
雫がさらに分かれた。
薄い霧が、魔王の頭上に広がる。
「そうです、それです!」
霧が降りた。
髪に、細かな水滴がつく。
同時に、魔王の顔にもついた。
長い睫毛に、きらっと光る。
魔王は黙っていた。
俺は布で顔を拭いた。
「すみません。次は、顔を避けましょう」
「申し訳ありません、魔王様」
「よい。雨は顔にも降る」
妙に寛大な理由だった。
セレスは真剣に、霧の位置を調整した。
「水壁を作るより、難しいですね……」
「大きな魔法の方が得意なんですか?」
「攻撃を防ぐ訓練では、広さと強度を求められますので。水をこれほど細かく分け、弱い力で動かす機会はありませんでした」
「ああ、なるほど」
できないのではなく、やったことがないのだ。
海外で仕事をしていたときも、髪を見る手順は同じだった。まず、目の前のお客さんの癖、髪質、毛流れを確かめる。そこに本人の希望を合わせて、デザインを作っていく。
国籍で切り方を決めるわけではないし、同じ日本人でも、一人ひとり髪は違う。
セレスも水そのものは扱える。今は、俺が欲しい霧の細かさと量を、具体的に伝えればいい。
「少しずつで大丈夫です。ここだけ、もう一回お願いします」
俺は魔王の右側の髪を持ち上げた。
セレスの指が動く。
今度は、持ち上げた髪だけに霧がかかった。
「おお、ちょうどいい」
櫛を通すと、潰れていた部分がほぐれ、元の癖が見えてくる。
「もう少し下もお願いできます?」
「はい」
彼女が半歩移動する。
細かな霧が、狙った場所に降った。
顔には一滴もかからない。
「ばっちりです」
セレスの口元が、少し緩んだ。
「この魔術は、お役に立ちますか?」
「すごく。片手が空きますし、欲しいところだけ濡らせるので」
しかも、霧吹きを置く場所を探さなくていい。
美容師としては、かなりうらやましい能力だった。
「では、必要なところを教えてください」
「ありがとうございます」
道具を洗いに行った兵士が戻ってきた。
清潔な布の上に、小さな鋏と櫛が載っている。
俺は手を洗い、よく拭いてから鋏を受け取った。
開く。閉じる。
軽い音がする。
慣れた道具とは違う。けれど、この一本なら、できることはある。
「準備は整ったか」
鏡の中で、魔王と目が合った。
「はい。お待たせしました」
「小さな鋏に、小さな水か」
魔王は感心したように言った。
「異界の技は、ずいぶん細やかなのだな」
「髪は少し切るだけでも変わりますから」
俺は櫛で一束すくい、長さを確かめた。
周りの兵士たちが、じっと見ている。
セレスは指先に、小さな水の粒を待機させていた。
「では、乾かしてから切りますね」
魔王の眉が上がった。
「今、濡らしたばかりではないか」
「寝癖を一度ほぐしたかったんです。そのままだと、髪の本来の動きがわからないので」
俺は布で余分な水気を取った。
「乾いたときの広がりを見ながら、少しずつ切ります。魔王様が明日、自分で乾かしたときにも収まるように」
「なるほど。我が明日扱えるかまで、考えるのだな」
「毎朝、ここに座っていただくわけにもいきませんから」
魔王は、少し考えた。
毎朝の予約を検討しないでほしい。
「乾かすのは、私が」
セレスが手を上げる。
「風もお使いになれるんですか?」
「はい。強さをご指示ください」
今度は、いきなり魔法を使わずに待ってくれた。
ありがたい。さっきの風だと、俺まで退勤させられそうだった。
「まず、そよ風くらいで。根元に指を入れるので、そこへお願いします」
弱い風が、髪の間を通り抜けた。
俺は指と櫛で流れを整えながら、少しずつ位置を変える。セレスもそれに合わせて風を送ってくれた。
やがて髪が乾き、黒い毛束が自然に肩へ落ちた。
左右で違っていた膨らみ方が、さっきよりよくわかる。
右側は寝癖の影響が大きい。左側には、重なって厚くなる場所がある。
俺はそこを櫛ですくい、持ち上げてから、また下ろした。
「今度は、切らぬのか」
「落ち方を見ています。すきバサミがないので、どの部分を減らすか、よく確かめたいんです」
指の間に、薄く毛束を取る。
刃先を使う角度を決め、頭の中で切った後の形を描いた。
長さを残すところ。重さを減らすところ。角の横で浮きやすいところ。
全部を同じようには切れない。
初めての道具。初めての髪質。初めての角。
わからないことは多い。
それでも、切る前に確かめることは、いつもと同じだった。
「それじゃあ、始めますね」
俺が鋏を開くと、背後で、かちゃりと金属の音がした。
鏡を見る。
兵士の一人が、腰の剣に手をかけていた。
俺は鋏を閉じた。
「……その前に、皆さんと一つだけお約束してもいいですか?」




