# プロローグ 異世界でも、ご希望は伺います
初投稿になります。
少しでも楽しんでいただければ幸いです。
よろしくお願いいたします。
「悠ちゃん、今日は十歳若くして」
「前回も十歳でしたよね。そろそろ莉子ちゃんと同級生になりますけど」
「じゃあ、制服も買わないと」
「お母さん。まず腰の湿布、隠して」
鏡越しに娘さんが突っ込むと、佐伯さんは肩を揺らして笑った。
その肩に落ちた白い髪を払い、俺は椅子を少し回す。
「襟足は軽くしてあります。マフラーを巻いても、もたつかないように」
「あら、いいじゃない。首がすっきりした」
「後ろも見てください」
手鏡を渡すと、佐伯さんは右を向き、左を向き、最後に少し顎を上げた。
この角度が出れば、だいたい気に入ってもらえている。
「どう、美和?」
「はいはい、若い若い」
「二回言うと雑なのよ」
待合のソファで、美和さんが笑う。その隣から、孫の莉子ちゃんがタブレットを差し出してきた。
「悠さん、次、私。これにしたい!」
画面にいたのは、ピンク色の髪をしたゲームのキャラクターだった。
しかも知っている。昨夜、俺のパーティーを全滅させたボスだ。
髪型はかわいい。攻撃はかわいくない。
「学校、カラーは大丈夫?」
「駄目」
「じゃあ色は卒業してから。今日は顔の周りを似せて、結んでもかわいくなるようにしよう」
「できる?」
「任せて。昨日、いろんな角度から見たから」
「この子、倒したの?」
「その質問は、シャンプーの後で」
莉子ちゃんがにやっとした。
最近の中学生は、察しがいい。
三神悠、三十八歳。
地方の商店街にある美容室『ひだまり』のオーナーだ。
スタッフは俺を含めて三人。店の前には鉢植え、隣にはパン屋。午後三時になると焼きたての匂いが入ってきて、全員の集中力が少し落ちる。
佐伯さん一家のように、親子三代で通ってくれるお客さんもいる。
初めてのカットで大泣きした子が、卒業式の予約を入れに来る。成人式、就職、結婚。そのうち、小さな子を抱いて「この子の前髪、お願いできますか」と店に入ってくる。
そうやって顔なじみが増えるたび、待合のおもちゃも増えた。
今では木馬が二頭いる。
店の面積に対して、馬の割合が高い。
昔の俺を知っている人は、たまに不思議そうに聞く。
『どうして、こんなところに戻ったの?』
こんなところ、とは失礼な。
川まで車で十五分。キャンプ場まで四十分。塩パンは徒歩十秒だ。
暮らしの条件としては、かなり強い。
以前は東京の大きなサロンで働いていた。
ロンドンへ修行に行き、帰国後も海外の仕事に呼ばれ、パリの撮影現場やファッションショーで髪を作った。
言葉が通じなくても、仕上がった髪を見た相手の顔で、うまくいったかどうかはわかった。
逆に、言葉が通じても注文がわからないことはあった。
『もっと、風が恋をしている感じで』
あの撮影の依頼は、今でも少しわからない。
雑誌の特集、テレビへの出演、著名人からの指名。気づけば名前の前に、いろんな肩書きがついていた。
海外仕込みの天才美容師。
予約の取れないカリスマ。
天才の修行時代に、先輩から「それ、左右の長さ違わない?」と何度言われたか、編集部は知らない。
仕事は面白かった。
ただ、呼ばれる場所が増えるほど、髪を切る以外の注文も増えた。
「先生、もう少しカメラに顔を向けて」
「ここで決め台詞、お願いします」
「もっと大胆な変身が欲しいですね!」
椅子に座る人は「明日の仕事に行ける髪型で」と言っているのに、撮影する側は「誰だかわからないくらい変えて」と言う。
帰りの電車で、俺はその人が翌朝、自分で髪を整えられるか考えていた。
番組では好評だった。次の出演も決まった。
けれど、鏡の前のお客さんより、レンズの向こうを気にする時間が増えていた。
俺自身が見世物になるのも、どうにも性に合わなかった。
美容師として紹介されているのに、なぜ休日の服装や冷蔵庫の中身まで披露する必要があるんだろう。
冷蔵庫には釣り餌が入っている。
たぶん、放送には向かない。
地元に戻って店を開いたとき、佐伯さんは大きな観葉植物を抱えてやって来た。
『今度は私の予約、取れるんでしょうね』
『はい。いつでも』
『じゃあ来月の第三金曜、十時』
その場で手帳を開いた。
花束より先に、次の予約をもらった。
あの観葉植物は今も窓際にある。俺より先に白髪が増えることもなく、毎年順調に大きくなっている。
*
「店長、明日も釣りですか?」
閉店後、真帆が床を掃きながら聞いた。
「晴れたら。山の方に行こうと思ってる」
「先週は何が釣れたんでしたっけ」
「いい景色」
「食べられるやつでお願いします」
俺の休日は、釣り、キャンプ、ゲームの三本柱でできている。
外で遊びたい。家でも遊びたい。
三十八歳にもなって、休日が足りない。
「ゲームも、まだ魔王倒してないんですよね?」
「装備を作ってる途中」
「もう二週間くらい作ってません?」
「強いんだけど、色が合わなくて」
「魔王、待ちくたびれてますよ」
そんな話をしながら、予約帳を確認した。
来週は莉子ちゃんの卒業式。朝七時からヘアセットだ。
初めて来たときは、母親の膝の上で切った。それでも泣くので、俺は鋏を持つ前に十五分、ぬいぐるみの声を担当した。
あの子が、もう中学を卒業する。
予約の横に「飾り持参」と書き足して、俺は帳面を閉じた。
*
翌朝、川はきれいだった。
コーヒーもうまかった。
魚にだけ、予定が合わなかった。
昼前に竿をしまい、帰ろうとしたときだ。
背後で、石がぶつかる音がした。
振り返ると、斜面から小石が落ちてきた。その上の土が膨らむように動く。
まずい、と思った。
足を踏み出した瞬間、地面が崩れた。
川の音が大きくなった。
そこから先の記憶は、ない。
*
「――魂の定着を確認! 肉体の再生、成功しました!」
知らない声で目が覚めた。
天井が高い。
照明が紫色に燃えている。
床には、巨大な円と、読めない文字。
その周りを、角のある人たちが囲んでいた。
俺は目を閉じた。
もう一度開けた。
角の人数は減らなかった。
「お気分はいかがですか?」
銀髪の女性がしゃがみ込んできた。長い耳と赤い瞳。整った顔立ちに、きちんとまとめた髪。
ただ、こめかみの辺りが少し引っ張られている。毎日この結び方だと、疲れそうだ。
いや、今はそれどころじゃない。
「ここ、病院ですか?」
「魔王城です」
病院の可能性は、だいぶ下がった。
「私はセレス。召魂の儀を担当しております。あなたのお名前を伺っても?」
「三神悠、です」
「ユウ様ですね。どうか、ゆっくりお聞きください」
彼女は言葉を選びながら、説明した。
俺は、元の世界で命を落としたこと。
この城の術式が、身体を失った魂の中から俺を招いたこと。
今の身体は、その術式によって新しく作られたものであること。
俺は手を見た。
小さな傷も、鋏を握ってできた硬い皮膚もない。腕時計の日焼け跡まで消えていた。
「帰ることは、できるんですか」
セレスは目を伏せた。
「……元の身体を取り戻す手段がありません」
来週の予約が頭に浮かんだ。
莉子ちゃんの髪飾りは、どんなものだったんだろう。
真帆なら、きっと似合うように仕上げてくれる。
店の鍵も持っている。もう一人のスタッフとも連絡がつく。
そうやって、自分がいなくても店が回る理由を考えた。
考え終わっても、胸の苦しさは消えなかった。
俺はしばらく、膝の上の手を見ていた。
セレスは黙って待ってくれた。
「セレス。話はできるか」
奥から、低い声がした。
「魔王様。もう少しお時間を」
「わかった」
声の主も、それ以上は何も言わなかった。
やがて、俺は息を吐いて顔を上げた。
「……どうして、俺だったんですか」
セレスが奥へ視線を向けた。
黒い玉座に、大きな男が座っていた。
頭には二本の角。瞳は赤く、肩は広い。重そうな黒い衣装に、鋭い爪。
昨夜のゲームだったら、間違いなくセーブしてから近づく相手だ。
「こちらが、魔族を統べる魔王ヴァルガ様です」
魔王は立ち上がった。
そして俺は、その髪を見た。
黒く、長く、見事なまでに広がっていた。
角の根元は膨らみ、左側は外へはね、右側は途中から潰れている。
これだけ左右で違うのに、真ん中だけは堂々としていた。
顔を見るべきだと思う。
思うのだが、目がどうしても襟足へ行く。
「異界の者よ。我らは、ある難題を解決する技を持つ者を求めた。術式は、お前を選んだ」
「難題……ですか」
「城の者では、どうにもならぬ。刃を扱い、人の姿を変える技だと聞いている」
セレスが俺を見る。
「お心当たりは?」
「美容師なら、やっていましたけど」
魔王が眉を寄せた。
「美容師とはなんだ?」
「髪を切ったり、整えたりする仕事です。色を変えることもありますね。本人の希望を聞いて、似合う髪型や、普段の手入れがしやすい形にするんです」
「髪を……」
魔王の手が、黒髪に伸びた。
「では、その刃で姿を変えるというのは」
「鋏で髪型を変えることだと思います。顔そのものは変えませんけど、印象はかなり変わりますから」
魔王とセレスが顔を見合わせた。
何かが通じたらしい。
こちらとしては、何が難題なのか、そろそろ教えてほしい。
「角のある者の髪も、整えられるか」
「見せてもらえれば」
魔王が近づいてくる。
兵士たちの背筋が伸びた。
近くで見ると、でかい。俺の店のシャンプー台には、たぶん収まらない。
「どうだ」
「……右を下にして寝てます?」
広間が静まり返った。
魔王が、目を見開く。
「寝所を見たのか」
「見てません。髪に跡がついてるので」
「髪を見ただけで、そこまでわかるのか」
セレスが感心している。
まずい。技術への期待が、妙な方向に高まっている。
「あと、乾かし方に少し偏りがありそうですね。普段はどうやって?」
「風の魔術だ」
「どちらから当ててます?」
「こうだ」
魔王が右手を上げた。
次の瞬間、風が吹いた。
魔王の髪が左へなびき、セレスの書類も左へ飛び、兵士が一人、左へよろめいた。
「止めてください、わかりました!」
風がやんだ。
なるほど。
乾かすというより、天候である。
「毎朝、その強さですか?」
「忙しいのでな」
「弱くして、向きを変えながら当てた方が収まりはよくなります」
セレスが紙を拾いながら、うなずいた。
「朝の執務室も、多少穏やかになりそうです」
美容相談で、労働環境まで改善できそうだった。
許可をもらい、髪を一束、指で確かめる。
太く、弾力がある。癖は強いが、流れを生かせそうだ。角の周りの重さを取れば、収まりも変わる。
手を動かすうち、呼吸が少し楽になった。
「整えられると思います。道具はありますか?」
「こちらに!」
セレスの声で、兵士が銀の盆を運んできた。
櫛。布。鋏。
鋏だけ、用途を間違えていた。
俺がキャンプに持っていく枝切り鋏より、立派だ。
「……今まで、これで?」
「城の武器職人が、最もよく切れるものを用意しました」
「切れ味以外にも、考えたいことがありまして」
腕はよさそうだ。まずは相談から始めたい。
「もう少し小さな鋏はありますか。指を入れて、片手で動かせるくらいの」
「探してまいります!」
兵士が走っていく。
その背中を見送った魔王が、少し声を落とした。
「長さは、残せるか」
「はい。短くするのはお嫌いですか?」
「以前、一度切った」
「どのくらい?」
魔王が、耳の上を指さした。
ずいぶん思い切ったものだ。
「娘に泣かれた」
「……ああ」
「知らないおじさんがいる、と」
俺は唇を結んだ。
セレスが横を向いた。
兵士も一人、急に床を見た。
「我だと説明しても、母親の後ろから出てこなかった」
それはつらい。
魔王討伐より先に、家庭で心が折れる。
「じゃあ、急に変えすぎないようにしましょう。長さを残して、広がるところを整えるだけでも、かなり違いますよ」
「それで頼む」
「普段は結んだりします?」
「角に絡まる」
「なるほど。そこも考えましょう」
椅子と鏡を頼むと、兵士たちがきびきび動いた。
巨大な鏡が運ばれ、背もたれの低い椅子が置かれる。
魔王が座った。
俺は肩に布をかけ、首元を留めた。
角があるので、布を後ろへ回すのには少し手間取った。兵士が二人、手伝おうとして近づく。
「大丈夫です。ここ、少し持ち上げていただけます?」
魔王が素直に髪を持ち上げる。
兵士たちは、驚いたように顔を見合わせた。
たぶん、普段はこういう頼み方をする相手ではないのだろう。
鏡に映る俺の顔は、記憶より若かった。
その後ろには、角のあるお客さん。
場所も身体も、昨日までとは違う。
元の店を思うと、まだ胸が痛んだ。
けれど、目の前の人が髪を気にしながら待っていることは、わかる。
まず、その話を聞こう。
俺は鏡越しに目を合わせた。
「魔王様、今日はどのくらい切りますか?」
魔王は真剣な顔で、指先を少し開いた。
「娘が、我だとわかる程度に」
「承知しました」
「それと……」
「はい」
「少し、格好よくしてほしい」
魔王は小声だったが、広間はよく響いた。
セレスが天井を見上げた。
兵士たちは、一斉に姿勢を正した。
俺だけは、鏡の中の魔王にうなずいた。
「そこは、任せてください」
今度こそ、大きな肩から力が抜けた。
異世界で最初のお客様は、世界征服より、娘の評判が気になるお父さんだった。




