第11話 職人ガルド
顔を上げた職人は、俺の手元の紙と、その後ろのセレスを順番に見た。
「鋏の相談というのは、あんたか」
「はい。昨日、魔王様の髪を整えてくださったユウ様です」
「三神悠です。よろしくお願いします」
頭を下げると、職人は持っていた工具を置き、腰に下げた布で手を拭いた。
太い指には細かな傷があり、爪の周りには洗っても落ちなさそうな黒い汚れが残っている。
仕事をしてきた手だ。
「儂はガルド。この工房で、主に刃物を作ってる」
そう名乗ると、ガルドは俺の持っている紙へ目をやった。
その動きにつられて、俺の目は髪へ向かった。
前髪は目にかからない長さに切られている。耳の周りも短いが、その上には少し厚みが残り、横へ張り出していた。
横を向いたところで、襟足も目で追う。首に沿って収まる部分と、外へはねる部分がある。生え方の違いもありそうだが、そこは近くで確かめないとわからない。
作業中に邪魔にならないよう、短くしているんだろうか。横の厚みを少し調整すれば、もっと収まりがよくなりそうだ。
いや、違う。俺は視線を顔へ戻した。
今日は鋏を作ってもらいに来たんだ。初対面の職人の髪を、勝手に切る段取りまで考えてしまうのは職業病だ。
「髪を切るんだったな。話は聞いている」
「はい。できれば、使いやすいものを相談して――」
「よく切れる鋏ならあるぞ」
早かった。
俺が紙を広げるより先に、ガルドは作業台の脇の引き出しを開けた。
出てきたのは、飾りのない鋏だった。
黒っぽい持ち手。幅のある刃。二枚を留めている、しっかりしたねじ。
竜はいない。
俺は、まず指を入れる輪の内側を見た。
「……よかった」
「何がだ?」
「牙がないので」
ガルドの手が止まった。
セレスが、静かに説明する。
「昨日お持ちした鋏の一つに、竜の装飾がありまして」
「あの金色のやつか」
「ご存じですか?」
「修理で来たことがある。尻尾の先が曲がってな」
直すところは、そこだったのか。
指に当たる牙の方も、ぜひ議題に上げてほしかった。
「こっちは仕事に使うものだ。握るところに余計な飾りはつけん」
その言葉だけで、かなり期待が高まった。
ガルドは台の上に革の切れ端を置いた。
片手で持ち上げ、鋏を入れる。
ざく、ざく、と迷いなく刃が進んだ。
厚みのある革が、細い帯になって落ちる。
「どうだ」
「きれいですね」
切り口を見せてもらう。つぶれたり、大きくささくれたりしたところは見当たらない。
これは、仕事のできる鋏だ。
ガルドが、満足そうにうなずく。
「この革が切れる。髪なら、わけもない」
なるほど。
今の実演で、俺が見たいところと、ガルドが見せたいところの違いがわかった。
「持ってみてもいいですか?」
「おう」
受け取って、刃を閉じたまま重さを確かめる。
ずっしりしていた。
指を入れ、ゆっくり開閉する。
動きは滑らかだ。ただ、持ち手が大きく、俺が普段していた持ち方では安定しにくい。
「いつもは、こう持って使うんです」
片方の輪へ薬指を入れ、もう片方に親指を浅くかける。人差し指と中指を添え、親指を動かして刃を開いた。
ガルドが俺の手をのぞき込んだ。
「薬指で持つのか」
「はい。できるだけ鋏全体を揺らさず、細かく動かしたいので。ハサミの開閉は、基本的に親指の動作だけで行います」
「革を切るときとは違うな」
俺はうなずき、鋏をいったん台へ置いた。
「髪でも試していいですか?」
「構わんが、どこから持ってくる」
俺は自分の髪を、軽く指でとかした。
指に残った数本を見せる。
「少しなら、ここに」
「自前か」
「できれば、抜けた分だけで済ませたいです」
「試すたびに抜いていたら、道具ができる頃には困りますね」
セレスが真顔で言った。
確かに、完成を急ぐ理由が一つ増える。
俺は髪をそろえ、片端を指で持った。反対の端は、引っ張らずに自由にしておく。
そこへ、刃の先に近い部分を当てた。
ゆっくり閉じる。
数本のうち一本が切れ、残りは刃に押されて先へ滑った。
閉じ切る前に、髪の先が鋏の外へ逃げる。
「……あれ?」
俺より先に、ガルドが言った。
もう一度、同じ位置で試す。
やはり、髪が滑る。
今度は刃の根元寄りに当てると、さっきより切れた。
「貸してみろ」
ガルドは鋏を受け取り、自分でも試した。
刃を閉じる。髪が動く。
眉間にしわが寄った。
「革は切れたぞ」
「はい。革は、すごくきれいに切れていました」
「こっちは、こんなに細いのに」
「その細い髪を、狙ったところで切りたいんです。強く張って押さえなくても、刃先まで使えて、髪が滑りにくいものが欲しくて」
ガルドは鋏を開き、二枚の刃を光にかざした。
「刃先の合わせか……。髪だと、ここまで違いが出るのか」
「原因は、作る方に見てもらいたいです。俺にわかるのは、切っているときに髪がどう動くかなので」
切れ味が悪い、と一言で片づけるのは違う。
さっきの革を見れば、そこはわかる。
俺が欲しい使い方に合うかどうかを、一緒に確かめたいのだ。
「髪を切るときは、刃の根元も先も使います。狭いところでは先の方だけで切ることもありますし、一人分で何度も開いたり閉じたりします」
「ずっと、その持ち方でか」
「はい。なので、重さや指の収まり方も、かなり大事です」
ガルドは俺の手を見てから、鋏を持ち直した。
「革なら、手を大きく動かして一気に切れる。お前の仕事は、小さい動きを繰り返すわけか」
「そうです」
「髪を切る鋏が欲しい、だけじゃ足りんな」
「俺も、説明が足りませんでした」
ようやく、紙を広げる番が来た。
ガルドは描かれた鋏を見て、少し黙った。
「……この輪の大きさが違うのは、意味があるのか?」
「そこは、絵が下手なだけです」
「そうか」
「形は、実際に手に合わせて相談したいです」
「それがいい」
返事に、迷いがなかった。
ガルドは紙の端の文字へ目を移した。
「『指を入れるところに、牙は不要』」
「そこは、絵の問題ではありません」
「わかった。そこは守る」
セレスが横を向いた。
肩が少し動いている。
俺たちは大事な仕様の話をしているのだが。
ガルドは紙の横に、自分の鋏を置いた。
革の切れ端と、切れずに残った髪を、並べて見る。
「よく切れると思っていたんだがな」
「革は、あんなにきれいに切れたんです。髪を切るには、また違う調整が必要なんですね」
ガルドは鋏に目を落とし、口元を緩めた。
「なるほどな。じゃあ今度は、髪がよく切れる鋏にしてやろう」
引き出しが、もう一段開いた。
中には、形も大きさも違う鋏が並んでいる。
「まず、どの持ち手が近いか教えろ。刃の方は、その後だ」
「はい。お願いします」
俺は紙の余白へ、今試してわかったことを書き足した。
ガルドも、一本の鋏を取り出して、俺の手の横へ置く。
さっきまでの自信満々な顔は、少し変わっていた。
髪がなぜ逃げたのか、確かめたくて仕方がない顔だ。
これは、相談が長くなりそうだった。
俺は指に残った髪を、捨てずに紙の上へ置いた。
試し切りの材料も、大事に使おう。




