今は少しのさよならを
十二月十日午前四時半。
夜明けを前にして戦争が始まる。
秒間数百発の高位魔法弾がルーデット邸へと降り注ぎ、幾重にも張り巡らされた魔法防壁が着弾の音も漏らさずに全てを吸収する。
ルーデット邸からも飛んできた秒間数百発の高位魔法弾が路上に整列する騎士団へと降り注ぎ、強固な魔法障壁の何枚かを吹き飛ばしはしたが騎士団へは届かない。次々と撃ち出される魔法弾が障壁を何枚消し飛ばそうと後衛の騎士が詠唱を重ねて張り直す。
遠距離では膠着と見るべきだ。ならば決着は白兵戦。
大仰なハンマーを振り回す巨漢の騎士がミスリルの正門を打ちこわし、騎士団が一斉にルーデット邸の前庭へと雪崩れ込んだ。
だが敷地面積を引き延ばされたようにルーデット邸が遠い。瞬間的に時速200キロ近い速度で走れる黄金騎士がどれだけ走っても屋敷の扉までたどり着けない。
「この屋敷見た目通りではないぞ!」
「異空間を圧縮してやがるんだ、本邸までは五キロはあると思え!」
「突撃、突撃ぃ!」
正門を破って雪崩れ込んだ騎士団が、屋敷から飛んでくる秒間数百発の高位魔法弾を身に受けて次々と倒れていく……
日々の厳しい鍛錬もさることながら高濃度魔素の含まれた丸薬を服用する事で冒険者では中々到達できない四十代という高レベルを実現した黄金騎士団であるが、高位魔法弾が雨のように降り注ぐ戦場にあってはちり紙のように無残に死んでいく。七発は耐えられても十発も食らえばもはや動くこともできず、足を止めた瞬間に集中する砲火でバラバラ千切れ飛ぶ。
だが四千人の騎士は怯みもしない。彼らとて矜持もあれば意地もあり、何より国家中枢である空中都市に他国の軍勢が潜んでいるを良しとするはずがない。長年の憤りを腹に抱えて「突撃!」の咆哮とともに足を動かす。
これは戦争だ。誰が見ても戦場だ。地獄とは此処を呼ぶ言葉であり、此処を地獄と呼ばずして何処をそうと呼べばいい。
落命する仲間の屍を踏み越えて騎士団が屋敷に手を伸ばすその刹那、屋敷の扉が開いて堂々たる伊達男が血刀を振るった。
「ルーデットだー!」
「奴を取れ、大賞首だ!」
「チャージ、チャァァァァジ!」
屋敷から出てきたトライデントの亡命者たちが屋敷に到達した騎士団を打ち払い、その首にサーベルを打ち込む。
アルトリウス・ルーデット率いる白兵戦団は瞬く間に二十余名の騎士を斬殺したが息をつく暇もなく第二陣がやってくる。
間断なき魔法砲撃によって数を減らしはしたが元より兵力は二十倍弱。さざ波に剣を立てたとて抗えぬように、白兵戦団もバタバタとその生命を散らしていく。
地獄は延々といつまでもどこまで続く。
いつか誰かが勝者となり敗者のすべてを殺し尽くすその時まで。
終わらせるために殺す。終わらぬために殺す。だが殺す瞬間に感じるのは次の敵がどこにいるかであり、この生命が何のために消費されるのかなど考えにものぼらない。
あれほど優美だったルーデット邸は破壊され、砕け散った瓦礫の上で騎士と亡命者が刃を噛み合わせる。
あれほど優雅だった闇の主も額から血を流しながらサーベルを振るう。
幾重にも打ち寄せる波の如き襲撃をいったい何度潜り抜けただろうか?
朝日が昇る頃、つかの間の平穏が訪れた。
瓦礫の影で膝を着く伊達男は指示を出すこともできず、乱れる呼吸を整えることしかできなかった。
「総艦長、水を」
「すまぬ……」
久しぶりに口にする水はどんな極上な美酒よりものどを喜ばせる。この懐かしい感覚が自らが戦場に帰ってきたのだと教えてくれる。魔物などという惰弱な輩ではない本物の強者との血みどろの戦いこそが、かつての彼の誇りだった。
今はもう愛した国と海を捨てた身なれど、この懐かしさだけは悪くない。そう思った。
「これで諦めてくれればありがたいんですがね、まずありませんが」
「こちらを手強しと見て増員をかけているのだろう。立地のおかげで爆撃されずに済んでいる、まだ生きていられる理由はそれだけだね」
「竜騎兵、来ますかね?」
「貴族どもの反感を恐れぬならそろそろだろう」
彼方の空に黒々としたシルエットが現れた。
騎士団本部のある北東から、太陽の方からやってくるのは二百騎を超えるワイバーンの群れだ。あの全てに魔法砲撃に特化した騎士が乗っていると思えば、あの黒い影は死神の行進にも見える。
「あの数ならお嬢がいれば……いえ、失言でした」
「カトリとて無事ではおるまい。口では何と言っても父を置いて逃げられる子ではない、そうであればとうの昔にレイシスを連れ戻しに本国へと侵入し、ストレリアの玩具になっていただろう……」
「素直じゃないところだけ似てるとか、嫌な親子ですな」
「言うな、私だってそこだけは似てほしくなかったのだ」
太陽に溶けるように北東の空を飛翔する竜騎兵の姿形がハッキリしてきた。
先頭を飛ぶ竜騎兵が掲げる白い旗を、誰もが呆然と見上げるしかなかった。
亡命者も、騎士団も、ただただ白い旗を見上げた……
白は停戦を意味する旗。つまりはこの竜騎兵団は……
「停戦せよ! シュテル・アル・ヴァン・イルスローゼ騎士団長閣下のご命令である! 双方とも即時停戦を命じる!」
先頭を飛ぶ竜騎兵の上で美しい娘が白旗を振りかざし、叫ぶ。
「シュテル騎士団長閣下はこの度の手違いを公式に謝罪なされた! アルトリウス・ルーデット卿は無罪である! 騎士団は即刻停戦し、速やかに帰還せよ! 繰り返す!」
ルーデット邸上空を旋回するワイバーンの上で白旗をふりかざす乙女の姿を、誰が見紛うだろうか。
「カトリ……」
「総艦長! お嬢が、お嬢がやってくれました!」
ルーデット邸に歓呼の声が響き渡る。
停戦を告げた美しき竜騎兵の名を叫び、咽び泣く者さえもいる。
亡命者どものあげる鳴りやまぬ歓呼の声と、騎士団から漏れ出る落胆の吐息。
勝敗は誰の目にも明らかだった。
十二月十日、五大国会議二日目。
例年であれば前日の会議の内容を公布するビラは異例の書き出しから始まった。
前日深夜に発生したフェスタ大使団船舶へのテロ容疑がために捕縛命令が出されたアルトリウス・ルーデット卿はそのじつ無罪であり、黄金騎士団長シュテル団長はこれを正式に謝罪する。この不幸な行き違いへの謝罪の証としてアルトリウス・ルーデット卿を正式に貴族身分に取り立てる。
ここにアルトリウス・ルーデット子爵が誕生し、亡命者たちは新たなる祖国を手に入れた。
時は僅かに遡り、謁見の間。
サン・イルスローゼの貴族位をおねだりしたカトリーエイルが、シュテル団長と三人の大使を引き連れて騎士団本部へと歩んでいた。
すでに戦争は始まっている。可能な限り速やかに駆けつけねばならない。
急いた心のままに足を速めるカトリーエイルの眼前に一人の青年が立ち塞がった。
暗灰色のコート姿の青年は何も言わずにただ立ち塞がっている。コートから垣間見えるブルーの軍服の襟章が示すのはフェスタ無敵海軍の軍籍。
「あらあら、まだやる気かしら?」
「さすがにしつこいと思うよ。というかだね、ラスト王女の前に立つ意味わかってる?」
「…………」
男は何も答えない。
「やる気……なのか?」
「油断するなよ小僧ども、この者の尋常ならざる魔力が見えぬわけではないまい」
「俺より上か? まったくフェスタめ最後の最後に恐ろしい奴をけしかけてきたな」
ただならぬ気配に怯え皆が武器を構えだした時、カトリーエイルが進み出た。
不思議なほどにやさしい笑みを浮かべて、両腕を広げる。
「おいで」
ただ立ち尽くすだけだった青年が走り出した。
たくさんの涙をこぼしながらカトリーエイルへと走り、両腕を広げる彼女の胸の中に還っていった。
「久しぶりだね?」
言葉はなく、しゃくりあげるような嗚咽だが聴こえてくる。
「処刑されたって聞いてたけど?」
「ライアード兄様が助命くださいました……」
「そっか。元気だった?」
「……姉様がいないと眠れないのです……」
「あたしもおんなじかなぁ……」
「ね、また一緒にいられるの?」
彼女の胸の中で青年は首を振った。
とても辛そうに、震えながら首を振るから「そっか」なんて呟くしかなかった。
「大切な事ができたんだね。自分の道を見つけたんだね」
「はい……」
「ねえ、また会える?」
「必ず、お約束いたします……」
青年が走り去っていく。
かつてのように抱き締めて引き留めようとは思わなかった。
生きていた。元気だった。幻みたいに霞んでいた思い出の中の姿よりずっと立派になっていた。また会えるって約束ができた。だから今は素直に再会を喜ぼう。
「バイバイ、レイシス」
カトリーエイルもまた自らの道へと踏み出した。
この太陽の国で、太陽の娘として生きるために……
太陽宮殿の外側。無数の尖塔が海洋で特異変化した棘皮生物みたいに屹立するその根元で、端正な顔立ちなのにチャラついた青年が倒れている。
右腕は切断され、左腕も皮一枚でようやくつながっているような重体だ。
兄様と慕う男の無残な姿に驚き、駆け寄ったレイシスへとライアードがいつもチャラい顔で語りかける。
「会えたかい?」
「はい」
「それはよかった。僕も回りくどい芝居を打った甲斐があったよ、伯母上の目を盗むには最高位魔法防壁に囲まれた太陽宮殿しかないからね。多少のイレギュラーはあっても目的は果たせて本当によかった……っつ~~~~」
切断された右腕の痛みに呻くライアードが切断部を押さえようとしたが、左腕もとれかけているので二重に苦しむ。
「大丈夫なのですか?」
「ああこれ? 大丈夫ではないかなイタタタタ!」
「でしょうね」
レイシスは皮一枚で繋がった左腕を千切り、切断部同士を押し当てて祝詞を唱える。
光よ。短い詠唱が発動した黄金の輝きがライアードの腕を復元していく。
凄まじい技量だ、高位のアルテナ神官級の治癒の御業が瞬く間に左腕を繋ぎ、すぐに右腕もつなげていく。
この御業だけで彼の術法の到達度が賢者クラスに達しているのは明らかだ。
「信じられないな、兄様が負けたのですか?」
「万が一にも負ける相手ではなかったが最後の最後に予想外に強烈なのを食らってね。やはり機眼持ちは厄介だよ、僕のジャンプシューズは発動にタイムラグがあるから……」
「装具に頼るからそうなるのです。普通にやればよかったじゃないですか」
「耳に痛いね。学んだよ、次は油断しない」
「けっこう。肝心要の時に負けてもらっては困りますからね」
「そうだね、我らがベルクレストが再びウェルゲート海に戻る日まで、負けるのはいけないね」
ライアードが立ち上がり、繋がった腕の調子をたしかめる。
まだ痛むのか拳の開閉で顔をしかめている。
「そんなに早くはいきませんよ!」
「それは腕の話? それとも革命の話?」
「……両方です」
「ならしばらくは大人しくしておこう」
ライアードがいつものチャラついた微笑みを浮かべながら、軽やかに歩き出した。
とりあえずは宛がわれた客室で大人しくするためだろうが、信用ならないとは思った。彼は海のような男だ。一刻毎にその顔を変え、嵐のようにも凪のようにも変わる。
だが彼以上に頼りになる男がウェルゲート海にいないのは、フェスタの臣民すべてが理解しているからこそ彼が無敵艦隊の総艦長であるのだ。
(姉様…お懐かしい姉様、簒奪皇帝ストレリアを打倒しいつの日かお迎えに参ります。父上と彼が継いだベルクレスト号で迎えに往く日まで、今は少しのさよならを……)
少しだけにじんだ涙を振り払い、青年はライアードと同じ道を歩み往く。
たくさんの未練と、大いなる希望を胸に抱いて。




