第66話 リスタート
次の日、レイジは朝早くからシバレーから電車を乗り継ぎ、北西へと目指していた。彼一人で。
シバレーから北西に160キロほどにもなれば、そこは人里離れた山岳地帯。ここで降りたレイジは、他の乗客から物珍しそうな目で見られた。
それもそのはず、この町には人などほとんど住んでいないのだから。いたとしても、偏屈な老人かスローライフに勤しむ若者くらいだろう。
レイジの目的は、もちろん修業だった。昨日フォードに書いてもらったノートをめくりながら、レイジは獣道を歩く。
エルトシャンとの一騎打ちで折れてしまった心を、自信を取り戻す。このミニキャンプは、そういうものである。
「メニューは、やっぱりコレしかないよな……」
やはり自信を取り戻そうと思うのならば、ビッグマハルでもやった“千本ファイア”。これを三日という限られた時間で行う。
さらに、ノートに書いてあるメニューをこなす。並大抵の人間なら、間違いなく文句を言いたくなるような過密日程。
エルトシャンやルベール、勇者といった同期たちに。そして、一番の仇敵であるデズモンドに負けないためにも、この壁は超えなければならなかった。
「さてと……始めるか!」
まずは、体力。山を越え谷を超えるルートで10キロ。平地やルームランナーとは違い、常に傾斜のある道。
さらに、標高1500メートルほどの山が連なる場所。頂上付近にもなれば、地上よりも空気は少し薄いことだろう。
いつもより厳しい条件でのランニング、ウォーミングアップ。3キロも走れば、ノースリーブが搾れるくらいに汗が出る。
足が止まりそうになる。そのたびにライバルの顔を思い浮かべた。負けたくないという思いが原動力となって、また走れる。
息を乱し、何度も転びそうになりながらも、前を進んだ。山を一つ、また一つ……超えていくたびに、強くなっていく気がした。
レイジの額には、大粒の汗。横腹も肺も痛くなるほどに走り抜けた。
「はぁ……はぁ……。アニキは、軍隊にいたときもこんな事をしていたのかな?」
まだまだ半分。もちろん、ここは大自然の中。モンスターや動物が飛び出してくることもあるだろう。
走っている途中、レイジは4メートルほどの怪物に出くわした。牛の角を生やした巨大な顔が特徴的だ。その顔だけでも、レイジの背丈よりも大きい。
さらに、後ろには群れの部下と思しき牛の頭のモンスター。任侠ドラマの入れ墨でしか見られないようなものが、今、彼の目の前にある。
「アレは、ブルヘッドオーか!」
ブルヘッドオー、牛の頭の王。牛頭天王。注意すべきは、その角と顎であろう。角で突かれることはもちろん、大きな顎はヒトの体など真っ二つ。
こんなにキケンな生物がいる。だから、人が住まない。だから、レイジはここを選んだ。
レイジは、額の汗を手の甲で拭ってから、拳を構える。
「ブルルルルモオー!」
ブルヘッドオーが威勢よく吠えると、子分たちが一斉に銃を構えた。
「銃……!?」
人が住まないような山奥、なぜモンスターであるコイツらが銃を持っているのか。レイジには不思議でたまらなかった。
本当に撃ってくるのか、撃つとしたら弾丸はどうするのか。レイジは、警戒を強めた。
「ブモオ―!」
ブルヘッドオーの雄たけびとともに、子分が一斉に銃を撃ってきた。
「蜂、いや……バレットビーか!」
銃口から出てきたのは、体長数センチほどの金属質な体をしたハチ。このハチは、何があっても真っすぐ突き進む習性の持ち主。
そのスピードは、まさに弾丸のごとき速さ。貫通性能の高い針には、毒が仕込まれている。さらに、個体ごとに体格のバラつきも殆どない。
この生態ゆえに、緊急事態で使う弾丸としての需要もある。レイジは、早速、バレットビーの雨に打たれた。
「くっ……!」
この速さ、回避不可能。ただでさえ、ランニング中で疲弊していた体には、神経毒がジワリジワリと効いてくる。
手足が震える。目の前のブルヘッドオーが、余計に大きく見えた。
「ブルホオー!」
ブルヘッドオーは、わき目もふらずに突進してきた。
レイジは、角で持ち上げられ、そのまま近くの大樹に背中を叩きつけられた。
今、追いつめられている。この状況なら、あの炎が蘇るのではないだろうか。そう考えた。
右手に全神経を集中させ、勢いよく突き出した。
「蘇れ……俺の気合!」
しかし、不発に終わった。どうしても、燃えない。
レイジは、改めて思い知った。自分がいかに重傷であるかを。エルトシャンに負けた心の傷の大きさを。
「あ、アニ……しまった!」
今は、たった一人だ。誰かが助けてくれるわけでもない。全部、己の手で超えなければならない壁である。
頼れるアニキは今、シバレーでレイジが帰ってくるのを待っている状態だ。ただただ、レイジの成長を祈る他ないのだ。
ここでエルトシャンに負けた悔しさを拭えなければ、再び心を燃やさなければ、レイジはブルヘッドオーに殺される。
背中を撃ちつけられ、走り込んだ脚は疲労でまともに動かない。それでも、ブルヘッドオーは、迫ってくる。
死を覚悟した、レイジ。祈りたくなる気持ちを堪え、ブルヘッドオーを睨みつけた。
「来るなら来い、ブルヘッドオー!」
喉から血を出す勢いで叫んだレイジ。周りの子分の一部が、その気迫に委縮した。
それでもブルヘッドオーとの距離は縮む。もう一度、全神経を右手に集中させる。
「ブルルルモオオオオオオー!」
「おおおおおおお!!」
雄たけびとともに、火事場の馬鹿力が炸裂。
レイジの気合の炎が、ブルヘッドオーの頭を焼いた。それと同時に、角がレイジの右肩を突いていた。
結果は、レイジの辛勝。レイジの復活の一撃が、ブルヘッドオーに刺さった。レイジは、大粒の汗を流しながら、子分たちを見据えた。
お頭を失った子分たち。適当に銃を乱射してバレットビーの大軍を呼ぶも、レイジは全く退かなかった。
「“ファイア”!」
レイジの右手から、炎の渦が飛び出した。レイジは、全身を踏ん張らせて炎の衝撃に耐えていた。
バレットビーの丸焼きが大量に出来上がる。それからほどなくして、子分たちもウェルダン。
レイジは、仰向けに倒れた。たった二発の炎で、この体力の消耗ぶり。
「俺は、どうやってマスクドレッドに勝ったんだろ……エルトシャンと張り合えたんだろ……」
レイジ自身、エルトシャンと初めて出会った頃に戻ってしまったような気がした。
アリーナで戦っていた時の自分が、まるで嘘だったかのように弱くなっていた。
この両手には、全身にはライバルたちとの激闘の感覚が今でも残っている。昨日は、その感覚に苛まれていたが、今は嬉しかった。
しかし、ライバル相手にどう戦ったのか、自分でもよく分からない。答えが出ない。
「……考えてたって仕方がないか」
あの強さを取り戻すための修業なのだ。とにかく、今はガムシャラにやるしかない。




