二話
正太郎はやっと横目で私の方を見た。
「それはさ、俺の勝手じゃないの? 好きなやつどーこーって」
「まあ、そうですけど……」
「だいたいそんなこと言ったら、由記子もそうだろ。俺に気ぃ使って付き合ってるだけでさ。――だから今更別れようとか言い出した?」
「いや、……ええっと」
「俺だって分かってたよ、冗談だって。俺を元気付けようとして言ってくれたんだって」
さすがに冗談だったのはわかってたか。
「そん時は分かんなかったケド」
あとから気付いたのかよ! マジで私スベってたんじゃねーか!
「それでも、俺ら三年も付き合ってきた訳じゃん? それがどういう意味か分かんない?」
……正太郎は責任感が強いってこと? それとも私達二人してそうとうの気遣い屋? いや前言撤回しようとしない頑固者? 仮面カップル、とか?
「俺は、由記子が好きってこと!」
耳鳴りがした。
「……違う」
「何が?」
「正太郎は勘違いしてる」
「ハァ!?」
「怪我させた負い目とか同情なんだ。それを恋愛感情だと勘違いしてる」
正太郎は呆れた顔をした。
「んなワケねーだろ」
「そんなのわかんないじゃん。嫌々付き合ってんのがしんどくて無意識に自己防衛で、俺はコイツのことが好きなんだと思わせてるんじゃ……」
「アホか! あのなぁ……よしんば責任とって付き合ってたとしても、本当に嫌だったらさっさと別れてるって。正直、付き合いたては由記子のこと何とも思ってなかったから、困ったな、くらいは思ってた。けどそれは最初の頃の話で、今は好きだつってんの!」
「だから違うってば!」
「ちーがーわーなーい! 俺の気持ち勝手に決め付けんな。ユキは何が不満なの、いーじゃん別に付き合うきっかけが何であれ。たとえマイナスからでも、そっから始まる恋があってもいいんじゃないの?」
そこから始まる恋……とか、ちょっとこっぱずかしいよ、正太郎くん。
「それとも何? 俺のこと嫌い?」
「嫌いじゃないけど……」
「じゃあ好き?」
「好きかと訊かれると、どーなんでショウカ……。恋愛の好き、かどうかは、うーん……」
「ハッキリしろよな!」
……拷問だ。もうヤダよー。なんでこんなことになってんだ。だいたい「嫌い?」とか訊くの反則だっつーの。そんなねえ、よっぽどのことがない限り面と向かって嫌いとか言えないッショ。別に、ほんとに嫌いじゃないけどさァ、好きかと訊かれて口籠っただけでハッキリしろよとか、あんたにはその二択しかないんか!
私が黙り込んでいると、正太郎はイラついた口調で、
「ああそう、分かった。俺を思いやってのことに見せかけて、別れる理由を俺のせいにしようって訳だ。自分が別れたいだけなのに」
「そんなんじゃないよ……!」
「なら何? 理由も無いのに別れる必要なんてないだろ」
……理由は、ある。でも、自分でもよくわからないもので、上手く言葉にできなくて説明できない。なぜかこのまま正太郎と一緒にいることを善しとできないような、モヤモヤしたものが胸につかえているんだ――たぶんこれが理由。こんなこと言ったところで、正太郎は納得しないだろうし、私だって言われたら納得しないだろう。
でも、ここで引き返す気にもなれない。だから、
「わかった……。正直に言うよ」
あまり気が進まないが、この手を使うしかない。
「正太郎の言う通り、私が別れたいだけなんだ。ごめんね。私さ、谷口くんのこと好きになっちゃったんだよね」
スマン、谷口くん、引き合いに出して。クラスで一番モテてるし、キミだと言った方がまだ信憑性があるはず……!
「本当に? 嘘ついてない?」
「ホントデス」
「さっき、そんなんじゃないって言ってなかったっけ?」
アレ? 言ったっけ? 言ったな。言った、言った。ソッコーでバレたか。
「…………」
いや、違う! 言ってたとしても、ここは「それが嘘」とかなんとか言い返すべきだった! やばい、ミスった。あわわわわ、もう間ァ空けちゃったし今更なにか言ったところで、それこそ嘘バレバレやーん。もしかしてカマかけられた!?
正太郎が大きく息を吐いた。
「……保留。別れるかどうか、ちょっと考えさせて。別れないかって訊いてきたんだから、俺にそれくらいの権利あるよな」
……はい。なにもそんな「否とは言わせない」目で見なくたって。ひー。
* *
またもやゴミ出しジャンケンに負けた自分の右手が恨めしい。加えて、早々と帰宅、部活に行くクラスメイトたちも恨めしい。
教室にはただ一人だけ、正太郎が。
別れ話を切り出してから、気まずい二日が過ぎた。彼から返事はまだもらっていない。その間どう接していいのか分からなくて、なんとなく避けてしまった。正太郎が前を歩いていたら歩速を遅くして追いつかないようにしたり、わざわざルート変更したり。すれ違う時も、挨拶した方がいいんだろうかと悩みまくって、結局無視してしまったりと。
ああ、胃が痛い。気が重い。
今もまた、教室に入りづらくてしょうがない。
どうする。正太郎が帰るまでどこかに隠れてようか……ゴミ箱持って?
「――よォ」
あっ、見つかった。
「よッス……」
これはもう、入るしかなさそうだな。さっさと鞄に荷物詰めて立ち去ろう。
「なあ、今ちょっといい? なんか用事ある?」
「えーっと……」
用事、用事、なんかなかったっけ用事。なんもないよ、用事。
「話、あんだけど」
「あ、うん」
「まァ座れよ」
「あ、ハイ」
正太郎が引いたイスに観念して腰を下ろした。
しばし静寂が流れてのち、
「あーあ、バカなフリしとけば良かった」
……はい? いきなりなんですか、正太郎さん。
「この前ん時さ、責任とって結婚する! の一点張りだったら、ユキも別れるなんて撤回しただろうになァ」
「いや、そんなコトは……」
「するよ。ユキはする」
「ハァ……そッスカ?」
「俺はそういうユキの優しい――てか、弱いトコつけこむよ」
……つけこむとか。アッレー、こんなこと言うヤツだったっけ? ダークな面ちら見せかコノヤロー。
「俺も自信なかったし。由記子が言ったセリフそのままそっくり聞き返したいよ、仕方なく付き合ってくれてたのかなって。――で、実際どうなの。仕方なく?」
「いや、仕方なく、とか、そういうんじゃないかと思うんだけど……」
「けど?」
「けどぉ……」
「けど、何?」
うぐむむ……なんでそう意地悪するんだよ。えーい!
「もうワッカンナイよっ!」
ヤバ、鼻ツーンときた。泣きそう。
「……じゃあさ、俺のことどう思ってる? 正直に言っていいよ」
「正直に?」
「うん、そう」
「ほんとに正直に言っていいの?」
「そんなに念を押すなよ。怖いだろ。何言う気だよ」
ふへへ。正太郎が微苦笑して、ちょっと空気も軽くなった気がして涙も引っ込んだ。
「ええっとね……正直、分かんない。でも嫌いではない、これは確実。正太郎といると楽しいし、他の男子の前みたく緊張しないし、優しいし。でも、あのー、結局のところよく分からないというのがやっぱり答えなのではないかと……なんとなく」
あぁ、こんなコト言ったらまたハッキリしろよって怒られるかも……。
「やっぱり。だと思った」
なぬ?
「俺ちょーっと分かっちゃったかも」
なぜに得意顔? ニヤニヤしちゃって、笑うトコあった?
「確認したいんだけどさ、ユキは怪我負わせた責任で付き合うとか結婚とかがイヤで別れたいんだよね」
「まあ、そうデス」
「じゃあいいよ」
「……何が?」
「ユキのご要望通り、別れても」
私は思わず、えっと声を上げてしまった。
「責任を取るための交際、結婚は愛が無いから別れる。――で、いいんだろ?」
今更ヤダなんて私に言う資格なんて無いでしょ。
「うん……ゴメン」
ちょっと寂しさが……。なんだかんだ三年も一緒だったしね。なんかモヤモヤするけど、仕方ない。正太郎には迷惑かけたな。
「よし!」
と正太郎がすっくと立ち上がった。
話しも終わったから帰るのかな。それじゃあ私は残ってもうちょっとモヤモヤしてから帰りますかな。
「大山由記子サン」
「……ハイ?」
「好きです。付き合って下さい」
唖然、呆然、おめめパチパチ。何を言ってんだコイツは。
「ええっと……ゴメン、笑えない」
「ジョーダンじゃねーよ。マジで告ってんの」
「は? 今別れたばっかじゃん」
「うん、だから、責任を取るための交際、結婚は愛が無いから別れたんだろ? 今度のはそういうのナシの、純粋な交際の申し出」
「イヤイヤイヤ、ちょっと待てェい! 前にも言ったじゃん、勘違いだって」
正太郎は不敵に笑って、
「まあ聞けよ。俺、何でユキがそう言うのか分かった」
「……何、それ」
「俺が思うに、由記子自身が勘違いかもしれないって思ってるんだよ。自分の冗談のせいで相手を縛ってしまった負い目があって、それを持ったまま付き合うのは苦しいから勝手に頭が好きという感情に置き換えてしまったんだ、って。つまりは、投影だってこと。それで、だから、好きなのかどうか自信が無くなって別れたくなったんだよ。俺が好きだっつっても信じられないのは、自分が信じられないから」
「ちょい待ち、ちょい待ち。それだとなんか私、タローのこと好きみたいじゃん」
「そうなるな」
そうなるなってアンタ……。いけしゃあしゃあとまぁ。
「俺が言うのもなんだけどさ、あの時の、昔のことに囚われてんのって由記子の方じゃない?」
「いや、だって……あれがそもそもの始まりと言いますか……」
「うん、そう。始まって、そんでさっき終わったよね」
正太郎は静かにそう言って、続けた。
「でも、全部無かったことにしようって意味じゃない。由記子があの時あんな冗談言ってなかったら、たぶん俺、気まずくて距離とって、由記子のコトなんにも知らないままだったと思う。そしたら今こうして由記子と一緒にいることも、好きだっていうことも、楽しかったことも、今まであった色んなことも、全部ナシの人生で……。ほんとに、そうならなくて良かったよ、俺は」
……何も言葉が出てこない。どうすればいいのか全然分からない。何か言った方が良いんだろうけど、唇がぴったりはり付いてて叶わない。誰かリップクリーム持ってきて。
ヤバイ、これは。正太郎、本気かもしれない。本気で私のこと好きなのか……!? って、ちょっと待って、困るよ。こんな真剣な話しになるなんて想定外ッス。
「だからさ、由記子もただ単純に俺をみて、俺のこと考えて欲しい。それから告白の返事チョーダイ」
「…………」
「ちゃんと真面目に考えろよ? ユキって事なかれ主義だし、時々テキトーに受け答えするからなァ」
小憎たらしげに正太郎は笑った。
* *
翌日。二時間目の休み時間に力尽きて机につっぷす。もうダメだ、溜め息しか出てこない。
「さよちゃーん」
「なんちゃーん」
呼んだら振り向いてくれる友人、素晴らしきかな。
「事なかれ主義者がコト起こしたからめんどくさいことになっちゃったよぉ」
「あー、そりゃ大変だネ」
「考えても考えても、ぜんっぜん分かんないの。私ってバカだったらしい……」
「何がよ?」
「好きなのかどうなのか、まるで分からんのじゃー」
「えー、ナニナニ? ダンナのこと?」
急に目を輝かせてさよちゃんは身を乗り出す。
「ダンナじゃないってば。てか、別れたし」
「ウソ、離婚したの!?」
「そのあとすぐ告られた」
「ソッコーで復縁!?」
「夫婦ネタはもういいって……。まあ、なんやかんやありまして、一応今は別れた状態でして。ワタクシが返事をしておりませんので」
「ええー、何でまた」
「いや、だからタローのことどう思っているのか分からなくて、それで悩んでまして、こうしてご相談をゴニョゴニョ……」
「へえー、今更って感じもするけど、長く付き合ってると分かんなくなったりすんのかな。でもさァ、チョー意外。別れるとか」
「そう? 出会った瞬間別れが生まれる――コレ、世の常ナリ。ましてや私たちは仮面カップルだったのデス!」
ハイハイ、とさよちゃんは軽く受け流して、
「杉元くん、ユッキーにベタボレだったのに」
「ベタボレって何じゃそりゃ。ナイナイナイナイ。どこ情報ッスカ」
「そんなん一目瞭然だよ。あれだけ俺のヨメヨメ言ってたら」
「ヨメヨメとは言ってないでショ」
「ヨメヨメ言って杉元くん周りの男子けん制してるじゃん」
「いや、してないと思う。てか、私が相手じゃする必要も無いかと」
「普通さァ杉元くんみたいにおおっぴろげに付き合ってマス、なんて言う男子あんまいなくない? たいていテレるよね」
はて……? なんだかちょっと話しがズレてきたような。
「そういうのってちょっとハズいけど、やっぱ嬉しいよねぇ、女子的には」
「えぇー?」
「別れたのバレたらジャンジャンくるよ。女子がジャンジャンくるよ」
「んなアホな。ま、べつにいいけどさ」
さよちゃんは机をバシっと叩いた。
「良くないよ、なに言ってんの! 早く杉元くんにオッケーの返事したげなさい。そんでヨリ戻して一件落着めでたしめでたししたげなさい」
「なんでそーなるのっ!? さよちゃんマイフレンドでしょー、何でタローの味方!?」
「だってェ、ユッキーたちお似合いなんだもん。なんか二人を見てるとほほえましくてウフフって感じ。なんだろう、親心みたいな? 溢れてくるよねぇ。――お母さんは他の子となんて認めませんよ、由記子!」
「お母さんのバカァ!」
「――ま、嫌いじゃないなら付き合っとけばいいじゃん」
さよちゃんはケロっとして言う。
「そんなんでいいの?」
「ユッキー真面目に考えすぎなんだよ」
「タローにはテキトーだって言われたケド」
「あたってるじゃん。変なとこだけ真面目で、あとテキトー。てか、軽いね」
「マジでか……」
* *
朝から降り出した雨は帰る頃になっても止まずにいる。雨は嫌いじゃないけれど、傘をさすのが面倒だ。でもまあ、水溜りを避けながら歩くのは楽しいね。ちょっと子供っぽいか? 子供だけど。
……さて、正太郎くんの告白から早三日が過ぎようとしております。未だ返答せず。やっぱりどんなに考えても正太郎のことが好きなのか分からない。そもそも好きって何さ? どういうのを好きっていうのさー! むがー!
「――おい!」
いきなりうしろから腕を引っ張られた。次の瞬間、目の前ぎりぎりを自転車が横切った。かっぱのフードを目深にかぶっていたのを目の端でとらえた。
「あっぶねぇ自転車だな」
そう言って走り去って行く自転車を睨みつける、正太郎。
「お前も前向いて歩け」
「あ……うん。ごめん、ありがとう。助かりました」
「じゃあな、気をつけて帰れよ」
……アレ、それだけ?
さっさと背を向けて、遠ざかっていく青い傘。冷たいわけじゃないけど、どこか素っ気ない。告白の返事の催促ひとつない。
もう諦めたのかもしれないな、いつまでもこうやってウジウジ悩んでばっかだし、曖昧なことばっか言ってるし。ああ、そうか、私はただの友達になったのか。彼女じゃなくなったんだから素っ気ないのももっともだ。これが私と正太郎の、友達としての距離間なんだ。そっか……。
……マジで? えっ、マジで? なんかちょっと寂しいんですけど。べつに私、正太郎のこと嫌いじゃないし、あわよくば友達になってこれまで通り喋ったり遊んだりできたらなァ……とか。これはいくらなんでも身勝手な考えだ。
そうだよ、嫌いじゃないんだったら、さよちゃんが言った通り付き合っとけば良かったじゃん。――いや、でも……ぬあぁあぁあー!
私ってホント意味分かんない! もう何なんだよっ! クッソー、こんな辛気臭い雰囲気やめだやめだ。正直に全部言ってスッキリしてやる!
「――正太郎!」
走って正太郎を追い駆けた。水溜りに足を突っ込んでびしょ濡れになったけど、今は構ってられない。呼び止めると、正太郎は振り返った。
「なに? どした?」
「あの……返事なんだけど」
「――ああ、うん」
私は気合を入れて、息を大きく吸い、
「分かんないッス! でも友達は勘弁!」
「はい!?」
「正太郎のこと分かんないの。ちゃんと考えたんだけど」
少し悲しげに微笑して正太郎は、そう、と呟いた。
「でも、友達は距離があって嫌でして。――だから、知りたいッス。正太郎のこと。分かんないって答えは自分でももう言いたくないから。教えてください! いきなり彼女とかはムリなので、彼女を前提とした友達として私と付き合ってください!」
目を丸くする正太郎。恐る恐る、「……ダメ?」と訊くと、正太郎は大きく息を吐いた。
「彼女前提とか、なにそれ。ていうか、申し込み返しじゃん」
「やっぱ、ダメだよね……アハハ。ごめん」
「ズリーよ」
……ほんと、ズルいよね。自分の都合しか考えてない。別れようって言い出したり、正太郎のこと嫌いとも好きとも答えられなかったり。それでいてあの友達距離間はちょっと寂しくて味わいたくない、なんてさ……。
「ズリー」ともう一度正太郎は呟いた。
「……ごめん」
「俺がそんな変な告白の返事もらっても良いって――嬉しいって知ってたんだろ」
「ぬえっ!?」
プッと吹き出して、正太郎は声を上げて笑う。
「変な顔。ぬえって何だよ、ぬえって。妖怪かっ!」
「えっ、いや、だって……」
「まあ、あれだ。惚れた弱みってヤツだな。悲しいことに。――てことで、今からネコ吉でもみに来る?」
「……いいの? なんか、いろいろと」
「いいのいいの。彼女前提なんでしょ? 全然オッケー」
身を翻して意気揚々と正太郎は前を行く。
「……正太郎もたいがいテキトーだよね」
「ん? なんか言った?」
「なーんにもー」
言って、正太郎の隣に並んで歩く。
「てか、今回のことでイヤになったんじゃない? 疑い深い女だなーとか、めんどくさい女だなーとか」
「まあね」
ガーン。
「でも、べつにいいよ」と正太郎はくつくつ笑って、「なんか面白いから。すごいネガティブで思い込みの激しい人だなって思うことにする」
……なーんかムカツク。けどまあ、いっか。
なんだか急にテンションが上がってきて、思わず傘を回転させたら飛沫が飛んで正太郎に怒られた。でも、それもすぐに笑いになった。
たぶん、近いうちにでも彼女になっていると思う。なんてね。
いやはや、どうもお騒がせしました。




