閑話休題「自分はですね❶」
今回は「高天原佳澄」視点のお話です
朝起きたら女性になってたなんて話、そんな昔々の階段から落ちて身体が入れ替わる映画や、少し前に流行った誰かの名前を必死に呼び続ける映画等でしか一般的には語られないような出来事、信じろっていう方が無理ですよね。
ザアアアアアアー……
「……お前さ、本当に学校行かなくていいのか?」
「ですから自分は元ー…」
「はいはい、俺と同い年のオジサンなんだろ」
「分かってるなら聞かないで下さいよ」
「それはそれとして、高校ぐらいは卒業しといた方が将来の為なんじゃねえかなって思ってさ…」
「全く信じてないじゃないですか…」
「いや、信じてるっての。その信じた上でアドバイスを俺はしているんだ…」
このように、いくら高卒資格を持っていると説明しても信じてくれない古林さんのように、客室にある大きなテレビをソファーに座って並んで見ている彼のように、まさか隣で膝を抱えて座っている女子高生の中身が、つい数週間前まで現場でバリバリ指揮を取ってた冴えない眼鏡のオジサンだったなんて言っても、信じてくれる人は恐らくいないでしょうね。
まあ、バリバリと言っても自分は他にやる人がいなかったから「仕方なく」の方が強かったのですが、それでも一度請け負った責任を途中で投げ出すような軟弱な精神はしていなかったと断言出来ます。
なんと言っても、前任者が口調と見た目だけが立派なハラスメントの塊のような方でしたから、自分はそんな彼のようには決してなるまいと、必死に様々なハラスメントを勉強して参りました。
なんとか、現場にいる皆が毎日笑って過ごせますようにって、細心の注意を払って、胃と腸と精神を擦り減らして、あの頃の自分は必死に壊れた人間関係の修復に勤しんでいました。
「この前買った私服着ねえのかよ…?」
「事務所にいる時は別に制服でいても構わないでしょう? なんだかんだで過ごしやすいんですよ、この服…」
「ふーん、あっそ…」
「古林さんだってずっとスーツでいるのですから、それと一緒です。傍目には窮屈そうに見えても本人にとっては一番馴染みのある格好でいるのが幸せだと感じる場合もあるのですから、無理に強要してはいけないのですよ」
「この前の授業の続きかよ…てか、俺は別に強要なんてしてねえだろうが?」
「目がね、そう語っていたんですよ…」
「目がねえ……」
「ええ、目が……」
ザアアアアアアー……
大粒の雨が降り続けて客足はいつもより更に遠くなった事務所内で、自分と古林さんは何の興味もない料理番組を見続けています。
『弁護士.COME 』なるサイトに寄せられた投稿によって、最近では多少は潤ってきた事務所の景気ですが、こんな雨がずっと続けばまた以前のように枯渇していってしまうでしょう。
───しかしまさか自分自身でも、こんな風に何も考えず暇な時間を誰かと過ごせる日が来るとは思っていませんでした。
本当に、本当にあの頃は家に帰っても心休まる事ない激務に追われていましたから……
「……しかし、お前ホント好きだよなハラスメント」
「好きではないですよ、ただ習得しなければならない状況に立たされたから、必死に学んできただけです」
「自分で追究するのが好きだって、言ってたじゃねえか?」
「思い込みって大事なんですよ。勉強も仕事も、なんなら料理も趣味も、『これが好き』って必死に頭に刷り込ませて、学ぶ力を強くする事を自己暗示ってよく言うじゃないですか?」
「自己暗示? 聞いた事ねえな?」
「……本当に大卒ですか? 合格率41.2%の司法試験を突破した弁護士さん?」
「うるせえよ」
このように、とても口は悪いですがこんな怪しい自分をなんだかんだ文句言いながらも追い出さずにいてくれる古林さんは、何処かの誰かと違って口調と見た目だけが強い訳ではありません。
「恋愛に置き換えてみれば分かりやすいかもしれないですね、した事があればの話ですけど」
「毎回一言多いんだよテメエは、恋ぐらいした事あるっつうの」
「なら愛は?」
「……壊れた傘が1本だけあるが、今ならタダでくれてやるから、それを持って出ていってもいいんだぞ?」
「───ふふっ」
「なに笑ってやがる? バカにしてんのか?」
「してませんよ」
「してんだよ、目がな」
ぶっきらぼうで、つっけんどんな物言いで、初対面の人にはなかなか好印象を持たれづらい彼ですが、様々な現場の人間を見てきた自分の目には『ただ人付き合いが下手くそな人なんだな』という、根は優しい人間にしか映らないのです。
自分はどうしたって、いつも他人の顔色ばかりを窺って生きてきてしまいましたから、生まれ持っての性格がそれなので、今さら直しようがないのが心苦しい所です。
「〝私はこの人じゃなきゃダメ〟とか〝私にはこの人しかいない〟とか、本能的には苦手であると分かっていながらも、そう刷り込ませる事で自分は恋してると脳に勘違いさせて、愛に昇華させたりする人も世の中にはいるのですよ」
「……歪んでんな」
「今のは間違った例ですけどね。実際には『私は素敵な恋人に愛されて毎日幸せです』とか『私は人から愛されるのにふさわしい存在です』など、魅力的で異性にモテて、心から安心できる最高のパートナーと将来は出会えるって、嬉しい未来を想像するのが正しいアファメーションのやり方なのです」
「正解を先に言えよ、面倒臭え…」
「あえて最初に間違った情報を伝えてから正解を教える方法は、人の記憶に残りやすくする為のテクニックの1つなのですよ古林さん。その方が驚きや発見があって印象に残りやすいと言われていますしね、ただ…人から嫌われる危険性もあるので、もし使う場合はご注意を」
「誰がそんな回りくどいやり方するか、計算して人と喋んのは端から性に合わねえんだよ」
「……でしょうね。ええ、貴方は初めて会った時からそうでした」
今から凡そ1ヶ月前に、都内のバーで1人寂しくお酒を嗜んでいた時に、やたら大声で自分の環境の悪さを叫ぶ男性に出会いました。
『やってらんねえ』『俺はこんなとこじゃ終わんねえ』って、少し東北訛りの入った言葉遣いで喚き散らす彼は、黒のスーツにとても目立つ金のヒマワリ型のバッジを左襟に付けていて、周囲の目を一身に浴びていました。
そしてその彼が、今隣にいる古林春信さんだったのです…
「初めて? お前が事務所に来た時の事か?」
「バーで1度会ったって言ったじゃないですか? 覚えてないならいーです」
自分もあんな風に職場の愚痴を吐き出せたならどんなにスッキリするだろうって思って、羨ましいなあ…と思って、この薄情な彼を見ていました。
ハラスメントを勉強すればする程、職場の雰囲気は良くなっていく代わりに、自分は部下に何も言えない上司になっていきました。
……これを言ったらハラスメントだと訴えられるんじゃないか、あれを言ったらそれもハラスメントだと訴えられるんじゃないか、そんな考えがグルグル巡り、いつの日か自分は、職場で愛想笑いだけしている業務内容しか伝えない機械になっていたのです。
これからどうしようかって、そんな賑やかな声をBGMにしながら、真剣にこれからの事を考えていました。
何をどうやったら上手く伝える事が出来るんだろうって、ずっとずっと……
───だけどそんな時。
『兄ちゃんさあ、なんかしみったれた顔してんなあ、年は幾つか分かんねえけどよ? いいか、1個だけアドバイスしといてやる。人生なあ、やりたい事やったもん勝ちなんだよ。言いたいこと言って、誠心誠意心のこもった言葉で相手と正面から打つかって、雨降らせて地固めて、明日も頑張るべって歩いてくのが人間なんだよ』
───彼は覚えていないかも知れないけど、自分はその時の言葉に酷く救われました。
俯いて空のグラスの氷を鳴らすだけだった自分は、勢いでその後テキーラを頼んで次の日仕事があるにも拘わらず、ものの見事に酔い潰れたのです。
「……バーって言やあ、そういや昔変な奴に酒を奢られた記憶があってな?」
「───へ、へええ、そ、そうなんですか」
「ああ、なんか知らんけど急にテキーラを一気飲みしたと思ったら、いきなり大声で叫び出して『自分がもし、今と見た目も何もかもが変わって明日を生きる権利が貰えたならば、今日会った貴方に全力を以て恩返しさせて頂きます!』って、鶴の恩返しみてえな事を喚き散らした奴がいやがったんだよ」
「お、覚えて……」
「いや? それが誰だったかは思い出せねえんだけど」
ザアアアアアアアアアー……
土砂降りの雨以上に冷や汗が止まりません。
確かにあの酔い潰れた夜に、自分はそんな事を彼に宣言した記憶があります……
「───あ!」
「んだよ、急に大きな声出すなよ!?」
───そう、それから確か自分は、この古林さんに肩を担がれながら表に出て、どうにかタクシーに乗せて貰って、帰りがけの車内で運転手さんに妙な事を聞かれたのでした……
『……お兄さんさあ、もし仮に今の自分とは全く違う姿になって明日を生きられるってなったらどうする?』って、そして自分はその時、確か冗談半分で『先ずは恩返しをしてから、今の自分の知識を以て悩める誰かをその人と共に幸せにしていきたいですね』って答えたのです。
かの聖母マリアもビックリするような、とても恥ずかしい台詞を……
その答えを聞いて、タクシー運転手は声高らかに笑っていました。
そして、男だか女だか分からなかったその運転手は、降りる時に『オマケだよ、どうしても疲れた時に舐めるといい』と言って、最後に自分に透明な包み紙に入った不思議な色の飴玉をくれたのです。
「も、もしかしてアレが…」
「あ? アレって何の事だよ?」
窓を打つ雨に洗い流されるように、靄がかっていた記憶がハッキリとしてきた自分は、ようやく何でここにいるかが分かりました。
「人間…思い出さなくていい記憶ってあるものですね……」
「サッパリ意味が分かんねえんだけど?」
今から約二週間前に、疲労の限界が来た自分は確かに、テーブルの上に投げっぱなしだった賞味期限不明の水色と桃色が混ざった不思議な味の飴玉を、口の中に放り込んだ記憶があります。
そしてどうしてか、目覚めた時にはその事をスッカリ忘れていて、呆然と今の姿で部屋の隅にある全身鏡を、突っ伏していたテーブルの前から眺めていたのです。
「な、なんで今になって……」
「だから、何の事だって?」
───恐らく、昔々の映画の影響が多分にあるのでしょうけども、まさか『どうせなら謎の美少女になって、あの時救われた彼の仕事をこっそりサポートしてみたい』等と訳の分からぬ願いを込めながら飴玉を舐めた事は、口が裂けても言えないのでした……




