第7話「ジタハラですね②」
「〝今日はノー残業デーだから帰りなさい〟初めにこれを言われた時は、僕とその同僚はとても嬉しくて跳ね上がりました。『仕事が終わらなくても帰っていいんだ』『そこそこの仕事量だけしておけば後は会社がなんとかしてくれるんだ』って、その日の帰り道、まだ17時ちょい過ぎの時間に駅に着いた僕達は、そのまま飲み屋のある繁華街へと消えて行き終電ギリギリまで熱く語らい合ったのを覚えています…」
「……次の日は休みだったのですか?」
「ちょうど華金で、休日出勤すらも無い僕達の会社は、完全週休二日制で学生すらも羨む業務形態をしておりました」
……俺は昔からどうにも誰かが死んだとか、辛い体験をしただとかの類の話を聞くのが苦手だ。
だから、脇で熱心に話を聞く高天原みてえに、親身になってソイツの心情に寄り添える奴は心底凄えと思う。
「今や週休二日制の会社はなかなか無いですからね」
だってどう足掻いたって俺達は他人で、ソイツの本当の苦しみなんか分かりっこないし、ソイツがしてきた体験なんて想像力の彼方でしか思い浮かべる事が出来ねえからだ。
弁護士の癖になんて思うだろうが、弁護士の癖にだからこそ相手に寄り添い過ぎちゃいけねえってのが、俺の根底にはある。
何故なら俺達弁護士は、相談を持ち掛けてきた依頼人の話を100%本当だと信じて接しなきゃならねえし、例えそれが嘘だろうと何だろうと、証拠をかき集めて、最悪の話「殺人犯」だって無実として担ぎ上げなきゃならねえからだ。
「……だけどある日気付いてしまったんです。笑ってるのは新入社員の僕達だけだって事に、休み時間スマホを弄ってる人達は皆、一切娯楽とは関係の無いサイトを覗いている事に…」
「それは……」
「求人サイトや退職代行サイト、これからの生き方や、人気の無い橋や山奥の写真ばかり…皆々、それこそ鬼気迫る表情で現実から逃げる術を模索していたのです」
「……碌でもない『働き方改革』の弊害ですね、政府がこれ良しと思って掲げたスローガンは、人材不足を残業でカバーしていた会社には害悪でしかない不完全な取り組みとして執行されましたから…何が『一億総活躍社会』ですか下らない。現場を知らない人間が理想を掲げた所で、自分達働く側には何も響かない。待っているのは下手くそな対策と付け焼き刃の対応と、死に物狂いで働く者達が闊歩する地獄だけです」
珍しく語気を強めて話す高天原は、そんなコイツの話も100%真実だと仮定して想像するならば、工場勤務の職場リーダーとして働いてた手前、きっと思うところがあるのだろう。
全てが真実だなんて思っちゃいねえ、今日の依頼人が持ってきた話だって、もしかしたら嘘だって可能性もある。
だけど俺達は、その真実をわざわざ掘り起こす必要はない。
───誰がどう見たって、どう考えたって怪しい高天原を側に置くのも、きっとそんな下らねえ思想に囚われているせいもあるんだろうなって思う。
真実を掘り起こした所で見えてくるのは嘘の供述より残酷な事実かも知れねえ、普段あっけらかんとしている高天原にだって、本当は残酷な過去が隠されてるかも知れねえ…
「業務量を減らさず効率化の対策もしないまま、上司や会社が社員に残業の制限や定時退社を無理に強要する行為を『時短ハラスメント』と言いますが、桐生さんはこの言葉は御存知でしたか?」
「い、いえ…初めて聞きました」
「……持ち帰り仕事の大量発生に、無理な納期や目標の設定等々…心身の健康悪化を招くのに必要な材料が揃ったこのハラスメントは、2018年頃に社会問題化され奇しくも新語・流行語大賞にノミネートされるなどして世間に広く知られるようになりました」
ハラスメントを追究するのが好きだと言っていた高天原は、それを惜し気もなく披露する。
だけどそれは、つい先日俺に説明した時と打って変わって、とても真剣な表情で悲痛な面持ちだった。
「サービス残業の常態化は労働基準法に違反し、精神的負担による休職や離職を増加させます。貴方の友人が亡くなってしまった背景の詳しくまでは知りませんが、心身が疲労し心が壊れてしまった場合、最悪は……」
「……友人は最後にLIMEで『三十六計逃げるに如かず』と送ってきました。深夜1時頃にただそれだけを、まだパソコンの前で仕事をしていた僕に送ってきたのです」
「〝ピンチの時は戦うよりも逃げるのが一番良い〟って意味の言葉か…他には? ソイツは何も送って来なかったのか? 何も遺していかなかったのか?」
静観しているつもりだったが、ついつい口を挟んじまった俺は、他に証拠となるような書き置きが無かったのか問い詰めた。
久しぶりに口を開いた俺に、相談者は大層驚いた顔をしていたが、唾をゴクンと飲み込んで、膝の上で拳をギュッと握ってから答えてくれた。
「……何も、何もないです。浴室で練炭を焚いてこの世を去った彼は、後日独り暮らしのアパートを訪れた両親に向けて、ただ『ありがとう』と、『23年間育ててくれてありがとう』と、感謝の意を記した紙だけを遺してこの世を去ったと聞きました…」
「逃げるってそれは、その意味は……」
「はい、僕もそのメッセージを送ってきた友人には少し思うところがあります。別にあの世じゃなくても良かったんじゃないかって、他にもっと方法はあったんじゃないかって、両親に感謝を綴るなら直接伝えた方が良かったんじゃないかって…今でも思うのです」
「桐生さんは、変な事考えないで下さいね…」
「今は大丈夫です。今はまだ…だけど……」
重い話に相槌を打ったのは質問していない高天原の方だった。
辛気臭え話が大嫌いな俺は、やっぱり黙っちまって、だけど弁護士として聞かなきゃならねえ事があるから、口を開かずにはいられなかった。
「……んで、どうしたい? お前はこれからソイツの弔い合戦でも始めようってのか?」
「もし、彼が亡くなった原因が会社側にあるならば、僕は敵討ちって訳じゃないけど…刺し違えるつもりで剣を抜きたいです」
────カチン、シュボ
「ふー……」
「ちょっと古林さん、真剣に話してる子の前で何本タバコを吸う気ですか!?」
「心を落ち着けてんだよ、身体に害しかねえ産物にも精神安定効果があるって事を覚えとけ」
「無いですよ! そんな物は一時的な錯覚だと既に科学的に証明されています! 桐生さん嘘ですからね、信じないで下さいね!」
───さて、そんなうるせえ高天原を置き去りに、これから俺が困ったように笑う事しか出来ねえ青二才に伝える事は何なのか、分かった奴がいたなら三秒以内に手を上げて貰いたい。
「あのさ、止めておけ」
「「え?」」
「───弁護士費用は原則自己負担。日本の民事裁判では、勝訴しても相手に弁護士費用全額を請求できるわけではねえし、費用倒れになる可能性の方が大きい。請求できる金額より弁護士費用が高くなる事だってあるし、時間と手間だってめちゃくちゃ掛かる。判決まで半年から1年以上かかることが殆どだし、その間の精神的負担もかなり大きくなるから、ハッキリ言って殆ど証拠なくして死んだ奴の為に戦うのは、デメリットの方が大き過ぎるから止めておけって事だよ…」
「そ、そうなんですか…」
「それは、初めて知りました…」
……1つの裁判には訴状作成や証拠整理、何度も裁判所へ出頭する期日対応など膨大な時間がかかる。
うちみたいな小さな事務所では、当然の如く人手や時間が限られているから、費用対効果が低くなることが多いし、請求額が少ない少額事件の場合に貰える弁護士費用や成功報酬よりも、かかる手間や時間の方が大きくなって同じく費用倒れになるリスクがめちゃくちゃでかい。
裁判で勝訴判決を得ても、相手に支払い能力がなければ金を回収する事も出来ねえし、報酬金が得られないケースだってある。
まあこんな風に、裁判は時間対効果が悪化しやすい傾向にあるから、小規模な法律事務所では示談や話し合いで早期解決を優先する事が多く、双方にとってデメリットとなる事例も多いから避けるのが一般的で、だから俺はなるべく裁判ってやつを起こさないようにしているって訳だ。
───以上、ここまでが俺が伝えたかった事なんだが、分かった奴はいただろうか?
「まあ、なんつうかあれだ。そんな面倒臭え事に関わってる暇あったら、即刻退職届を持って今の会社に提出した方が全然良い。その方が死んだお前の友人も喜ぶだろうし、それこそがソイツが本当に伝えたかった事なんじゃねえのかな…?」
「……三十六計逃げるに如かず、ですか」
「そ、今の高天原が言った台詞の通りだ。格好悪いとか思っても、情けないとか思っても、とにかく逃げて逃げて逃げまくって、理想の桃源郷に辿り着いてやれ。勿論この世でな? 変な気を起こしそうになる位なら、絶対に今いる環境から逃げた方が得なんだからよ」
「は、はい…そうですよね…」
───と、そこまで説明した所で、相談に来た桐生とか言う奴はようやく納得した面持ちになり、肩の荷を下ろし息を吐いた。
時間にして約二時間、この前より45分オーバーした位であるが、濃密な話をさせて貰った為、概算して二時間とカウントする事にした。
「うーん…少しぼったくり過ぎでは無いですか?」
「……じゃあ、今日のお前の給料は変わらず紙幣一枚に満たない事になるんだが、それでも良いんだな?」
「嘘です、ごめんなさい。自分が間違っていました。今日の相談時間はピッタリ二時間です」
「あ、あの…そんなに低いんですか時給? そ、それこそ時短ハラスメントでは無いでしょうか?」
「ですよね! そう思いますよね!」
最後に意気投合した二人は、立ち上がった高天原の方から一方的に手を握り、笑顔で見つめ合っていたのだが、赤くなった相談者の顔を見て、これもオプションサービスとして追加料金を毟り取れないかなと、未だソファーに腰を沈めたままの俺は、三本目のタバコに火を点けながら、そんな悪どい事を考えていたのだった。
†††
「───古林さん、こないだの桐生さんからお手紙が届いてますよ」
「……桐生? ああ、この間の青臭い少年か」
「もう24歳ですけどね? …それにしても随分元気そうで良かったです」
「……だな」
───後日、とある平日の昼間に彼から手紙が届いた。
無事退職して家業を継いだと、大自然の中で牛に囲まれて幸せそうにしている写真の下に、そんな嬉しい事が書かれてあったのを、変わらず隣にいる高天原と共に微笑ましく眺めたのだった。




