第6話「ジタハラですね①」
「───ちょっと待って下さい、自分の給料って一時間900円なのですか!?」
「……おう、因みにお前が俺んとこ来て働いたのは、こないだの何とか明美さんの時だけだから、この一週間ちょっとでお前が稼いだ額は、彼女が相談した一時間分の900円ポッキリだ」
「ジ、ジタハラだ…時短ハラスメントだ。だって自分、それ以外にもこうして炊事洗濯掃除、全てやってるじゃないですか…?」
今日も相変わらず閑古鳥が鳴く事務所で、九官鳥みてえにギャーギャー騒ぐ高天原は、広い客室の掃除機掛けの途中に自分の給料がふと気になったみたいで、お昼の情報番組をタバコを吹かしながら見ていた俺に聞いてきた。
「別に俺は一切頼んでねえし、テメエが好きで勝手にやってるだけだろうが、『こんな汚い部屋には住みたくない』とか言って、眠っていた掃除機引っ張り出して、別に何日かは洗濯しなくても平気な俺の服ひっぺがして、勝手にゴンゴン洗濯機を回して光熱費をガンガン使いまくって、火の車にガソリン注ぎ込んで家計を追い込んでるのは全部テメエだろうが! おい、今んとこお前を雇って正解だと思えるような事が1つもねえぞ!」
「あ、あうう……」
「その見た目でそんなリアクションすんな! 掃除機の延長管にしなだれ掛かんなよマジで!」
どこまでが本当か分からねえが、取り敢えずは面倒臭えからコイツが元男であると想定して、一緒に暮らし続ける事にした。
何故ならその方が精神衛生上都合が良いし、例え今みたいにドキッとするような仕草をされても「コイツは男だ」と思い込めば、何とかその場を凌げるからだ。
「……ええ? 自分何かおかしな格好してるでしょうか?」
「自覚ねえのかよ、クソッタレ」
自分自身でついこの間まで男だったと言う割には、所作や仕草は完全に柔らかい女性のものだから非常に厄介だ。
崩れ落ちるのを防ぐように、持っていた掃除機の柄の部分に器用にお尻を浮かせて身体を預ける高天原は、独身男性である俺には流石に目の毒で、どんなに邪念を振り払おうとタバコを吹かしても、浮かんだモヤには折角忘れかけていたコイツの裸が浮かんでくるのだから、尚更始末が悪かった。
「……ちっ、それで? 何だよその『ジタハラ』とかってのは?」
「おお、気になりますか? それとも単なる話題逸らしでしょうか?」
「……喧嘩売ってんのか?」
「滅相もない、自分が古林さんに勝てる筈ないでしょうに」
テメエの奇行を棚に上げて、おどけたような表情で顔を上げる高天原に、思わず吸い込んだ煙を吹き掛けたくなる。
無自覚鈍感ムーヴは本物の美少女がやるから需要があるんだぞと、仮想元同年代男性に言おうとしたが、それもつい数日前のコイツとの会話を思い出し、また何か突っ込まれそうな気がして躊躇わざるを得なかった。
「ええと、ジタハラって言うのはですねえ…」
どっから引っ張り出して来たか分からない俺が一度しか着けた事がないエプロンをした見た目家政婦の高天原は、また得意気に人差し指を立てて説明を開始しようとしたのだがー……
ピンポーン……
「お?」
「おや、お客さんですか?」
凡そ一週間ぶりに訪れた相談者が鳴らす鐘の音によって、続きが語られる事は暫しお預けとなったのだ。
†††
「粗茶ですが、どうぞ…」
「あ、ありがとうございます」
やってきた相談者は、まだ二十歳そこそこの若い童貞臭い青年だった。
女性に優しくされた事がないような彼は、まさか平日の昼間に女子高生が事務所内にいるとは思わなかったらしく、着せられた感満載のグレーのスーツに包まれながら、両足を閉じて見た目美少女の高天原に出された御茶を凝視し固まっていた。
「あー…緊張してるとこ悪いんだけどよ、早速だけど相談内容を教えてくれねえか?」
「え、ええと…」
「そんな急かさなくても良いじゃないですか、まだお昼を過ぎたばかりですし、普段お仕事をしている時間に換算すれば、今はようやく1日の折り返し地点に差し掛かった所です。時間は有限とは言いますが、少しくらいこんな穏やかな時間を長く過ごす事も大切だと思いますよ? ね、えーと…」
「あ、桐生皐月です。年齢は24歳…か、彼女は勿論いません」
「あはは、そこまで聞いて無いのですが、同じく彼女無しの高天原佳純です。ここでは助手として調書役を安月給でやっております。今日は是非ゆっくりと自分のペースで話していって下さいね?」
───等と、天使のような微笑みで、お盆を持ったまま隣に着席したエプロン姿の堕天使は、金に目が眩んだ事を隠そうともせず、その瞳の中に『¥』を宿して、甘い囁きを繰り返していた。
「あ、ありがとうございます…本当にありがとう…」
普段優しくされた事が無いからか、彼女無しという言葉を上手に聞き逃した青年は、少し声を震わせながら感謝の意を述べていた。
金に目の眩んだ堕天使に、心の中では舌舐めずりしているに違いない悪魔のような美少女に、疑うことすら知らないような青年は、何度も何度も頭を下げ続けていたのだった…
「で、でもそんなに長く話してはいられないのです」
「おや?」
「……ほう? 少しは他人の本心が透けて見えるようじゃないか? そうだぞ、高天原は時給欲しさに少しでも話を長引かせて、お前から金を毟り取ろうとしているコンカフェ嬢並みにタチの悪い人間だぞ。騙されるな、前を見ろ、その瞳の中にはお前なんか1ミリも映っちゃいないんだからな?」
───と、そこまで言い切った所で、キョトンとした顔の青年と、笑顔を貼り付かせたままコメカミに無数の青筋を立てる高天原に、ドスッと軽く肘打ちされるカオスな空間の中で、脇腹を押さえて苦しむ俺に向かって、相談者は首を振りつつ答えたのだった。
「違います。僕が早く帰るのは仕事が待ってるからです。昨日やるべきだった仕事がまだ大幅に残っている為、早く相談を終わらせて、家に帰ってノルマを達成しなければならないからです」
「……待て、お前今日は休みなんだよな?」
「はい」
「……給金は?」
「勿論ないです。任せられた仕事が終わらなかったのは自分の責任ですから、最後まで覚悟をもってやり抜くのが当たり前と、我が社では教えられましたから」
先ほどまでの穏やかな表情から一変、鬼気迫る真剣な表情で言った青年は、まるで初めに扉を開けた時とは違う人物のように感じられた。
「サービス残業の誘発…典型的な時短ハラスメントですね。しかも当人がそれを間違ってないと思ってるから尚更タチが悪い…いいえ、何か引っ掛かりがあるからここへ来たのでしょうけれど、それにしてもかなり悪質で酷い会社に勤めていますね…」
俺の隣に座る高天原も、午前中見せていた能天気な振る舞いがまるで嘘だったかのように、酷く険しい顔をして、そんな相談者を見詰めている…
「……じ、実は先日、僕の同僚が亡くなったんです。死因は過労でも何でもなくて…その、自分で…」
「……まさか」
「はい、そのまさかでした…」
───カチンッ、シュボッ
不穏な雲行きに耐えきれず、灰皿からシケモクを拾った俺は、ついつい吸いかけだったタバコにもう一度火を点けちまった……




