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第5話「SOGIハラですね」

 ───押し掛け女房みたいな高天原が訪れてから、野良猫みてえに勝手に住み着くようになってから、約一週間が経過した。


「……古林さん、いい加減食材を買い足しに出掛けましょうよ…こんな毎日玉子料理と御飯に味噌汁だけの生活じゃ流石に身体に異常を来してしまいますよ」

「夜はウーバー頼んでるだろうが」

「それも殆どお決まりの一番安い唐揚げ弁当ばっかりじゃないですか、自分が違う物を指差してもいつも却下で、チャイムが鳴って香ってくるのは、いつも馴染みの中華店の油っこい揚げ物の匂いばかりです」


 朝っぱらからギャーギャー騒ぎ立てる高天原は、相変わらず制服を着ていて、相変わらず学校にも行かずして、元はオジサンだとかよく分かんねえ理由を武器に、人様の家でふんぞり返っている。


「それが一番腹持ちがよくてコスパが良いんだから仕方ねえだろうが」

「それは古林さんの身体だからであって、自分はビタミンやミネラル、βカロテンが多く含まれた緑黄色野菜を毎食頂きたいんです」

「学校行って給食喰えば全て解決するぞ」

「だから、自分は元工場勤務で職場リーダーのオジサンなんですって! とっくに高卒資格は取得しています!」

「その設定、いつまで続けるつもりだ?」

「戻れるまでずっとです! ずっっと! てか、なんですか設(・)定(・)って!」


 丁寧な言葉遣いの癖に度胸負けしない高天原が元々住んでたアパートに電話してみれば、確かにその日の朝はこれまで住んでいた冴えない眼鏡の青年の代わりに、見たことない制服を着た美少女が部屋の中にいたと、大家さんが言っていた。


 普段は出掛ける前に必ず挨拶していく青年が、出勤時間を過ぎてもなかなか下に降りて来ないから心配で見に行ったら、自分を「高天原佳澄」だと名乗る少女が、呆然と部屋の真ん中で座り込んでいたというのが大家さん(52歳男性)の供述だった。


 30歳過ぎなのに青年だなんて言われているけど、52歳から見ればまだ人生を歩き始めたばっかりのヒヨッ子も同然であるから仕方ない。


「どうやったら信じてくれますかね?」

「身分を証明出来るものを1つでも提出してくれれば、ちっとは信用出来るんだがな」


 ───不思議な事に財布に入れていた免許証もパスポートも全て無くなっていたと、この煩い高天原は言うのだ。

 預金通帳も何もかも、あるのは制服とその信じられないほど細く美しいコスプレイヤーみたいな身体だけだったと、目を泳がせる事なく説明するから困ったものだ。


「それが出来ないから困ってるんです!」

「じゃあ俺ん中では、お前はいつまで経っても家出少女Aだな」

「ぐぎぎぎ……」

「30歳過ぎた中(・)年(・)がするリアクションじゃないだろう」


 そんなどう見ても女子高生にしか見えない高天原が、唯一もしかしたら本当なんじゃねえかって思えるものが、コイツが手にしている指紋認証付きのスマートフォンだ。

 中には確かに大家の言う通り、冴えない眼鏡姿の男性の写真が幾つかフォルダにあって、「これが本来の自分です」と、俺に見せた高天原は鼻息荒く自慢気に説明していた。


「でもでも、ほらほら、自分はこうして男性だった時に使用していたスマホもちゃんと開(ひら)けますよ?」

「中の写真が本当に自撮りだったらの場合だけどな、画角的にはそうだが、どうしたって嘘臭え事に変わりはねえよ」

「なんでそんなに疑り深いんですか…?」

「職業柄な、依頼者を全面的に肯定はするが、信用しては駄目だと身を持って教えられてきたから、俺の懐に入り込むのはトマスよりも難しいと思え」

「トーマス? 機関車ですか?」

「トマスだバカたれ、ハラスメントを追究するのも結構だが、少しは他の物に目を向けて『新約聖書』を読み返してこい」

「クリスチャンではないので、その表現は少しおかしいですね」

「じゃあ、読んでこい! ったく、いちいち面倒臭えな!」


 復活したイエスをすぐには信じず、「彼の手に釘の跡を見、この指を釘の跡に入れてみなければ、また、その脇腹に手を入れてみなければ、決して信じない」と言った為、「疑い深いトマス」と名付けられたイエスの弟子の一人の名を挙げたのだが、無宗教な高天原には上手くその事が伝わらなかったようだ。


「……ったく、ホント男なんだか女なんだか分からねえ見た目と精神しやがって、どっちかにしてくれよ面倒臭え、扱いづらいったらありゃしねえ」

「───あ」

「あ?」

「今の発言、ハラスメント注意報が発令しました」

「どこがだよ?」

「〝Sexual Orientation and Gender Identity〟日本語に訳すと性的指向と性自認、略してSOGIハラ。知っていますか古林さん? 今の世の中では性的指向(SO)…どのような性別に恋愛感情や性的関心が向くか、または性自認(GI)…自分の性別をどのように認識しているか、が非常に重要かつデリケートな問題になっている事を?」

「話題のLGBTと似たようなモンか?」

「少し違いますね、SOGI(ソジ)とはどのような性指向なのか、自分をどのような性と自認しているのかなどの『状態』を指します。対してLGBTはセクシャルマイノリティの中でも認知度の高い『人のカテゴリ』を指しているのです」

「すまん、違いがよく分からないんだが…?」


 口煩い高天原の小言をBGMに、ボンヤリ朝の天気予報を眺めていた俺の前に、腰に手を当て人差し指を立てて仁王立ちした女子高生は、20代後半のお天気お姉さんを邪魔だと言わんばかりにして、説明を始めた。


「例えば心も身体も男性で、好きになる性が女性という人は『LGBT』には該当しませんが、『SOGI』で考えると同性愛者と同じ、数あるセクシャリティのひとつであると考えられるのです」

「……普通だよな、男が女を好きになるのは、何も非難されるべき対象では無いだろう?」

「はい、またハラスメント注意報です」


 上げていた人差し指をズビシッと人様に向けた高天原は、眉間に皺を寄せてけっこう怖い顔をしていたのだが、迫力に負けてそれを伝える事は出来なかった。


「その普通とはいったいどの概念から生まれたのでしょうか? 確かに我々人間は生まれながらにして異性を愛するべきであると学んできました。先ほど述べられた新約聖書のひとつ前の旧約聖書では、神が造った最初の人類がアダムとイヴとして書かれています。当然の如く男女で、蛇にそそのかされて禁断の果実を口にし、神との約束を破ったことで楽園から追放されたのが人類最初の罪であると記されています。正に男女が愛し合うのは普通であると…」

「……おい待て、知ってんじゃねえか」

「これだけです。トーマスまでは知りませんでした」

「だから横棒いれんなっての、そろそろ怒られんぞ」


 どうしてもイエスの弟子を教育番組で走らせたい高天原は、何度も何度も間違えるのだが、俺はそれが少し怖くなって、ガラにもなく注意を入れたのだ。


「───ゴホンッ、失礼。自分も何やら嫌な予感がしてきたので話を戻しますね。では分かりやすく、そのSOGIの中にEを加えたSOGIEを絡めてお話しましょうか」

「SOGIEだあ…?」

「そのEとは〝Gender Expression〟日本語に訳すと性表現を意味するものです。そしてSOGIEとは、好きになる性や心の性、見た目の性は誰もが持ち得る構成要素であり、誰もが当事者であり性の多様性を認め合ううえで重要な概念であると述べられています。つまり、我々は個人の性的指向や性自認を理由にした嫌がらせ、差別、本人の同意なく秘密を他人に話す行為(アウティング)を、今の世の中は法律や職場での防止対策が求められるようになっているのです」

「それが、S(・)O(・)G(・)I(・)ハ(・)ラ(・)ってやつなのか…」

「簡単に言えば、人が誰を好きになろうと、自分をどの性だと認識してようと、その人の勝手であり、他人があれこれ囃し立てては駄目ですよって事です」

「成る程なあ…」

「お分かり頂けたようで安心しました」


 ───ボフンッ


 ツラツラツラツラと、朝飯喰った直後にすげえ勢いで喋りまくった高天原は、それはもう大満足といった表情で、やりきった感満載で人が座ってるソファーの隣に腰を沈めた。


「……何だか面倒臭え世の中になったな」

「人がそれだけ進歩してるって事ですよ、良くも悪くも含めてね…」


 リンゴだけ齧ってりゃ良かったのになと、下界に降りて様々な美味を知り尽くしたアダムとイヴは、いったいどれだけの善悪の知識を手に入れたのか、俺は些か不安になった。


「まあ少なくとも、あと43種類はありますかね?」


 ───と、最後に高天原は、こちらの考えを見透かすようにおどけて言ってたのだが、まだそんなにあるのかよ?と思った俺は、たぶん正常な感覚の筈なのだ。

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