第30話「コミュハラですね」
俺が人生初の嘘をついてから、三日ほどが過ぎた午前中の出来事である。
「本当に何があったんです? 絶対におかしいですよ、カスミンがあんな風になるなんて…もう三日も配信に訪れないから風邪でも引いてるのかなって、心配で見に来たら…何ですかあの体たらく!? 先生、カスミンにいったい何を吹き込んだんですか?」
「…知らねえよ。俺は何かした覚えはねえし、何かを言った覚えもねえ。ただ三日前に二人で買い物に出掛けた辺りから様子がおかしくなったって事だけは言える」
テレビを眺める俺の横でギャーギャー騒いでいるのは、いつもの高天原ではなくゴスロリ衣装に身を包んだ24歳の銀髪美女のVTuber霧深夜苺花(山田加奈子)である。
「あの横に広くてスッとしたシャープで綺麗な目だって、今日はずっと半開きだし…見て下さいよあの気怠げな表情にだらしない格好…まるで眠れない夜にベッドの上でショート動画をスワイプしまくるドパガキと一緒じゃないですか?」
折角の俺のフォローも虚しく、あれからずっと高天原は元気がない。
来客用スペースのソファーの上で仰向けに寝ながらスマホを眺める日々が続いていて、午前10時の配信終わりに心配して訪れた霧深夜苺花は、テレビ画面に背を向けて、そんなアイツをソファーの影からそっと見守っていた。
「何だよドパガキって…?」
「……『ドーパミン中毒のガキんちょ』の略ですよ。ショート動画やSNS、ゲームなどの強い刺激に慣れすぎてしまい、長時間のコンテンツに耐えられなくなった飽きっぽい若年層をそう呼ぶのです」
聞けば三日に一回は連絡を取り合っている仲だという。
高天原がコソコソと部屋で誰かと電話したり、一階のカフェで誰かに会っていた事は知っていたが、まさか相手がこのVTuberだとは思わなかった。
「アンタの視聴者もそんな感じなのか?」
「まあ、概ねはそうですね。皆チラッと覗いては『初見です、一目見て好きになりました。これから推しても良いですか?』なんてお決まりの定型文コメントを残して、5分もしない内に去っていきますから」
「……大変だな、VTuberも…」
「まあ、粘着質のあるガチ恋勢に絡まれるよりはマシですけど。私に恋愛感情を持たれても困るってのに、何もしてないのに勝手に嫌われたと解釈して、あまつさえ裏切られたなんだと騒ぎ出すから本当にいい迷惑です」
そんな会話の流れから、ふと彼女に相談された時の事を思い出す。
「……なあ、ところでアレ以降、アイツは大人しく姿を消したのか?」
「どうなんでしょうね? 先生に言われた通りフォローされていたSNSも、One Tubeのアカウントも全てブロックしましたから、その後はどうなったか分かりません。ですが、もしかしたら最近登録してくれた『初見さん』の中に混じっているかも知れないですけどね」
「改心してくれてりゃ良いけどな…」
「そうですね。私以外の人に粘着されるのも、それはそれで罪悪感を覚えますし」
「〝私が我慢すれば良かったかも〟ってか?」
「……まあ概ね、そんな感じです」
「ったく、ドイツもコイツもお人好し過ぎんだろ…」
彼女の話に耳を貸しながらも、相変わらずテレビのニュースを眺めている俺であったが、脇でペチャクチャ喋られるから、折角の社会情勢がちっとも頭に入って来なかった。
本来なら接客する役目は高天原の筈なのに、どうして俺が朝からこんなキンキン声の相手をしなければいけないのか……
────カチン、シュボッ
「あー…ほんと面倒臭え……」
「あ、自分だけズルいですよ。私にも一本、一本でいいから下さいよ」
ストレスに耐えられず火を付けた煙草に釣られて、面倒臭い元凶の一人である霧深夜苺花が人差し指を上げてそう懇願してきたのだが、それを見た俺は、あんなにもウザく感じていた高天原の指が妙に懐かしく思えて仕方なかったのだ……
†††
霧深夜苺花が訪れてから約4時間後、一向に動かぬ高天原の姿に根負けして、ようやく彼女は重い腰を上げて帰る様子を見せた。
「……はあ、今日の所は先生に任せて一旦帰ります。明日また配信もありますし、早めに寝て体調を整えないと他のリスナーに申し訳が立たないですしね」
玄関口に立った霧深夜苺花は、少し項垂れながらそんな事を話す。
俺に頼られても困るというものだが、これ以上居座られても面倒だから、適当にコクンと頷いた。
「……一応、アイツの代わりに御礼は言っとく。今日はわざわざ来てくれたのにすまなかったな」
「いいえ。…ですがまた明日、カスミンが配信に現れなかったら再び顔を出しますので、そうならないように、この後ちゃんと元気付けておいて下さい」
「……善処しとく」
「善処ではなく断行でお願いします」
「……類友か、アンタ絶対B型だろう? ほんっと面倒臭え…」
「何て言いました今!?」
「……何も? いいから早く帰れよVTuber 」
───バタンッ
「あっ、ちょっ先生!? 先生!? く、くれぐれもカスミンの事、宜しくお願いしますね! 絶対ですよー……!」
扉を閉めてもなお、甲高い声でギャーギャー騒ぎ続けるVTuber霧深夜苺花は、あれでまだ一度も身バレしてないと言うのだから本当に不思議だ。
世の中の奴等の目が節穴なのか、それとも心理的バイアスが自然に働いて「あんなに堂々としているのだから、何も隠し事をしている筈がない」と無意識に思い込まされてしまうのか、真相は謎であるが…まあ今のところはそれはどうでもいい。
───スタ、スタ、スタ…
「……おい高天原」
「……………」
「おい高天原」
「……何ですか古林さん? ああ、霧深夜さんはお帰りになったんですね…」
……今のところは、まだ外で騒いでいる霧深夜苺花は放っておいて、暗く沈んでいるコイツの気持ちを引き上げるのに注力しなければいけないのだから、登録者10万人超えの人気個人VTuberなんぞに構っている余裕はない。
「チッ…事情は大体分かるけどよ、見舞いが来た時ぐらいもう少し明るく対応出来ねえのかよ?」
「……明るさの強要ですか? いえ、正確には過度なコミュニケーションの強要ですねこれは」
「─────ああ?」
「知ってます? それって、今の時代じゃ〝コミュハラ〟って呼ばれて、結構問題視されているんですよ?」
寝そべったまま、スマホを胸の上に置いた高天原は、三日ぶりに人差し指を掲げた。
ちょうど廊下から戻った俺を指すように、上目遣いで、俺に久し振りにハラスメントの話をし始めたのだ。
「お前って、本当に面倒臭え奴だな…」
「そのような人格を否定する言葉も、コミュニケーションハラスメントの一角に数えられますね」
後頭部をボリボリ掻いた俺は、近くの壁に寄り掛かって、仕方なく話を聞いてやる事にした。
†††
「……ええと、コミュハラと言うのは、先ほど古林さんが自分に行ったような、相手の気持ちを考えないコミュニケーションの強要や、人格を否定したり、無視や言動で精神的な苦痛を与える行為の事です」
「別に俺はお前に無理に喋れって言ってねえだろうが、客が来た時ぐらい普段通りに接する事は出来ねえのかって、聞いただけだろうが?」
「それが既にコミュハラの領域なのですよ古林さん」
「ああ?」
「相手がどんな心理状態でいるか理解しようとせず『これが普通だ』と、自分の意見が一方的に正しいと決めつけて押し付けたり、多様性が主体となった共生社会の中で自由な価値観を潰してみたり、コミュニケーション能力の高さは人それぞれで、自分の考えや感情を上手く言語化できない人だって大勢いるのに、そんな彼等に向かって対話を強要する行為が今はとても問題視されてるのです」
ツラツラと話す高天原は、ようやく少しだけ顔色が戻ったように感じる。
元々白かった顔に青みがかって、最近ではマジで幽霊みたいだったから、やっぱりコイツに与える特効薬はハラスメントなんだなと、改めて実感した。
「……チッ、言いたい事は分かったけどよ。つまり価値観を押し付けんなって言いたいんだろうけど、だけどお前は別に元々コミュ障じゃねえだろうが」
「それは古林さんの一方的な考えです。本来の自分がどんな心理状態でいるかなんて分からないでしょう?」
「話さねえから分からねえ。お前が本当に悩んでいるのは何か、何で写真の男性の顔が薄れてきてるか、正確に教えてくれねえから、俺は俺の考えを押し付けるしかねえ」
「それはー……」
「なあ高天原?」
「……はい」
「教えろよ。お前が何に怯えているのか、何を不安がっているのか、ざっくりとで良いから俺に話してみろよ……」
───たぶん碌な答えは返せねえだろうけど、少しでもコイツの悩みが減るなら、左肩ぐらいなら貸してやっても良いかなって思ったんだ。
†††
「……あの雨の日は覚えていますか? 自分が霧深夜さんの家に行って帰ってきた雨の日は?」
「何処に行ってたかは今始めて知ったが、何となくな? あのやたら気落ちして帰ってきた一ヶ月前の雨の日の事だろう?」
「ええ……」
上半身だけを起こした高天原は、そのままいつものように膝を抱え、俺に背中を向けながら語りだした。
「……実はあの雨の日にですね、自分は自分をこんな身体にした人と再び出会ったんですよ」
「───待て、超自然現象じゃなかったのか? 人為的な企みが潜んでたってのか?」
「あはは、そんな悪の組織にー…みたいな流れじゃないですよ。自分がこんな身体になったのは、突然にとか勝手にとか、そんなんじゃなくて、あくまで利害一致の共有から最終的に自分が下した結論の果てです。だから誰も責める事は出来ません」
「じゃあ何があったんだよ…」
「すみませんが、そこは割愛します」
────ポツポツポツと、あの日と同じように、小さな雨粒が窓を打ち始めた。
俺が高天原に傘を持って行くよう勧めた記憶が段々と鮮明になってくる。
「……ですがその時にですね、たまたま出会ったその人に、ある決断を迫られるような事を言われたんですよ」
「何の決断だよ…?」
「Aで生きるかBで生きるかの判断です。女性として生きるか男性として生きるのか…それを最終的には自分で選択しろと」
「……選べんのかよ」
「らしいですね。にわかには信じがたいですが、被験者が自分ですから信じるしかありません」
そう言って、高天原は少しだけ上を向いた。
だけどその仕草は、決して前向きなものじゃなくて、どうしたらいいんだよって、天に問い掛けてるようにも見えた。
「自分は、自分はずっと男性側のつもりでした。色んな事があって、たまに動揺する時があっても、ずっと心は30歳工場勤務の職場リーダーのつもりでした。だからそんな選択をする時が来てもきっと平気だと、たまに胸が熱くなるのは久し振りに同年代の人と気兼ねなく話せているからだと、だから変に身構えなくてもきっと大丈夫だと、ずっとそんな風に心に言い聞かせていました……」
…………ポツ、ポツポツポツ、ポツポツ
少しずつ雨足が強まる。
少しずつ窓を打つ雨が激しくなってくる。
少しずつ、高天原の気分を現すように空の色は深く濃くなっていった。
「……ですが結果は、現実は、自分は気付かぬうちに女性側に引っ張られてるみたいでした。感情的になったり胸が熱くなったり、変に動揺してみたり、女性である霧深夜さんと二人きりで会って話しているのに何の違和感も感じなくなっていたり…古林さんと並んで歩く時間が妙に居心地よく感じていたり……」
ザアアアアアアアアー……
「……気持ち悪いですよね、身体だけだと思っていた変化が心までなんて…ごめんなさい」
「んな事ねえよ……」
俺は嘘は言えねえ、だからコイツに答えた台詞も全部本心だ。
今のところ、一つを除いて全部本心だ。
「あの写真はそういう意味か……」
「ええ、恐らくは…段々と自分が女性側に引っ張られてるという事実を告げているのだと思います。優しい古林さんの目にはちゃんと過去の自分が写って見えたそうですけどね。それが古林さんの善意からくる嘘でないならの話ですけど……」
「だから俺は嘘はつかねえって」
「あはは、ありがとうございます。……それでですね、この三日間悩みに悩んで決めた事があるんですけど、聞いてもらえますか?」
「……何だよ?」
少しだけ声に力が戻ってきた高天原は、後ろを振り返り突然変な願い事をしてきた。
「───未来はまだどっちになるか分からないんですけど、Aに行くかBに行くか、はたまたCに行くか分からないんですけど、自分は最終的には、その決断の後には、法律事務所を出て行こうって思ったんです」
ザアアアアアアアア─────
突然、自分勝手で馬鹿みたいな変な願い事をしてきたのだ。
「……ですので古林さん。残りあと一ヶ月半、自分がどちらかを選択しなければいけないその時まで、迷惑でしょうが側に置いて貰っても宜しいでしょうか?」
「…………チッ」
───窓を打つ雨がうるせえ、雷を光らせる積乱雲がウザってえ。
あんなにも厚かましくて図々しかった高天原が、最後にそんなしおらしい台詞を口にするもんだから、俺はまた二つ目の嘘をつくしかなかった。
「……好きにしろ、なんなら今すぐ出て行っても構わねえし」
「ちょっ…酷くないですか? そこは優しい言葉を掛けてあげるのがセオリーでしょうに!?」
「……俺は嘘はつけねえんだよ。一ヶ月半後には清々した元の暮らしに戻れると思うと、今から待ち遠しくて仕方がねえよ」
「すみませんねえ! あと少しだけ我慢して下さい!」
「…………チッ」
……ああまただ、また高天原のせいで俺は、思ってもいねえ台詞を吐いちまった。




