第29話「フォトハラですね」
最近、高天原を見ていると、コイツは本当に元男だったのかと思う事がよくある。
「古林さん古林さん、今日の夕飯は何が良いですか?」
「……別に何でも。緑が少ねえ食卓にさえしてくれれば、俺は何でも構わねえ」
「あー何ですか、その受け答え!? 作る方の苦労考えた事あります? 毎回毎回『今日は何にしようかな』って、『これは先週作ったばっかりだしな』って、一生懸命悩んで調理して食卓に並べてるっていうのに、その答えはあまりにも適当すぎじゃないですか? 嫌われますよ? 将来のパートナーに?」
「……別に結婚する気はねえから、人にどう思われようがどうでもいい。夕飯はカレー、カレーでいいから、大人しく前見て歩け」
「カレーは一昨日食べたばかりじゃないですか!」
「だったら初めから聞くなよ。本当に面倒臭え奴だな」
「─────はああ? 何て言いました今?」
時刻は16時を過ぎた頃である。
近所に新しく出来たスーパーに、変わらず緑を愛用する私服姿の高天原と、段々地が出てきたのか妙に女っぽい仕草をするようになって、主婦みてえな事まで言い出すようになった高天原と、二人で向かう途中の会話である。
───朝5時半に起きて朝食を作り、7時から始まる推しの配信の前に、凡そ30分ほど新聞を眺めるのが高天原の日課だ。
そんな高天原が一枚の折り込みチラシに目を付けて、配信後の10時過ぎに目覚めた俺に、目を爛々と輝かせながら、広げて見せてきたのは今日の朝の事だった。
『新しく近所に食品スーパーが出来たそうですよ古林さん!』とか言って。
これまで買い出しに行く際は必ず電車を使って遠出しなければいけなかった為、事務所から離れて約800メートルの徒歩10分の所に出来たスーパーは、高天原にとっては、かの有名なディ○ニーラ○ドよりも夢のような場所らしかった。
「これで電車に乗る人々に奇異の視線を向けられなくてすみます。ああ…古林さんが免許を持ってたらなあ…」
「悪かったな、高校卒業して直ぐに田舎から出てきたから取るタイミングが無かったんだよ。それにこっちじゃ車は殆ど必要ねえって分かったから、別に良いかって、そのまんま放置してたらいつの間にか30歳過ぎてたんだよ」
「高校時代に取れば良かったじゃないですか?」
「んな暇あるか、こちとら六法全書を片時も離さず持ち歩いて、三年間ずっと勉強漬けだったんだからよ」
「卒業してからは? まだ少し時間に余裕がありましたよね?」
「引っ越しの準備でそれどころじゃなかった」
「……じゃあ今は? 暇ですよね?」
─────ズビシッ
「いったあっ!?」
「……ぶっ飛ばすぞ?」
「~~もうしてるじゃないですかあ!?」
奇異と好奇を取り違えてる高天原が、俺にデコピンを喰らわせられたオデコを押さえながら涙目になっている。
歩道脇の道路では通勤ラッシュ前の車が淀みなく進んで行ってて、通り過ぎる運転手が何人か俺達二人が歩く姿を不思議そうに眺めていってた。
10月の黄昏時は嫌になるくらい早くて眩しい。
まだ16時を過ぎたばかりだというのに、既に太陽はビルの間に沈む準備をしている。
「…… ほんとにもう。ですが非常に綺麗な夕焼けです。…まさに秋の夕焼け鎌を研げ、ですね」
「なんだそりゃ?」
叩きすぎて変になったのか、額を押さえたままの高天原が、そんな夕暮れを見ながら突然謎の呪文を唱えてきた。
「〝 秋の綺麗な夕焼け空を見たら、翌日は晴れるので稲刈り等の農作業の準備をして待ちなさい〟という意味ですよ…日本の天気は西から東へ変わりますからね、西の空が晴れて綺麗な夕焼けになっていれば、翌日は晴天になる確率が高いという昔からの言い伝えです」
「最近の天気予報は当てにならねえから、明日が晴れるかなんて分からねえだろ」
「……なりますよ、きっと…」
─────カシャッ
「だって、こんなにも素敵な秋の暮れなんですから…それを邪魔しようだなんて、きっと神様もそこまで意地悪ではないと思いますよ…」
「珍しいな、お前が写真だなんて……」
「たまにはね? 冴えない自分の顔しか保存されていないフォルダ内に、彩りを添えてもいいかなって思ったんですよ」
「そーかよ…」
「まあ、古林さんが昼寝してたお陰で出掛けるのが遅くなった記念でもありますけど」
「……毎回一言多いんだよテメエは」
なんて事を話しながら夕暮れ時の街路樹を歩いていた俺と高天原であるが、スマホで撮影した風景を確認しようと画面をスワイプしていた高天原は、突然変な声を出して足を止めたのだ。
「─────え?」
「……んだよ? どうした? カラスの代わりに空飛ぶドラゴンでも写ってたのか?」
「古林さん… い、以前見せた自分の顔って覚えています?」
「ああ…確か、本当に俺と同い年かよって思うぐらい幼くて、眼鏡を掛けた冴えない青年だったな」
「そ…そうですか、そうですよね。自分は確かに眼鏡を掛けた冴えないオジサンでしたよね」
「……ああ、そうだが?」
「ですよね……」
───以降、あれだけ煩かった高天原は何故か急に大人しくなっちまって、そのまま折角の夢の国に着いた後も、ただ黙々と人が持つカゴに野菜をぶちこむだけだったのだ…
†††
カチャ、カチャカチャ……
結局、夕飯はそのまま俺のリクエスト通りカレーになった。
テレビを見ながら並んで食べる高天原は、何時もと同じ制服姿に着替えていて、相変わらずパーソナルスペースを保っているが、しかしあれ以降ずっと黙りで、スプーンを口に運ぶ瞬間さえ、ずっと遠くを見たまんまで、心ここにあらずって感じだった。
何に引っ掛かりを覚えたのか分からねえが、時折顔以外の場所にスプーンを運んでは、味のしない口ん中を必死にモグモグと咀嚼して飲み込んでいた。
「────おい。おい高天原」
「……え?」
「〝え?〟じゃねえよ。…ずっと上の空で人の話ちっとも聞かねえで、何に対しても『ああ』とか『はい』しか返事しねえで、調子狂うからさっさと話せよ。何がさっき撮った写真に写っていたんだよ?」
いい加減、空気も食い飽きただろうと思った俺は、少し大きめの声量で高天原に問い掛ける。
買い物中から帰り道、家に着いてから夕飯の支度を進める最中に何度声を掛けても、普段やかましいコイツは二言しか返事を返さない始末だった。
一を言えば十を返し、十を言えば百を返す、そんなコイツが今日はあれ以来ずっと大人しい。
絶対に何か変な物が写真に写ってた筈だと確信して問い詰める。
「……『フォトハラ』って知ってます? フォトハラスメントって?」
「……何だよそれ」
「相手の許可を得ずに勝手に写真を撮影したり、その写真をSNSなどのインターネット上に無断で公開したり、許可していない人を勝手に撮影する嫌がらせみたいな行為をそう呼ぶのですが…」
「また得意のハラスメントか…分かったよ、黙って聞いてやるから今日は好きなだけ話せ」
一度スプーンを置いた俺は、同じく口に運ぶ行為を止めた高天原の話を、今日だけは大人しく聞いてやる事にした。
「……自分は今少しだけ、無断で撮影されていても良かったかなぁって、許可してなくても撮られていたり、SNS上に公開されていても良かったかも知れないなぁって、不謹慎にも思っているのです…」
「どういう意味だよ?」
「もちろん、撮られるのは恐怖があります。昔みたいに、まだ自分達が子供だった頃のように安全だとは言われず、簡単に写真を撮られるのは危険だと囁かれる時代になってしまいましたから…プライバシーの侵害や肖像権の侵害、身バレや犯罪への巻き込み、そして撮った画像の悪用など…些細な事から居場所が特定される恐れもあり、空き巣やストーカー被害につながる恐怖もあります。ネット上に拡散された写真が第三者に保存されて予期せぬ形で悪用されるリスクだってあります。だけど……」
ツラツラと話す高天原だが、何故か今日は人差し指を上げない。
鼻だって伸びないし、目を瞑って自慢気に話す様子は一切ない。
……寧ろ、語れば語るほど気落ちしていくようにも見えた…
「……だけど、本当の恐怖は…過去の自分の姿が何処にもない事です。どんなにフォルダを捲っても出てくるのは〝のっぺらぼう〟みたいな自分の顔だけな事です…」
「─────は?」
「古林さん、一度しか見せません。ですが正直に答えて下さい。この画面に映っている男性は、眼鏡を掛けた冴えない30歳過ぎたオジサンですか?」
……真剣な顔で、藁にも縋るような顔で、今にも泣き出しそうな顔で、高天原が見せてきた写真に写っていたのは、本当にスーツを着て自撮りする顔のパーツがない男性の姿だった。
「……正直で良いのか? 俺は嘘は言えねえぞ?」
「知ってます。だから聞いてるんです」
─────ッゴクン。
こん時の音は今でもどっちが何を飲み込んだ音だか分からねえ。
だけど、真剣な眼をして真っ直ぐ俺を見詰める高天原は、手の震え以外一切微動だにしていなかったから、きっと多分、俺が口に出す台詞を飲み込んだ音じゃねえかなって思ってる。
「……変わらねえよ。前に見た時と一緒だ。眼鏡を掛けた冴えない男性が、少しだけ緊張しながらぎこちない笑顔を作ってるよ」
「ほ、本当ですか……?」
「俺は嘘は言えねえ。知ってるだろ? お前の目にどう映ってるのか知らねえけどよ…部屋ん中なのに何故か緊張してる姿は一緒だ。たぶん今の姿に慣れすぎて、一時的な錯覚を脳が見せてるだけなんじゃねえのか?」
「……そ、そうですかね?」
「ほら、お前の好きなウンチクで例えるなら〝ルビンの壺〟ってやつと一緒だ。一つの絵が『壺』にも『向かい合う二人の顔』のどっちにも見えるってやつとさ…脳は一度にどちらか一方しか主役として認識できねえみてえだから、意識の切り替えが今は出来てねえんだよ。気にしすぎだ。少し疲れてんだ。時期にまた前の姿が見えるようになるさ、きっとな…」
───たぶん俺はこの日、人生で初めての嘘をついた。




