第3話「マリハラですね➀」
空調の効いただだっ広い部屋で、テレビの前の低いテーブルに空缶を三つ並べて、何もかけず朝まで爆睡するのが俺の日課だ。
徐々に値上がりしつつあるが、まだ俺の味方である第三のビールと裂きイカとタバコ、この三種の神器をお供にたった一人のつまらねえ夜を、空腹を誤魔化しながら過ごすのがこれまでの日常だった。
「……あの、風邪引きますよ?」
「───っんが? だ、誰だ? 俺は昨夜よく分かんねえ作り話をする頭のおかしい少女と家でウーバー喰ったから、何処にも行ってねえし誰も連れ込んだ記憶はねえぞ?」
「……ええと、その、一緒にウーバー食べた頭のおかしい相手なんですが…というか、やっぱり信じていなかったんですね」
「おお、おはよう…まだいたのか…」
「おはようございます古林さん。朝食の用意が出来たので早く顔を洗って身支度を整えてきて下さい」
「……朝食? 勝手にウーバー頼んだのか?」
「いいえ、自分が作りました」
昨夜貸したブカブカの水色のストライプ柄のパジャマを脱いだ少女は、御丁寧に事務所の入り口側にある接客用のテーブルの上にそれを綺麗に畳んで乗せていて、今は昨日同様、洗濯して清潔になった黒のセーラー服を着ている。
「……料理出来んのか、すげえな」
「早くに両親に先立たれ、独り暮らしが長かったものですから…仕方なく身に付けた技術ですし、特に褒められるポイントではないです」
そう言った後、俺の日常に土足で上がり込んだ美少女は、「これぐらい造作もない事ですよ」と裂きイカ達が並んでいたテーブルの上に、上手にそれらを退かしながら出来上がった料理を並べ始めた。
お盆の上からひとつひとつ丁寧に置かれていくのは、久し振りに見るホカホカのご飯と、何年飲んでいないか分からねえ温かい味噌汁に、綺麗な黄金色のだし巻き玉子だった。
「……食材が殆ど無かったので、有り合わせの物で調理しただけになってしまいましたが」
「いや、じゅうぶんだろう。これだったら直ぐにでも嫁に行けるんじゃねえのか?」
「ですから自分は男ですって、それにその発言はー……」
……ピンポーン、ピンポーン
───と、そこまで会話した所で、熱々の料理を口に運ぶ前に、運悪く俺の事務所の呼び鈴が鳴らされてしまう。
「……客か、随分早いな。まだ営業開始時間前だってのに」
「いいえ、今はもうとっくに午前10時を過ぎてます。自分が目覚めてから古林さんが起きるまでに既に4時間以上は経ちました。今あなたの前に用意されている料理は全て温め直した物です。これはまた後ほど、相談者さんとの話し合いが終わったら持ってきますね」
「あ、おい。待てー……」
「己の空腹を満たすよりも、悩める子羊に手を差し伸べる方が先決だと思いますよ」
カチャカチャ… パタン…
───そう言って、折角並べていた料理を再びお盆に戻し始めた高天原は、全てを乗せ終わった後、再び扉の奥に戻って行ってしまった。
ピンポーンピンポーン
「あ、あのー……すみませーん。弁護士さんはいらっしゃいますか? 職場でのハラスメント被害について相談に来たのですが? あ、あのー…す、すみませーん……」
普段は大人しい胃袋が、今日はやたらと煩く叫びやがる。
入り口の前で俺を呼ぶ若い女性の声に負けず、元気にグーグーグーグーと、久し振りに貰える五大栄養素を目の前でお預けくらった奴等は、盛大なブーイングを身体の持ち主にして来やがった。
コンコン、ガチャ…
「……あの、早く出てあげた方がいいですよ? 声の感じから結構切羽詰まってるように窺えるので、ああ因みにお話には調書役として自分も参加するので、勝手に進めないで下さいね」
「調書役……?」
「そういう契約だったじゃないですか? 貴方の仕事のサポートをする役割として雇って頂くって。お忘れですか? 自分は別に家政婦になる為に貴方の元を訪れた訳じゃありませんよ?」
……バタン
人の日常に勝手に土足で上がり込んで、丁寧な言葉遣いとは裏腹に押し掛け女房みたいに居座りやがった自称男の高天原佳澄は、扉の間から顔だけ出して、これまた図々しさ全開で偉そうな事を述べた後、再び俺の栄養素をキッチンにある冷蔵庫に保管しに行きやがった。
グーグーグーグー……
ピンポンピンポンピンポーン……
「900円、今決めた。アイツの時給は一枚の紙幣にも届かねえ900円だ…」
カエルの合唱のように鳴く腹と、網戸に張り付いた蝉みてえに鳴き止まないチャイムの音に、いい加減ブチ切れそうになった俺は、高天原の時給を最低賃金以下の900円にする事をこの時誓ったのだ。
「……タダで住まわせてやってんだ、文句言ってきたら追ん出してやる」
ついつい地元の東北訛りが出ちまった俺は、家賃滞納しまくってる自分の事を棚に上げて、そんな怨み節を呟いていた。
†††
「……あ、あのですね」
「あぁん?」
「ひ、ひいい…」
「大丈夫ですよー取って喰ったりしないですから、怯えなくても大丈夫ですよー…まったく困っちゃいますねえ、折角来て頂いた相談者の方に対してこんな目付き、本当に何をそんなにイライラしてるんでしょうねえ?」
昨日、高天原を面接したのと同じ場所で、少しだけ高額なソファーに座りながら、恐らく20代後半の軽く髪を染めた女性と向き合った俺は、お預けをくらった先ほどの料理が忘れられず、苛立ちを隠しきれずに睨みを効かせていた。
「……相談内容は? 早く喋れ、一時間一万円だからな、オタオタしてると金と時間だけが無駄に浪費されていくぞ?」
「誰のせいですか、まったくもう…」
「は、はい。ええとですね、実は私今月の誕生日で、ちょうど30歳を迎えてしまう身分でして…」
「へええ、見えないですねえ」
「あ、ありがとうございます」
「変な相槌いれんな、調書役は調書役らしく黙ってメモだけ取ってろ」
場を和ませようとしてるのか、隣に座った高天原は、与えた万年筆と黒のメモ帳を一度も使おうとせず、調書役そっちのけで俺よりも熱心に話を引き出そうとしていた。
「すみません…」
「あ、あの彼女は何も悪い事は…えと、娘さんですか?」
「……んな訳ねえだろうが、アンタもアンタで余計な詮索したりすんな。相談に来たんだろ? 会社で嫌な事があってずっと我慢してたけど、遂には限界を迎えて嘘の言い訳して休んで来たんだろ? 他人の事情に目を向けてる余裕があるのか? 今日話して何も解決しそうになかったら、また明日から同じ地獄の日々が繰り返されるんだぞ? その優しさを否定するつもりは無えがな、今だけは自分の事だけを最優先に考えろ。俺の事も高天原の事も、畑に立ってるカカシだと思え」
────と、これだけ言ってようやく落ち着いたのか、相談者である女性は深呼吸してから、真剣な顔付きで物事を語り始めた。
「───職場で、毎日のように『早く結婚しろ』って言ってくる女がいるんです。歳は50歳、私より20も上のその方は、自分自身を棚に上げて、未婚の癖に『早くしないと私みたいになるわよ?』って、言ってくるんです。休憩時間の度にボリボリ御煎餅を食べながらゲラゲラと、醜い顔と身体で私を集団の前で弄ってくるんです…」
「マリッジハラスメント…略して『マリハラ』ですか…」
「おまっ、調書役に徹しろって言っただろうが」
「ご心配なく、今聞いたこと全て記録済みですので、古林さんが自分の行動を止める権利は1つもありませんよ?」
自信満々にそんな風に述べた後、ニッコリ笑ってビッシリと書かれたメモ用紙を高天原に見せられた俺は、そこで言葉を失ってしまった。
「……職場リーダーっていうのはね古林さん、色んな人間の話を全て真剣に聞けなければ勤まらないんですよ」
「全て真剣に?」
「ええ、被害者も加害者も全てひっくるめてね。裏を返せば加害者が…被害者に変わってしまうケースも少なくはないのですから……」
……膝の上で手を組んで話を聞くその体勢の中に、一瞬だけ、過去の高天原の表情が見えた気がした。




