第2話「セクハラですね」
ある日突然、自分でも予想のつかねえ訳の分からねえ状況に陥ったら人間はどんな行動をすると思う?
「あの、本当にこちらの一室を使って宜しいのでしょうか?」
「……勝手にしろ」
「あ、ありがとうございます」
バサッと長い髪を舞わせて深々と御辞儀した自称30歳独身男性の厚かましすぎる美少女が、ある日突然ひとつ屋根の下で一緒に暮らすって事になったら、いくら自称男だとか言っても平然としてられる奴の方が不思議だし、その上未成年に手を出したなんてなったら社会的地位も失ってしまうに決まってる。
……きっと、マトモな状態の俺だったら絶対に追い出してた筈なんだ。
「クソ…背に腹は代えられねえ……」
「え、何ですか?」
「何でもねえよ、クソったれ」
生活に切羽詰まってなくて、精神的にも追い込まれていないマトモな状態の俺だったらな?
「お…奥にはキッチンもあったし、更に部屋の前にはお風呂もトイレもあって安心しました」
「トイレと風呂しか使った事ねえけどな? 普段の俺はずっと、あの来客用の広間で寝泊まりしてるから、変な警戒心も持たずに好きに使うといい。ただしどの個室に入っても鍵だけは絶対閉めろよ? 守れねえなら今すぐ追い出すからな?」
「りょ、了解致しました」
意外と奥行きの広い事務所内は、ボロビルの癖に日常生活を送るにあたって必要な設備は揃っていて、俺が高天原佳澄(見た目17歳女子高生)を面接した場所を広いリビングと例えるならば、扉を開けた向こう側には手狭なキッチンが見えて、その通路の途中に六畳一間の部屋へ繋がる扉が一つ、更には向かい側に便所とバスタブ付きの風呂がそれぞれ個室で存在しているから、横長のアパートの一室みたいな物を想像すると良いと思う。
「……少し想像と違ってましたが、さすが弁護士さん。いい暮らしをしていますね」
「曰く付きの格安物件で誰も借り手がいねえから、殆どただ同然で住まわして貰ってるだけだけどな」
「家賃、ないのですか?」
「出世払いで滞納しまくってるから、仮に有名になった時が恐ろしいよ」
自称同世代の癖にやたら丁寧な口調で話す高天原佳澄は、そう言うと少し顎に手を添えて考え出した。
「自分が住むようになって、その滞納している月々の家賃額は上がったりしないのでしょうか?」
「どうなんだろうな? 一階でカフェを営む大家に聞いてみねえと分からねえよ」
「……もし、それだったら出ていきますが…」
「帰る家ねえ癖に何言ってんだ? 出て行ってどうするつもりだ? 段ボールハウス暮らしでもするつもりか? 急に殊勝になるんじゃねえよ面倒臭えな。一度会った奴がどっかでのたれ死んだとか聞きたくねえんだよ俺は、それだったらさっきまでの図々しい態度の方が遥かにマシだ。ガキはガキらしく素直に大人に甘えとけっての」
「……ですから自分は、貴方と年は一緒で…」
「はいはい、勝手に言ってろ未成年」
しょんぼりとした雰囲気で話す高天原は、見た目の年代にはない遠慮という言葉を知っているらしかった。
もしかしたら本当に?なんて思ったりもするが、漫画や小説じゃねえんだから、突然変異で年齢も性別も変わるなんてあり得ねえ話だと、馬鹿な考えが浮かんだ頭をブンブンと振った。
───時刻は午後6時、16時頃に訪れた高天原と随分と長いこと話していたんだなと、キッチンの上にある時計を眺めつつ思った。
「……今から風呂洗うから、取り敢えず沸くまで部屋でゆっくりしてろ。よく分かんねえけど色々あったんだろ? 疲れてマトモな脳味噌じゃねえから意味分かんねえこと口走っちまうんだ。事情は深くは追求しねえでやるから、お前が出て行きたくなるまで好きにその部屋使って、落ち着いたらまた自分の日常に戻るんだぞ」
「……あの、ですから…何度も言う通り自分は…」
「はいはい。もういいって…ってか、本当に同じ年で同じ性別だって言うならよ? その妙に畏まった堅苦しい言葉遣いはなんなんだよ?」
「……えっと、すみませんこれが自分のデフォなので」
「ふぅん…?」
そこまで聞いて、俺はそれ以上深掘りするのを止めた。
だって人それぞれの変わった生き方や、妙な拘りを持つ奴がいるのは、この偏屈ばかりが集う弁護士業界で嫌というほど知っているから、だから彼女のような一人称を「自分」と称する人間がいるのも何となく頷けるし、多分暫くすれば出ていくだろう一期一会の奴の変わった人生に、わざわざ自分から身を乗り出して搭乗する気はない。
───まあ単純な話、好きに生きて好きに悩めって感じだ。
少し冷たく聞こえるかも知れねえけど、人間関係なんてそれぐらいドライな方が互いに楽に生きられるからその方がいい。
寧ろ自分の事だけで精一杯な世の中で、他人の面倒を心から親身になって見てやれる奴の方が逆に人間性を疑っちまう。
お前、本当にそれは忖度なしの全て善意から来てる行動なのかってな…
「んじゃ、また後でな」
「は、はい。暫く御世話になります」
バタン……
閉じられた扉の奥からは何の物音も聞こえなくて、そのまま向かいの浴室に向かった俺は、珍しく念入りに浴槽を洗いながら「暫くねえ…」と、どうせ直ぐにいなくなるであろう少女の言葉を反芻しながら、長い長い溜め息を、下げていた彼女の頭よりも深く吐いたのだった…
†††
ギイィ、ガチャ……
「あ、あの…すみません。な、何か着る服は無いでしょうか? その、パジャマの代わりになるような何かを…」
「は? え……?」
時刻は午後7時を回った頃、今日突然訪れた高天原とかいう少女が風呂に入っている間、奥にあるもう1つのテーブルで、ソファーに腰を沈めながら、野球のナイター中継をタバコを吹かしながら見ていた俺は、思わずその咥えていた物を落としそうになった。
「おま…なんでバスタオル一枚で…バ、バカなのか…?」
「だ、だって着る物が制服しか無いですし、自分潔癖症なので、昼間着ていた服を風呂上がりにもう一度着るのは嫌なんです」
「だ、だからってなあ…」
「良いじゃないですか、男同士なんですし」
自称30歳性別男な美少女が、こともあろうか恥ずかしげもなく、風呂上がりのまだ半乾きの髪のまんま、バスタオル一枚で俺の前に現れたからだ。
「……お前それ、立派なセクハラだからな?」
「いいえ、貴方が勝手に自分の素肌を見て取り乱しているだけですし、同じ性別なのだから何の問題も無いです。寧ろ通報したら逆に貴方が捕まりますよ?」
ふざけんなよコンチクショウ…なんで勝手に10代の素肌を見せられた俺が加害者になんなきゃいけねえんだよ?どっちかつうと被害者だろうが…と思いつつ、自信満々に入り口の前に立つ濡れた美少女に睨みを利かす。
「……ちっ、少し待ってろ。今替えの服持ってきてやるから、そのまま真っ直ぐ風呂場に戻って俺が良いって言うまで絶対に出て来るな」
「ありがとうございます…ックシュン。────あ」
「あ……」
パラリ……
───しかし、最後に盛大にクシャミをした自称30歳男性の無防備美少女は、勢いでタオルを押さえていた手を離してしまい、現時点で加害者に近い俺の前に、見た事もねえ綺麗な素肌の全身を晒しやがったのだ。
「……さ、流石にこれは自分に過失があります…すみません」
「うるせえ黙れ。頼むからもう一言も喋んな。いいからさっさと風呂場に戻りやがれ!」
「───は、はい!」
ガチャン、バタバタバタバター……
怒鳴り声に合わせて走り去る少女に、呆れた俺はそれ以上何も言う事が出来ず、吸いかけだったタバコをグリグリと灰皿に押し付けながら、今見た光景を必死に忘れようと努めていた…




