第25話「アルハラですね」
────カシュッ
ゴッ、ゴッ、ゴッ、ゴッ、ゴッ……
これは、とある映画を高天原と共に見た後の話である。
「くうぅぅ~~…うんめえぇ~…やっぱり労働の対価としての一番のボーナスは、この喉を刺激する黄金の麦芽だよなぁ! 一日の疲れがガツンッと吹っ飛ぶぜ! そりゃあ主人公であるアンディも監視官に交渉して仲間たちに冷たいビールを振る舞いたくなるってもんだぜ!」
「………………」
「あんだよ、なに見てんだよ?」
時刻は午後8時を過ぎた頃、風呂上がりに奥の冷蔵庫からビールを一本持ってきた俺は、首にタオルを掛けながら腰に手を当てて、今日見た映画を思い出しながら命の水を喉の奥に流し込んでいた。
どんな映画かと言えば、無実の罪で刑務所に入れられたアンディという銀行員と囚人達との深い友情を描いた物語で、どんなに厳しい環境でも「希望」を捨てずに生き抜く事の大切さを俺達に教えてくれるような、諦めなければ未来は開けると教えてくれるような、もしかしたら何処かの世界で見た事ある奴がいるかも知れない不朽の名作だった。
「……別に、ただアンディが仲間達にビールを振る舞ったのは、過酷な刑務所生活で囚人達が人間としての尊厳を忘れかけている中、太陽の光を浴びながら冷たいビールを飲むことで、皆に『まるで自由な世界の普通の男』に戻ったような感覚を味わって欲しかったからであって、決して古林さんのように昼間何もしておらず、ただテレビを眺めてるだけで今日一日を終えた人が引き合いに出していい人物ではないと思います」
しかし、人が折角映画の余韻に浸りながら美味い酒を飲んでいるというのに、先に風呂から上がって読書していた高天原は無情にも「それは違う」と真っ向から指摘してきやがったのだ。
「ほーん、じゃあ仮にそのアンディをお前だと喩えるなら、彼は一人だけビールを飲まず仲間達が美味そうに飲む姿を満足そうに見守っていたんだが、お前は俺が飲む姿をどうして眉間に皺を寄せながら恨めしそうに見てんだよ? 何か言ってる事と違くねえか、なあ?」
「……古林さんは過酷な環境での労働を強いられた者の一人では無いですし、古林さんを縛るものは何も無いじゃないですか…かの有名なフリードリヒ・ニーチェの思想を一番体現している人に言われても何も響きませんね」
「誰が自由精神の塊だクソッタレが」
「おや? 御存知でしたか珍しい事もあるものですね?」
続々と積み上がる小難しい本の山を前に、高天原はまたどっかから仕入れてきた知識を自慢気に披露して来やがった。
普段ならここまでは突っ掛かって来ない癖に、どういう理由か今日は、あの映画の後からやたらと喧嘩腰な態度で挑んでくるから困ったもんだ。
「チッ…何でそんなに今日は突っ掛かってくるんだよ、俺なんかしたか?」
「さあ? 知りませんね? 答えはその手に持った黄金色の液体が入った缶の中にあるんじゃないですか?」
「────はあ?」
ビールを手に持ったまま疑問符を浮かべて立ち尽くす俺を尻目に、若草色のパジャマの上に藍緑色のカーディガンを羽織った高天原は、そろそろ来客があった時に持ち運べる限界がきたんじゃねえかなって思う量の中から、また一冊を取り出して、再び黙々と活字の渦に飲み込まれていったのだ。
†††
「1、2、3、4…5本、うぃ~~…結構飲んだなぁ~…」
それから約一時間ほどの時が流れ、午後9時を回った辺りでいい感じに酔いまで回ってきた頃、俺はだらしなくソファーに仰け反りながら、指でテーブルに並んだ空き缶の数を数えていた。
「どうせだからキリ良くラスト一本いくかぁ」
────カシュンッ
あと1缶飲めば今日購入した6缶パックが綺麗に無くなる。
どうせならキリの良い所まで飲んで、酔い潰れてでも良いから、俺も夢の中でショー○ャンクの空を眺めてみたいと、そんな夢馳せていた所に、突然の大きな声がこれまで静かだった部屋の中に響き渡った。
「~~っもういい加減にして下さい! まだ飲む気なんですか!?」
景気良くフタを開けて、口に運ぼうとした瞬間の出来事だった。
黙々と読書を続けていた筈の高天原の突然の大声に、飲む寸前で止まった俺は何事かと隣のテーブルに振り返る。
「───な、何だよ急に!?」
「〝何だよ急に〟じゃないですよ! なーにが『どうせだから最後の一本行くかぁ』ですか? 何がキリ良くですか? 何がそんなに楽しいんですか!? 何で一人だけ幸せそうなんですか? ……口の中に広がる苦味とコク、喉を通る刺激的な強炭酸、一口で行けるところまで流し込んだ後に、頭を突き抜けるあの言い様の無い爽快感……ズルいですよ! 自分だって飲みたいの我慢してるのに一人だけズルいですよ!!」
「─────はあ?」
「〝はあ?〟じゃないんですよ!」
────バァンッ
持っていた本を勢いよく叩き付け、立ち上がった高天原は『まったく何たる映画ですか人が折角我慢してきたというのに…』等と、訳の分からない事をブツブツ言いながら近付いてきて、呆気に取られて座ったままでいる俺の前で立ち止まり、片方の手を腰に当てながら普段は掲げる事しかない人差し指をビシッと向けて、次のような台詞を言ってきたのだ。
「因みに古林さん、アルハラって言葉は御存知ですか?」
「?……アルパカなら知ってるぞ」
「誰が南米のアンデス山脈の高地に生息するラクダ科の哺乳類の話をしてるんですか、この酔っ払い」
「……あのモフモフ、そんな所が生息地だったのか…」
「もふもふって……まったく、いいですかアルハラって言うのはですね?」
───と、そこまで言った所で白いモフモフを思い浮かべて少し落ち着いたのか、目玉を突き刺されるんじゃないかと思うぐらい近付いていた細い指先を天井に向けてくれて、何とか失明の危機を免れた俺は、南米のアンデス山脈にいるらしい珍獣に、この高天原を静めてくれた事を感謝した。
「……正式には『アルコールハラスメント』と言ってですね。上下関係や部の伝統、集団による囃し立てや、罰ゲーム等といった形で心理的な圧力をかけ、飲まざるを得ない状況に相手を追い込んだり、更には場を盛り上げる為にイッキ飲みや早飲み競争をさせる等の『飲酒の強要』を総じてアルハラと言うのです」
「ああ…あのキャバクラの姉ちゃん達がよくやってるやつか……」
「よく?」
───ズズイッ
「い、いや…行ってねえから詳しくは分からねえけど…テ、テレビで見たんだよ。いいから続き話せよ。てか、顔近えよ……」
「───んな!? ちょっ、余計な口挟まないで下さいよ!? 思わず顔近付けちゃったじゃないですか!?」
「タバコは吸ってねえんだから、別にヤニ臭くはねえだろ?」
「だから、そういう問題じゃないって何度も言ってるじゃないですか!? 自分の半径1m以内には近付かないで下さいって!」
「近付いたのは俺じゃねえ、お前の方だ」
「近付けさせるような事、言う方が悪いんです!」
「……どういう理屈だよ」
───なんかよく分からねえけど、最近の高天原はマジで情緒不安定だ。
怒ったり笑ったり眉を下げたり恥ずかしがったり、全部訳の分からねえタイミングで喜怒哀楽の表現を繰り出してくるし、挙げ句の果てには今みてえな事まで言い出すしで、最後は俺を悪者にまで仕立てあげやがるから、ほんっと意味分かんねえったらありゃしねえ。
「まあいい、あんま騒ぐな…今度からもう少し歯磨き長くすっからよ…そんで? 得意のハラスメントの話の続き聞かせろよ?」
「……だ、だから違うと。ま、まあ良いです。つ、続いてはですね。意図的な酔い潰しや酔った上での迷惑行為など、顰蹙行為を通り越した傷害行為に至るまでのケースが、このアルコールハラスメントには含まれたりするのです」
「まあ、他人に迷惑掛けてまで飲む奴はクソだよなぁ…」
多分ヤニじゃなくて酒臭かったんだろうなぁと整理して、俺は高天原に話の続きを促した。
ついて出た言葉は、事件性のある物まで含まれていて『酒は飲んでも飲まれるな』という戒めの意味を込めた諺が俺の脳裏を深く過った。
「───ですが古林さん。自分は〝 飲めない人への配慮を欠く事〟こそ、最大の悪事だと思っています。宴会に酒類以外の飲み物をワザと用意しなかったりとか、飲めない事を皆の前で公にからかったり侮辱したりだとか、そんな精神的な悪意こそが、最低で最悪の下劣極まりない行為だと思っています! 自分は目に見える暴力より目に見えない暴力こそが真の悪だと思っていますから!」
少し調子を取り戻した高天原は、曲がっていた背筋をピンと伸ばし、またも高々と指を上げて語尾を強めてそう言い切った。
「でもよ、飲めねえ奴はそもそも宴会に来なきゃいいし、からかってる奴は内心羨ましがったりしてるんじゃねえのか? 酒ってのはけっこう金が掛かるからよ?」
「……断れない人もいるんですよ、単純なる悪意で人を笑い者にする奴もいるんですよ」
「そうかよ……」
俺にはよく分からねえが、世の中には他人の目を気にして強く言えない奴も大勢いるらしい……
自分の意思を通す事に引け目を感じて、言ったらもっと酷い目に合うんじゃないかとか、断ったら仲間外れにされるんじゃないかとか、そんな風に考えちまう弱い奴等が大勢いて、そして精神的に追い詰めて喜ぶ屑も比例して多いようだった。
ほんっと、面倒臭え奴等が集う面倒臭え縛りが増えた面倒臭え世の中になったなぁって思う…
何にも縛られず、悪意なんかに怯える事なく、純粋に人同士が支え合って、助け合ったりする事は出来ねえのかなって……
「……まあ結局、自分が何が言いたいかと言いますとね古林さん」
「おう…?」
「……その酒、その手に持った黄金水、飲めない立場の自分にも配慮して、少しぐらい、一口ぐらいどうぞって、言ってくれても良いんじゃないかって思う訳なんですよ!!」
────パシッ
「───あ、バカ! 何してんだオイ!? 言ってる意味分からねえし!!」
ゴッキュ、ゴッキュ、ゴッキュ、ゴッキュー……
やたら長々と何時も以上の高説を垂れ流し続けてんなあと思ったら、その目の前のハラスメントヲタクの女子高生は、どう見たって未成年の高天原は、俺の手にあった最後のビールに目を付けていたらしく、油断していた所を奪い取って、腰に手を当てたまま一気に喉の奥まで流し込みやがった。
「───く、くあぁぁぁあっ……!! コレですよコレ! 喉を突き抜けるような爽快感! 痺れるような解放感! ここ最近のストレスが全部吹っ飛びますね! 映画を観てる時からずっと思ってたんですよ! 自分も飲みたい、自分も束の間の自由を味わいたいって、常に働き詰めの自分になら、あのアンディだってきっと微笑ましく眺めてくれるに違いないって! ずっとずっとおおー……!」
「……い、いやお前だって…」
「ええ? なんれすか?」
「いや、何でもねえ……」
350㎖の缶を三分の一飲んだだけで出来上がっちまった目の座った高天原に、俺はそれ以上なにも言う事は出来ず、「お前だって今日一日、借りてきた映画を一緒に見る以外は殆ど本を読んでただけだろうが」という突っ込みの言葉を、酒の代わりにそっと飲み込んだのだった……
†††
チッ、チッ、チッ、チッ……
「ぐすん、ぐすん……うぅぅ、古林さん御免なさい酷い事ばっかり言っれ、こんな見ず知らずの身元不明の怪しい自分を何も言わず部屋に住まわしてくれてるのに…自分は、自分はどうしれ…こんなに駄目なんでしょう? 自分の事ばっかりで、古林さんの自由を奪ってばっかりで…ああぁ我ながら情けないれす……」
「…………」
時刻は午後9時半を過ぎた頃、たった一本のビールで完全に出来上がった高天原は、自分のパーソナルスペースさえも忘れて、ただボンヤリと時計を眺める俺の肩に、メソメソと撓垂れ掛かっていた。
「絶対に、絶対にいつかは元の姿に戻っれ出て行きますから…らからどうか今だけは、こうして傍に置いてくらさい~……」
「……頼むから早いとこそうしてくれ」
「そんな酷いこと言わないれ下さいよぉ~……冷たいじゃないですかあ? 自分がいなくなってもいいんれすかぁ古林さんは? うわあぁぁん……」
「……どっちなんだよクソッタレ」
以降、その宴は11時近くまで続き、俺は金輪際もう二度と、この情緒不安定で完全な法律違反者の前で、美味そうに酒など飲むものかと強く心に誓ったのだった…
※正式には未成年者ではなく、二十歳未満の飲酒が法律で禁止されています。




