第24話「ラブハラですね」
秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる
作・藤原敏行『古今和歌集』より……
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最近、朝起きると異常に本が積み上がった隣のテーブルを見てギョッとする。
俺が起きるのはだいたい9時頃で、高天原が追っ掛けているVTuber「霧深夜苺花」の配信が終わって直ぐ位なのだが、余韻に浸る間もなく即座に積み上がった本の中から一冊を手に取って、鬼気迫るというか、切羽詰まった表情でそれらを網羅し始めるから恐ろしい。
以前相談に訪れた彼女の配信が始まるのは朝の6時頃からだと言っていたが、土日挟まず週7日、社畜も驚く程の勢いで連日配信を続ける霧深夜苺花には舌を巻いてしまう。
しかしそれを毎日欠かさず追い掛けながら、食事の用意から洗濯、更には姑も驚くほど細かい部分の掃除まで、そつなくこなす高天原には千切れる程に舌を巻いてしまう。
だから、本来ならこんな事は言いたくないんだが……
「……お前さ、確かにこの間の依頼から時給上げたけどよ…にしたって少し使いすぎじゃないか?」
「上げたと言っても600円じゃないですか? 合算して1500円、確かに全国的には高時給と見做される額ですが、自分の実労働時間はよくて週に8時間程度なので、一般労働者が一日で得られる金額を一週間淀みなく働いて、それで漸く懐に入れられる鬼のような仕組みじゃ無いですか!?」
「その代わり水道代ガス代光熱費、更には部屋の家賃まで全部俺が払ってんだぞ?」
「出ましたよ口論になると必ず掲げるその印籠…確かにそれらは自分も使っているから大きく反論出来ませんけどね、家賃は今まで通り一人分で良いって大家さんが仰ってるのだから、そこを引き合いに出されるのは少々筋が違うんじゃないでしょうか?」
「……あの爺さん、お前に甘すぎねえか? 最近よくカフェに入り浸ってるし、変な色仕掛けしてんじゃねえだろうな?」
「してる訳ないじゃないですか気色悪い。何度も言ってますが自分は元男性なんですからね」
「……じゃあよ、お前の過去の恋愛経験教えてみろよ?」
「──────は?」
「30年間生きて来たんだ、女との馴れ初めの一つや二つくらいあるだろう?」
「……あ、ありますけど」
「言ったら信じてやる。どうせ今日は台風で客も来ねえだろうから、暇潰し程度に教えろよ…お前が過去にどんな恋愛をしてきたのかをさ……」
朝起きて、変わらず読書をしている高天原に声を掛けるのがここ最近の日課だ。
「おはよう」でも「今度は何読んでんだよ」でも何でもいいし、伝えた言葉に反応が返ってくるのは、何年も独り暮らししてきた中じゃ一度も無かったから、例えそれがどんな減らず口だろうと内心嬉しかったりもする。
ボサボサの頭を掻きながら片方の手をポケットに突っ込みつつ立ち上がり、ソファーの背面に身体を預けた俺は、少し動揺する高天原を俯瞰から見下ろした後に窓の外で吹き荒れる嵐を見て配慮不足な考えを巡らせちまった。
───過去のコイツには一体どんな恋の嵐が吹き荒れてたんだろうってな…
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「………えっと、これは学生時代の話になるんですけど」
「随分前まで遡るな?」
立ち位置は先程から変わらない。
俺がテレビ側のソファーの背面に身体を預けて立っていて、来客用のテーブルに積み上がった本の前で足を閉じて端座する高天原の話を、ポケットに両手を突っ込みながら静かに聞く体勢だ。
「高校三年の冬の出来事なんですけど……」
「社会人になってからの恋話はねえのか?」
「……やっぱり止めましょうか」
「あ、すまん。続けてくれ」
未だ半信半疑である高天原の話を真実だと仮定するならば、以前写真を見た感じは確かに冴えない青年という雰囲気であったが、そこまで女性から敬遠されるような見た目ではなかった。
どちらかと言えば可愛がられるような感じで、俺とは真逆の雰囲気であったから意外だったのだ。
逆に俺は、大概の女には目が合っただけでビビって逃げられちまうからな……
「三年間同じクラスでずっと好きだった女子がいまして、そのまま一度も話せず卒業してしまうのかなぁって思っていたのですが、その年のクリスマスに友人宅で行われたパーティーに呼ばれた時に偶然、別な友人に誘われて来ていた彼女と話す機会が訪れたんですよ」
「へえ……」
「名前は敢えて伏せておきます。知らない所で勝手に名前を出されるのは誰だって嫌でしょうから……」
なんか凄えアオハル的な話だなぁと思った。
俺には殆ど、道を歩いてれば誰かに喧嘩を売られるようなク○ーズっぽい逸話しかねえから、六法全書は読むより武器に使った記憶が七割を超えているから、だからクリスマス会なんてモノが現実にあるんだなと、大学でさえ呼ばれなかった神秘的な世界の話をする高天原が、サンタクロースより希少な生物に見えて仕方なかった。
「皆がワイワイと、これまでの事やこれからの事について話をしている中、段々と相槌を打つのに疲れてきた自分はコッソリと部屋を抜け出しました」
「……意外だな、俺が知ってるお前なら延々と口を動かし続け、逆に周りが静まり返りそうなのに」
「生憎と…母親が具合の悪い人でしたからね、父一人の稼ぎで養育費と医療費の双方を賄っていた家の暮らしは結構火の車で、進学などという夢は既に断たれていましたから、これからも学生でいられる者が大半を占めていた人達の話を聞くのが少しだけ苦痛だったのですよ」
「そうかよ……」
「恩返し…するつもりだったんですけどね…本当にどうして……」
───ズビシッ
「あいたっ!?」
「───ったく、話が逸れてんぞ。そんで? 外に抜け出した後にウッドデッキの柵に手を添えながら、雪が散らつく景色をボンヤリ眺めているお前の元に、後から現れたその女子と何を話したんだよ?」
「……あの、自分そこまで説明しましたっけ?」
「聞かなくても分かる。そんな漫画みてえな青春を送ってきた奴が語る事なんて、大体同じだろうが」
「……猛烈な偏見ですが、大体合ってるのが悔しいです」
沈んだ顔で暗い過去を語り出そうとした高天原を俺は、思わず腰を浮かせてデコピンで止めに入った。
誰かに辛い過去を話して安心感を得たいという心理は、共感と受容を求めるって意味でも大切な事だが、俺はそこまで懐が広くねえから、上手く優しい言葉も掛けられねえから、吐き出して楽になりたいという思考の整理とか、カタルシスを求められても困るって訳だ。
「……ま、まあそれで、彼女とは少しだけこれからの事について話し合いました。将来的にどうなりたいとか、卒業までには一度話しておきたかっただとか、互いに好きな相手がいる事も…」
「ほうほう、それで? やっぱり両想いだったのか?」
ソファーから離れた俺は、腕を組みながら立った状態で青臭過ぎる高天原の話を食い気味に聞く。
きっとその後は「ずっと前から好きでした」とか互いに告白して、二人は付き合い出すんだろうなって思って、純粋な恋愛なんてして来なかった俺は、目の前の人生観が違う生き物が珍しくて仕方なかったのだ。
「……いえ、互いに好きな相手の名前を教えずにお別れしました」
「はあ? なんでだよ?」
「伝えたところで上手く行かないのは目に見えて分かっていましたし、何の覚悟もなく将来性の無い自分の隣に立っていて欲しいだなんて、烏滸がましくて言えませんでしたから…」
「いや、そこまで考える必要無くねえか? くっ付いたり別れたりして、それを繰り返して成長して、嫌な部分とか良い部分とか、許容出来る範囲とか出来ない範囲とか、色んな事学んでいって、真のパートナーを見付けるのが人間ってモノじゃねえのか?」
「自分は仕事でも何でも引き受けたら途中で投げ出すのが嫌いなんです。最後まで責任を持ってやり抜くのが、誠実な人間の在り方だと思っていますから…まあ最近ではその価値観も少し間違っていたのかなぁと反省する事が多いですけどね」
「チッ……そうかよ」
───ドサッ
「─────ちょっ??」
呆れた俺は溜め息を吐き、一人分のパーソナルスペースを必要とする高天原の隣に、ついつい何も考えずに座り込んじまった。
動揺して狼狽える高天原の反応を見て、漸く自分が何処に座ったのか気付いたが、時すでに遅しだった。
「……あ、悪い」
「い、いえ……」
──────ドクン、ドクンドクンドクン…
超至近距離で目が合った高天原の心音が何故か俺の耳に届いてくる。
超至近距離で目が合った高天原の長い睫毛は一向に上下せずに、開かれたまんまの綺麗な瞳には目付きの悪い俺が映り込んでいる。
「……お前、もしかして…恋愛経験0か?」
「な、ななな、何を言って!?」
───そんな、あまりにもウルセエ心音から、ついつい俺は核心を突いた質問をしてしまったのだ。
「動揺し過ぎだバカ…悪い事は言わねえ、早いとこ相手見付けて経験値積んだ方が良いぞ? そのままじゃ絶対将来、変な野郎に掴まるに決まってるからよ? いや、お前の話が本当なら変な女の方が正しいのか?」
「───ハ、ハハハハハハラスメント特大注意報です!!」
「何処がだよ? てか近くでデケエ声出すなよ?」
「だったら離れて下さいよ!? いいですか!? 今の古林さんが言った事はですね〝ラブハラスメント〟通〝ラブハラ〟というモノでしてね、恋愛に関する話題や価値観を相手に押し付けたり、交際状況や結婚の有無をしつこく聞き出したりして、相手に不快感や精神的苦痛を与える行為その物なんですよ!!」
「一気に捲し立てんなよウルセエな。お前だって、前に俺に聞いてたじゃねえか? 恋とか愛とかした事あんのかって、しかも妙に知ったかぶりしてさ」
「あ、あれは単なる言葉遊びの範囲であって、別に自分は相手のプライベートに土足で踏み込むというような、対話する人の気持ちを考えない最低で最悪な、下劣極まりない詮索はしていませんよ!?」
「俺は、結構傷付いたんだけどなあ~」
「嘘吐かないで下さい! 何ですかそのムカつく顔!? 古林さんだって純粋に人を愛した事は無いでしょうが!!」
「はいブーメラン。お前のそれハラスメント注意報だかんな?」
「ぐぎぎぎ……」
「─────ぶふっ」
至近距離で会話する高天原の百面相にやられて、噴き出しそうになった俺は、思わず顔を背けて後ろの窓に目をやった。
「何を笑ってるんですか、これで本が増えるのは確実ですからね! 古林さんのせいなんですから文句は言わないで下さいね!!」
変わらず耳元でピーチクパーチク騒ぐ高天原の声が、外で吹き荒れる嵐の音を和らげてくれたのだが、どこからか平安時代の歌人の詩が風に乗って聞こえた気がして、その声を聞いていてなお、お前はまだ何も感じないのかと問われているようにも思えたのだ……
意訳「秋が来たと目で見てもはっきりとは分からないが、風の音ではっと気付いたよ」
───という立秋の訪れを表現した和歌です




