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閑話休題「自分はですね❸」

久しぶりに「高天原佳澄」視点のお話です。

 ───カランカラン、カラン…


「おお、いらっしゃい佳澄くん」

「どうも大家さん(マスター)、相変わらず閑古鳥の囀(さえず)りしか聞こえない寂しい店内ですね」

「……客の入りが少ないのは否定せんが、普通の者は働いたり学校行ったり家事したり、色々と忙しくしている平日の午前中だという事を忘れんでくれ」

「まるで自分が社会不適合者みたいな言い草じゃないですか?」

「……もはやコスプレしたニートにしか見えんわい」


 自分が古林さんのお宅に住み着くようになってから、約一ヶ月と一週間が経ちました。

 あの不思議な飴玉を舐めてから結構な月日が流れ、幸か不幸か徐々にこの身体にも馴染んで、少しずつ地を出せるようになってきたと思います。


「ストレートコーヒーと豆乳プリンで良かったかの?」

「ええ、いつものヤツで」

「……まったく、仕事合間のサラリーマンみたいな受け答えしおって…別々に頼まず普通にミルクを入れて飲めばよかろうに」

「ごほんっ、因みにマスター、抑制効果っていう言葉は御存知ですか?」

「かぁ、またウンチクか……」


 カウンター席の真ん中辺りに座った自分が人差し指を掲げると少しウンザリしたような表情をするのは、このビルの大家さん(オーナー)であり、すっかり行きつけとなった喫茶店『クロヤマ』のマスター黒山(くろやま)人隆(ひとたか)さん68歳です。


「まあまあ、そう言わずに。話し相手は自分しか見当たらないのですから、少しは耳を傾けて下さいよ」

「毎回、傾けとるわ。まったく…」


 平日の午前中ですから普段なら一人か二人ぐらいはいる筈の御客さんも今はいなくて、寂しい店内には制服を着たまま訪れた自分と、そのロマンスグレーなマスターだけが存在します。


 ───ああ、古林さんは今は朝御飯を食べ終わっての一服中ですね。

 まあ一服と言っても、どうせ事務所に戻ったらコンモリと灰皿が膨れ上がっているんでしょうけれど?

 普段はある程度我慢してくれているみたいで、こうして自分が事務所を抜け出してる間は欲求が解き放たれるらしく、換気扇のプロペラが煙の圧に負けて壊れるんじゃないかってぐらい、凄い勢いで吸い溜めをするのです。


 別に気にしなくていいって言ったんですけどね?


 まあ、今は変な所で気配りする微妙に優しいニコチン中毒者(ジャンキー)の話題は一先ず置いときましょうか。

 前に立つ呆れた顔のマスターに、自分が如何なる理由で珈琲(苦味)とプリン(甘味)をそれぞれ別に頼むのか、科学的根拠を持ってキチンと説明しなければなりませんからね。


「抑制効果というのはですね、異なる2つ以上の味覚が混ざった時に、一方がもう一方の味を抑えて感じさせる現象のことを言うのです。料理における味の相互作用の一つとして知られていて、それぞれの味を引き立てて飽きずに楽しむ為の素晴らしい食べ方あるいは飲み方を指すのですが、これを世間一般では味覚のコントラスト等とも囁かれていますね」

「味覚のコントラストじゃと? また難しい言葉を…何処の世間一般じゃまったく……」

「味の対比効果という意味ですよマスター?」

「減らず口め…一緒に住んどる春信が少し気の毒になるわい…こうも煩く毎日囁かれたのでは、たまったもんじゃなかろうて」

「あ、それってー……」

「おっと、今日はハ(・)ラ(・)ス(・)メ(・)ン(・)ト(・)の話は無しじゃからな? それが出来ぬならとっとと帰ってくれ」

「……友人(しりあい)が来るので帰れません」

「なら、大人しく座っとれい」

「……はい」


 ついつい何時(いつ)ものように知識を垂れ流してしまった自分は、呆れたマスターに釘を刺されてしまいました。

 やはり古林さんのように、根気強く自分の話に耳を傾けてくれる人はなかなかいませんね。

 11時に待ち合わせしていた友人が来るまで少し暇なので、今の自分の現状を、同じように根気強い皆さんに聞いて頂く事にしましょうか…


「……味覚のコントラストかぁ、もしかしたら自分も甘味の中に紛れ込んだ苦味なのかも知れませんね…」

「なんじゃ、何か言ったか?」

「いいえ、何も…」


 後ろに向き直ったマスターは、コポコポと自分が頼んだ珈琲を丁寧に淹れてくれています。

 木造りの店内は、古めかしい内観も伴って随分と懐かしい匂いに包まれています。


 まるでファンタジー映画の一角に忍び込んだような感覚に襲われるのは、窓ガラスに映った少女が、有り得ないくらい美しく、工場で必死に働いていた自分と似ても似つかないからでしょう。


 ですが、時々思ってしまうのです。

 果たして自分は本当に工場で働いていたのかって…

 毎日、汗水垂らして歯を食い縛って、必死に現場を纏めようとしていたのは、もしかしたら自分が勝手に作り上げた想像上の人物だったんじゃないかって……


 固いマメさえも見当たらぬ綺麗な掌を見ながら、そんな馬鹿な事を考えてしまうのですよ……


 †††


 チッ、チッ、チッ、チッ……


 元々、知識を頭に入れるのは好きでした。

 どうしようもなく疲れていて、一生布団の中に潜り込んでいたい休日でも、車の鍵(キー)を持ってはボロい階段を降りて行き、乗り込んだ先で溜め息を吐きながら本屋へ向けて古い車のエンジンをかけていた記憶は残っています。


 脳を休めたいのに、何かを補充しておかないと不安ばかりが巡っていって、結局眠れぬまま夜までスマホを弄っている羽目になりますから、20代前半の頃にそんな悪癖に気付いた自分は、そんな己を変えようと自己改革に乗り出しました。


 もしかしたら好きというより、好きと思い込もうとしてたのかも知れません。


 初めに行った本屋で手に取ったのは、よくある自己啓発本で、皆さんもよく知っているアドラー心理学を対話形式で分かりやすく解説したものでした。

 人間関係の悩みを軽くすると言われるベストセラーなその本ですが、ひねくれ者な自分の人生観を変えてくれるまでには至りませんでした。


 だって、人ってどうしても好かれたいじゃないですか?

 人に嫌われるのは、どう足掻いたって嫌じゃないですか?

 稀に「私は私の道を生きるから他人に何言われようと気にしない」という人がいますけど、でもそれってやっぱり自分に言い聞かせてるだけで、心の奥底では本当は嫌われたくないんですよね…


 だからどうしたかって言うと、とにかく悩みが薄れる程、膨大な知識を頭に詰め込むというのが自分の出した結論です。


 今日あった嫌な出来事を振り返る前に、明日の事を悩む前に、知識で埋め尽くして、論理的なAnswerを探す旅を脳内で続ける。

 一種のスナ○キンのような旅人気分で、文字の道を歩いていれば、森の哲学者である彼のように『あんまり大袈裟に考えすぎない様にしろよ。何でも大きくしすぎちゃ駄目だぜ』みたいな思考で知識の海の中でグッスリと安眠出来るのです。


 悩みが多い日ほど手に取る本の数は比例して増えます。

 悩んでも仕方ない事を考えそうになっている時ほど、本屋に足を運ぶ回数は比例して増えていきます。

 机の上に積み重なる本を数えるだけで、その時の自分がいかに悩んでいるか分かってしまうから、メンタライジングなんて能力は自分には意味を成さないモノかも知れませんね。


 まあ、何を言いたいかといいますと、今の自分はとっても難しい悩みを抱えているって事です。

 見た目が幼くなったからか、思考や行動、更には言動まで比例して幼くなってきたのかなと、最近では別の悩みまで増える始末です。


 古林さんに『お前最近、金遣い荒くないか?』と、やんわりと注意をされたのですが、その金遣いを荒くさせてる大きな要因に言われても、ちっとも響きません。


 ……どうしてか、彼と目が合うと逸らしてしまう自分がいます。

 論理的に考えて、価値観や将来の事を合理的に分析して、問題解決を意識的に導き出そうとするのですが、何故か無意識的に彼の背中を目で追ってしまうのです…


 本当にあのタクシーを運転していた人の言う通り、気付かぬ内に自分はー……


 ───カラン、カランカランカラン…


「あーごめんカスミン待ったあ? ちょっと次の歌(・)み(・)た(・)の動画編集をしてたら遅くなっちゃって…で何? 急に呼び出して、相談したい事があるって聞いたんだけど」

「おお…佳澄くんには珍しい友人とは君の事じゃったか」

「あらマスター、一度しか来てないのに覚えててくれたんですね? 私にもカスミンと同じ物をお願いします」

「……そんな目立つ格好の御仁、忘れようがないわい。なんじゃ君も味覚のコントラストとかいうのにハマっている口か?」

「なにそれ? またカスミン変な事を教えたでしょう?」


 ……どうやら待ち人がいらっしゃったようなので、続きは皆さんではなくて、今日来ていただいた友人に、自分が元男性で工場勤務の職場リーダーだったという点は伏せて、今の気持ちがどういうものか、相談に乗って貰う事に致しましょう。


「おはようございます霧深夜さん。今日も随分と目立つゴスロリ衣装ですね」

「平日昼前に制服姿でカフェにいるカスミンよりは目立つ自信がないから安心して」


 ……まあ、おおよそ彼女の口から述べられる答えと、机の上に積み重なる本が増える未来は想像出来るのですけどね。

 きっとまた…スナフ○ンに叱られる未来だけは確定しているのです。

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