第23話「ザンハラですね③」
「会社側は、ハラスメントの事実が発覚した場合、速やかな事実確認、被害者の保護と就業環境の改善、及び加害者への適切な処分を行う必要がある」
「ふむふむ」
「勤怠データやPCログなども確認して客観的な実態を把握し、更には事実確認の結果に基づき、就業規則に従って加害者に注意や研修、または懲戒処分を検討する必要まである」
「まあ、悪は罰せられるべきですからね……モグモグ」
「……労働時間の適正管理の見直しや、管理職向けのマネジメント研修や相談窓口の周知までも行う必要がある」
「当然ですね、それが社会の仕組みというモノですから……モグモグモグモグ」
「チッ…そんでその初期対応を誤ると安全配慮義務違反として、更なる損害賠償に発展する恐れさえあるんだ」
「モグモグモグ…ゴクン。これまで純粋な若き労働者の情に訴え、不当な扱いをしていた会社への当然の報いです。法律という最大の正義の武器を使って、雁字搦めにして海の底に沈めてやりましょう。亀に乗せられていく相良さんを眺めながら、竜宮城の手前で好きなだけオフセット印刷機を空回し出来るよう手配してやりましょう!」
───ズビシッ
「あいたっ!?」
「菓子食いながら人の話聞くんじゃねえ! 自分の仕事は終わったからって、悠長に構えてんじゃねえ! 平安時代後期の上皇かテメエは!」
「人を黒幕みたいに言わないで下さいよ、酷い言いがかりですよソレは!」
あれから三日後の午後の事である。
高天原が作ってくれた昼飯を二人で食べ、少し落ち着いた午後の事である。
「だって折角、相良さんが持ってきてくれた御菓子が勿体ないじゃないですか!?」
人が真剣にこれからの事について悩んでいる時に、相変わらずソファーの隅にいる高天原は、昨日委任状作りに現れた相良竜也が持ってきて置いてった差し入れを、美味そうに頬張りながら相槌をしていて、その態度に腹が立った俺は思わずデコピンをしてしまった。
「昼飯食ったばかりだっていうのに、一人でモグモグと5袋も喰いやがって、昨日から合わせて既に一人で半分以上だ。俺はまだ一つも喰ってねえのに、その棒切れみてえな身体にそんなに栄養は要らねえだろうが!」
「あ、それセクハラですからね? 女性の体型をいじる発言は、満場一致でセクハラとみなされるから気を付けるように」
「これがセクハラだって言うなら、俺は何を言えばいいんだよ?」
事務所に入って奥側にある普段俺が寝床にしているソファーの横には、古びた業務用デスクが窓際に一つあって、その上には殆ど使用していない時代遅れのノートPCが寂しそうに置かれてあった。
委任状作成を頼んだ高天原は、ブツブツ言いながらもそのPCを使用しアッサリと完成させてしまって、本当に会社に退職届を出した相良竜也を次の日に呼び出し、署名と捺印をさせ意気揚々と俺の所へと持ってきたのだ。
「……ったく、ふざけんなよ」
「古林さんは、見た目によらず少食ですもんね」
「それはセクハラに該当しねえのか?」
「自分は〝背が大きくて羨ましいなあ〟って言っただけです」
「……減らず口が」
今は弁護士が代理人になった事を受任通知によって知らせ、以降の会社から本人への直接連絡を断ち、相手のレスポンスを待っている状態だった。
勿論そこにはタイムカードや業務メール、日記、医師の診断書などの証拠をもとに、ハラスメントの事実関係と労働時間を裏付けた請求額の算定も記されていて、おおよそ相良竜也に説明した通りの金額になったし、今回のケースはわりかしスムーズに進みそうな予感がする。
……まあそれも、会社側が協議の最中に変にごねなければの話であるが…
「それはともかくどうでしょう? 上手く行きそうでしょうか?」
「本人は精神的には病んでないものの証拠が揃い過ぎてるからな、よっぽどの馬鹿が社長じゃない限り合意に至るさ」
相手側からのレスポンスがあった後、書面や話し合いで条件を協議し交渉を行い、譲歩案や解決金を調整するのが一般的な流れだ。
合意に至った場合は、支払い金額や今後の非難禁止・秘密保持などを定めた示談書を正式に交わして今回の件はオールクリアとなる。
「俺はこれから示談書まで作らなきゃいけねえんだ。…ったく、面倒臭えからさっさと連絡寄越して合意しやがれっての」
「まあまあ焦らず、美味しい御菓子でも頂いて……」
「───ッテメエ、あと一袋しかねえじゃねえか!?」
「おや? いつの間に? ……ムグムグムグムグ」
「チッ、もういい。好きなだけ勝手に喰い漁りやがれ」
「いいんでふか? ありがとうございまふ」
口いっぱいに腹ペコのリスみてえに御菓子を詰め込んだ高天原は、そう言ってから自分で用意した苦い緑茶を美味そうにゴクゴクと飲み干していた。
「───プハァッ。ですが示談書は、その合意の前に作成しておかないといけないんでしたよね?」
「……ああ、示談書が作成されれば、相手方が示談金を支払わない場合でも、示談書の成立を理由に後日賠償金を請求することが出来るからな。仮にこれが裁判に移行した場合でも、重要な証拠となり得るから、早めに作って無くさずにしっかりと保管しておかなきゃならねえんだ。口約束で済む前にな」
「そうでしたそうでした。なら焦る必要は無いじゃないですか?」
「……まあ、そうだけどよ」
相変わらず博識な高天原は、俺の逸る気持ちに水を差してきて、ご満悦そうに再び次の袋に目を向けた。
「合意する相手方は社長なんですよね?」
「……一応な。ただ実際は会社の上司や人事部の担当者を窓口にして社長と交渉をする事が多い。示談が成立した場合は、社長が押印をする必要はあるがな…」
「それ相応のポジションにいるのですから、然るべき責任は取って貰わないといけませんね。……よし、最後の一個もーらい」
「……そういう事だ。逃げ回ってりゃ事件は解決するなんて馬鹿な考えは、今の世の中じゃどんな犯罪にも適用されねえよ。四六時中、衆人環視がネットで拡散し続けている腐った世の中なんだからな…」
「腐った世の中ですか…? それはつまり?」
「…………」
例えば夜、酒を飲んだ帰り道に、酔っぱらって気が大きくなって歩きタバコをした後、何も考えずポイ捨てしたとして、次の日のニュースで自分がそのポイ捨てした辺りから火事が起きた事を知った時、黙っていれば逃げおおせると勘違いしているだろうが、それはハッキリ言って無理である。
壮大に広がるSNSの中には自分のやってきた事を棚に上げて、正義か何かだと勘違いして他人を叩く事を楽しみにしてる奴が山ほどいるからだ。
そんな奴等がゴロゴロと、宇宙より広いネットの海には散らばっている。
匂いを嗅ぎ付けて集まる奴等は、まるでアマゾン奥地に住むピラニアみてえだ。
勿論、悪事を働いた奴が全面的に悪い訳で、だけどその中にはたまたま偶然が転がっていたりする事に奴等は気付かない。
目の前に転がる餌の背景なんて気にしない、その瞬間だけを切り取って善か悪かを判断する。
そんな「Yes」と「No」しかないマルバツ形式のアンケートの多い方をタップして、何も考えず美味いビールを飲んでグッスリ安眠しようとしてる奴等ばかりなんだから、同情してくれる誰かがきっと何処かにいる筈だと探すのは、無駄な時間と労力だと、最後は改心したユダにさえ鼻で笑われるに決まっているのさ……
「……さてね、とにかく俺はさっさと今回の胸糞悪い依頼から手を引きたいよ」
「自分は不謹慎にもスッキリしていますが」
「……それは、テメエの経験からか?」
「それこそ〝……さてね〟です」
───等と話していた次の日に、案の定社長ではなく人事部長である「是枝孝志58歳」から連絡が届いた。
†††
────トゥルルルルルルル、ガチャンッ
「……はいもしもし、古林春信法律事務所の古林ですが」
『あ、ああ…ええとすみません。私木村印刷所で人事部長を務めている是枝と申します』
時刻はまだ9時にもなってない頃、珍しく早起きをし、朝食を済ませてのんびりタバコを吹かしていた俺の元に、聞き慣れない固定電話の着信音が業務用デスクの上から届いてきた。
「ああ、先日受任通知を送った会社の部長さんですね。どうです? 記されていた金額で示談の方を進めても宜しいでしょうか?」
『え、ええと…それがですね…』
らしくない口調で受け答えをする俺を、後片付け途中のエプロンをした高天原が、お盆で顔を半分ほど隠しながら様子を窺うように覗いている。
『……し、社長はそのような事実は無根であると、彼が無断で勝手に残業をしていただけだから、こちら側には何の責任もないと仰っています』
「あれほど証拠を並べて書いたのにか?」
勿論、スピーカーはオンになっていて会話は全て録音済みである。
「……古林さん」
俺の口調が変わった事に、近くで見ていた高天原がいち早く反応する。
『す、全てデタラメだと…彼の上司が放った発言も冗談の範囲内だったし、彼に送り付けたLIMEの内容は桑田リーダーにとっては挨拶みたいなものだと…大人しい彼にヤル気を出して欲しい意味合いを込めて送ったものだと仰っていました……』
「本人の気にしすぎで片付ける気か?」
『こちらから強要した事は一度もないと、社長、リーダー含めて仰っておられます…』
「───ふざっ…」
「貸して下さい古林さん!!」
パシッ、ガランガラン、ガランガラン……
────と、そこまで言いかけた所で、俺の口は止まった。
意図的にではなく不意討ち的に、感情的になるのを抑えようとする間もなく突発的に、お盆を捨てた高天原に、奇襲で受話器を奪われてしまった。
「────正当な理由がないのに定時間際に大量の仕事を押しつける。サービス残業を暗黙の了解として強制させる。残業代を申請させない雰囲気を作り出す。これらを総称して〝残業ハラスメント〟と呼ぶのですが部長さんは御存知でしょうか?」
『残業ハラスメント? …い、いえ申し訳ありません。…というか貴女はいったい?』
「誰だっていいじゃないですか! 現場の人員不足や業務プロセスの見直しが追いついていない事実に目を瞑り、働く従業員の良心を利用する最低な会社の部長さんに、名乗る名前など持ち合わせておりません!」
「高天原……」
俺は初めてコイツのこんな顔を見た。
こんな、鬼気迫るような表情で他人を叱責する姿は初めて見た。
だけど僅かながらに手は震えていて、必死に両手で持って、送話口から怯えが伝わらないよう堪えている。
「従業員の心身の不調や離職率の上昇、サービス残業の常態化による労働基準法違反、これらのリスクが伴うのに、どうして未だにそんな昭和初期みたいな考え方でいられるんですか?」
『わ、私は…どちらかといえばその考えには反対で……』
「学校で行われる苛めって知ってます? あれって、何も苛めてる人だけが全面的に悪い訳じゃないんですよね。アナタのように、知っていながらも見て見ぬふりする自分を善人だと思ってる人も立派な加害者だと思うんですよ!」
『…………』
その高天原の一言で、通話でも切れたかのように、すっかり相手は静かになっちまった。
「勿論、直接手を下した人は地獄に落ちるべきです。言い逃れの出来ない罪を犯しながら明日も笑って過ごそうなんて、めちゃくちゃ甘い考えです。被害者が受けた痛みの数百倍も本来なら受けなくてはならない立場です。大きな声では言えませんが自分は極刑でも良いんじゃないかと思っています」
「おい、高天原…」
「古林さんは黙っていて下さい。録音されてるのは知ってますから、ある程度言葉は選んでいます」
手を前に出して制止しようとした俺に、高天原はそう言って「止めるな」と、強く目で訴えてきた。
「……相良さんは言っていましたよ、部長は良い人だって。あの人がいるから僕は頑張ってこれたんだって、辛い経験ばかりで今思い出しても吐きそうになるけど、だけれど木村印刷所で、あの人に出会えた事は僕にとっての一生の財産だって…」
『……相良くんが、そんな事を…』
「きっとあのまま拾って貰えなかったら、僕は今頃生きてなかったと思うって言ってました。家に帰ってネットサーフィンするしか楽しみがない僕は、きっと波に飲まれて溺れ死んでいただろうって…だから苦しくても辛くても休む暇が殆ど無くても、夜9時まで頑張る僕と一緒に最後まで事務所で残ってくれていたあの人だけは、絶対に恨む事は出来ないって……駐車場で渡してくれた冷めきった缶コーヒーの味は一生忘れられないかなぁって…あれ以上美味しいコーヒーには一生出会えないと思うなぁって言ってました……」
『たった130円のコーヒーなのに……』
いつの間にそこまで話したのかは知らねえが、高天原はそんな俺でも知らなかった相良竜也の心情をツラツラと、少しだけ声を震わせながら相手先へと伝えていた。
「……どうか相良さんの純粋な気持ちを踏みにじらないで下さい。これ以上、加担者の道に進まないで下さい。引くなら今です。やり直すなら今です。善人ぶった悪人に染まらないで下さい。自分は…過去の自分は、その道から逃れる前にフェードアウトせざるを得ない状況に陥ってしまいましたから……」
『………分かりました』
「お願いします」
『もう一度、社長含めリーダーと話し合ってみようと思います…』
「是非、貴方のこれからの人生のご検討も……」
『はい……』
ガチャンッ、ツー、ツー、ツー、ツー……
───と、そこまで話した所で相手側から通話が切られてしまった。
受話器を持った高天原は、言いたい事を全て言えたからか満足そうな笑みを浮かべていて、そっと受話器を戻した後に、暖かい日差しが差す空をやりきった感満載で眺めている。
───ズビシッ
「あいたっ!? 何するんですか何度も!?」
「何も悪いことはしてないみてえな顔すんな、何勝手に弁護士の俺を差し置いて話を進めてやがるバカタレが」
「─────あ」
額を手で抑える高天原は、ようやく自分がしてしまった事に気付き、いつも以上に目を大きくさせていたが、まあ今回は俺が直情的になる前に上手く話が収まったから、それ以上のデコピンは勘弁してやる事にした。
†††
───更にそれから数日経った後の話である。
「……古林先生、そして高天原さん。本当に、本当に今回は御世話になりました」
再び事務所を訪れた相良竜也は、以前より高そうなスーツを着て、ピシッと前髪を揃えていた。
勿論、手には以前より高級そうな手土産を持っていて、深々と俺達に向けて、ソファーに座る前に頭を下げてきたのだ。
「まあぶっちゃけ俺は何もしてねえよ…今回の示談交渉がスムーズに進んだのは、全部隣にいる高天原のお陰だから、頭を下げるなら一ヶ所だけにしとけ」
「じ、自分もそんなには………したかも?」
「ソコは謙遜しろよ、アホたれ!」
「────ブフッ」
結局あれから再び部長から電話が入り、会社側は非を認め、就業環境の改善、及び加害者であるリーダーへの適切な処分を行う姿勢である事を明かしてきた。
もしかしたらそのリーダーは懲戒免職になるかも知れないと言ってたが、そんなトカゲの尻尾切りみてえな事情はどうでも良いから、アンタも出来るだけ早くその泥舟から脱出しろよとアドバイスはしてみたけど、それからその人がどうなったかまでは俺は知らねえ。
「……実はこの後、部長と会う予定なんです。交渉も一段落した事だし、久しぶりに飯でもどうだって、なんかこれからの事について、経験豊富な僕からアドバイスを貰いたいって言ってました」
「……それって、部長さん会社を…?」
「さあ、そこまではまだ聞いてないです。何せ交渉が終わるまで直接連絡は禁止となっていましたから…連絡を貰ったのも今日の朝でしたし」
「……そうかよ」
────と、そこまで聞いた所で、俺はそれ以上深掘りする事を止めた。
隣に立つ高天原は、ウズウズと聞きたそうにしていたけど、それはこれからの彼の未来のプライバシーに関わる事だから、俺達が首を突っ込んでいい話題じゃねえ。
……ただ一つだけ言えるのは、たぶん彼と彼を救った部長の未来が、きっと今までより良い方向に転がって行くんじゃねえかなって事だけだ。
深海に沈んだ竜宮城で、未だに自分達は海神や竜王だと勘違いしてる馬鹿共達と違ってさ……




