第22話「ザンハラですね②」
───そんで、話は三日後の午前10時前の朝に戻るって訳だ。
「……中途採用で入社して、これまで凡そ一年間、クソミソにこき使われながらも我慢して勤めてたって言ったか」
「はい。小さな印刷会社ですけれど、以前勤めていた会社で誰からも相手にされず、精神を壊して辞めてから三年間ずっと引きこもりだった僕を『ヤル気があるならどんな過去を持った人間だろうとウチは差別しないよ』と言って、拾ってくれた部長に恩返ししようと、これまで必死に働いてきました」
「手取りは?」
「凡そ20万円です。コチラがその差引支給額が記された給与明細書となります」
「ふぅむ……」
「うわ、本当に出勤日数と出勤時間分の給料しか記されていないですね? ザンハラです、これは立派な残業ハラスメントですよ!!」
俺が手に持った給与明細書を、我を忘れて近付いて覗いてきたハラスメントヲタクは一先ず置いといて、証拠をかき集めてきた依頼人「相良竜也」と、改めて向き直り話を続ける。
「その部長ってのは、今回の残業未払いの件に関しては何もフォローしてくれなかったのか?」
「部長は…良くも悪くも社長の言いなりですから…例え知っていたとしても強く言えるような立場では無いですし、何時も僕の顔を見るたびに申し訳なさそうに頭を下げていってくれましたから、きっとそれがあの人の精一杯の人情だったのだと思います…」
「成る程な…それで情に負けてこれまで動けなかったと」
「ええ、部長のそんな顔を見る度に、あの人も人事関連で苦労しているんだなって思って…僕以外の社員は殆どが2~3ヶ月もすれば辞めていってしまいましたし、せめて今の部署の上司が異動になればって思って、我慢して働いてきたんですけど無理でした……」
何とも御人好しな依頼人は、そう言って首をガクリと下げて黙ってしまった。
隣の高天原は、そんな彼の話に共感しまくっていて、涙を滲ませ手を震わせながらも、しっかりと調書だけは取っていてくれていた。
「ザックリとした計算だが、月給20万円で残業月80時間の仕事を続けた場合、1年分の請求は約118万円 〜 152万円となる。労働基準法第32条では、法定労働時間を1日8時間・週40時間と定められていて、同法37条でこれを超えて働いた場合、使用者に割増賃金の支払い義務がある事も定められている」
「……は、はあ」
気の抜けた返事をする相良竜也に、俺は尚も話を続ける。
「第三十二条、使用者は労働者に休憩時間を除き一週間について四十時間を超えた労働をさせてはならない。第三十七条、使用者が第三十三条又は前条第一項の規定により労働時間を延長し、又は休日に労働させた場合においては、その時間またはその日の労働については、通常の労働時間または、労働日の賃金の計算額の2割5分以上5割以下の範囲内で、それぞれ政令で定める率以上の率で計算した割増賃金を支払わなければならない」
「えっと、つまり……」
「お前が示談交渉をして得られる金額は、そこにハラスメントに対する慰謝料を足して、俺への着手金と成功報酬を除いた約150万円相当となる見込みだ」
「そ、そんなに…?」
「ああ。そしてハラスメントの示談交渉にかかる期間は、一般的に2週間〜3ヶ月程度が目安だが、スピード解決を目指す場合は、相手の対応次第で最短数日〜2週間以内でまとまるケースもある」
「ぜ、是非お願いしまー……」
「だが、それで本当に良いのか?って話だ」
先程まで俯いていた相良竜也であるが、金額と必要日数を説明した途端、目をキラキラとさせて食い気味に俺に懇願してきた。
────しかし、俺はそんな青年にそれで良いのかと、手の平を前に出して待ったをかけた。
───カチン、シュボッ
「その交渉が成立したとして、お前はそれからどうするつもりだ?」
吸ったタバコを白煙に変えて、汚ねえ天井を見上げながら問う。
「……どうって、今まで通り普通に会社に…」
「示談交渉を持ち掛けてる間、平気な顔して出勤するのか? 何も知りませんって顔して普通に仕事をこなせるのか?」
「──────あ」
「これまで我慢したのは大したもんだが、それでも会社を辞めるなり、次の所を見つけるなりしてから行動した方が確実に己の為だったんじゃねえのか? 過去に何があったか深掘りする気はねえし、新しく職を探すのも大変なのは分かる。そして、その部長とやらを信頼しているから辞めづらいってのも分かる。しかし今のお前がしようとしてる事は、その部長をも苦しめる結果になるんだぞ…それでも良いのか?」
「是枝部長の事も…? いやそうか最終決定権は社長にあるとはいえ、僕を雇うよう推薦してくれた人事部の部長である彼にも迷惑が掛かってしまう可能性があるのか……」
おいそれと、ハイそうですかと、金に目が眩んで簡単に返事をする弁護士に俺はなりたくねえ。
依頼人の背景を考えて、それをしたらソイツの未来がどうなるかを考えて、より良い答えを導き出してやるのが本当の弁護士だと俺は思う。
「確かに世の中金だけどよ、金さえ貰えれば幸せになれるって訳じゃねえんだ…ソコんとこよーく考えてから結論を出せ。俺がお前の依頼を受けるのは今言った二つの例の内、どちらかを選択した時だけだ」
「……分かりました。後日、結論を出してからもう一度伺う事にします」
「出来るなら、ココには来ねえで、怨みなんか忘れて別な会社で花開いている事を願うよ」
……等と、『先の事を考えた上で行動せよ』と説明した今回の依頼人であるが、これまでの人物ならココで引き下がってくれたのであるが…
───ゴホンッ
ここで小さく咳払いをするハラスメントヲタクの邪魔が入った。
「あのですね、自分はそれでも会社を訴えるべきだと思いますよ? ココで先生に依頼を受理して貰って、気持ちが冷めぬ内に会社に退職届を出しに向かうのです。ハラスメントというモノは受けた側にしかその辛さが分かりません。不当な労働には正当な対価を。古林先生は汗水流して血便や血尿まで出しながら働く辛さを知らないから、そんな非道な事が言えるのです。さあ、今すぐ御決断を。もう一度眠る暇が無い日々に戻りたいのですか? 会社というのは麻薬と一緒ですよ? 行けば必ず貴方みたいな優しい人は決心を揺らがせるに決まってます…ですからさあ今すぐ御決断を!!」
……最後に、人差し指を立てながら余計な事を言ってくれた高天原のせいで、顔を曇らせていた依頼人は、またしてもパァッと明るい顔になりやがった。
迷いが晴れたみてえに、憑き物が落ちたみてえに、きっと自分にはもっと輝ける職場がある筈だと、目を合わせた俺の向こうにハローワークを浮かべながら、アッサリと決断を下しやがったのだ。
「辞めます。訴えます。僕がこれまで働いてきた不当な960時間には正当な対価が支払われる義務がある。先生、悪しき木村印刷所に正義の鉄槌を宜しくお願いします!」
ガバリと頭を下げた新入社員みてえな新品に近いスーツを着た依頼人は、その背中がもう全てを吹っ切れた事を物語っていて、これが終わったら速攻で会社に向かう気満々で、それを見ながら「よしよし」と頷く高天原に対し、腹が立った俺はタバコを咥えたまま強めのデコピンを咬ましてやった。
───ズビシッ
「痛い、何するんですか!?」
「〝何するんですか〟はコッチの台詞だ阿呆。言い出しっぺはお前なんだから、委任状の作成はお前がやれよ? そんぐれえの知識は持ってんだろハラスメント法律マニア!」
……委任状とは、本来は本人が行うべき手続きや契約などの行為を、俺達弁護士に代わりにやってもらう権限を与える事を証明する為の書類だ。
それを持って俺達弁護士は、内容証明郵便による通知書の送付や、業務内容連絡窓口として相手方からの連絡や直接交渉を全て引き受けたりと、依頼者が直接やり取りする精神的負担を減らしつつ、解決時の示談書の作成を行ったりしなくちゃいけねえ。
更には法的根拠や判例に基づき、正当な慰謝料額や損害賠償額などの条件の計算までしなくちゃいけねえし、そんで決裂した最悪の場合は法的手続きへの移行判断まで問われる事になる。
「うえぇ…作ったこと無いですよぅ…」
「用意されたフォーマットに沿って、文面を作成するだけだから簡単だ阿呆ぅ。依頼人にはその内容を確認して貰って、記名と押印のお願いをするだけだから何も難しい事はねえ。最終チェックは俺がするから安心してやれやボケナス」
「随分酷い言い草ですが、成る程…確かにそれなら出来そうですね」
───まったく何でこんな事になっちまったんだか…
隣で顎に指を添えて悩む高天原が来てから金の巡りは確かに良くなったんだが、どうにも忙しくて仕方ねえなと、吐いた煙で輪っかを作りながら、俺は明日からの事に向けて頭を悩ませていた。
……To Be Continued。




