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第21話「ザンハラですね①」

「……本当に引く気はねえのか?」

「はい、証拠もバッチリ集めてきました! 是非『示談交渉』の方を宜しくお願いします!」


 ……ああ、面倒臭え事になりやがった。


 いつも通りの接客用テーブルの前で高天原と並んで座る俺に、そんな面倒臭え話を持ってきたのは、つい三日程前に「どうしても許せねえって言うなら被害者側からの示談交渉っていう手もあるぞ」と、アドバイスした若者だった。

 年の頃は20代半ばで、茶髪の坊っちゃん臭え髪型をした青年は、俺が「裁判に持ち込むよりは楽だが、それでも費用と精神的なエネルギーを非常に使うけどな…」と説明してもなお引き下がらなかった。


 ……そんな示談交渉っていうのは、裁判の一歩手前の、会社や加害者に対してハラスメント行為の中止や謝罪、損害賠償を求める交渉を行う事を指していて、裁判費用が掛からず早期の解決が可能な、わりかしリーズナブルな訴え方だ。


「どうしても会社が憎くて、今の状態を何とかしたいのなら裁判よりも示談がお勧めだって、先生が仰ってたじゃないですか?」

「……確かに言ってたけどよ」


 確かに、半年~1年程かかる裁判に比べて、示談交渉は数週間から1〜2ヶ月程度で解決する事が多く、受け取る賠償額の最大化や白黒をはっきりさせたい場合を除く時以外、訴訟を起こすよりも遥かに楽で短くはある。

 ───しかし、「言った・言わない」の下らねえ争いや、法的に意味のある形に整理する作業が必要だったりと、相手が非協力的な場合は交渉を前に進めるのは訴訟するのと同じくらい面倒臭えし、冷静に話し合う姿勢が必要なこの方法は、直ぐに感情的になっちまう俺には絶対不向きだと思って、ずっと敬遠してきた。


「───示談交渉ですって古林さん。お金、お金になる依頼がやっと舞い込んで来ましたよ!」

「依頼人を金の発生源として見るんじゃねえ、アホたれ」


 ───と、真剣な眼差しの依頼人の前で、最近本を買い揃えすぎてるせいか、金欠で馬鹿みてえに騒ぐ高天原には、後で強めのデコピンをお見舞いする事にしよう。

 それでも目が「¥」になっているコイツの言う事には一理あって、相談料の他に結果関係なしの着手金と、示談成立の成果に応じて得られる成功報酬、更には一回につき数万円の弁護士が移動する際にかかる費用が、この代理交渉を受ければ、ほぼす(・)っ(・)か(・)ら(・)か(・)ん(・)の俺の財布にも綺麗な札束が舞い込む仕組みになっている。


 ざっと計算しただけでも着手金と成功報酬だけで、凡そ30万〜50万円程度の金額が得られる魅力的な提案なのだ。


「……そら美味しいだろうよ、並みの弁護士ならな? だけどなあ…」

「何を渋ってるんですか情けない! あいたっ!?」

「やる方は大変なんだよ、ボケナス」


 思わず人差し指で軽くデコをつついてしまった高天原は、額を押さえて眼にうっすらと涙を溜めている。

 コイツの言いたい事も分かるが、だけど俺はどうしたって冷静に客観的に理路整然とした態度で相手と話し合う事は出来ねえから、だからあんまり、この手の依頼を受けるに相応しい弁護士では無いんだが……


「……あの、駄目でしょうか? 先生に言われた通りタイムカードのコピー、残(・)業(・)を(・)強(・)要(・)されている発言の録音、更には『怠け者』や『普通の仕事が出来ないんだから残業ぐらいしてけよ』と送られたLIME画面のキャプチャ等、労働条件を確認する雇用契約書に、残業代の有無を確認するための給与明細も持ってきたのですが…」

「おおぉ…凄いですね、そんなに証拠を揃えられて…」

「いつか寝首を搔いてやろうと、前々から色々と準備していましたから」

「なるほど! これで正式に憎き〝残業ハラスメント〟に鉄槌を下す事が出来るのですね!!」


 ……どうやら、その逃げ場は今回ばかりは全て絶たれてしまったらしい。

 人差し指を掲げた高天原は嬉しそうに、目の前の青年に満面の笑みを向けている。


「ああ…マジかよ、クソッたれ……」


 ───そんな会社に一矢報いる気満々の「相良(さがら)竜也(りゅうや)26歳」は、面倒臭えからと俺が用意してみろと突き付けた証拠を全部揃えて、まるで「誠」の文字を背負った幕末の武士のような顔つきで、会社と相見える覚悟で再び事務所を訪れたのだった。


 †††


 ───一旦話は、そんな相良竜也に出会う前の、四日前の夜にまで遡る。


「古林さんは、残業ってどう思います?」


 時刻は午後9時、ソファーの上で上半身を大きく仰け反らせながら黒のパジャマ姿でテレビドラマを見ていた俺に、風呂上がりの高天原が長い黒髪をドライヤーで乾かしながらそんな事を尋ねてきた。


 もちろん、未だ縮まらずの距離を保った状態で、まるで女みてえにソファーの隅にペタンと座った高天原は、少し大きめの若草色のパジャマをゆったりと着こなして、法廷エンターテインメント系のドラマの中でサービス残業に苦しむ若者が、主人公である弁護士に相談に行った辺りで質問を投げ掛けてきたのだ。


「……法的権限の及ぶ範囲でなら、問題ないんじゃねえかな」

「法的権限の範囲? あるんですかそんなの?」

「何だ知らねえのか?」

「……恥ずかしながら、ザックリとしか」


 珍しく小首を傾げる知識マニアの高天原に、少しだけ鼻が高くなってしまったのが、恐らく過ちの始まりだった。


「法定内残業っていう言葉は知っているよな?」

「まあ、それぐらいは…会社の所定労働時間は超えているものの、法律上の上限である『1日8時間・週40時間』内に収まっている残業の事ですよね?」

「何だ知ってるんじゃねえか? 逆にこのドラマの中の依頼人みてえに『1日8時間・週40時間』の所定労働時間を超えて働いた残業の事を、法定外残業と呼ぶんだがそれは?」

「えっと…いわゆる時間外労働の事ですか?」

「……概ね正解。一般的には残業=時間外労働と結び付けられているが、正しくは法定外残業=時間外労働だ。そしてその法定外残業を行う者には法律で25%以上の割増賃金を支払うことが義務付けられていて、36(サブロク)協定でも会社が従業員に法定外の残業をさせるには、事前に労働組合や労働者の代表と書面で協定を結び、厚生労働省などの基準に沿って届け出る必要があるんだ」

「……独自の判断で勝手に残業をさせてはいけないと?」

「原則として残業時間は月45時間、年間360時間までと定められているからな…特別な事情があって特別条項を結ぶ場合でも、年720時間以内の上限を超えて働かせる事は絶対に出来ねえんだ」

「つまり? 古林さん的には法的権限の及ぶ範囲でなら、長い時間でも残業する事は問題ないと?」

「そこまでは言ってねえ。その法的権限の範囲内でもキチンとした届け出を以て正当な対価が支払われて、尚且つ従業員の健康が保たれてるって場合のみだ。このドラマの兄ちゃんみてえに毎日4時間、月80時間以上もタダ働きをさせられるなんてのは、同じ弁護士として俺もやっぱり許せねえな…」

「へええ……」


 ───なんて事を、テレビドラマを見ながら高天原と話していたのが全ての過ちの始まりだった。


 †††


 ───ピンポン、ピンポンピンポン、ピンポンッ


「開けて下さい弁護士さん! 俺このままじゃ会社に殺されてしまいます! 毎日4時間のタダ残業を押し付けてくる上司と、月80時間の残業を見て見ぬふりする会社に、俺は殺されてしまいます!!」


 ────ドンドン、ドンドンドンッ


「こ、古林さん。来ましたよ!? 昨日言ってた許(・)せ(・)ね(・)え(・)依(・)頼(・)が飛び込んで来ましたよ!?」

「マジかよ、クソッたれ……」


 傍迷惑な依頼人がテレビドラマと同じ台詞で、主人公に比べて勝率が90%も下回る弁護士に、同じように助けを求めてきたのは、今から三日前の俺が朝食を頂いている最中の出来事であった……

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