第20話「パーハラですね」
高天原の熱が下がって数日経った午前中の出来事である。
「おい高天原、準備出来たか? 行くぞ?」
「ええと、はいはいはい。先日自分の給料で購入した3000円の菓子折りも持ちましたし、身嗜みも問題ないと思うので、はい行きましょう」
今日はこれまで挨拶出来ていなかった一階の大家さんが経営しているカフェに向かう予定で、前々から11時には家を出る約束をしていたのに、準備に手間取ったコイツのせいで15分もオーバーしてしまった。
「どうでしょうか? 何処かおかしな所は無いでしょうか?」
「強いて言うなら様子だな。何時もと変わんねえ服装と髪型なのに、何でそんなに身支度に時間がかかるのか分かんねえ。化粧だってしてねえんだから、さっさと出掛けられるだろうに?」
「言い方けっこうキツくないですか?」
部屋から出てきた高天原は、やや大きめの服の袖を持ち、「むんっ」といった感じで身嗜みの出来栄えを俺に確認してきたのだが、その格好は手に持った黒い手提げ袋以外、普段と何一つ変わらなかった。
「あのですね古林さん。初対面の人に対して良い印象を持たれるのに最も大切な事は、全体から伝わる清潔感なのですよ? 昔から第一印象は約3秒で決まると言われていてですね、言語・聴覚・視覚の3つの情報の中から視覚情報が相手に伝わる比率の55%をも占めるらしいのです。従って細部まで身支度を整えることは面接を上手にこなす上で最も必要な事なのです」
別に会社の面接に行く訳でもねえのに、高天原は鼻息荒く、そう言いながら狭い廊下で俺に詰め寄ってきた。
相変わらず人差し指を立てていて、最近じゃ何をするにも一定の距離感を保っていた癖に、こと自分が熱中する話になると、我を忘れてこうして距離感をバグらせるから、こっちの方がタジタジになっちまう。
「それで、その3つの要素から相手に与える影響の割合を示したものを心理学で、メラビアンの法則というのですが御存知でしたでしょうか?」
「メラビアンだあ? 知る訳ねえだろそんなもん」
「おや知らないのですか? 弁護士先生の癖に? 1960年代に米国で活躍した心理学者アルバート・メラビアン教授により提唱されたこの法則を? 別名『7-38-55ルール』とも呼ばれ、Verbalの7%、Vocalの38%、そしてVisualの55%という、感情を伝達する際の各要素の重要性を表したこの有名な法則を御存知でない?」
ふふんっと鼻を鳴らした高天原は、最近では暇さえあれば本屋にコッソリと出掛けていて、何がそんなに楽しいのか、読んでる内にグッスリ安眠出来そうな、面倒臭え題名の学術書ばかりを部屋の机に積み上げていた。
「……それも最近培った知識か?」
「おお、よく分かりましたね? 特に強い承認欲求や劣等感、無価値感を埋め合わせようとする心理は無いのですが、興味を持って蓄えた知識を誰かに披露したいというのも、これまた人間の性でしょうか」
「……そうかよ、ったく…」
こんな面倒臭え話を毎回されるなら、今度から更にコイツの時給を減らそうかなと思ったが、御機嫌で鼻高々な高天原の笑顔を見ていたら言う気が失せた。
この間まで病人で、ベッドの上で魘されるばかりだったコイツの元気な笑顔を、わざわざ出掛ける前に曇らせても仕方ねえと思ったからだ。
「……ただこれだけは言わせてくれ。持ってく菓子折りをお前の給料で買うのは当たり前だからな? 野良猫みてえに勝手に住み着いたお前の経緯説明に大家さんの所に行く訳だし、光熱費やら何やら全部払ってるのは俺なんだから、仮に行った先でNOと言われようと、俺の不利益には一切ならねえし、寧ろ利益にしかならねえんだから、一緒に着いていってやるだけ有難いと思え」
「……まあそうですけど」
珍しく早口で捲し立てた俺に、高天原は指を下げて、ついでに後退りもして、扉に背中をくっ付けて項垂れた。
「ほんっと面倒臭え奴…良いから行くぞ。出来る限りのフォローはしてやるからよ」
「───は、はい」
最後に、救いの言葉を投げ掛けちまった俺も、客観的に見たら同じ穴の狢なんだろうなって思った。
†††
「───嘘を付け」
久しぶりに訪れた喫茶店内で会った、マスターシャツに蝶ネクタイと、黒のベストにサロンエプロンをした70歳近い爺さんは、以前と変わらずカッチリと揃えたシルバーヘアに、鼻下と顎にフサフサの髭を蓄えていて、菓子折りを出して説明を終えた俺達二人に向かって、カウンター内から珈琲を二つ出しながら静かにそう答えた。
「い、いや本当に親戚だっての」
「何から何まで違いすぎるわ、年寄りだからって誤魔化せると思うたか? のう春信、悪い事は言わん。今ならまだ間に合う。大人しく警察に出頭するんじゃ」
「あ、あのー……」
「お嬢ちゃんは黙っておれ、恐らくこやつに唆されとるんじゃろうが、悪い事は言わん。早くこんな目付きの悪い家賃滞納しか能の無いエセ弁護士の元から離れるんじゃ」
───何度説明してもこの通りだ。
血の繋がってない親戚だって世の中にはいるって事を話しても何一つ信じちゃくれねえ。
助け船を出そうとした高天原にさえ、オールを漕ぐ前に、ピシャリと静止の声を掛けやがる。
「お嬢ちゃんの元の家族はどうした?」
「父も母も亡くなりました」
まあ、これは本当である。
「そ、そうか…なら前に住んでいた場所は?」
「一月程前に、身元不明で不審者の容疑を掛けられて追い出されました」
因みにこの訳分からねえ話も、全て高天原の言う事が本当ならば嘘ではない。
「じ、じゃあ学校はー……」
───バンッ
「あのですね!」
「な、なんじゃ? どうしたんじゃ急に?」
するとそこで、あまりにも爺さんがしつこかったのか、普段温厚で大声など滅多に出さない高天原が、カウンター席のテーブルを思いきり叩いて大きく叫んだ。
……幸いにも他に客はいなく、気まずい空気が俺達三人の間のみに流れる。
「パーハラって言葉を御存知ですか? ロマンスグレーの大家さん?」
「パーハラ? なんじゃそりゃ?」
「……お前、ここでまでソレを持ち出すのか」
「何ですか、ソレって!?」
「知らねー、いいから続けろ」
今日ぐらいは「○○ハラ」という単語を聞かなくて済むかなと思っていた俺は、高天原の口から飛び出した「パーハラ」という言葉に、額を押さえながら下を向き、首を横に振って片手でシッシッと、いいから勝手に話せとハラスメントオタクを突き放した。
「……何ですかその態度。まあ良いです。古林さんとは帰ってから話し合います」
「今日はもう充電切れだから明日にしてくれ」
「───はあ?」
「ま、まあまあ嬢ちゃん、佳澄ちゃんとか言ったかの? 其奴は大概いつもそんなもんだから放っておいて、儂に何を伝えたかったんじゃ?」
なんか知らねえけど、爺さんに助けられちまった俺は、それ以上は何も言わず、下を向いたまま黙って高天原の話を聞く事にしたのだ……
「……仕方ないですね。パーハラ…正式名称『パーソナルハラスメント』とは、主に身体的特徴をからかったり、個人の性格や話し方、癖やしぐさを笑い者にしたりする事を指します」
「ふむ…」
「出身地や学歴、家族構成や交友関係をしつこく詮索したり、本人が嫌がるあだ名で執拗に呼んだり…あ、因みに自分を呼ぶ時は高天原と呼び捨てか、佳澄くんのどちらかでお願いしますね」
「わ、分かったわい…佳澄くん」
「ええ、ありがとうございます。それでですね、あとは個人の属性に結びつけて『これだから○○は…』と非難する事や、容姿や性格、個人の特性やプライベートに関する事柄を取り上げて否定、嘲笑、嫌がらせをする行為の事を指すのですが…」
「ですが…なんじゃ?」
「ですが自分は先程から何度も、古林さんと遠い親戚だからと仰っているのに、見た目が似てないからだとか、雰囲気がまるで違うからだとか、目付きが悪くて口調が悪くて、性格も態度もキツい古林さんを責めるような発言を繰り返す大家さんがしている事は、立派なこのパーハラじゃないかと自分は思うのですよ」
「おい、違えだろ! そこはお前のプライバシー詮索への反発じゃないんか!?」
黙って聞いているつもりが突然の飛び火で、思わず口を挟んじまった。
「……別に自分は探られても平気ですから、何処にも身寄りなんか無いですし、誰も心配してくれる人はいないですし、叩いて出る埃も…疾うに消え失せていますから……」
「嬢ちゃ…いや佳澄くん……」
───と、そこまで言った所で高天原は話すのを止め、ようやく出された珈琲に口を付けた。
勝手に人をダシに使って、上手く大家を丸め込んだ高天原は、砂糖も何も入っていないブラックな珈琲を、カウンター以外に二人掛けのテーブル席が二つしかない狭いアンティークな店内で、そうとう喉が渇いてたのか、美味そうにゴクゴクと飲み干したのだ。
「……すまんかったわい。儂はどうやら眼が曇っておったようじゃ…いや実は最近老眼が酷くなっての、御主ら二人がよく似ているという事に気付かんかったようじゃわい。…佳澄くん、いつまででもいい。気の済むまでココでゆっくりしていくと良い…」
「ありがとうございます大家さん。でも出来るなら早めに自分を取り戻して出て行きたいですね…最近少し誰かさんに振り回されてばっかりで見失いそうになっているので……」
「……なに見てんだよ」
「別に……」
「ほっほっ、こりゃあ中々大変じゃわい」
珈琲を飲み干した高天原が、最後に言った「誰かさん」ってのはよく分からなかったが、人を試すような目付きで見るコイツに「振り回されてんのは寧ろ俺の方だ!」と吠えようかと思ったけど止めた。
「ちっ、ホント面倒臭え…」
「おや、古林さん意外にも甘党なんですね?」
「うるせえよ」
だって、せっかく話が纏まりそうな所に、再び油を注げば更に面倒臭え事になりそうだったから…だから高笑いする爺さんの声にもグッと堪えて、角砂糖とミルクをドバドバ入れて溜飲と共に飲み干してやったのだ。




