第19話「ワクハラですね」
こほっ、こほっ、こほっ……
「……おい、大丈夫か?」
「ゔぅ…ずびまぜん。ぎょ、ぎょうのお昼はウーバーを…」
「分かったから大人しくしておけ、病院の先生が言うには只の風邪だって言うんだからよ」
「ばい……」
───バタン
あの人騒がせな喧しい相談者が帰ってから数日後の出来事である。
朝起きて、何時ものようにソファーの上からボンヤリと天井を眺めていると、一人でこの部屋に暮らしていた時みてえな妙な孤独感に包まれた。
何事かと思って原因を探ると、隣の接客用のテーブル前のソファーに、普段なら絶対に俺より先に起きて、推しのライブ配信の視聴やら読書やらをしている高天原の姿がなかったのだ。
芳しい料理の香りも、扉の奥の台所から隙間を通って漂って来ねえし、鼻腔を擽るのは昨夜の俺の吸ったタバコの残り香だけだった。
「……まったく、まあ確かに昨日けっこうクシャミしてたしな…痛た、てか首がいてえな」
今朝あった出来事を思い出しつつ、ブツブツ言いながら高天原に与えた部屋を出て廊下を歩く。
アイツを背負って階段を駆け下りた影響が今になって出てきて、首筋に何やら痛みを感じるから年は取りたくねえなって思う。
「具合悪いなら早く言えっての…」
───まだ寝てんのかな?と思って、不躾にアイツの部屋をソロリと開けて覗いてみたら、制服に着替えた状態で力無く、カーテンを閉めきったまま机の上に突っ伏してやがった。
声を掛けても「ゔぅ…」とか「あぁ…」とかゾンビみてえな返答するので精一杯だったし、流石に心配になって肩を揺すったらめちゃくちゃ熱くて、顔も真っ赤で驚いた。
「……案の定、38度超えの熱を出して今に至るって訳だ」
そんな高天原は今は新しく買ったアイツ専用の若草色のパジャマに身を包んでいて、吐く息を蒸気みてえにハカハカさせながら、何事かに魘されながらベッドで眠っている。
棒切れみてえに細く軽いアイツを背負って、階段を一階まで駆け下りた俺は、途中で驚いて顔を出した田中織音に呼んで貰ったタクシーに乗り込み、近くの診療所へ向かった。
向かった先は65歳近い婆さんが個人経営している小さな病院であるが、近所の評判も良く院内は清潔で安心出来る材料が揃っていて、平日朝にも関わらず他の患者さんも10名程いて、高天原を背負ったまま自動ドアを潜った俺を、全員が驚くように見ていた光景は今でも忘れられない。
普段、何か病気をした時は何時も一人でそこへ向かうから、顔馴染みの爺さん婆さん達をきっとビックリさせてしまったんだろうなっていうのが俺の見解だ。
症状を説明する時に、受付にいた若い看護婦さんに「妹さんですか?」等と聞かれたから、面倒臭えから「遠い親戚です」と、適当に嘘をついて誤魔化したけど、それが罷り通ったかは今でも不明である。
長い黒髪をサラサラ靡かせて荒い呼吸をする高天原は、俺とちっとも似てねえし、待合室で人に寄りかかる清純そうな女子高生が、癖っ毛で目付きの悪い俺と親戚であるとはきっと誰も信じちゃいないだろう。
まあ、血のつながりがない親戚などもいるにはいるが、配偶者の家族だとか、血のつながった親戚のこれまた配偶者だとかが法律上や慣習上の親戚に含まれるけど、一般的に考えて、そこまで想像する奴はいないだろうから、説明するのも面倒臭えし、病院ではそういう事にしておいた。
……思えば、これまでの依頼人にもそう説明しときゃ良かったなぁと思うけど後の祭りだ。
変に馬鹿正直に「訳あって」を通してきた俺達は、本当に阿呆だったなぁと思うのだ。
もう少し世渡りが上手な筈だったんだけどなぁと考えるが、過ぎ去っちまった過去はタイムリープ出来る電子レンジがある訳じゃねえから、どうしたって変えられない。
いや、過去に干渉することで因果律が変化して、現在いる世界線そのものが別の世界線へダイバージェンスする仕組みがなんちゃら…とか、ちょっと意味不明な事を言ってた気がするから、ここは未来の世界の猫型ロボットに望みを託す事にしよう。
「……なんてな、何をゴチャゴチャ俺は考えてんだか…妙に理屈っぽくて物事の本質を深く突き詰めて止まないアイツの思考が伝染っちまったのかな…」
俗にいう論理的思考の塊である高天原は、今頃「自分がどうして風邪などひいたのか」と、複雑な情報や課題を矛盾なく整理して、筋道を立てた結論を夢の中で模索しているに違いなかった。
†††
───その日の夜。
トン、トントントン……
「おい高天原、入るぞ? 飯とスポーツドリンクと冷えピタ持ってきたから、起きてたら返事してくれ」
「けっほけっほ、は…はぁ~い」
スマホのレシピを見つつ不器用ながらに作った白粥を、お盆の上にスポーツドリンクと冷えピタと共に乗せて持ってきた俺は、未だ咳をする高天原の部屋を訪れた。
時刻は午後七時で、最近なら口煩い高天原のお陰もあって、とっくに風呂に入り終わってテレビを見て寛いでる時間だった。
───ガチャリ
「おう、相変わらず辛そうだな? 咳はまだ出てるみてえだけど熱は? 少しは下がったのか?」
「……37.8度です。少しだけ下がりましたけど、相変わらず顔が熱いです…」
殺風景な部屋にある窓際のベッドから身体を起こした高天原は、相変わらずダルそうに口に咥えた体温計を見ながら語った。
もちろん俺が使ったやつでは無い、今日病院から帰ってきて直ぐに買いに行ったやつだから、妙な想像はご遠慮願う。
「……まあ、特に明日学校があるとか仕事があるとか、重大な用事がある訳じゃねえんだから、何も心配せずに安静にしてろ」
「……病人に向かって、これ以上具合が悪くなるような事を言わないで下さい。自分だって考えてましたから…『明日会社に休みの連絡をしなくていいのか…』的なズルい思考。そして自己嫌悪に襲われる減点法思考に苦しんでいましたから…」
「んな事ばっか考えてるから熱下がんねえんだぞ?」
「……後は古林さんに迷惑かけてしまったなぁと、そんな事ばかり考えていました」
「それなら気にすんな、来た時からずうっと迷惑かけっ放しだから」
「───げぇっほげっほ! うぅ…酷いですよ古林さん」
生真面目な高天原は、本当に申し訳なさそうにしていて、別に今さら気にする事なんかねえのに、今さらコイツの事をどうにか思う筈がねえのに、早く出ていけとか、さっさと元の姿に戻れだとか、スカート姿で生足ちらつかせながら俺の周りウロチョロすんなだとか、風呂上がりにバスタオル一枚で彷徨くんじゃねえとか、下着を干す時は頼むから俺に見えないように干してくれだとか、そんな事今さらちっとも思う筈がねえのに謝ってきた。
「まあ、変な流行り病とかじゃなかったんだから、2~3日安静にしてりゃ熱は下がるだろ」
「うぅ…そうですかねぇ……」
「因みにワクチンとかは打ったりしたのか?」
「……びーびーびーびー。はい、古林さん。只今ハラスメント注意報が発令致しました」
机の椅子を引っ張り出してベッドの脇に置いて座った俺に、お盆を受け取って布団の上の太もも辺りに乗せた高天原は、飯を喰って薬を飲むより先に大好きなハラスメントを見付けて意気揚々と指を立てた。
「……何処がハラスメントなんだよ?」
「自分がワクチン接種済みかそうでないか、古林さんは今そこを気にしましたよね?」
「……普通だろうが、今の世の中じゃインフルエンザ以外にも脅威とされているコ○ナのワクチンを受けたのか聞くのは当たり前じゃねえのか? 一緒に住んでるなら尚更な?」
「そ、それをワクハラと呼ぶのです。けっほ、けぇっほ…」
「無理して喋んな馬鹿、質問に答える元気がねえなら明日でいい」
「い、いえ……けふん…」
人差し指を掲げたまま、上手く口元に拳を持っていき咳をした高天原は、熱に負けじと汗を滴らせつつも語り出した。
「ワクハラ…正式名称〝ワクチンハラスメント〟は、少し前に脅威を放ち、今でもその禍根を残す新型コ○ナのワクチン接種を職場や学校などで強要したり、未接種であることを理由に差別や嫌がらせをしたりする行為のことです」
「……まあ確かに責めるのはよくねえな、日本におけるワクチン接種はあくまで個人の自由であり、法律上の努力義務にとどまり強制されるものではねえんだから」
「ええ、その通りです。今回は理解が早くてとても助かります」
「馬鹿にしてんのか?」
「……滅相もない。けっほ、けっほ、けっほ」
わざとらしい咳をしながら高天原は、悪びれる様子もなく、ピンと伸ばした人差し指を下げようともせず話し続ける。
「主な具体例は次の通りです。ワクチンを打たない者に対して会社側が『打たないと仕事から外す』や『退職してもらう』等と圧力をかけたり、周囲の同調を以て『お前だけなぜ打たないのか』と執拗に追い詰める等……」
「……ひでぇな」
「更には精神的な攻撃や晒し、未接種者の名前やリストを職場に貼り出したり、周囲に言いふらしたり…隔離や無視なども挙げられますね」
「実際あんのかよ、そんな事…」
「あります。被害者が大きく騒がないだけで、それで精神を壊して辞めていった者を、自分も何人か知っています」
「マジかよ……」
「ええ。厚生労働省の方針と法的注意点接種はあくまで任意です。予防接種法上の接種は強制ではなく、あくまで個人の自由意思に基づくものです。国や企業が強制することはできませんし、体質や持病、その他の理由でワクチンを打たない選択をした労働者に対して、解雇や退職勧奨、減給などを行うことは原則として違法となります。企業は従業員の就業環境を守る義務があるのですから、追い詰めるのではなく反対に、職場でのハラスメント防止の措置を講じる必要が求められるのです」
「な、成る程な……」
「もちろん、学校でもですけどね…ゼエ、ゼエ……」
病人の癖に長々と喋り尽くした高天原は、それから「ゼーハーゼーハー」と荒い呼吸を繰り返した後に、俺が持ってきたスポーツドリンクをガブ飲みした。
一口で半分ほど飲みきった高天原は、やり切った感満載で額の汗を拭っていて、やっぱりコイツに効く薬はどんな万能薬よりもハラスメントを語らせる事なんだなってのが分かった。
……ピピピ、ピピピピピ
「───はむっ? 37.5℃ですって古林さん。先程より一気に0.3℃も下がりましたよ」
少し体調が良くなかったのか、確認の意味で再び口に咥えた体温計を見れば、かなり低下していて、あと少しで平熱の域に達する勢いだった。
「……呆れて物も言えねえよ」
「何でですか? そこは良かったねじゃないんですか?」
「ちっ、あー…それとな、今日ふと思ったんだけどよ、今度から外部の奴に説明する時は『遠い親戚』って事にしといた方が無難じゃねえか?」
「─────あ」
未だ説明出来てねえ一階に住む大家にも、今度その理由を以て挨拶に行かねえとなぁって、今日背中で辛そうにしてた高天原を見て酷く驚いていたロマンスグレーな爺さんの顔を思い出して、そんな提案を風邪さえも吹き飛ばすハラスメントヲタクにしてみた。




