第18話「ハラハラですね②」
───ガチャリ
「……や、やっと開けやがったな弁護士さん。クソッ…もう我慢ならねえ、あのムカつくハゲ頭…訴えて賠償金請求して会社から追んだして、二度と日の光が当たらねえ場所まで追い詰めて、俺が味わった100倍以上の苦しみを奴に味わわせてやる…!」
やって来た依頼人は、175cmはある俺と変わらない位の背丈で、だけど骨格はガッシリとしていて、灰色のスーツがはち切れそうな程、筋肉を盛り上がらせて熱り立っていた。
サアアアァァァー……
「……風も強いし、いつまでもここに突っ立って騒いでねえで、取り敢えず中入って貰えますか? 話聞くんで」
「ふんっ、アンタが出てくるのが遅いのが悪いんだろうが」
「……あんな何回もチャイム鳴らされたら、出たくもなくなるっての」
「あ? なんだって?」
「……何でもねえっすよ」
依頼人が立つ踊り場の脇から、秋の涼しい風が舞う木の葉と共に入り込んで来て、身を乗り出してしか見れない外の景色は、そんな俺達の状況を嘲笑うかのように穏やかで、「まあそんなに興奮するなよ」と囁いているようにも見えた。
「───古林さん、大丈夫ですか? 何やら不穏な空気ですけど」
「セ、セーラー服の女子高生? しかも美少女…おい弁護士さん、これが噂の可愛い助手さんか?」
「〝Don't judge a book by its cover〟っていう…海外の諺は知ってるっすか?」
「19世紀の小説家ジョージ・エリオットが『フロス湖畔の水車小屋』で使用して以降、広く普及された有名な諺ですよね?」
「……お前には聞いてねえんだよ」
背中で手を組んでヒョコッと後ろから顔を出したミステリ小説にも詳しい165cmぐらいの高天原を見て、目の前の依頼人倉持宏典(33歳)は、驚きつつも少しだけ身体から出す蒸気を和らげてくれた。
普段なら煩わしく感じる上目遣いでするその仕草が、今日だけは救いの手に見えるから不思議だ。
「クソッ、なんて羨ましい環境で働いてやがる…俺なんて、俺なんて……」
「言っとくけど、望んだ形じゃねえっすからね?」
「古林さん敬語下手くそですね」
「……うるせえよ」
依頼人ではあるが一応は目上の人物な為、下手くそな敬語を使った俺を、年中畏まった言葉遣いしかしない高天原がからかってきた。
ようやく調子を取り戻してきた相棒とそれに見惚れる依頼人を横目に、どうやらこの季節に冷房を使用する必要は無さそうだなと、俺は力なく首を下げて溜め息を漏らしたのだった。
†††
「───会社の上司が事ある毎に俺を呼び出して叱ってくるんだよ。ちょっと出勤するのが遅れた位で『仕事の準備もあるから、もう少し余裕を持って10分前には席に着くようにね』とか、少し作成した書類にミスがあった位で『今回の見積書、数字に誤りが見つかったから、提出する前に必ずダブルチェックをする事を徹底してね』とか、少し周りより仕事が遅れている位で『進捗が遅れている時は、悪化する前に一言相談してほしいかな。話してくれれば周りもサポート出来るからさ』とかよ…? 年下の後輩達が見てる前でそんな事ばっかり言ってくるんだぜ!?」
席に着いた相談者は、せっかく高天原が用意してくれた御茶に手も付けず、恨み辛みをタラタラと捲し立てるように話し続けた。
隣に座った高天原は、相変わらず間隔を詰めてこないが、前よりは落ち着いた雰囲気で調書を取り続けていて、俺はと言えば非喫煙者だと言う男を前に、ニコチンを摂取出来ない苛立ちを隠せずに組んだ腕を指で鳴らし続けていた。
────ドンッ!
「───だからよ、弁護士さん! 俺はこれはどう考えてもパワハラだって思うんだよ!!」
思いっ切り叩かれた机の上で、なけなしの金で買った御茶が波打っている。
コーヒーやジュース類も滅多に飲まない俺達にとっては、正しく御馳走である貴重な有味のある水分を乱暴に扱う男に腹が立って、思わず俺は机を蹴り上げそうになった。
「───落ち着いて下さい倉持さん。そして古林さんも、これは恐らく…」
「んだよ? 俺は落ち着いてるぞ? この相談者に対して何の怒りもなく、『あーあ、仕方ねえなあ』って感じで大人な対応しているぞ?」
「……何処がですか情けない。反射的に机を蹴り上げようとして、『やったら御茶が勿体ねえな』って思って、急遽ブレーキを掛けたじゃないですか」
「ちっ、目端が利きすぎなんだよ…それで、なんだよ? 相談者が受けてるのは本当に歴としたパワハラなのかよ?」
「コイツだあ…?」
「食べ物粗末にする奴に敬語を使う筋合いはねえよ」
机を挟んで睨み合う俺達に呆れつつも、高天原はペンを持った手をそのまま顎に添えて静かに言葉を紡ぎ出した。
「いえ…これは、今回のケースはパワハラではなく〝ハラハラ〟です。…いわゆる過剰に『ハラスメントだ』と主張して相手を困らせる〝ハラスメントハラスメント〟という何とも子供染みた迷惑な行為ですね」
「ああ? 何だって?」
───と、俺を窘めていた高天原は、更に相手の神経を逆撫でする無神経な発言をして、電気代いらずだった部屋の温度は一気に上昇していったのだった。
†††
「この〝ハラハラ〟という少し可愛い名前のハラスメントが生まれた背景には、ハラスメントを防止する為の国の法改正や企業の対策が進み、労働者にハラスメントが広く認識されるようになった事由があります」
「アンタはちっとも可愛くねえがな」
「ありがとうございます。話を続けて宜しいでしょうか?」
元は男性だったという高天原は、普通の女性なら怒り心頭で騒ぎ出す台詞を笑って聞き流し、またいつものようにペンを置いた手の人差し指を掲げ、少し自慢気に語り出した。
「───1999年4月、女性へのセクハラ防止の為の男女雇用機会均等法改正。続いて2007年4月、男女両方へのセクハラ防止の為に男女雇用機会均等法を再び改正。更に2017年1月、育児・介護休業法改正。そして2022年6月、女性活躍推進法や労働施策総合推進法の改正が行われました」
「だからなんだよ…」
「このような法改正により雇用管理上の義務を負った企業がハラスメント防止対策を策定し社内に周知したことで、従業員はハラスメントの内容や企業責任を幅広く認識するようになりました。…ですがその結果、正当なハラスメントを訴える労働者が増えると共に、虚偽のハラスメントを訴える労働者も発生するようになったのです」
睨みながらも真剣に話を聞く相談者を横目に、いつも通りの長え話が始まったなと察知した俺は、テーブルの上に置かれたマイセン12mgが恋しくて仕方なかった。
こっからあと何分、高天原の高説を黙って聞かなきゃいけねえんだって考えるだけで、ヤニでも吸わねえと発狂しそうになっちまうからだ。
……いっそのこと本当に奇声を発しながら暴れてやろうかと思っていた時だった、そのいつも通りの風景の中にイレギュラーが発生したのは…
「自分…よく分からないから聞くんですけど、倉持さんのように業務上必要な指導や注意などの正当な行為に対して、過剰に『ハラスメントだ』と主張して相手を困らせる方は、何がしたくてそう騒ぐのですか?」
「……んなの、嫌な相手を追い出したいからに決まってるだろ」
「ええ、それは分かってます。自分が聞きたいのはその先です。あなた方がそのような腐った考えでいるのは重々承知です。…あなた方は、その嫌いな相手を追い出せば、自分の碌に培われていない能力が存分に発揮できると、正当に評価される未来が来ると本気で思っているのか知りたいんです!」
「……喧嘩売ってんのか!? 嬢ちゃん?」
急に口調が強くなった高天原は、細い人差し指を下げて、揃えた膝の上で拳を作りながら腕を震わせて、俯きながら苛立つ相手に負けじと喋り続ける。
「……別に結構なんですよ。あなた方が騒ごうが何しようが自分は構わないんですよ。だって何れは貴方みたいな人達は、必ず何処かで躓く未来が待っていますから…」
「なんだと……?」
「……努力して能力を伸ばす事を嫌い、努力した者に教えを乞う事を嫌い、怒られながらも頑張る人を鼻で笑い、他人に叱られる事を最大限に嫌う…そんな愚か者達に輝く未来がある筈はないですから、泥でまみれようが埃で息が出来なくなろうが、自分は何一つ知りませんから!」
「───テメエ!!」
───ガタンッ
「おい、止めろ!」
怒りに任せて立ち上がった相談者を、それまで頭の後ろに手を組んで静観していた俺は慌てて制止する。
「邪魔だ退けよ……」
「退くか、バカやろう。これでも旨い飯作ってくれる可愛い助手なんだよ」
……客観的な意見だが今の状況では完全に高天原が悪いと俺は思った。
俺の後ろで未だに震えている高天原に非があると、仮に法廷で証人尋問を迫られたら、そう宣言せざるを得ない状況ではあった。
───だけど、ここは法廷じゃねえ。
面倒臭え相手方の弁護士も、妙に腹立つ裁判官もここにはいねえ、俺は俺の正義を以て判決を下す権利がある。
金のひまわりに誓って、高天原がこれから言うであろう事が正しいと思って、体つきが一回りもデカい男の前に立つ。
「……だから話せよツラツラと、いつもみてえに面倒臭え話を長々とよ。お前には指一本触れさせねえからよ…なあ、高天原?」
───コクン…
俺の言葉に頷いた高天原は再び言葉を紡ぎ出す。
いつものように長々と、だけど時折詰まらせながら、ツラツラとまではいかないまでもゆっくりと慎重に、言葉を選んで紡ぎ始めた……
「……な、泣いてる人もいるんですよ。本当に、本気で辛い目にあって泣いてる人も…訴えたくても勇気が出なくて、ジッと堪えて時間が過ぎるのを待ってるだけの人が、あなた方の影に隠れているんですよ…」
「泣いてる奴だぁ…?」
「……オオカミ少年現象という言葉を知っていますか? 嘘や虚偽の警告を何度も繰り返しているうちに、本当に危機が訪れた時に誰からも信じてもらえなくなる現象を呼ぶのですが、あなた方がしているのは正にコレなんですよ。自然的じゃない災害を自分達で発生させ、泣いてる彼等が本気で叫んだ時に『どうせまた嘘だろう』と、本気で取り合ってくれない状況をあなた方が生み出してしまってるんです…」
───男は、倉持宏典は、ようやく静かになって高天原の言葉に耳を貸した。
「本気の人って嘘が言えないんですよ、泣いてる人って嘘が苦手なんですよ。だから、あなた方みたいに上手に信じて貰えないんです。会社に説き伏せられて、泣く泣く我慢する道しか選べないんですよ…だって彼らは良い部分も見えてしまうから、他人の良いところを探すのに必死な人達ですから…だから以前の自分の部下もそんな貴方達に負けてある日突然ー……」
───と、そこまで言った所で高天原は語るのを止めた。
これは俺の勝手な推測だけど、きっと元の高天原にはそんな気弱な部下がいて、ある日突然、堪えきれずに会社を逃げるように去っちまったんじゃないかって思う。
だけど、それ以上の事を話してしまえば、生真面目なコイツの事だから、元部下とやらのプライバシーの侵害に当たるかもとか考えて、だからその先を言えなかったんじゃねえかなって……
「……まあ、あれだ。俺の後ろにいるコイツみてえに、突然いなくなった奴の心配まで未だにしちまう素直な奴等が、きっとアンタみてえな奴等の影に隠れて泣いたりしてるんじゃねえかな? …例え嘘だろうと訴えたアンタの事を本気で心配しちまったりしてな?」
「……………………俺は、何も嘘は…」
力無く項垂れた男は、そのままドサッと後ろのソファーに崩れるように座り込んだのだった。
†††
トントントントントントンッ
「くそ、タバコ吸いてえなあ……」
「すみません自分が長引かせてしまったみたいで…き、緊張して身体が震えるし、伝えたい事は上手く話せないしで、本当に申し訳ありませんでした……」
「別に、気にすんな」
「昔から…自制心が無い人があまり得意ではなくて……」
組んだ腕を指で叩きまくる俺に、今日の功績者である高天原が下を向きながらおずおずと謝ってくる。
相談者である男は、未だに冷えきった茶を啜りながらブツブツと何かを一生懸命呟いていて、俺はそんな自分の過ちを認める行為はどうでもいいから、早く帰ってくれねえかなって不謹慎ながらに思っていた。
────クイクイッ
「あ?」
「……まだ御礼を言えてなかったので。あ、あの古林さん、今日は本当にありがとうございました」
最後に、なんか知らねえけど2時間前より距離が遠退いた高天原が袖を引っ張ってきて、下を向いたまま気恥ずかしそうに御礼を言ってきたのだが、俺はこの目の前の男に何も言ってねえし、弁護士らしい事は何一つしてねえから、それが何に対しての御礼なのかサッパリ分からなかったのだ。




