第17話「ハラハラですね①」
もうすぐ10月になって心地よい秋風が吹く季節に、夏の酷暑日よりも暑苦しく鼻息荒いスーツ姿の男性が事務所を訪れた。
「───だからよ、弁護士さん! 俺はこれはどう考えてもパワハラだって思うんだよ!!」
───ドンッ!
せっかく出したお茶が溢れてしまいそうな程、テーブルを勢いよく叩いた30代半ばの男性を前に、変わらず一人分のスペースを空けて座っていた高天原は、背筋を伸ばしたまま細い指を顎に添えて悩ましげに……
「……ハラハラですね」
……等と、変わらない制服姿で呟いていたのだ。
†††
……ガタンゴトン、ガタンゴトン…
これはそんな傍迷惑な依頼人が午後1時過ぎに来る前の午前中の出来事である。
少しずつ増えた相談者達のお陰で、ようやく懐も僅かに温まって来た頃、久しぶりに大手スーパーマーケットに買い物に行った帰りに電車に乗った俺は、隣でご機嫌そうに色とりどりの野菜が入った紙袋を抱えるハラスメントヲタクから、延々と持てる知識を披露されていた。
「───会社によくいるじゃないですか古林さん。1つ何かを注意すれば直ぐにパワハラだのなんだのって騒ぐ人が、結局あれって騒いだもん勝ちみたいな風潮が彼等を増長させていると思うんですよね」
「……騒いだもん勝ち?」
「ええ、業務上の正当な注意や指導、一般的なコミュニケーションに対して少しでも自分の意に沿わない場合、『ハラスメントだ』と主張すれば会社は上司に対して注意を促し、大人しくせざるを得ないという風潮です」
……ガタンゴトン、ガタンゴトン…
平日朝のまだ11時の時間帯に、そう鼻息荒く話す高天原の言葉に、吊り革を握った数名の私服姿のサラリーマンがコクコクと頷いている。
恐らく有給休暇を取ったであろう彼等は全員が疲れきった顔をしていて、年の頃は俺達とあまり変わらない30代前半と見て間違いなかった。
「……んでも、相手が不快に感じたならハラスメントに該当するのが、世の中の風潮でもあるんだろう?」
「それは確かにそうなんですけどね」
「だったら何も問題なくねえか? 正当な指導だろうが注意だろうが、ソイツが嫌だと感じたならば抗議するのが当たり前で、それを止めるよう圧力をかけるのは不当な対応とみなされて、労働基準監督署や俺達弁護士に相談されてしまうから会社側は大人しく頷くしかないんじゃねえのか?」
ギロリ……
今度は吊り革を握った連中に俺が激しく睨まれてしまった。
もちろん彼等以外にも乗客はいるが、不思議な事にその車両に乗る男性陣は皆、会社で中間管理職を務める苦労人な者達ばかりのようだった。
「それが、そのシステムこそが、悪知恵を働かせる事だけは得意な人達を増長させてしまうのです。明らかに非のある遅刻や業務上のミスを注意された際、『みんなの前で怒鳴られた』『精神的苦痛を受けた』と言い張り、指導を適切なものとして受け入れない人達がいたり」
───コクコクコクコク
「更には自分の思い通りの評価や待遇にならない場合、『認められないなら人事や労働基準監督署にハラスメントで訴える』と組織を脅迫したりする者もいますね」
───コクコクコクコクコク!
「そして最も悪質であるのが納得いかない人間関係の排除をする人ですね。単に嫌いな上司や同僚を職場から追い出す為に、日常の些細な言動を大げさに、あるいは歪曲して『パワハラ・セクハラ』として周囲や通報窓口に触れ回る最低な手口を使う人達が最近は多く見られるようです」
───コクコクコクコクコクコク!!
「正当な注意や指導、業務の指示、日常の雑談、正当な個人への評価、それらの中から少しでも自分の意に沿わない事があれば、被害者ぶって泣いて叫べば全てが思い通りになると勘違いするモンスターが最近は何処の職場にも一人や二人はいるらしく、そんな彼等を総称して今の世の中ではー……」
ピンポンパンポン、ピンポンパンポン……
『本日も、○○鉄道をご利用いただきまして誠にありがとうございます。まもなく△△、△△に着きます。お出口は左側、左側です…』
ピー……ザザッ
「……おっと残念、目的地に着いてしまったようですね。まだまだ話し足りない気分でいっぱいなのですが、続きは事務所に戻ってからにしましょうか。お腹も空きましたしね。緑黄色野菜をふんだんに使って、今日のお昼は秋の食材を活用した野菜パスタにしましょうか」
永遠に続くかと思われた地獄のようなハラスメント談義は、幸運にも目的地を告げる電車のアナウンスによってストップが掛かった。
並んで座る電車の長手座席でも、やっぱり間隔を空けて座る高天原は、変わらない緑の私服姿で愛おしそうに野菜を眺めていて、出来るならカツ丼とか唐揚げが喰いてえなぁとか思ったけど、また面倒臭え食後高血糖の話になりそうだから止めておいた。
「飯時は勘弁してくれ、せっかくの旨い料理が台無しになる」
「─────え」
「もう少し濃い味だったらもっと嬉しいんだけどよ、お前が作る飯はやっぱりウーバーなんかで頼むより断然うめえよ」
「………………」
「おい、高天原? おい聞いてんのか?」
ガタンゴトン、ガタンゴトン… キキー……
止まる電車に負けじと、あれだけ煩かった高天原は急ブレーキで動きを静止させ、一気に大人しくなっちまった。
俺のどんな発言がコイツを大人しくさせる要因になったか分からねえが、耳を真っ赤にさせた高天原は何も言わず、ドアが開いた後も暫くその場から動こうとしなかった。
「「「───そんな事よりおい、今の世の中ではなんなんだよ!??」」」
───等と、そんな俺達に向かって会社を休んだリーマン達が声を揃えて言ってきたのだが、その声はきっと、瞬きすらしない高天原には聞こえていなかったんだろうなって思う。
†††
「ごっそさん、旨かったよ」
「……どういたしまして」
事務所に戻り、何かを考え込みながら作ってくれた高天原の手料理を食った俺は、ソファーに腕を伸ばして、だらしなく爪楊枝で歯を掃除しながら御礼を言った。
コイツが来てからこんなにも静かな食卓は無かったんじゃないかって言うぐらい、今日の食事風景は閑静なもので、食器を奏でるフォークの音だけがカチャカチャと、独り暮らし時代に戻ったように寂しく鳴り響いていた。
「なあ、ところでよ」
「……はい、何でしょう」
そんな様子のおかしい高天原を見て、俺はついつい食器を下げて運ぶ沈んだ背中に声を掛けちまった。
毎回毎回、ハラスメントハラスメントうるせえ奴だが、こうも大人しくされたんじゃコッチの調子まで狂っちまう。
「あの話の続き教えろよ」
「……え?」
「電車で話してたあの話の続きだよ、同年代のリーマン達の代わりに俺が代表して聞いてやるから話せよ…お前の大好きな社会問題の話をさ」
「ええっと…それはー……」
ピンポーン…
「────あ」
「ちっ、タイミングが悪いな。来るなとは言わねえけど、時と場合を考えろよなクソッタレ」
───と、無神経なチャイムが鳴らされた所で話は冒頭へと戻る。
秋の季節に似つかわしくない暑苦しい相談者が、怒りを抑えきれないといった表情で事務所のチャイムを鳴らした所で話は戻るのだ。
ドンドンドンドンッ───
「おおい! 開けてくれ弁護士さん! いるんだろ! 巷で評判のアンタの大好きなハラスメントの相談を持ってきたからよ! 今すぐ開けて話を聞いてくれよ!!」
……近所迷惑でくそ喧しい声に押されるように戻るのだ。
「……ハラスメント?」
「はーあ…クソ面倒臭え……」
別に俺は大好きじゃねえんだが、その声を聞いて目をキラーンとさせた高天原を見て、仕方ねえかと思いながら食後の一服を我慢して扉へ向かったのだ。




