閑話休題「自分はですね❷」
今回も「高天原佳澄」視点のお話です。
───トゥルルルルル…ピッ
「は、はい…もしもし霧深夜さんですか?」
『あーカスミン? うんそうそう私。この前お世話になった山田加奈子よ』
「ど、どうされたんでしょうか急に…?」
『んー…配信終わって暇になったから、誰かと話したいなぁと思ってたんだけど…でも同じ個人勢の子は昨日深夜までホラーゲームの実況配信してたから今は寝てるし、私はリアルには友達一人もいないから…誰かいないかなぁと思ってスマホを眺めていたら、そういえば今日も配信に「おはよう」と「またね」だけ言いに来てくれた、この前電話番号を交換したばかりの引きこもりのカスミンなら同じく暇かなぁと思って掛けてみた』
「ちょっ、ちょっと待って下さいね。今場所を移動しますので!」
───これは、今の電話相手である霧深夜苺花さんからの相談を終えて、三日経った後の出来事です。
気持ちの整理がついて久しぶりに再開された彼女の配信を見終えた後、静かにスマホの電源を切った自分の元に、帰りがけに無理矢理交換されたLIMEの通知音が突如鳴り響きました。
「───あ? 誰から電話だ?」
「え、ええと…最近出来た友人ですかね?」
朝食を食べ終えて一服しながらニュース番組を見ている古林さんにあれこれ詮索される前に、急いで部屋に戻ろうとしたのですが、隣のテーブルにいた彼に呆気なく呼び止められてしまいました。
「碌に外出もしないお前に友人? いったい誰だ?」
「……個人情報保護法という言葉を知っていますか古林さん? 個々の情報の有用性に配慮しながら、権利や利益を守るための日本の法律なのですが、そうやって人のプライベートな交遊関係に首を突っ込んでくるのは、弁護士でありながら日本の法律に違反している事になりますよ?」
「使い方間違ってんぞ? 個人情報保護法ってのはあくまで事業者を対象にした法律だ。会社が保管している従業員の情報や顔写真、通信販売を営んでる会社で例えるなら顧客リスト、更には指紋や虹彩、マイナンバーや運転免許証など、それらの漏洩を防ぐために作られた法律だから、今のお前が言ったみてえな各々のプライベートを守る法律じゃねえんだよ」
「……じゃあ、プライバシーの侵害ですね」
「それも違え、ただ『誰から電話なの?』って質問しただけじゃ、日本国憲法第13条を根拠とする法的権利にも触れねえから何の罪にも問われねえよ。スマホばっかり見てねえでもう一度勉強し直してこい」
「や、やりますね……」
「合格率40%台の司法試験突破者舐めんな、暇潰し程度に六法全書眺めてるだけじゃ弁護士になんか簡単になれねえんだよ」
ハンッと格好付けて笑って、再び別のタバコに火をつけた古林さんは、もう一度テレビ画面の方に向き直りました。
わざと間違えた解釈の仕方をして会話を長引かせた甲斐もあってか、自分の元に誰かから電話が掛かって来ていた事を綺麗に忘れてくれたようでした。
きっと、常時ニコチンに頭を支配されているから、鶏並みに忘れっぽくなってるんでしょうね。
『───ねえカスミン、まだぁ?』
「はいはい、今出ますよっと。もう少しだけ待って下さいね」
ヤンチャな若者が多かった現場でも彼ほど口の悪い人物はいなかったぞと思いながら、スマホから聞こえる霧深夜さんの声にこっそりと返事をしつつ、殆ど寝床にしか使用していない殺風景な部屋へとコソコソ戻って行ったのでした…
†††
『───さっきの声って古林先生でしょ? どうなの、最近の年の差恋の進行具合は?』
「切ってよろしいでしょうか」
『あ、ウソウソ。ごめん待って、お願いカスミン切らないで! カスミンにまで見捨てられたら私、これからどうやって生きて行けばいいか分からないわ!』
……なんでしょう? 自分から喧嘩を仕掛けておいて歯向かわれたら急に大人しくなるなんて、まるで会社で威張り腐っている脳のない腹だけが出た虚勢だけは一丁前のハラスメントの塊みたいな太った上司みたいです。
「……友達がいるでしょうに」
『私と違って夜型の子だからなかなか連絡が付かないのよ。生活パターンが真逆でも信頼のおける友人は彼女だけだから、だからお願い、昼間ボッチの私を見捨てないで!』
内壁をコンクリートで覆われた殺風景な部屋にポツンと1つある机に座った自分は、小さな窓から見える景色を眺めながら、彼女の話に耳を傾けます。
生憎と今日は雨模様で空全体が灰色の雲で覆われているのですが、まだそこまでの激しさはなく、ポツンポツンと窓を打つ雨が公道を走る車にも小さく当たって、緩やかにワイパーが動かされて行ってます。
「何遍もLIMEで返したじゃないですか、自分は古林さんに対して特別な感情は持ち合わせていないって、ただの友人としてしか見ていないって」
『だってぇ、そんなこと言ってもカスミン…うら若き女子高生が血の繋がりもない成人男性と暮らしていたら、やっぱりそこには何かあると思うのが普通よ?』
「無いです! 何も無いです! 古林さんは両親が亡くなって途方に暮れていた自分をただ拾ってくれただけです!」
『……親戚でも何でもない人が? 下心なしで? 現代日本でそんなヨハネみたいな人いるのかしら? あの人はどちらかと言えば感情的で行動的で外交的なリーダータイプのペテロみたいな人じゃなくて?』
こうして今話している彼女に全てを打ち明けてしまえば、せっかく出来たLIMEの友達リストに載る真の友人二人目を失ってしまう気がして、どうしても自分が元男性で工場勤務の職場リーダーだった事を伝える勇気は沸きませんでした。
実は情けない話ですが、自分のアカウントには緊急連絡網にある職場の人間しか登録されていなくて、このように成人済みの若い女性と分け隔てなく話す未来が来る事も、当たり前ですが予測していなかったのです。
……まあ、自分がこのような身体になって突然会社をクビになって連絡をくれる人は、案の定誰もいませんでしたけどね…
やっぱりリーダーとして慕われてなかったのかなぁと、少し寂しく思ったのは古林さんにも話してないので、ここだけの話です。
「……どうすれば納得してくれるのでしょう」
『カスミンがこれから家に来たら、信じてあげる』
「───はい?」
因みに説明としては真実は伏せたままですが、嘘は吐いていません。
両親がいないのも本当ですし、途方に暮れていたのも本当です。
狭い部屋で一人、身分を証明する物が一切無くなった財布と、コスプレみたいな制服を着た自分と、有り得ないほど整った容姿を見ながら、何度もこれは夢じゃないかと疑いつつ呆けていましたから……
『……えっと住所はね、東京都○○区✕✕町の△丁目にあるハートメラスっていうマンションだから急いで来て』
「ちょっ、良いんですか? そんな簡単にVTuberが住居を明かして?」
『カスミンなら別に大丈夫でしょ、女同士だし性格的にも信頼出来るから何の問題もなし! ね、お願い暇なの!』
「─────っう」
『なに? どうしたの? 急に変な声出して、お腹でも痛いの? 大丈夫?』
……どうしてそこまで信頼されてるのか分かりませんが、彼女の純粋な好意が酷く心臓を抉りました。
「……は、はい大丈夫です。分かりました直ぐに伺います…」
『うん。あ、でも雨強くなってきたから歩きでは来ない方がいいかも』
「お心遣い感謝します…」
ポツポツポツッと、何やら窓を打つ雨の音が激しさを増していくなか、ゴロゴロゴロ…と大きく育った積乱雲の中で、まもなく激しい雨や突風が起こる危険なサインが鳴り響いていたのです。
†††
─────ザアアアアアア…
「すみませんえっと、✕✕町の△丁目にあるハートメラスっていうマンションまで」
「……はいよ」
私服に着替えた自分は財布の中に残っていた僅かな残金を信用して、最後まで古林さんに怪しまれながら、電話を切った直ぐ後に事務所を脱出しました。
出掛けに玄関先で面倒臭そうに頭を掻きながら『どーでもいいけど取り敢えず傘だけは持っていけ、俺の使い古しだからヤニ臭えかも知れねえけど、そこはあんま気にすんな…あと、あんま遅くなんじゃねえぞ』と、何気に優しい言葉もくれたので、だからあの人は油断出来ないのですが…
「……その傘、随分年季の入った傘だね。大きさから男性物みたいだけど、アンタが今出てきた事務所の人のかい?」
「ええと、そうですが…?」
事務所から出て直ぐに拾ったタクシーに乗り込んだ自分は、何処かで聞いたことあるような声で、後ろ姿だけじゃ男か女か分からない髪の長い運転手に話し掛けられました。
「ふぅん、上手くやってるようだね…」
「え?」
激しい雨が降り注ぐタクシー内では、その人の声と高速で動くワイパーの音だけが強く反響します。
身を警戒して思わず古林さんから借りてきた傘を両手で強く握り、いつ何が起きても良いように臨戦態勢を整えました。
「ひゃっひゃっひゃ、そんな警戒しないでおくれよ。仮にもアンタの望みを叶えてやった恩人にさ? ひゃっひゃっひゃっひゃっ…」
「恩人、望み? あなたもしかして!?」
この声、この雰囲気…この話し口調……
自分はその運転手があの酔い潰れた夜に変な飴玉をくれた人だと、走り出してから10分後にようやく気付いたのです。
「……今の生活は楽しいかい?」
「え? ええまあ、そこそこですね…思っていたよりも口の悪い人でしたが、相変わらず言う事は芯が通っていて真っ直ぐというか……」
「そうかい、そうかい、そりゃあ良かった。ひゃっひゃっひゃっひゃっ……」
制帽を被ってグリーンの制服を着た運転手は、ナビなど見ずに器用に高らかに笑いながら車を走らせます。
ハンドルを握る手には白のドライビンググローブが嵌められていて、ますます性別がどっちだか分からなくなっていました。
「あ、あの…聞きたい事があるのですが」
「ん? 何だい? ちょっと待っとくれよ……」
────キキキッ
「……おっと残念、アンタの質問を聞く前に目的地に着いちまったようだね、残念だけど次の機会にって事で……料金は2900円だよ」
「え? は、はい」
聞きたい事は山ほどあるのに、どうしてかこの時の自分はそれ以上言葉が出てこずに、運転手の言われるまま黒い革製の慣れ親しんだ財布を、スカートのポケットから取り出して慌てるようにお金を探したのです。
「えっと、すみません。最近趣味の方にお金を少し使ってしまったので、残金が二千円しかありません…」
「ひゃっひゃっひゃっひゃっ、よくそれで雨の中タクシーを拾ったもんだ。…まったく、まあいいよアンタには色々と楽しませて貰ってるから、今日の所はそれで勘弁してやるよ」
「す、すみません……」
元々、現金持たない主義のミニマリストだった自分は、ご好意に甘えるままに残り二枚だったお札を運転手に差し出したのですが……
「……あんた、混じってるね」
「はい?」
「……元々あった男女の境界線があやふやになってきている。気を付けなよ…心まで女になったんじゃ、飴の効力が消えた時に男に戻れなくなっちまうからさ…ああ、中途半端もいけないね。それはそれでアタシみたいになっちまうし……」
性別不詳で年齢不詳の人物は、差し出したお金を離そうとせずに、自分の目をジッと見つめてそんな恐ろしい事を言ってきたのです。
「飴の効力はもって三ヶ月、その間に自分がどっちで生きるのか、きちんと結論を出さなければならない。いいかい? 何度でも言うよ、中途半端な結論だけは絶対に下しちゃいけないよ。じゃないとね、アタシみたいに現世を彷徨う幽霊みたいになっちまうからさ……」
ビカッ、ゴロゴロゴロゴロッー……
───そう言って、ようやく手を離した赤い瞳と髪をした不思議な運転手は、霧深夜さんが住むマンションの前で自分を降ろし、また何処かに去って行ってしまったのですが…
その人がどんな表情をしていたのかまでは、マスクを深く着用していたせいでさっぱり分かりませんでした…
†††
ゴロゴロゴロ… ザアアアアアアアアー……
「……じ、自分にどうしろと?」
───あの飴を舐めてから凡そ三週間、残り二ヶ月と一週間で何を選択しろというのかと、差した大きめの黒い傘に大粒の雨が打ち付ける中、ただ呆然と雷さえも恐れずにマンションの入口の前で立ち竦んでいたのでした……




