第14話「ソーハラですね③」
「民法第709条『故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う』…今回の霧深夜さんの身に起きた謂れ無きハラスメントは、まさしくこれに該当します! 古林さん、今すぐ裁判を起こしましょう!」
「んな簡単に出来る訳ねえだろアホ、聞いた話だけじゃあまりにも情報が少なすぎる。多分お前が言いてえのは発信者情報開示請求の事だろうけどな、恐らくこんな気持ち悪い一文だけが証拠じゃ裁判所は動いてくれねえぞ?」
「ええ、何でですか? こんなに悪質極まりないのに?」
鼻息荒くしながら人一人分間隔を空けた場所から顔だけを近付けてくる高天原は、恐らく俺がタバコを吸い終わったばかりだという事に気付いていないだろう。
「そ、そうなのですか…?」
「残念だけどな…」
白い残煙が少しずつ窓脇の換気扇に吸い込まれていく中、共に吸い終わった山田加奈子が落ち着きを取り戻した表情で、疑問符を浮かべながら聞いてきた。
「……アンタが心に深い傷を負った事は分かるが、誹謗中傷が刑事罰の対象となる場合には、単なる主観的な不満や、自分にとって不快なだけの書き込みじゃ認められねえのが現実だ」
「な、なるほど」
「自分は相当不愉快ですけどね!」
「お前は少し黙ってろ。話がちっとも進まなくなりそうだから大人しく調書しとけ」
怒りを抑えきれずに頭から湯気をピーピー出す高天原に静かにするよう窘める。
四方八方から相槌を打たれたんじゃ話してるこっちの身が持たねえし、俺は聖徳太子じゃねえんだから、全員の質問に満遍なく応えられるほど器用じゃない。
「……分かりましたよ、大人しくしときます」
「初めっからそうしとけ、ったく憧れだか何だか知らねえが、少し依頼人に感情移入し過ぎなんだよ」
ブツブツ言いながら不貞腐れる高天原を見て、山田加奈子という依頼者は少しだけクスリと笑っていた…
†††
「開示請求を認めてもらうためには3つの核心的な基準が必要となる。1つ目に不快ではなく違法であること、2つ目に客観的な証拠があること、3つ目に受忍限度を超えていること…この3つが開示請求を認めて貰うに当たって必要となってくるんだ」
「は、はあ…」
熱心にメモを取り出した高天原に代わって相槌を打つのは山田加奈子という依頼者だ。
───ガリガリガリガリッ
……鬼のような形相で俺の発言以上の言葉を書き連ねていそうな高天原を見て些か不安になるが、ここは無視だ。
その調書にはちゃんと私的感情抜きにした正確な言質が取られているんだろうなって不安になるが、敢えて無視だ。
俺はまだ寝起きで朝飯も喰っていねえんだから、さっさと終わらして腹の虫を鎮めたい。
「───ゴホンッ、1つ目に必要とされてるのは個人的な感情抜きにしての訴えだ。具体的に説明するならば先ずは名誉毀損、これは社会的評価を低下させる具体的な事実がSNS上に書かれている事を指している。続いて侮辱、これは事実を摘示していなくても、社会通念上許される限度を超えた表現を晒されている事だ。そしてプライバシー侵害…これは住所・本名・勤務先・病歴など、一般に公開されたくない個人情報が勝手に晒されている事実だ。…いかに本人が不快に感じても、それが今のように法律上違法であると認められなければ、裁判所は動かない仕組みになっているのさ」
「そ、そうなんですね…」
……ゴクリと唾を飲み込む相談者に向かって、俺は小さく頷きながら二本目の指を上げた。
「続いて二つ目に必要とされている客観的な証拠ってのは、投稿されたURL、日時、アカウント名が消されても証明できる事だ。HTMLデータなどに保存する等をして、自分に向けられた書き込みであると客観的に特定できる文脈が必要となってくる訳だが…まあ、これは概ねクリア出来てるか?」
「は、はい…配信中のコメントは全てアーカイブに残っておりますので」
「んじゃあ、最後の三つ目だ」
「───は、はい」
そう言って、俺は三本目の指をビシッと上げたのだが、客観的に捉えてなんだか脇で黙って書いている高天原みたいだなと少しだけ思った。
「裁判では表現の自由と被害者の権利のバランスが酷く考慮される。多少の批判やネット上でよくある言い合いのレベルであれば『これくらいは我慢すべき範囲』と判断されてしまうケースが多く…これを受忍限度内と言うんだが、開示が認められるには、その限度を超えた悪質なものであると証明する必要があるって訳だ…」
カリカリカリ…と、少しだけ静かになったペンを走らせる音のみが室内に響く。
俺の話を聞いて意気消沈してしまった相談者は、絞り出すようにか細い声で言葉を発してきた。
「……やはり、難しいんですね。同業者から『相談するのはいいけど提訴するのは案外大変だよ』って話は聞いて来たんですけど…」
「まあな…今挙げた条件に当て嵌まったとしても、手続き全体でおおよそ3か月〜1年程度かかるし、弁護士費用は着手金と報酬金を合わせて、総額60万円〜100万円程度となるのが相場だ」
「そ、そんなに…?」
「ああ、そんなクソみてえな奴に膨大な時間と金が腐るほど掛かるって訳さ…どうしても許せないってなった場合は、アンタはこれから長い時間付き合っていかなければならなくなる。勝手に勘違いして気持ち悪い恋愛感情を持ち出してきた年齢も分からねえような奴に、ソイツが完全なネットストーカーに育つまで上手に泳がせて、言い逃れ出来ない状況になるまでとことんな…」
───カチン、シュボ。
「いいのか、そんな人生で? アンタが動きたいって言うなら俺は全力でソイツを潰しに掛かるぞ? そんな下らねえ奴と何ヶ月も何年も付き合っていたいって言うなら遠慮なく手を貸すぜ? 人を陥れるなんざ意外と簡単なんだからよ…」
……つまんねえ人生なのに、どうして人はわざわざ更につまんねえ人生にしようとするのか俺には理解出来ねえ…
VTuberという職業の奴等を応援するのは人の勝手だし色んな趣味があるから、それに口出しする気はねえが、だけどどうして一瞬でも「つまんねえ」を忘れさせてくれた人に向かって、異常な感情を抱くようになってしまうのか俺にはサッパリ分からなかった。
つけたタバコをふかしながら、見慣れすぎた汚ねえ天井を見上げつつ思う。
傲慢に嫉妬に憤怒に怠惰に強欲に、暴食や色欲の欲望に飲まれてて、お前らそんなんで良いのかよってな…
「……刑法230条『名誉毀損罪』刑法231条『侮辱罪』刑法233並びに234条『信用毀損・業務妨害罪』刑法222条『脅迫罪』…等が今回の霧深夜さんが持ってきたソーシャルメディアハラスメントに適用されうる法の種類なのですが、どうします? うちの先生は多分やると言ったらやる人ですよ?」
これまで大人しく黙っていた高天原が顔を上げて毅然とした眼差しで山田加奈子に問い直す。
それまで出していたファンという顔を引っ込めて、本当に職場のリーダーだったような顔つきで制服を着た姿のまま質問するから、少し脳がバグりそうになった。
「……いいえ止めときます。私はそうまでして人を憎んで生きたくないですから」
「いいんですか? なんなら自分もやる気ですよ?」
「ふふっ…ありがとうカスミン、私は貴女のような可愛らしいファンを持って本当に幸せ。でもね、彼も…彼も最初の頃は貴女と同じ純粋で優しい人だったの…いつも待機枠に一番乗りで、初見さんが来る度にメンバーシップギフトを送ってくれて、私が誕生日の時には赤スパで『おめでとう』って毎年…とってもとっても優しい人だったのよ…」
……俺はVTuberの事なんざよく分からねえが、生身の人間じゃない奴等を応援する奴の気持ちなんてよく分からねえが、きっとそこには様々な感情が入り乱れてるんだと思う。
さっき言った七つの大罪に反対する七つの美徳なんかも常時入り乱れていて、それらが反転して訳の分からねえモンスターが産まれちまうんじゃねえかなって思うんだ。
謙遜に慈愛に寛容に勤勉に、施しや節制や純潔などを持った奴等が、会社や学校で疲れて帰った家の中で見つけた癒しの笑顔を応援してる内に、いつしか自分だけの物だって勘違いしてさ…
「あの『@霧深夜最推し』が……」
「ええ、今は少し違う道に行っちゃったみたいだけどね。いつかその寄り道から帰って来てくれると嬉しいんだけど…」
そんなキメえハンドルネームを使う奴だって、最初はただ純粋に応援してた筈だ。
登録者の少ねえ彼女を見付けて俺が推し上げてやるんだぞってな、俺にはよく分からねえがきっとそんな感情だったんじゃねえかなって思うんだよ…
「まあ、その寄り道は多分だいぶ長い筈だから、アンタは取り敢えずソイツをブロックして今は関わらないようにするのが一番だな」
「はい…そうですよね…」
「案外その内戻って来るかも知れねえし…名前も姿も変えて、心も入れ替えて純粋に応援しにな……」
性善説なんて信じちゃいねえが、落ち込む彼女を見てたらついつい救いの言葉を投げちまった。
人はそんな簡単に変わらねえとは思うけど、もし彼女の言う通り初めは優しい奴だったとかっていうのなら、万が一か億が一かある未来に賭けてみても良いんじゃねえかなって思ったんだ。
「……自分は納得いきませんけどね」
少し不貞腐れた高天原は、また制服の似合う女子高生の姿に戻っていて、そんな彼女を見て今日の相談者は最後にまたクスリと意味ありげに笑っていたのだ……
†††
ヒソヒソヒソヒソ……
「───ねえカスミン。あんまり先生を困らせるような事してちゃダメよ? 何の理由があって一緒に住んでるのか分からないけど、あんまり変な事してると追い出されちゃうわよ? 好きなんでしょ、先生のこと? そんなの嫌でしょ?」
「い、いえ。ですから自分は単純に、初めて出来た同性で同年代の心許せる友人に…ど、どう接していいか分からないだけでして…」
「……ちょっと何言ってるか分からないわぁ」
「本当なんです本当! 恋愛感情なんかこれっぽっちも無いです!」
「大声で喋らないで、せっかく内緒話していたのに意味がないじゃない、耳が痛いわよカスミン…」
「す、すみません……」
───帰り際、玄関口で何やらコソコソと二人が話していたのだが、これ以上の面倒事は嫌だと思った俺は、後ろをチラチラ見ながら話す二人の視線をガン無視して、両手で耳を押さえながら嵐が過ぎ去るのを待ったのだった。




