第12話「ソーハラですね①」
「ふふ…くっ、くくくっ……」
……最近、高天原の様子がとてもおかしい。
「……いやあ、うんうんそうですよね。はいはい分かりますよ。思うように成果が得られない時は辛いものですよね…でもね霧深夜さん? 自分は今日もこうして貴女にお会いできるお陰で、安月給でこき使ってくる鬼がいる職場でも、少しは心安らげる時が得られるって訳ですよ…うんうん」
少し前まで六法全書を片時も離さず持ち歩いていた癖に、最近ではそれをほっぽり投げて、ワイヤレスのイヤホンを耳に嵌めながら、朝の7時前からずーっとスマホの中にいる誰かに向かって独り言を繰り返しているのだ…
相手からの返答が一切無いような状態なのに、ここ何日も高天原は接客用テーブル前のソファーに座り、たった一人で何かをブツブツと……
「……おす」
「───あ、おはようございます古林さん。今日はまた一段と寝癖が凄いですね、西に東に北へ南へと、東西南北いたる所に向かって髪が飛び跳ねてますよ」
そんな高天原の声が煩くて思うように寝付けず、テレビの前のソファーからムクリと身体を起こした俺は、立ち上がってボサボサの頭を掻きつつヒヨドリより煩え高天原に近付いて問い掛けた。
「……あのよ?」
「何でしょう? あ、もしかして朝御飯の心配ですか?」
付けていたイヤホンをパッと外して向き直り、人の鳥の巣みてえな髪質を朝から元気に嘲る活力があるのはとても結構な事だが、俺はつい一週間ほど前から始まった『お前のそのスマホと話す怪しげな儀式は何なんだ』と、その真意が聞きたくて仕方なかった。
「───それなら大丈夫ですよ、既に作り終えて古林さんの分は冷蔵庫に入ってますから、自分は先に頂いたので、どうぞ遠慮なくチンして食べて下さい。まあ相変わらず栄養バランスがめちゃめちゃな献立ですけどね」
「ああ、サンキュ…。いやてか俺が聞きてえのはそれじゃねえんだが?」
「何でしょう? 朝食のメニューに文句でしょうか? でもそれは一向に相談者の悩みを裁判に持ってかない御人好しな誰かにも責任があると思いますよ?」
「それも違え……」
なのにこの高天原は、相変わらず人の話を全然聞こうとしねえ……
「いくら費用対効果や時間と手間が大幅にかかると言っても、依頼された時に相手が支払う着手金を上げればもう少し生活は潤うでしょうに、弁護士の着手金に法律上一律の限度額は無いのですから、成功時に支払われる成功報酬のみを求めるよりも、敗訴した場合でも一定の利益を確保できるシステムを今からでも築いた方が良いと思うのですが?」
「そんなクソになる為に弁護士になった訳じゃねえよ…」
「まあ、自分もそのようなシステムを築かれた時点で、古林さんという人間を見損ないますけどね」
「だったら言うなバカ…」
「あくまで例えです。人が早起きして作った朝食に文句を言う人への心優しい入れ知恵です」
「ちっとも心優しくねえし、誰も文句なんか言ってねえだろうが?」
「おや、そうでしたか?」
「そうだよクソッタレ」
ツラツラ、ツラツラと、別に一般人は知らなくて良い弁護士の具体的な事情を高天原は寝起きの俺に向かって遠慮なく仕掛けてきやがる。
───確かに、着手金を上げりゃあ今より生活は楽になるかも知れねえ、だけど心は貧しくなるんじゃねえのかなって俺は思う。
少なくとも俺は、勝っても負けても取り敢えずは裁判に持っていって、判決の後に泣き崩れるのがどっちになるかなんて知ったことじゃねえって考えの、そんなクソみてえな奴になる為に弁護士になった訳じゃねえ。
泣いてる誰かがいりゃあ手を差し伸べる、傷付いてる誰かがいりゃあ代わりにおぶって歩いてやる、そんな当たり前の事を普通に出来るようになりたいから俺は弁護士バッジを付けたんだ。
どっかで誰かに遠慮して、泣いてる誰かを救ったら今度は自分がそっち側になるのかなって、そんな下らねえ事を思いたくねえからよ…
正々堂々と、手を差し伸べてやりてえから、普通の事を胸を張って当たり前にやりてえから、だから俺は、法を武器にして戦う弁護士になったんだ…
「───では、自分は引き続き霧深夜さんの朝活を応援しなければなりませんので、以降は邪魔しないで頂けると助かります。いやあ…こんな世界があるなんて知らなかったなぁ、もっと早く彼女に出会えていれば、働く事でしか居場所を見付けられなかった自分の人生も、もう少し幸せだったのかもなぁ…なんて、考えてしまいますね?」
「おい、だからお前は最近、朝からずっと誰と何を喋って何を見てんだよ? おい、たかまがはー……おい!?」
誰とディスカッションしてるのかさっぱり分からない高天原はそう言って、俺の答えも聞かずに再び6.5インチの小さな世界に視線を戻した。
いつ購入したのか分からない安めのワイヤレスイヤホンを再び耳に嵌めて、赤のゴスロリ服を着た銀髪の少女の絵が動いて喋っている『朝活』とやらの世界に飛び込んでいったのだ…
†††
それから一週間が経ったぐらいの事である。
「……なんだ、今日は珍しくスマホ見てないんだな? 久し振りに本の世界が恋しくなったのか?」
「おはようございます古林さん。今日も元気に寝癖が暴れていますね。とても良いことです。我々男性陣は将来的には必ず薄くなる傾向にありますから、どんなに育毛剤を試みようが、AGA治療薬を飲み込もうが、生活環境を整えようが、DNAには逆らえないのが人間というものですから、今のうち、好き放題暴れさせてあげるのが養毛者としての役目ですよ」
「朝っぱらから、もう一度寝たくなるような事を言うんじゃねえよ」
「残念ですが睡眠だけでは抗えないのが、世の事実です」
あれからずっと毎朝、変な活動を熱心に覗いていた高天原は、今日は珍しく元カレの『六法全書くん』をソファーの上で広げていた。
たまにチラリとスマホを見ては、何の通知も届いてない事にガッカリしつつ、溜め息を吐きながら法の知識を頭に入れているのだが、仕方なしという感じで六法全書を広げる奴も初めて見たから少し笑えてくる。
「ふっ…そんで? 今日はあの絵の女の子はどうしたんだよ?」
「絵の女の子という表現は、魂を吹き込んでる配信者やそのキャラクターの尊厳を傷つけたり、ファンや関係者への侮辱にあたるから止めた方が良いですよ? 彼女は、霧深夜苺花さんというVTuberさんは、先日の配信中に謂れ無き罵倒をスーパーチャットで浴びせられて、今日はいたく傷付いて予定されていた配信をお休みしているのです…」
「スーパーチャット…なんだそりゃ?」
「視聴者が配信者へお金とメッセージを一緒に送る投げ銭の事です。五千円以上のものがピンク、一万円以上のものが赤と、一度に送れる金額が五万円までと定められています」
「……送った事あんのか?」
「先立つものがないのに、どうやって送れと?」
またも大きく溜め息を吐いて項垂れた高天原が最近見ていたものは、少しだけ聞きかじった事のあるVTuberというものだった。
実際に見た事はないし、高天原のように熱心に配信を覗いた事もないが、これだけ世間を騒がせていれば流行に疎い俺の耳にも自然とどんなものか情報が入ってくるというものだ。
「成る程ねえ、あれがVTuberかあ…そんで? そこにはどんな内容が書かれてたんだよ…?」
「えっと、それはですね……」
───ピンポーン…
「ん?」
「おや、こんな朝早い時間に珍しいですね。まだ八時前ですよ?」
───果たして、鳴らされたチャイムの向こうでは、どんな容姿をした人物が扉の前に立っているのか、どんな格好でこんな寂れたビルを見付けて、どんな声で助けを求めてくるのか…
俺と高天原が視線だけを動かして、その謎に包まれたままの方角を見つめていると、とても綺麗で透き通った可愛らしい声が聞こえてきた。
「───あ、あのう…朝早くすみません。お話を、私のお話を少しだけ、聞いて頂けませんか…?」
「この声…もしかして、き…霧深夜さん?」
「は?」
俺にはよく分からなかったが、最近とある配信者の熱狂的信者だった高天原は、その扉の奥から届いてきた細く小さな声を聞いただけで、今回の依頼人が誰であるかを当てていたのだ…




