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第11話「レイハラですね②」

「……なんだよ、そのレイシャルハラスメントってやつは?」

「おや? 御存知ないようで?」

「ちっ…知らねえの分かってて言ってんだろ? 反論するのも面倒臭えから早く答えろよ」

「あはは、張り合いがないですねえ」

「……仲良いねえ」


 拳を握っていた高天原に問い掛けると、先程の表情から一変、また人をからかうような仕草を見せた。

 舌打ちで苛立ちをアピールしたのだが、そんな俺の態度も笑って受け流されてしまって、また要らぬ事を言ってきた田中織音(オリオン)に向き直って、隣のバカはいつもの通り高説を開始したのだ。


「えっとすみません、レイシャルハラスメントっていうのはですね織(・)音(・)さ(・)ん(・)。特定の人種、国籍や民族、肌の色や宗教などを理由に、職場や学校などで相手を侮辱したり、不利益を与えたりする人種民族的嫌がらせの事を指します」

「人種民族的差別ぅ…?」

「ええ、例えば貴女のように見た目どうしても外国人に見えてしまう者に対して、悪気がなく冗談のつもりで行われるケースが多く、日常の(マイクロ)些細な差別的言動(アグレッション)として人々を苦しめ、精神的に蓄積しやすいのが特徴です」

「マイクロアグレッション…なんだいそれ?」

「マイクロアグレッションとは、悪意や差別する意図がないにもかかわらず、無意識の偏見や(アンコンシャス・)思い込み(バイアス)から何気なく発した言葉や態度によって、相手を傷つけたり不快にさせたりする自覚なき些細な攻撃(さべつ)の事です。言葉や態度に無意識に現れ、否定的なメッセージとなって伝わり、意図せず誰かを傷つけてしまう事を言うのですが、自覚なき悪意という物が一番恐ろしいとは、まさにこの事ですよね」


 つらつら話す高天原に呆気に取られた魔女は、途中で自分が下の名前で呼ばれた事も気付かず、青い目を大きくさせて、やたら博識な女子高生の話に聞き入っていた。


 調子に乗った高天原は、さらに人差し指をピンと上げて鼻も高々に言葉を繋げる。


「社会的な実例を1つ挙げるならば、肌の色や髪型、顔立ちなどの外(・)国(・)人(・)風(・)な見た目だけを理由に、警察官から繰り返し職務質問を受けた事例が問題視されていますね。さらに昨今では、そんな外見を理由にした職務質問は人種差別であり違憲だとして、国などを相手取った裁判も起こされています」

「……じゃあ、私もその裁判とやらを起こせるって訳かい?」

「どうですかね? レイシャルハラスメント事態を直接取り締まる専用の独立した法律はありませんが、労働施策総合推進法(パワハラ防止法)や労働基準法などの既存の法律が適用されれば、裁判を起こせる可能性も十二分にあります」

「ふむふむ…成る程ねえ…」

「……ですが一方で、ハラスメントの事実や違法性が十分に証明できない場合、請求が棄却されるケースも存分にあります。客観的な証拠の有無が非常に重要となってきますから、このようなエステサロンで、二人きりの空間内で起きた出来事を正当に提訴出来るかと言われれば……」

「……まあ、難しいだろうな」

「───と、うちの弁護士先生も仰っていられますしね」


 最近暇な時間に人の六法全書を引っ張り出しては、やたら熱心に読みまくっていた高天原は、培った弁護士顔負けの知識を満足気に披露した後で、手の平を上に向けスッキリとした笑顔で「どうぞ」と、話の続きを俺に渡してきた。


「ちっ…それに弁護士にあるまじき台詞だが、俺はその裁判とやらをあんまりお勧めしねえ」

「……何か理由があるのかい?」

「理由か……」


 少し悩ましげな表情をした田中織音にジトッと見つめられながら、俺は腕を組みつつ考える。


 ───確かに日時や場所、言動を細かく記録したメモや日記を残していたり、友人や同僚などの証言を集めることでハラスメントを会社や外部窓口に相談主張したりする事は出来る。

 メールやLIMEの暴言履歴や理不尽な業務指示が残っていれば、それを保存して印刷したり、心身の不調で病院を受診した場合は、医師の診断書を取得し残しておけば、弁護士に相談し慰謝料を請求する事は大きく可能だ。


 ───しかし…


「俺が裁判をお薦めしない理由は大きく分けて三つある」

「ほう、なんだい?」

「……先ず第一に証拠集めが過酷で時間がかかるし、クソ面倒臭えって事だ」

「それはまあ…確かにそうだね」

「続いて二番目に、これはこの前相談に来た奴にも言った事だが、決着がつくまでには約半年から1年以上の膨大な時間がかかる」

「そんなにかい?」

「ああ…そして最後に、裁判の途中で相手方から『嘘つき』『勘違い野郎』等と心ない反論をされて心身的な二次被害を受ける事だってあるし、弁護士費用や裁判費用を払った結果、勝ち取った慰謝料よりも出費が多くなって費用倒れになるリスクもあるって事だ」

「成る程ね、それは出来るなら避けたいねえ…」

「その覚悟があった上での依頼なら俺は引き受けるが…どうする? これから数週間、もしくは数ヶ月、いつ来るかは分からない客を相手に証拠集めを乗り越えてから、更に長期間の裁判を起こすか? 大事な自分の時間を恨みに潰すか? それでもアンタがやりたいって言うなら俺も重い腰を上げるがな?」  


 俺は別に裁判を起こすなって言ってる訳じゃない、ソイツが本当に苦しんでいるんなら、相手を許せないほど憎くて堪らないのなら、今言った例を聞いてでも動く気があるのなら、こちらだって覚悟を持って法廷へと出向く気はある。

 ……ただ少しだけ、そんな糞みたいな奴に大事な自分の時間を割くのは勿体ねえんじゃねえかなって思うだけだ。


「……いいや、止めとくよ。その客を今後一切出禁にすれば済む話だし、私の見た目が相手を勘違いさせてしまっていたのも頷ける話だしさ、ただ少しだけ、耳が痛かったってだけだからさ…」

「……織音さんは自分を責める必要ないと思います」

「ありがとうね、優しい助手さん」

「ちっ……」


 ───だけど、だからといって俺は自覚のねえ些細な一言で傷付いてる奴を見捨てておけるほど腐っちゃいねえ。

 ここで終わりにしたんじゃ、その自覚なき悪意は何れ違う誰かのもとへ矢印が向くに決まってる。


「おい田中織音、スマホ出せ。出して俺と連絡先を交換しろ。そんで次にソイツが来た時に扉を開ける前に連絡を寄越せ、ソッコーで駆け付けて打(ぶ)ちのめしてやるからよ」

「古林さん……」

「へえ、顔に似合わず優しいじゃないか? でもお生憎様、私はそんな簡単には靡かないから色仕掛けをするなら別な相手を選ぶといいよ」

「そんなんじゃねえよクソッタレ、このまま相談料だけ分捕(ぶんど)って帰ったんじゃ夢見が悪いだけだ。…いいから早くスマホ出せよ田(・)中(・)織(・)音(・)」


『あっはっはっ』と笑いながら紫のローブを羽織った妖艶な美女は、立ち上がって高天原に負けず劣らずの細い指先で服の袖からスマホを出した。

 これで二人目となる女性の連絡先が俺のスマホに登録された訳だが、隣で少し面白くなさそうな顔をして見ている高天原が、本当に女性だったらの場合ではある。


 †††


「ひっ、ひいい…俺が悪かった。今までの事も全て謝るし、ここにはもう二度と来ねえと誓うから、頼むからもう止めてくれ」

「その台詞…男に二言はねえんだろうな?」

「ない! 絶対ないから、頼むからもう尻(ケツ)を蹴らないでくれえ!」


 ───後日、あれから一週間ほど経ったぐらいの時に、相変わらず暇してた俺と高天原のもとへ1本の着信が入った。

 何一つ情報の入って来ないニュース番組をソファーでボンヤリ眺めてた俺と、また小難しい本を引っ張り出してきて鼻息荒く隣で読んでいた高天原は、その滅多に鳴ることのない着信音に跳ね起きた。


「古林さん、もうその辺にしておいた方が…」

「そうだね、いくら一部始終録画してあるといっても弁護士が暴行罪で訴えられたなんて事になったら洒落にならないよ…」

「ただ二回ほど尻を蹴飛ばしただけだろうが?」

「その二回がめちゃくちゃ痛えんだけど、アンタ何か格闘技でもやってるのか!?」


 俺とほぼ同じぐらいの年に見える金髪のピアスを開けた男はギャーギャー騒ぐが、生憎と俺は生まれてこのかた格闘技なんて習った事ねえし、そもそもスポーツなんていう物が大嫌いだった。


「ある訳ねえだろクソッタレ、何が楽しくて汗水流しながら人を腕力で攻撃する術を身に付けなきゃなんねえんだ? いいか、最大の暴力は腕力でも何でもねえ、人を捻じ伏せる言葉の力だ。無責任に、無意識に、自分の要らぬ発言で人を傷付けて、最悪は殺してしまう可能性があるって事を、その足りねえ脳味噌にようく叩き込んどけ!」

「あ、あうう……」

「───ああ、そんぐらいがテメエが発する言葉にはちょうど良い。誰かをからかってでしか幸福感を得られない器の小せえテメエにはな…」


 俺が蹴飛ばした男は情けねえ事に、ドアの外で尻餅ついて、それからスタコラと生まれたての小鹿のように脚を震わせながら、酷(ひで)え格好で廊下を走って逃げていった。


「……んだよ、何か文句でもあんのか?」

「い、いいえ…」

「別に無いけど、アンタ案外いい男だったんだね…」

「───あ?」


 振り返って見た二人は、人生上手く行かなくてストレスが最高潮に達した時に、酔っ払っては電柱を思い切り蹴飛ばす事が生き甲斐でしかなかった阿呆な俺を、なんかよく分かんねえけど入口の奥から羨望よりも深い眼差しで見ていたのだった。

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