第10話「レイハラですね①」
二階に住む怪しげなエステサロンを開く妖艶な魔女は、いつも紫色のローブを被っているから、その素顔を知る者は殆どいない。
俺の事務所より僅かに客が入る程度の店内は、同じく怪しげな紫の光で満たされている。
朝も昼も夜も、太陽が昇っていようが、代わりに欠けた月が昇っていようが、星が多く瞬いていようが関係ねえ、最初の挨拶で一度だけ覗いた事がある彼女の店は、出来るなら中には踏み込みたくねえなって思う雰囲気だった。
なんだか、別の世界に連れていかれそうな気がしてさ…そう、まるで異世界にでも迷い込んだみたいに……
「……アンタ、折角出した人の顔ジーッと見て何も言わないのは、随分失礼な行為だと思わないかい?」
「す、すっごく綺麗な方ですね。ね? 古林さん?」
「…………」
珍しく高天原と食料の買い出しに行った帰り道、一階から三階に続く折り返しのある階段を昇っていたその時に、二つ目の折り返しに辿り着いた辺りで、二階にある廊下の扉から顔を出した魔女に呼び止められた。
「……えーと、I can't speak English…」
「私は日本人だよ! 失礼な奴だね!」
「───えええ!?」
……俺達が住んでいるビルは結構変わった造りをしていて、一般道から少し入った所にあるカフェの薄暗い扉の前に屋内階段があって、そこを上がった先の二階部分のみに共用の廊下が設置されている。
先日、高天原が鼻歌交じりにスキップしていた場所は、その1つしかない廊下だったって訳だ。
「ど、どう見ても西洋人にしか見えないです…」
「生憎と父も母も純日本人だよ」
俺とそんな何度も瞬きする高天原が奇しくも同居してる場所は、階段を上がり切って直ぐの所に入口があり、一階と三階はフロア全体が営業スペースとして使える謎の仕組みとなっていた。
「し、信じられません…ね、古林さん?」
俺とその魔女が交わした会話の後に、薄暗い室内で高天原が驚いている。
……時刻はまだ11時だというのに、そんな手狭な部屋に住む魔女に手招きされて、薄暗い部屋の中に連れ込まれた俺達は、紫のブラックライトだけが頼りの世界で待ち合い室に案内され、座る暇もなくローブを取った素顔を拝まされたのだ。
久し振りにグリーンの私服を着た高天原は、紫が合わさって気味の悪い色になったカーディガンの上にある顔を、ビックリした絵文字みてえに固まらせていて、それが何だか可笑しかった。
「いや、嘘をつけ…どんな突然変異で産まれてきたら、そんな彫りが深い顔立ちになるんだよ?」
「私が聞きたいね! ったく、やっぱり依頼取り下げようかねえ!」
靡くような金髪に、青みがかった瞳をした非常に目鼻立ちの整った美女は、誰が何処から見ても立派な外国人にしか見えず、そして驚く事に彼女は久し振りに現れた依頼人だったのだ。
†††
「……その髪と瞳の色は、純粋なのか?」
「生憎とね! 父も母も二人とも真っ黒な髪の毛なのに、私だけがこんな髪色なんだよ、瞳の色もね! 悪いかい、何か文句あるかい!」
「……たぶん、恐らく顕性と潜性遺伝の関係だと思われますね。黒髪は顕性遺伝、金髪は潜性遺伝として扱われていて、黒髪や茶髪の両親がどちらも潜性の金髪遺伝子を隠し持っている場合、確率的に金髪の子供が生まれるケースが稀にあるのです」
「両祖父母っていうか、直系尊属に外国人の血を引く者はいなかったのか?」
「知らないよ、聞いた事もないね」
「……もしかすると、遠い遠いご先祖様にそんな方がいたのかも知れませんね…」
「ええい、いいから黙って座っとくれ!」
ついつい過去を深掘りし過ぎてしまったのか、小難しい話が大好きな高天原と、どちらかと言えばあまり得意ではない俺は、渋々と怒れる魔女に言われるままに待合室のソファーに並んで腰を下ろした。
「……それはそうとアンタら、喧嘩でもしてるのかい?」
「いや?」
「別にしてないですよ?」
「ふぅん…それにしては二人の間に微妙な距離感を感じるんだけど、気のせいかね?」
そんな並んで座った俺達の距離を見て、少し落ち着きを取り戻した彼女から逆に不躾な質問が飛んできた。
少しずつ元の距離感に戻ってきた高天原であるが、未だ以前のような人のプライバシーにずけずけ上がり込むような図々しさは見当たらない。
この田中織音とかいうキラキラネーム過ぎる女性に指摘されても、『は…はは…』という空笑いをするだけで、そこから先、俺の方に詰め寄ってくる気配は一向に見えなかった。
「どうやらタバコの匂いが苦手らしくてな、結構気を遣って本数を減らしたり、歯磨きを多めにしたりしてるんだが、完全に禁煙しない事には心を開いてくれないようなんだ…」
「───ち、ちがっ」
「よく分からないけど事情がありそうだねえ、まあ男女が1つ屋根の下で暮らしてりゃそういう事もあるもんさ…ただし嬢ちゃん、心を許す相手はもう少し近い年齢の人にした方が身の為だよ?」
「い、いえ…というか、そもそも自分と彼は同い年でー……」
「え? なんだって?」
「おまっ、少し黙ってろ!?」
放っておくと、次から次へと余計な事を口走りそうになる高天原を見て少し焦る。
俺だからまだあの変な話を聞いても落ち着いていられるが、普通の人が聞いたのなら、流石に頭がおかしくなったのではないかと疑われるに決まってるからだ。
「───ゴホン、取り敢えず田中織音。俺達の仲の事は変に怪しまなくても大丈夫だ。例え天地が引っくり返ろうと、こんなハラスメント狂いの女子高生にだけは手を出さないと誓うから安心してくれ…そして例え年が同じだろうと、そんな性格のコイツじゃ、全ての行動に難癖を付けられそうで気が気じゃねえから絶対にゴメンだ」
「あっはっは、そうかいそうかい。まあアンタはそれで良いんじゃないか? 隣の嬢ちゃんはどう思ってるか知らないけどねぇ…」
「じ、自分も別に……」
ふと隣を見ると、何だか少し残念そうな顔をした高天原がいたが、俺にはその理由がさっぱり分からなかった。
「まあ、嬢ちゃんも『どうしていいか分からない』っていう状況みたいだから、これ以上は深く詮索しないでおくよ…」
「……んな事より、田中織音」
「フルネームで呼ぶんじゃないよ」
「……織音」
「下の名前で呼ばれる方が嫌だね、名付けた親を私は今でも恨んでるんだよ」
「名字が平凡過ぎるんだ、他の依頼者と区別しづらくて面倒臭え。それこそ先祖代々の家系を恨めよ」
「ちっ、それで何だい? 改まって」
「……俺達をわざわざ連れ込んだ理由を、そろそろ教えてくれねえか?」
「────あ」
「そ、そう言えばそうでしたね、用件って何でしょう?」
少しだけ空いた沈黙の時間に、待ち合い室の奥の部屋から怪しげなアロマの香りが流れ込んでくる。
この場にいる非常に見た目の整った女性二人は、どうやら三歩歩けば忘れてしまう鶏並みの脳味噌のようで、やっぱり天は二物を与えないようだった。
「……客にさ、いるんだよ一人。私を外国人だと勘違いして何度違うと言ってもしつこく出身国を聞いてくるステレオタイプのクソがさ…一応は客だから無下にはしてないけどさ、いい加減腹が立ってきてね…どうにかソイツを法律で裁けないかと思って、アンタらを呼んだんだよ…最近羽振り良いんだろ? 自分の名声や損得勘定抜きで親身に相談に乗ってくれる強面の弁護士と、その優しい助手さん?」
「別に羽振りは良くねえけどさ…てか、見たのかよあのサイト」
「たまたまだよ…仰向けでベッドに寝転がってる時たまたまね……」
真剣な顔付きで悩み事を打ち明ける紫色のローブを着た田中織音は、鮮やかなネイルを肌に食い込ませるように強く強く手を組んでいて、俺との間に人一人分の幅を空けて座っていた高天原はその話を聞いてー……
「レイハラ…典型的な『レイシャルハラスメント』ですね」
────等と、またも聞いた事の無いようなハラスメント名を、黒のスカートの上で拳を握りながら許せないというような感情を乗せて口にしていたのだ。




