お姉様って呼んでもいい?
「また、来ちゃった。もしかして、お呼びじゃなかったかしら。くふふ」と真美。
「姫、お迎えに上がりました」とマサト。
俺と鮎は、既に、身支度を整え、手荷物もまとめていた。
「二人とも、少しお疲れの様子だけど表情が艶やか。昨夜はたっぷり楽しめたみたいね」と真美。
「どうせ、俺たちのこと、全部見てたんでしょう。隠しカメラか何かで。期待されるような事はしていませんよ。俺たち」
俺はそう応じた。
「そんな無粋な事はしないよ。隠しマイクを置かせてもらっただけだ。悪く思わないでくれよ。工作員だと言っただろ。僕たちの商売道具なんだ。君たちの安全を確保するためでもある」
マサトは部屋の備品の一つを手に取って、そう言った。
「さて、手短に、今日の救出作戦の手順を説明しよう。心配しなくても大丈夫。君たちが想像しているような危険は無い。むしろ、これからの日々は、平穏過ぎて暇を持て余してしまうかもしれない」
昨日この場で、とんでもなくヤバそうな物を見た後では、マサトの言葉を鵜呑みには出来ない。まあ、あれは、鮎の眷属だということだが。
「君たちには、街中に張り巡らされた監視カメラ網を誤魔化すため変装してもらう。ルート上の監視カメラは、僕たちの仲間がハッキングする手筈だが、取りこぼしも考えられるからね。そして、僕たちについてきてくれさえすればいい。簡単だろう。ただし、注意点が三つある。まず、手に触れられる物にはけっして触れてはいけない。例えば、ドアノブとか手すりとかね。ドア自体、出来るだけ見るな。空も見上げてはいけない。全て僕たちが先導する」
そう言って、一旦言葉を区切て俺たちの目を見るマサト。
この説明のどこが平穏過ぎる日々だと言うのだろう。危ないフラグ立てまくりじゃないか。俺は、そう思いながらも聞いているしかない。
「二つ目、この部屋の外で生体痕跡を残さないように気をつけて。髪の毛一本でも落としては駄目だ。つまり頭をかくなってこと。口にすることはないと思うが、ガムやストローも厳禁。もちろんトイレもだ。この部屋で済ましておくように。そして、三つ目、途中で使徒に遭遇しそうになったら、僕が合図を出す。その時は、なりふり構わず、散り散りになって逃げろ。必ず単独行動で身の安全を確保するんだ。互いに相手をかばうな。僕たちの仲間が後で必ず君たちを保護する。そのために、この発信機を肌身離さず持っていてくれ。それから、もう一つ付け加えるけど、使徒に抵抗しようとするんじゃない。ただひたすら、逃げろ。奴らは地球の重力に慣れていないから、長距離を走るのは苦手なんだ。それが弱点だ。憶えておいて」
俺と鮎は、無言でマサトからペンダントを受け取った。後には引けない。もう、引くつもりもない。
「ねえ、お兄ちゃん。これって、スパイ映画みたいだね。うふふ」
真美によって変装させられた鮎はそう言って笑った。まるで別人だ。美形の男の子にしか見えない。
「笑いごとじゃないだろ」
「だって、お兄ちゃん。可愛い過ぎるんだもん。うん。すっごい美少女」と、クスクス笑う鮎。
俺は何故か女装させられている。念入りに化粧を施され、ロングヘアのウイッグ、ひらひらのスカートにニーソックス。この格好で、どうやって全力疾走しろって言うんだ? 何だか、ものすごく手の込んだ悪戯に巻き込まれているような気がしてきた。
男の子の姿になった鮎と女の子の姿の俺が街中を並んで歩く。前方にマサトと真美の姿を目で追いながら。近づき過ぎず離れ過ぎずついてこいというのがマサトの指示だ。
怪しまれてないよう、俺は努めて女の子らしく振る舞おうとした。案外やれば出来るものだ。倒錯的だが、俺、素質があるかも。って、変な趣味に走りたくないよ。
傍目から見たら、俺と鮎、姉と弟のように見えてるのかな。やっぱり、不思議な感覚だ。
人込みの中に入るのは、最初緊張したが、だいぶ慣れてきた。ただし、すれ違う男達の好奇な視線が、俺の姿を追うのは、生理的に嫌だ。
「お姉ちゃん、美人過ぎるんだもん。仕方ないよ。うふふ。ぼくも、弟として鼻が高いや」
「鮎。私語は控えるようにって言われてるでしょ」と、俺はささやきかけるように言う。
こんな調子だ。これで本当に監視の目を誤魔化せるのか? かえって目立っているような気がするぞ。
電車を乗り継いで向かった先は、聖都郊外の閑静な住宅地だった。これがアジトだろうか?
「ここは、組織の協力者が提供してくれている一時的な中継基地の一つだ。僕たちの仲間が君たちを回収するまで、ここで待機してもらう。家主には、君たちをレジスタントの志願者だと紹介しているから、話を合わせるように。くれぐれも本当の身分は明かさないように。いいね」
マサトは、そう言って分厚い書類を俺に渡した。
「君たちの仮の名前と経歴を記したものだ。しっかり読んで、頭に叩き込んでくれ。質問があったら、今のうちに」
「わたくし、じゃなくって俺、元の姿に戻っていいんですか? 鮎も?」
「もちろん、いいわよ。くふふ。でも、鮎ちゃんは、その姿も凄く可愛いくって素敵だから、そのままでもいいかも。私、男の子には興味無いんだけど、これはかなりきてるわ」
「真美、自分の趣味に走って混ぜ返すんじゃない。数日中には僕たちの仲間が迎えに来るから待機して。それまでは新しい自分に慣れる準備期間だ。それから、この家の主人には、組織の内情は秘密にしているから、そのつもりで。協力者と僕たち互いの安全のためだ。もちろん、僕と真美の名前も秘密だ」
そう言い残して、マサトと真美は出て行った。また鮎と二人きりになれたということか? でも、この家の主人って……
綺麗に掃除の行き届いたリビングの室内を見回してた俺は、マサトから渡された書類に目を落とした。まずは、これを読んで新しい俺たちについて学ばなければならない。もう、俺と鮎、神無月家の人間ではなくなるんだ。
俺の新しい名前は遠坂亜夢、苗字だけが変わった。そして、鮎の名は神室鮎。俺たちは兄妹ではなくなった。
鮎は財界の有力者の末娘で、政略結婚のため、歳の離れた年上の御曹司の許嫁に決められていたが、学校の部活の先輩で兄のように慕っていた俺と道ならぬ恋に落ち、密かに駆け落ちを決意、レジスタント組織がそれを手助けしたことになっている。
書類にはそれ以外の設定も事細かに記載されている。こういったところはマサトの性格だろう。そして、俺と鮎、二人それぞれの聖都市民のIDカードも添えられていた。もちろん偽造品だろうが、本物にしか見えない。
「ぼくたち、もう兄妹じゃないんだね」と鮎。
「うん。駆け落ちした恋人同士だ。ところで、鮎、ぼくって」
「うふふ。なんだか、気に入っちゃた。この呼び方。ねえ、お兄ちゃんのことは、これまで通りお兄ちゃんでいいよね。兄のように慕っていたってことだから。うふふ。それとも、お姉様って呼んでもいい?」
「それだけはやめてくれ。俺、もう、こんな格好してる必要無いんだった」
慌てて、ウイッグを取ろうととする俺を鮎は止めた。
「待って。せっかくだから、もう少しだけ、美人なお姉様でいて。後でまたぼくの胸、少しだけだったら触らせてあげるからさ」
「なんだよそれ。鮎、お前な……」
「いいから、お兄ちゃんはここに座って、じっとしてて。うふふ。前髪はもう少し、こうして、それから、こっちはこうっと。やだ! お兄ちゃん、可愛すぎる。お肌も綺麗で、お化粧の乗りもいいし。お人形さんみたい。ううん。お人形さんよりずっと綺麗。あ、ちょっと待って、口紅の色を変えさせて。ぼく、ちゃんと持ってきてるんだ」
鮎のお人形さんごっこに黙って付き合いながら、我ながら順応性の高さに関心してしまう俺。
はしゃいでいる鮎は、眷属を従えてマサトを膝まずかせていた昨日の神々しい威厳を纏った鮎と同じ姿には見えない。昨夜、俺の腕の中にいた鮎とも別人のようだ。まあ、いつもの鮎だ。悪戯好きで、可愛い、俺の妹だった鮎。
俺は、何だかほっとしていた。その一方、俺は、この家の主人について思いを巡らせていた。
レジスタントの協力者、名前は、大出町瑠奈とだけマサトの書類に記されていた。何故か、それ以上の情報は無い。
ルナって、月の女神だよな。偶然だろうか? 偶然だろう。俺は思った。よくある女性の名前だ。
閑静な住宅街の一角に建つこの家の大きさからして、レジスタントの協力者でありながら、表の顔は、聖都の大物だったりするのかもしれない。中庭に池まである神無月家の屋敷に比べたらだいぶ規模が小さいものの、一般庶民の家には見えない。リビングの調度品は金ぴかで若干趣味の悪さを感じるものの高級品そうだ。寝室にはこれ見よがしに天蓋付きのベッドがあったりするかもしれない。そんな感じの家だ。
鮎が俺をいじり回してはしゃいでいる最中、リビングのドアが開いた。家主の登場だろう。留守で、今帰宅したのか、それとも、別室で俺たちの様子をうかがっていたのか、いずれにせよ、俺たち無断で入り込んでいる以上挨拶しなければならないだろう。
次回:原初の女神とエロス
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