新巫女の姫始めー初競りの儀
巫女の姫事の相手として月に選ばれるのはこの国に顕著な貢献をした人物と決められている。学者、文化人、政財界の大物、教団の有力信徒衆、または、聖都の旧王族が選ばれることも多い。巫女の代替わりの際、初めての儀式では、将来有望な若者が月に選ばれる決まりだ。その実、新しい巫女の初々しさと美貌を目当てに、闇オークションで大金が動いているのは公然の秘密だ。それは、姫始めの儀、そして、陰では初競りの儀とも呼ばれている。
巫女がよく口にする月のお告げなんかじゃない。
時期尚早とされながら、神無月家の次期巫女、つまり鮎の初競りの時期と金額の下馬評が世間の注目の的になっているという噂は、耳を塞ごうとしても嫌でも俺の耳に入ってきてしまう。表向き神聖な儀式なのだから、半ば公然の噂だ。
姫始めの儀の相手が巫女の伴侶になるのも暗黙の決まりだ。仮初めの君と呼ばれている。俺たち兄妹の父親がそれだ。亜里沙より二十も年上だし、実のところ、彼が家にいることはほとんどない。俺たち兄妹の実の父親かどうかも分からない。むしろ、兄と妹、父親はそれぞれ違う公務の相手だと考えるのが自然だろう。
儀式に供せられる巫女と相手の人選の決定権は月の使徒が持っている。俺も、家を訪れた使徒に会ったことがある。長身で性別不明な得体の知れない人物という印象がある。
世間一般が神の使者として羨む巫女、その内実は結婚相手を選ぶ権利すら無いのだ。
ただし、例外はある。最上位の巫女は、姫神と呼ばれる。そして、姫神候補の少女は、清童事始めという儀式で、全国から選び抜かれた七人の清童を相手に、七日の間、毎夜、東のお宮と呼ばれる神聖な施設で一人ずつ初夜を過ごす。そして、最後の夜が明けた時、少女が清童の中から一人を選び、姫神の伴侶にするという。かつては、選ばれなかった六人の清童は、使徒によって月への生贄にされたという話だ。つまり姫神をめぐる命がけの求愛だ。もちろん、現在ではそんな野蛮な掟は無くなっている。
直近の姫神候補だった道明ヶ原家の三十三代目の彩奈様が清童事始めの初夜の只中に誘拐されて、行方不明になったニュースは、世間を驚かせた。
報道によると、彩奈様を誘拐したのは、実の兄だとされている。彩奈様が姫神候補になる前、密かに出産していたという噂もある。姫神候補に処女性が問われることはないので、それ自体は問題ではないが、父親をめぐって様々な憶測が飛び交っている。もっとも怪しまれているのは兄だ。そして、巫女の家に男子は禁忌だという話がさも当然のように語られ、俺自身も肩身が狭い思いをしたものだ。いまだに、月の使徒が二人を血眼になって探しているというが、レジスタントのアジトに匿われているという噂だ。つまり、国際公認テロリストだ。
ところで、月というのは、夜空を明るく照らすあの女月だ。小さな欠片のような男月じゃない。もちろん、空に浮かぶ月に人間がいるはずないので、月の使徒という言葉も単なる名称に過ぎない。
聞き慣れた鮎の携帯電話の着信音に、俺は、我に返った。
「あ、うん。今? 大丈夫、何でもないってば」
いつもの声色で応答する鮎。携帯電話を手で覆うようにして、そのまま、部屋を出て行く。半裸のまま、ドアを閉める時、ちらりとだけ俺を振り返った。いつもの悪戯っぽい笑みまで浮かべて。
やっぱり、からかわれているだけだ俺。ところで、鮎! 電話の相手誰なんだ? まさか、本当に彼氏? 駄目だ! そんなのお兄ちゃんが許さないからな。
その日の夕食は、俺が用意した。兄妹二人きりの食卓も初めてじゃない。慣れたものだ。でも、あんな会話の後、俺、まともに鮎の目を見ることも出来ない。
平静を装っているのか、それとも、これも悪戯のうちなのか、鮎は、何事も無かったかのように振る舞っている。
「やっぱり、お兄ちゃんの作った御飯美味しい! 料理の腕前だけは、十八代目様よりずっと上だよ。褒めてあげる」
「亜里沙は、公務で忙しいからな」
鮎は、自らの母のことを十八代目様と呼び、俺は名前で呼ぶ。鮎も今はちゃんと服を着ている。見慣れたいつもの部屋着だ。
「公務ね」
鮎は、意味ありげにクスっと笑いを漏らした。しげしげと俺を見つめている鮎の視線に耐えきれなくなって、俺は初めて妹の目を見返した。無意識のうちに苦笑を浮かべながら。この状況で、母の話題は出来るだけ避けたいのだ。
「お兄ちゃんのお嫁さんになる人、幸せだね。こんな美味しい御飯を毎日食べられるなんて」
鮎は、そう言って、ぺろりと舌なめずりをした。その艶やかな唇と舌を見て、俺は、思わず生唾をごくりと飲み込んだ。甘く、切なく、胸を締め付けられるような感じがする。
「あの時の電話の相手……」
何故か、そんな言葉が俺の口から出ていた。
「やだ、お兄ちゃん。そんなこと気にしてたの? うふふ。誰だと思う?」
悪戯っぽい満面の笑みで、鮎が食卓に身を乗り出してきた。
「知らないよ。鮎の友達だろ」
「うん」
「男? それとも、女?」
「それは、秘密」
そう答えると分かっていながら、問わずにはいられなかった。俺は、しばし無言で、鮎の表情から答えを読み取ろうとしていた。うん。無駄なことだけどね。
「ねえ。わたし、お兄ちゃんのお嫁さんになりたいって、言ってたよね。子供の頃」
「ああ。憶えてるさ。いつも、俺の後をついて歩いてた」
可愛い鮎。その一言を、俺は飲み込んだ。何故か今、兄妹としてではなく特別な意味を持ってしまうと思ったのだ。あんな物を突き付けられた後だ。仕方ない。
「今でも、そう思ってるんだよ」
鮎は、そう言って、吸い込まれそうな無邪気な笑みを見せた。
「うん……」
「お兄ちゃんのお嫁さんになりたいって。本気だよ」
「うん……。無理だろ。俺たち……」
「わたしが、巫女継承者だから?」
また、その話。まるで、堂々巡りだ。どうしろと言うのだ。道明ヶ原家の兄のように誘拐しろとでも? それとも、子供を産ませて欲しいとでも……
「ふん。お兄ちゃんの意気地なし」
鮎は、俺の顔色を読むように覗き込んでそう言った。
「な、何んだよ。意気地なしって」
「自分でも分かってるんでしょ。わたし、ちゃんと、これ使ってって言ったよね」
そう言いながら、鮎は、ビニールの小袋を俺の目の前に突きつけた。丸いコンドームの形が浮き出している。
「本当にいいんだな。俺、本気にするぞ」
そう言って差し出した俺の手を、鮎はひらりとかわした。
「ダメに決まってるでしょう。お兄ちゃんのエッチ。凄いエッチな目でわたしを見てるよ。うふふ。何、マジになってるの。冗談に決まってるでしょ」
鮎はクスクス笑い出した。やっぱり、巫女なんかじゃない。小悪魔だ。
次回:自由奔放巫女のお仕事とファーストキス
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