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(5)旅の目的

「――という感じで、ヴェラが一撃でゴーレムを退治したの!」

「ねっ、ヴェラって、すごーく格好いいでしょう!」


 日が暮れ始めた森の中。焚き火の橙色に照らされたエリンが、昨日とまったく同じ調子でどや顔を決めていた。

 当のヴェラはその隣で、いつものように淡々と装備の手入れを続けている。


 ナイフの刃こぼれを確認し、革袋のほつれを直す。


「感心するわ。わたくしのことばかり話して、よく飽きないものね。少しは脚色を控えたらどうかしら?」


「えっ? 脚色なんてしてないよ、全部本当のことだもん!」


 エリンは笑いながら、寝具の上に横たわる青年の方をちらりと見た。


「ヴェラの活躍は、ちゃんと伝えておかなきゃ」


 青年は相変わらず無言のままだ。だが、その目ははっきりと彼女たちを捉え、炎の揺らめきを追うように瞳孔が動いている。

 決して、抜け殻に向かって話しているわけではない。彼女たちの声は、皮を一枚隔てた彼の深淵まで、確かに届いているのだ。


「明日も、続きを話していい?」


 エリンが少しだけ遠慮がちに問いかけると、彼は今朝のように、エリンの口元を不思議そうに見つめた。

 咎めるような気配はない。むしろ、もっと声を聞かせてほしいと――独りではないことを、確かめていたいと言っているようにすら見えた。


「明日は、河口の町と、ヴェラが追跡者をやっつける話ね!」


 エリンはぱっと明るい声を上げる。

 ヴェラは肩をすくめて、火の世話に戻る。


「……また、わたくしの話をするつもり? あなただって、あの時はわたくしと同じくらい活躍したじゃない」


「それはダメ! サイにヴェラの格好よさを伝えなきゃ。絶対面白いし、たぶんお話を聞く感覚も戻ると思うよ」


 エリンはサイの寝具の端を直してやりながら、そっと笑った。まるで、小さな弟を寝かしつける姉のように。


「そんなふうにわたくしを持ち上げるのは、世界であなただけよ」


 ヴェラはため息をついた。けれど、悪い気はしなかった。


 * * *


 夜が明け、まだ朝露が残る時間。

 森の空気はひんやりとしていたが、焚き火の残り火が、彼女たちの境界線をじんわりと温めていた。


 サイの様子が、昨日よりさらに良くなっているのは明白だった。

 何かを言いたげに、唇を小さく、震わせるように動かしている。声はまだ出ない。乾ききった喉が、音を作る術を忘れてしまっているのだろう。


「……サイ、私の声、聞こえる?」


 エリンの問いかけに、青年は小さく頷いた。明確な「意思」の表示。ヴェラとエリンは思わず息を呑んだ。


「じゃあ、名前……教えてほしいな」


 しばらく考えるような素振りの後、青年はゆっくりと身を起こし、震える手を伸ばした。そして、土の地面に指を立て、一文字ずつ、丁寧に線を紡ぎ始めた。

 掠れた線が描いたのは――『ディーノ』という文字。


「ディーノ……というのね」


 ヴェラがその名を口の中で転がすと、隣でエリンがあからさまに頬を膨らませた。


「え~、私、サイがいい! 呼びやすいし、もう馴染んじゃったし!」


「ちょっとエリン、せっかく本人が教えてくれたのに……なんて無作法な……」


 ヴェラがたしなめようとした矢先、青年は再び地面に指を走らせた。


『それでいい』


「やったー!」


「ふふ……お人好しなのね」


 ヴェラとエリンは、思わず顔を見合わせて声を漏らした。

 久しぶりの、心からの笑顔。


 支度を整え、エリンが巨大な背負い袋を担ぎ上げる頃には、森に朝日が差し始めていた。


「じゃあ、出発だね」


 エリンは朝日を浴びながら、楽しげに足を踏み出した。


「……今日は、河口の町の話。町に入った途端、漂ってきたお魚の匂いに、ヴェラが盛大にお腹を鳴らした時のこと!」


 ヴェラは耳まで熱くなるのを感じ、やり場のない両手をぎゅっと握りしめて、前を歩くエリンの背中を睨みつけた。


「……っ、それは、不可抗力というものよ! あの時は、もう何日もまともな食事をしていなかったじゃない……!」


「あはは! サイも見たかったよね、ヴェラのあの真っ赤な顔!」


 ヴェラの抗議を風に流し、エリンの笑い声が街道に響く。

 彼女の紡ぐ物語は、かつての苦しみさえもどこか愛おしい記憶に変えながら、旅の空へとほどけていった。


 ◇◇◇◇◇


 開拓村を出発し、川沿いの険しい道を進んだその日の夕方。

 辺りにはどこまでも静けさが支配していた。


「これからどうするか――まずは、状況を整理しましょう」


 ちょうど良さげな岩陰を見つけ、荷を下ろしながらヴェラが切り出す。


 涼やかな夕風が草を揺らす中、彼女たちは日のあるうちに野営の準備を始めた。

 慣れない手つきでテントの支柱を組み、二人で息を合わせて布を張り上げる。


「初めは、エリンが『災厄』になるタイミングについてよ。それまでに、回避する手段を見つけ出さなくては」


「普通は、災厄の子に角が現れてから三ヶ月って言われてるんだよね?」


 エリンは支柱を引っ張りながら、自分の頭の上に宿るその感触に意識を向けるように、一巡だけ視線を泳がせた。


「でも、この角は、生まれたときからあったし。もう五年も経っているしね。だから、これが“災厄の兆し”ってわけじゃないよね」


 布がピンと張り、ヴェラが頷くと、エリンも「上出来」と満足げに合図を返した。そのまま屈み込み、土魔法で火を囲むかまどをこしらえていく。


「あの錬金術師の性格からして――あの男の任意のタイミングで、災厄を発現させることを目指していたはずよ」


「それはやだなぁ。せっかく外に出てこれたのに、勝手に始められたら困るよ」


 エリンは冗談めかして言った。

 怯えを隠すための軽口かとも思ったけれど、彼女の瞳に怯えの色はなかった。彼女は、ただ真っ直ぐに現実を見据えている。


「ただ、それはまだ未完成だったと見ていいと思うの」


「どうして?」


 かまどの形を整えながら、ヴェラは静かに言った。


「完成していたなら、とっくに実証実験を始めていたはずですわ。あの男なら――迷わず、そうする」


「うん……そうかも」


 エリンがぽつりと相槌を打つ。かまどを整え終え、立ち上がって土を払い、ヴェラはさらに言葉を重ねた。


「それに、彼は最後まで前回の災厄の“観測”を続けていた。まるで、まだ分からないことがあると言わんばかりに。つまり、まだ模索していたということですわ」


「確かにそうだよね」


 エリンは納得したように一度深く頷くと、「火、起こさなくちゃね」と小さく笑って、薪に使う枯れ枝を探しに少し離れた茂みへ向かった。

 そこでキノコの小さな群生地を見つけると、ヴェラに手招きをして、「これ食べられる?」と視線を送る。

 ヴェラが「食べられるわ」と頷くと、彼女の顔がぱっと明るくなった。


 二人で両手いっぱいのキノコを抱え、かまどへ戻ろうとした時だった。

 エリンがふと、前を歩くヴェラの背に言葉を投げた。


「……あのね、ヴェラ。『天より降る剣』が現れたあの時ね。自分の身体の中に、別の『誰か』が居座ったような気がしたんだ。心臓のすぐ隣で、冷たい目がパッと開いたような……そんな感覚だった」


 その声は平坦で、どこか自分の身体に起きた現象を他人事のように観察している響きがあった。


 直後、茂みの奥から低い唸り声が響いた。野獣たちが彼女たちを包囲している。

 だが、エリンはその瞳に怯えの色を見せることなく、ただ真っ直ぐに現実を見据えていた。


「災厄になるのは、次に『天より降る剣』が現れたとき……なのかな。そんな気がするんだ」


 ヴェラも怯むことなく土魔法を発動し、鋭い石つぶてを放ちながら、顔を上げてエリンを見つめた。


「……わたくしもその可能性が高いと思うわ。でも、前回の災厄のときには、霧はすぐに消えてしまった。たぶん、条件がまだ揃っていなかったからよ」


 エリンも火を吐き、野獣を追い払う。


「その条件が揃った時――本当に災厄になっちゃうのかもね。……その前になんとかしなきゃ」


 逃げていく影を一瞥もせず、彼女たちはテントへ戻った。


 ヴェラが土魔法でシェルターを二重に展開し、その横でエリンが口から吐いた小さな炎を薪へと近づける。

 薪に火が移るのをじっと確認していたエリンが、ふいに顔を上げ、ヴェラを見た。


「次に『天より降る剣』が現れるときって……その時って、誰かがもう災厄になってるってこと、だよね」


「そうね。災厄の子が出現し、災厄になって、一ヶ月後のことだもの」


「もし――その子に、災厄になる前に出会えたら? 助けてあげれば、災厄にならずに済むかもしれない。そしたら、“剣”だって出ないんじゃない?」


 少し考えてから、ヴェラは静かに首を横に振った。


「これまで人類は、幾度となく災厄を止めようとして――でも、どれも失敗に終わったわ。エリンも知っているでしょう?」

「それこそ、わたくしたちには何もできない。……災厄を止める術がない以上、見て見ぬふりをするしかないのよ」


 ヴェラは手元のナイフを動かし、手際よくキノコを捌いていく。白い断面を晒したそれをエリンに手渡すと、エリンは受け取ったそばから手際よく串に刺していった。


「想像したくもないけれど……。もし、あなたが災厄になってしまったら。その最悪の時を想定しておくことも、今のわたくしたちには必要だと思うの」


「『天より降る剣』が現れてる最中に、私が災厄になったら、か……」


 処理したキノコを串に刺しながら、エリンが確認するように言った。


「“本来の災厄の子による災厄”と、“災厄になった私”が同時に存在することになるよね」


「確かにそうですわね――その時、『天より降る剣』は、どちらを狙うのかしら……?」


「前回の観測を信じるなら、“災厄の子による災厄”、だよね。つまり、私は……狙われない」


「同時に二体の災厄が存在していた例は、記録上、一度もないけれど、“剣”は本能のように、最も危険な災厄だけを標的にするのかもしれないわね」


「うん。きっと、そうだよね」


 香ばしい匂いが漂い始める。エリンは焼き上がったばかりのキノコを頬張り、その熱さと美味さに、ほっぺたを押さえて喜びを表現した。


「大災害がひと月続いた後、というのが通説だけど、そもそも、『天より降る剣』は、世界がある“条件”を満たした時に落ちてくる。わたくしはそう考えているの」


「うん。それで……?」


「基準となる災厄が滅びれば、"条件"は崩れるとしたら。そうなれば、あなたの中に宿った災厄は、"滅ぼされる理由"を失うことになるわ」


 エリンがヴェラを見る。


「その“標的”が倒されたら、もう剣は出てこない……?」


「……可能性の一つ、という話ではあるのだけど」


「じゃあ……私は、剣に滅ぼされずに、“災厄のまま存在し続ける”ことになるかもしれないの……?」


「ええ。わたくしもその考えに思い至ってしまったわ。……自我を失い、化け物として残されるなんて、わたくしたちにとって最悪の結末よ」


 焼き上がったキノコを頬張っていたエリンの動きが、ふと止まる。


「ヴェラ。あの錬金術師の目的って、“滅びない災厄”を作ることなんじゃない?」


「……ここまでくると、そう考えるのが自然ですわね」


 エリンは残ったキノコの串を、ぷんすかとした様子で焚き火のそばに突き立てた。


「本当になんなのあいつ! 勝手に化け物にしようとしたり、終わらなくしたり……。それに、私を操る仕掛けまで施してたら、もう最悪を通り越して大迷惑だよ!」


「でも、霊力を持つあなたを制御するなど、そう容易いことではないはずよ。……きっとそうだわ。だからこそ、あの男は執拗に観測を続けていたのよ。災厄を意のままに操る術を見つけ出すために」


 エリンは自分の手のひらをぎゅっと握りしめた。


「……あの男を何とかしなきゃね。……もし、あいつと戦ったら、ヴェラなら勝てるんじゃない?」


 ヴェラは首を振る。


「勝てるかもしれない、という希望的観測では駄目なの。負けてしまえば、わたくしたちは永遠に世界の敵……。絶対に勝てるという確証がなければ、打って出るわけにはいかないわ」


 エリンはすぐには答えず、膝の上で自分の手のひらをぎゅっと握りしめた。

 何を考えているのか、その視線はただ真っ直ぐに焚き火の底へと注がれている。静かな時間が流れ……やがて迷いを振り切るように、彼女の瞳に鋭い光が宿った。


「そうか。私が強くなればいいんだ。……あるよ、絶対に勝てる方法」


「……え?」


「私が霊力を制御できるようになって、あいつより先に、災厄の力を操れるようになればいいんだよ!そしたらあんなの、絶対に倒せる!」


 ヴェラは思わず目を見開いた。驚きと共に、自然と微笑みがこぼれる。


「……頼もしいわ、エリン。ええ、それが一番現実的な戦略だと思うわ。霊力を扱えるようになれば、あらゆる術に対抗できる可能性があるもの」


 やがて、エリンが立ち上がって夜空を見上げた。


「じゃあ、旅の目的は決まったよね」


「ええ。あなたが霊力を制御できるようになること。その方法を探す旅よ」


「目的地は――」


「前回の“災厄が滅んだ地”よ」


 ヴェラは迷いなく言った。


「災厄の力の残滓が一番濃く残っているはず。霊力を知る鍵は、きっとそこにあるわ」


 満腹になったお腹をさすりながら、エリンが再び夜空を仰いだ。


「ねえヴェラ、今の話なんだけど」


「……まだ心配なことが残っているの?」


「ううん。こうやって、落ち着いたときにすればよかったんじゃないかって。……野獣を追い払いながらすることじゃなかったよね」


 ヴェラは一瞬、呆気に取られた。

 テントを張り、かまどを作り、襲いかかる獣を蹴散らしながら、世界の終焉を語り合っていた。生きるために必死に動かしていた手足と、あまりにも不釣り合いな内容の会話。


「……ふふ。確かに、エリンの言う通りね」


 ヴェラが小さく吹き出すと、エリンも「でしょ?」といたずらっぽく笑った。静まり返った荒野に、二人の明るい笑い声が重なる。

 塔での監禁生活でも、これまでの野生動物のような暮らしでも知らなかった、お腹の底から湧き上がるような可笑しさ。


「さあ、明日は早いですわ。もう寝ましょう」


 焚き火の最後の一片が灰になるのを見届け、彼女たちは小さなテントの中へと潜り込んだ。


 ――やがて、夜が明けた。朝霧が草の上に薄く残り、焚き火の跡がかすかに(くすぶ)っている。

 ヴェラは荷物の中から、布に包んだ地図を取り出して広げた。


「これが、開拓村でもらった地図よ。簡易なものだけれど……川はしばらく東に向かって、それから南に折れているわ」


 エリンが身を寄せてきて、指先で川の線をなぞった。


「このまま東に進めば、すぐに大きな街があるんだね」


「ええ。でも……」


 ヴェラは地図のさらに東、端のほうに記されたあの地名を指し示した。


「前回の災厄が滅んだ地に行くなら、本来はこの街を経由してまっすぐ向かうべきよ。でも、それはあまりに芸がないわ」


「読まれてるかもしれないね。あの錬金術師に」


 エリンの口調に、怯えはなかった。むしろ、あいつの裏をかいてやろうという、静かな闘志さえ感じられた。


「そう。わたくしたちが力を求めて災厄の痕跡を辿ることは、あいつにとって想定の範囲内。正面から向かえば、村のときのような追手が先回りしてくる可能性が高いわ」


 ヴェラは地図を折りたたんでから、不敵な笑みを浮かべた。


「だから、東の街道に抜けるのはやめにしましょう」


「……だったら、川沿いに行こうよ。こっちの南の河口に町があったじゃない? ちょっと遠回りだけど」


「距離は三倍になるわ。でも、川沿いの険しい道は追手のゴーレムにとって不利に働く。むしろ、わたくしたちには好都合ですわね」


 エリンの顔に、ほのかな光が差した。その表情につられて、思わず口元が緩む。


「それに――」


「海が見られるかもしれないわね」


 言いながら、エリンと目が合った。

 敵を出し抜き、かつ最高の景色を拝んでやろうという、火花のような希望がそこに宿っていた。


「よし、決まりね。河口の町を目指しましょう」


 旅は、決して楽なものではなかった。

 川沿いの道はぬかるみ、岩を越えるたびに足元を確かめなければならない。雨に打たれる夜もあれば、獣の気配を遠くに感じながら、身を潜めて朝を待つこともあった。


 五日目の夜。小さな火を囲んで息を吐くエリンが、ふとヴェラを見た。


「ここまで慎重に動けば、さすがに見つかってないよね」


「今のところは、順調と言えるでしょうね。でも、油断はしないで。静かすぎるのは、何かが潜んでいる証かもしれないわ」


 ヴェラは耳を澄ませ、闇の向こうへと意識を向けた。

 恐怖に震えているのではない。ただ、不測の事態にいつでも「石つぶて」を叩き込めるよう、静かに牙を研いでいるだけだった。


「わかってる」


 エリンは力強くうなずき、再び前を向いた。


 七日目の朝、空が一気に開けた。

 霧の切れ目のように視界が晴れて、目の前に、果てしなく青い海と空が広がっていた。

 川の終わり、その先に――河口の町が見えた。


 ヴェラは足を止めて風を吸い込んだ。潮の匂いが、はっきりとわかる。

 その横で、エリンが目を輝かせて言った。


「わあ……あれが海? 本当に、空とくっついてる……!」


 その声に、これまでの険しい道中への泣き言はなかった。ただ純粋な、まっすぐな感動だけがそこにあった。

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