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(3)始まりの塔

 遥か西の果て。険しい山々に囲まれ、俗世から切り離された断崖の上に、一本の塔がそびえていた。空を刺すようなその塔には、ひとりの錬金術師が住んでいた。


 ヴェラとエリンは、かつてその塔に囚われた「実験体」だった。あの男にとって、彼女たちは偉大なる研究の成果にすぎなかったのだ。


 エリンは、数十年に及ぶ研究の末に生まれた「成功体」として、至高の価値を見出されていた。

 一方のヴェラは、期待に背いた「失敗作」――所詮はホムンクルスという紛い物の命にすぎないのだと、そう扱われていた。


 ヴェラの心臓が培養液の中で鼓動を打ちはじめたとき、彼は狂喜したという。言葉を理解し、自ら思考する人工生命体。それは、錬金術師たちが長年追い求めてきた夢の産物だった。


 目を覚ましたばかりの頃は、確かに優しくされた記憶がある。教育も施された。世界の歴史、民俗、風土、天文、魔術……。塔に収められた膨大な蔵書を読み漁る日々は、ヴェラの記憶の中で数少ない、色彩を持った幸福な時間だ。


 だが、それも長くは続かなかった。

 男は「竜神の鱗」と呼ばれる秘宝を所持していた。おとぎ話にしか登場しない竜の鱗。それが真実なら、世界の理を超えた力を宿していても不思議ではない。男は秘宝の力を「霊力」と呼び、それを利用してヴェラを創り上げ、さらなる実験を強行した。


 人造人間と秘宝の融合。

 脳に、心臓に、鱗を埋め込まれた。霊力を直接、神経回路に流された。焼けるような熱。はじけるような衝撃。けれど、そのすべてが徒労に終わった。


「もうどうにもならん。“これ”は失敗作だということか……。実験はやり直しだ」


 ある日、男は眉間を押さえながら、独り言のように吐き捨てた。

 そしてヴェラを一瞥する。その瞳は、もはや壊れた道具を見るそれだった。


「ふん。やり直しとなると、別の素材で合成する必要がある……か。お前を作りなおさねばならんな」


 一体、この男は何を言い出そうとしているのか。理解が追いつくよりも早く、背筋を冷たいものが這い上がった。


「だが、せっかく知識を授けたのだ。それを捨てるのは惜しい……。ふむ。記憶を保持したまま、お前を素材に戻すことにしよう」


 男の口角が、三日月のように歪んだ。


「――そういう訳だ、失敗作め」


 不穏な予感が思考を白く染める間もなく、男の術がヴェラを拘束した。


「溶けてもらうぞ。意識を保ったままでな」


 そのまま、彼女は煮えたぎる薬液の釜へ、無理やり放り込まれた。


「ああああああああああああああっ!!」


 それは、かつて学んだどの単語にも当てはまらない、獣のような叫びだった。言葉なんて、とうに意味をなさなかった。ただ、全身の細胞が同時に焼き切れるような苦痛だけが、脳内を真っ白に埋め尽くしていく。


 悲鳴は泡となって消えた。意識が途切れないよう、あの男の術がヴェラの神経を強制的に繋ぎ止めていた。皮膚が溶け、肉が溶け、骨が崩れていく。自分の身体がドロドロの液体に変質していく感覚。


 焼けるような痛みが、永遠に続くかと思われた。


 * * *


 ――目覚めると、ヴェラは再び培養液の中だった。緑色の液体の向こうで、歪んだ景色が見える。

 身体の様子がおかしい。頭と胴体があることは判別できるが、手足の先には何一つ感覚がなかった。


「再構成は成功したようだな。以前のことは覚えているか?」


 ガラスの向こうで、男が問いかけてくる。ヴェラは、泡を吐き出しながら、かすかに頷いた。


「よし、では実験の続きを始めよう」


 その後も、融合実験は繰り返された。失敗、溶解、そして再生。幾度となくそれが繰り返され、彼女の身体は何度も溶かされ、何度も作り直された。

 意識を保ったまま行われるからこそ、苦痛も、恐怖も、慣れることなどあり得なかった。むしろ回数を重ねるごとに、それはより鮮明な輪郭を持って彼女を苛んだ。


「ぐぬう。人工生命体では、融合は不可能ということか……。この役立たずめ」


 男の苛立ちが募るたび、ヴェラの身体は、壊れかけの玩具のように雑に扱われるようになった。自分が悪いのだろうか。期待に応えられない自分の、この存在そのものが、根本的に間違っていたのだろうか。


「ああ、そうだ。次は子を産んでもらおう。――子ならば、人工生命体の枠を超えられるかもしれん」


 ヴェラは耳を疑った。だが、男は容赦なく続けた。


「『竜神の鱗』そのものを種にする。そうだ、それがいい」


 ぐにゃりと歪んだ笑みを浮かべる男の顔が、今も網膜に焼き付いている。


「今度は生殖器官を付与してやる。よい子を産むのだぞ」


 そして、再び彼女は溶かされた。

 抵抗する手足も、逃げる手段も持たぬまま。ただ、意識だけが灼けるような薬液の中へと沈んでいった。


 * * *


 新たな身体で目を覚ましたヴェラは、生まれたてのように意識が混濁していた。

 だが、腹部に残る裂けたような残痛が、現実の異様さをはっきりと知らしめていた。


 人造でありながら、自ら命を産み落とすという異形の出産。それは書物で読んだ「出産」とは似ても似つかない、凄惨な儀式だった。

 竜の性質を受け継いだのか、卵の殻を割るかのように、子は彼女の腹を内側から蹴破って現れたのだ。


 その頭部には、実験の成功を示す証のように、小さな角が二本生えていた。


 男は、裂けたヴェラの腹を魔術で修復しながら、ふと手を止めて彼女に視線を向けた。その表情には、今まで一度も見せたことのない色が浮かんでいた。喜びとも、満足ともつかない、どこか柔らかく、微笑に近いもの。それは、彼の中で何かが報われた証なのかもしれなかった。

 もちろん、はっきりと口元が綻んだわけではない。目元や頬の筋肉が、わずかに緩んでいる程度。それでも、その冷徹な横顔には不釣り合いなほど、奇妙な穏やかさが宿っていた。


「……お前には、その子の世話を命じる」


 男は、修復の術をかける手を止めずに続けた。


「手足のないままでは不便だろう。“これ”を装着してやる」


 彼が一瞥したのは、実験台の脇に置かれた器具だった。背骨をなぞり、肩甲骨と骨盤を強固に固定する、胴体の骨格をなすための外装パーツ。そして、そこに接続されるべき義手と義足。まるで標本のような――あるいは精巧な自動人形(オートマタ)を思わせる、冷たく無機質なパーツの群れ。


「これはゴーレムの技術を応用したものだ。わざわざお前のために用意したのだから、感謝するがいい」


 どこか誇らしげにすら聞こえる口調でそう言うと、彼はヴェラの胴体にその四肢を装着し始めた。術式は腹の修復と同じものだが、彼の動きには迷いがなかった。カチリ、カチリと、自分の中心を支える「部品」と機械が接続されていく音が、骨を通して脳に響く。


 男は最後に、満足げにこう言い放った。


「せいぜい、役に立って見せろ、亡国の姫君――」


 ククッ、と鼻で笑い、彼は続けた。


「――ゴーレム姫よ」


 それは、意思を持たぬ所有物に、あるいは単なる作業機械に命じるかのようだった。もはや彼にとって、ヴェラは意思を持つ生命体ですらはない。ただの“素材”として、“機能”として、ようやく及第点を与えられた道具なのだ。


 ……こうして、エリンは生まれた。

 竜のそれのように、後ろ向きに生えた角が左右に一本ずつ、ちょこんと伸びている。その姿は人間とはやや異質だったが、不思議と目を離せなかった。


 自分の腹を引き裂いて出てきたというのに、その赤子を前にした時、ヴェラはほんの少しだけ、胸が温かくなるのを感じた。これが母性というものなのだろうか。それとも、同じ“造られた者”としての共鳴なのだろうか。


 融合実験や、出産に伴う凄惨な記憶については、ヴェラは今も彼女には話していない。話す必要も、意味もないと思っている。彼女には、ただ笑っていてほしかったから。


 エリンの世話をする日々は、思いがけず穏やかなものだった。

 奇妙なことに、彼女は急速な成長を見せた。霊力の影響だろうか、わずか五年で、十代半ばの女性のような容姿へと育ったのだ。


 そしてその姿は、鏡を見るようにヴェラとよく似ていた。体つきも、髪の色も、顔立ちも――違いを挙げる方が難しいほどに。

 双子の妹が、突然隣に現れたような心地だった。自分とそっくりな存在が、すぐそばにいる。それだけで、塔の重苦しい空気が少しだけ和らぐような気がした。


 世間の人間とは異なる時間の流れの中で、彼女たちは確かな絆を育んでいた。


 * * *


 ――エリンの誕生によって、男の研究は飛躍的に進展したようだった。

 彼は上機嫌で、彼女に「エリン」という名まで与えた。実験の成果物に名前を付けるなど、かつての彼からは想像もできないことだった。


 生まれてから数年の間、エリンを対象にした実験が続いた。だが、彼女と“鱗”との融合は極めて安定しており、研究は順調に進んでいった。ヴェラとは違い、エリンに直接的な危害が加えられることは少なかった。そのためか、彼女は明るく快活な性格に育った。


「いよいよ、次の機会を待つのみか」


 錬金術師がそう呟いたのは、エリンの成長が安定しきったある日のことだった。それを境に、日々繰り返されていた実験はぴたりと止まった。以降、塔の中に流れる空気は静まり返り、張り詰めた重苦しいものへと変質していった。


 ヴェラは、その変化の意味をすぐに察した。この男は待っているのだ――次なる『災厄』の発生を。

 エリンが生まれ、融合体として安定した今、あとは外的な条件が整うのを待つばかり。霊力を最大限に活性化させるためには、何らかの強力な干渉が必要なのだろう。おそらくそれが、『災厄』と呼ばれる現象なのだ。


 ――そして、月日が流れた。迎えた、前回の災厄発生の日。

 それは突然、しかし錬金術師にとっては、あたかも待ち焦がれた約束の日のように訪れた。


 災厄の発生地が塔から遠く離れていたことは、彼の目論見にとって理想的な状況だった。力を観測できる安全な距離。記録に集中できる最適な環境。

 彼は恍惚とした面持ちで遠隔操作の装置を駆使し、何やら記録を取り続けていた。彼女たちの存在など、もはや彼の視界にはなかった。いや、そもそも彼女たちは彼にとって、ただの“装置の一部”に過ぎなかったのかもしれない。


 当時の彼女たちでは知る由もなかったが、この時の『災厄の子』に選ばれたのは――かつて、ある町に生まれ、恋人と共に旅に出た者。彼らは、誰もいない世界の端で、静かに命を散らせたという。

 だが、災厄の子が生きていようが死んでいようが、その身体から災厄は生まれる。黒く渦巻く瘴気。大地を腐らせ、風を濁らせ、光を遮る穢れ。


 そして――ひと月が巡り、月の満ち欠けが一巡する時。

 天空の高み、遥かなる虚空から、一本の剣が降り注いだ。


 それが、『天より降る剣』。災厄を滅する、唯一の(ことわり)

 災厄の本体を貫いたその刹那。世界中の空が、昼夜の境界すら塗り潰すような、不自然なほど眩い白銀に染め上げられたのだ。すべてを白く焼き尽くすような冷徹な光の中で、災厄の闇が砕け、音もなく崩れていった。


 錬金術師は、白銀に染まる塔の高みからその瞬間を見届けた。


「……やはり、来るのだな。天より、あの剣が」


 彼の目は、空の異常な輝きを映し、陶酔にも似た静けさに濡れていた。


 だが、その日、眩すぎる天啓の光の下で、彼女たちは別の現象を目の当たりにしてしまった。

 ヴェラの隣にいたエリン――彼女の角が、白銀の空に抗うかのように黒く脈動し始めたのだ。天より剣が降り注いだあの刹那、その角の周囲に、どす黒い霧が不吉な渦を巻き始める。

 ――それは、かつての記録に遺された、世界を滅ぼす『災厄の子』が変異を始める時の兆候と、あまりにも酷似していた。


「……あのね……ヴェラ。私、もしかして……」


 エリンがそう呟いた時、すでにヴェラの胸には嫌な予感が渦巻いていた。


「……私、もしかして……『災厄の子』として作られたんじゃないかなって……そう思っちゃったの」


 ヴェラは答えなかった。けれど、否定もしなかった。

 ――この男は、人工的に災厄を作り出そうとしている。


 それから数日後、エリンが静かに言った。


「ねえ、ヴェラ。……私、外の世界を見てみたい」

「ずっとこの塔に閉じ込められて、何も知らないまま……もし、災厄になっちゃったらって思うと……やだなって」


 その瞳には、怯えも不安も、すべてを乗り越えたような光が宿っていた。

 ヴェラは頷いた。


「エリンがそう望むなら」


 家族として、双子のように過ごした彼女と、生きて外の空気を吸いたかった。

 彼女たちは荷物も持たず、扉を開け、そっと塔を出ようとした。


 その時――背後に、凍りつくような気配が立った。


「……何処へ行くつもりだ?」


 錬金術師だった。彼女たちが塔の結界を越えようとしているのを察知し、逃げ道を塞ぐように立ち塞がっていた。気味の悪い深緑のローブが夜風に揺れる。その顔は、檻から逃げ出した家畜を冷笑するような冷徹さに満ちていた。


「この塔には、外界を遮る結界が張られている。お前たちごときが、独力で出られる場所ではないのだ」


 淡々としたその声音に、かつて何度も魂に焼きついた恐怖が蘇る。薬液の臭い。骨を削る音。脳を焼くような、あの痛み。

 身体がすくみそうになる。だが、ヴェラはもう、後ろに退くつもりはなかった。自分の背後には、エリンがいるのだから。


「……だったら、試してみましょうか?」


 ヴェラは土の術式を展開し、両の掌を地面に突き立てた。大気が震え、魔力が塔の地盤ごと喰らい尽くさんと蠢き出す。


「何を……っ!?」


 錬金術師の目が見開かれた。

 彼にとってのヴェラは、精々が使い捨ての「道具」に過ぎなかった。ここまでの魔力量を、彼女がその身に宿しているなどとは、夢にも思っていなかったのだろう。


 実のところ、ヴェラ自身も気づいていなかった。何度も再構成され、意識を繋ぎ止め、無理やり魔力を注がれ続けたこの身体は――いつの間にか、彼の制御を超えた「完成体」へと進化を遂げていたのだ。

 あの地獄の日々の苦痛が、今、彼女を突き動かす力に変わる。


「わたくしを見くびったことが、貴方の敗因ですわ!」


 ヴェラは地を穿つような大魔法を、塔の障壁に向けて解き放った。轟音と共に、結界が、そして塔を成していた強固な石壁が、音を立てて崩落していく。衝撃で吹き飛ばされた錬金術師は、地に這いつくばったまま、狼狽しながらもヴェラを睨みつけていた。


「くっ……貴様……!」


「貴方の人形でいるのは、もうおしまいよ。――この、三流魔術師!」


 吐き出した瞬間、自分でも信じられないほどに、粗野で、無作法な言葉だった。蔵書の中にあった、どの美しい一節とも似ていない。自分の喉からこれほどまでに品のない、濁った声が出るなんて、思いもしなかった。

 けれど、胸の奥で何かがパチンと弾けた気がした。驚きよりも先に、熱い何かが込み上げてくる。


「もうわたくしたちは、貴方なんかに縛られたりしない!」


 わたくしには、命がある。意志がある。痛みも、怒りも、そして守るべき愛もある。

 あなたが作った「紛い物」の命かもしれない。けれど、この心だけは――決して誰のものでもない、わたくしだけのものだ。

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