(27)交戦
四人は、黒き巨躯――“魔王”が待つその方角へと、一斉に駆け出した。鬱蒼とした森を抜ける彼らの前に、どす黒い霧が渦を巻きながら迫り来る。
「セラ、強化頼む!」
先頭を切るエイデンが、走りながら背後へ叫ぶ。
「任せて!」
セラが両手をかざすと、走り抜ける四人の足元に、黄金色に輝く幾重もの魔法陣が連続して浮かび上がった。
「――『剛力無双』! 『瞬歩迅雷』! 『耐絶増強』! ……次! リディア、いくよ!」
「お願い!」
「『魔圧増幅』! 『霊脈解放』! 『詠速集中』! ……次! サイ!」
流れるような詠唱と共に、光の粒子が次々と仲間たちの身体に吸い込まれていく。
「す……すげぇ……生で見るのは初めてだが……」
息つく暇もない怒涛の連続支援魔法に、目を丸くするサイ。そこへ、セラがキッと鋭い睨みを効かせた。
「ぼーっとしない! 舌噛むよ! ――『風歩軽翔』! 『霊障結界』! 『心魂防壁』!」
「うおっ!? ……ありがとう、セラ! これなら――俺も、あの巨体に届く!」
サイの身体が淡い緑色の光に包まれた瞬間、羽が生えたように身体が軽くなる。同時に、周囲の瘴気から肌を守る温かい膜のような結界が張られたのが分かった。三人の身体が極彩色の魔力光を帯び、空気を切り裂くような圧倒的な速度で地を駆け抜けていく。
そのとき――。
「軍勢、一気に殲滅するよ!」
杖を構えたリディアの鋭い叫びが響いた。
ギュン……ッ!
大気が悲鳴を上げたかのような耳鳴り。
視界の先、木々をなぎ倒しながら、黒い霧にまみれた魔王の配下たち――武装した骸骨の騎士や、腐肉をぶら下げた巨大な魔獣の群れが姿を現した。
だが、それと同時に、群がり来る敵の足元一つ一つに、真紅の魔法陣が展開される。その数、ゆうに百を越えていた。
「――『焔獄葬陣』!」
次の瞬間、地殻を割るような轟音と共に、無数の巨大な火柱が噴き上がった。
「ギァアアアアアッ!?」
灼熱の魔力が一帯の空間ごと焼き尽くす。森の湿った空気すら一瞬で蒸発し、分厚い鎧を着込んだアンデッドたちでさえ、抵抗する間もなく灰へと変わっていく。
「了解だ、リディア! 撃ち漏らしは俺がやる……『斬刃連舞』!!」
猛火を切り裂くように、エイデンが炎の海へと飛び込んだ。両手に構えた双剣が、銀色の流星のごとく閃く。舞うような軌道で放たれる斬撃は、炎を逃れた敵影を次々と、そして完璧に切り裂いていく。
一撃一撃が迷いなく急所を穿ち、硬い魔獣の骨格さえもバターのように両断していく。
その光景を最後尾から目の当たりにし、サイは思わず叫んだ。
「つ、強すぎだろ……! でたらめすぎる!」
“勇者”、そして“聖女”の戦い。
言葉では聞いていたが、その実力を初めて直に見た彼の感想は、もはや驚愕以外の何物でもなかった。単なる強さではない。これは一つの完成された暴力にして、芸術的なまでの殲滅戦術だ。
「――ッ、サイ! 後ろから来る!」
唐突に、前方のセラが弾かれたように振り返り、悲痛な声を上げた。
「え……後ろ!?」
リディアとサイが同時に背後へと振り向く。そこにあったのは、悪夢のような光景だった。
ズズ……、メチャァッ……!
リディアの炎で黒焦げになった骨と、エイデンの双剣で切り刻まれた巨大魔獣の肉片。
完全に沈黙したはずのそれらが、アンデッド特有の異常な「しぶとさ」で互いに絡み合い、融合し――数メートルにも及ぶ、グロテスクな肉と骨の集合体となって起き上がっていたのだ。
「ギィィィィィィィィッ!!」
異形の巨躯が、最後尾にいるサイたち後衛陣をまとめて押し潰そうと、背後から巨大な腕を振り下ろしてくる。
「……ッ、行かせるかよ!」
サイは地面を蹴った。
『風歩軽翔』の恩恵を受けた足が、爆発的な踏み込みを生む。リディアたちへの道を塞ぐように、振り下ろされる巨腕の軌道上へとその身を割り込ませた。
「おおおおおっ!」
サイは背中の『天より降る剣』を抜き放ち、迫り来る巨大な肉の塊に向けて、闇雲に渾身の一撃を叩きつけた。
技術も型もない、ただの力任せの吶喊。
だが、その無骨な刃がキメラの胴体に食い込んだ瞬間――剣身から高純度の「正の霊力」が、濃密な白い霧となって爆発的に噴き出した。
「ガ、ギィィィッ!?」
白い霧は意思を持つかのように、刃が触れた箇所から異形の体内へと一気に侵入していく。
純粋すぎる清浄な力は、負の霊力で無理やり身体を繋ぎ合わせていたアンデッドにとって、致死性の猛毒でしかなかった。
物理的に両断したわけではない。
耐えきれないほどの圧倒的な「正の力」を内側から流し込まれた合体アンデッドは、激しい拒絶反応を起こし――次の瞬間、繋ぎ合わさっていた肉と骨が内側から弾け飛び、ボロボロと光の塵となって完全消滅した。
「ふぅ……っ!」
サイが白く輝く霧をたなびかせる剣を構え直し、息を吐く。
「ナイス、サイ! これなら安心して、私たちの『背中』は任せられるわね!」
リディアが杖を振るいながら、ニッと笑いかける。
「ああ! 前だけ見ててくれ!」
サイは力強く頷いた。――だが、次の瞬間、彼は自身の目を疑う光景を目の当たりにする。
ズズズズズズ……ッ!!
地鳴り。いや、それは森全体を揺るがすような「足音」の津波だった。リディアの『焔獄葬陣』によって吹き飛ばされたはずの黒い霧の奥から、さらなる軍勢が文字通り「湧き出して」きたのだ。
ひび割れた鎧を引きずる骸骨の騎士、腐臭を放つ数メートル大の魔獣、さらには複数の死体を縫い合わせたような異形の巨人。百や二百ではない。千、二千――まるで黒い泥流のように、視界のすべてを埋め尽くすアンデッドの大群が、凄まじい咆哮を上げて押し寄せてくる。
「嘘だろ……いくらなんでも数が……!」
サイが思わず剣を握る手に力を込めた、その時だった。
「ふふっ、これくらい固まっててくれた方が、範囲魔法の展開し甲斐があるってものよ!」
セラが不敵に微笑み、その場に深く屈み込んで地面へと両手を突いた。
「溶け落ちて、根を張りなさい――『腐食泥濘』!」
セラの指先から溢れ出した赤黒い魔力が、地面を伝って津波のように大軍勢の足元へと広がっていく。
次の瞬間、アンデッドたちが踏みしめていた大地が、沸騰したような音を立ててドロドロの酸の泥沼へと変質した。
「ギ、ギャァァァアアアッ!?」
底なしの沼と化した地面に足を取られ、もがけばもがくほど脚部が強酸に溶かされ、沈み込んでいく。ただセラが一度魔法を展開しただけで、先陣を切っていた数百体の軍勢は地面に縫い付けられ、後続の進軍が完全にストップした。
「さあ、足止めは済んだわよ! リディア!」
「オッケー! 雑魚に構ってる暇はないわ、一掃する!」
リディアが杖を天空へ突き上げると、上空の黒い雲を裂いて、夜空の星々を思わせる無数の輝点が現れた。それはすべて、極限まで圧縮された魔力の弾丸だった。
「降り注げ――『星屑の裁き』!!」
閃光。そして、鼓膜を破壊せんばかりの轟音。
空を埋め尽くすほどの光の雨が、アンデッドの密集地帯へと無慈悲に降り注いだ。
一発一発がクレーターを作るほどの威力を秘めた魔弾の豪雨。それが絨毯爆撃のように降り注ぎ、森の木々ごとアンデッドの大軍を物理的に消し飛ばしていく。土煙が立ち上る中、もはや悲鳴すら聞こえない。
(なんだよこれ……。一方的じゃねえか……!)
サイはもはや、叫ぶ言葉すら持ち合わせていなかった。喉の奥がカラカラに乾き、あまりの光景に呆然と立ち尽くす。
その横を、一筋の銀色の流星――エイデンが駆け抜けた。
「デカ物は俺が斬る――『閃刃・絶空』!!」
巨木ほどの棍棒を振り下ろしてくる異形の巨人たちに向けて、エイデンの双剣が閃いた。
速すぎる。サイの動体視力では、彼が動いた軌跡すら追えない。ただ、エイデンが巨人の群れの間をジグザグにすり抜けた次の瞬間――
ズバババババババッ!!という遅れて届いた破裂音と共に、十体以上の巨大アンデッドが、まるで見えない糸で切り刻まれたかのように、一瞬にして数百の肉塊へと解体された。
「……ッ、次!」
空中で体勢を立て直したエイデンは、そのまま次の群れへと飛び込み、双剣の嵐で文字通り「血の道」を切り拓いていく。
「……次元が、違いすぎるだろ。これ、俺が手出しする隙なんて一ミリもあんのかよ」
“勇者”、そして“聖女”。
この理不尽な世界で生き抜き、数々の修羅場を越えてきた彼らの実力は、もはやサイの想像を絶する領域にあった。
背後を守るために『天より降る剣』を構えていたサイだったが、彼のもとに辿り着くアンデッドは、もはや欠片すら残っていなかったのだ。
「サイ! ほら、置いてくよ!」
「あっ、おい待ってくれ!」
かつて軍勢だったモノが、炭化と溶解の残骸へ成り果てた静寂の中を、まるで散歩でもするように駆け抜けていく三人。
サイは慌てて『天より降る剣』を背中に収め、その圧倒的な背中を全力で追いかけた。
「今日はあの時よりだいぶ楽だね。……あの時は、私が“魔王”の姿を見てテンパっちゃって、みんなに迷惑かけちゃったけど」
セラが自嘲気味に言うと、先頭を行くエイデンが笑って応じた。
「優秀なバッファーが戦意喪失したら、そりゃ引き返すのも仕方ないさ。気にするな」
エイデンは一瞬だけ速度を緩め、追いついてきたサイへと視線を投げる。
「それに……あの時退いたおかげで、あの魔王が“彼”だと分かった。無駄じゃなかったさ」
彼らの視線の先、黒い霧が最も濃く渦巻く森の最深部は、もう目の前だった。四人は一丸となり、陽光すら届かぬ暗黒の深淵へと足を踏み入れる。
――そして。
霧を裂く冷たい風の中、黒く巨大な“それ”が、ついに完全な姿を現した。
濃霧の中心からゆっくりと浮かび上がる、山のような黒き巨影。輪郭は陽炎のように曖昧で、おぞましい密度の黒い霧が、無理やり形を保とうとするかのように全身へ纏わりついている。
それは存在そのものが世界を拒絶する忌むべき『災厄』。……“魔王”だった。
サイは、眼前の圧倒的な巨躯を見上げた。
「こ、これは確かに……。セラが一目で『災厄』だって気づいたの、分かるぜ……」
その姿は、かつて彼が独りで引き受け、消え去ろうとした異形そのもの。エリンが身代わりとなった、あの日の再来がそこにいた。
「相手が一体であれば、この私の出番だ」
エイデンが静かに双剣を抜き放ち、一歩前へ出る。
「エイデン! 相手はレイかもしれないんだ。……頼む、手加減はしてくれよ」
サイが必死に訴えると、エイデンは短く頷いた。
「任せておけ。……あいつの“角”さえ露わになればいいんだな?」
次の瞬間、エイデンの持つ双剣から、白く澄んだ霧が溢れ出した。それは紛れもなく、サイの持つ『天より降る剣』と同じ――高純度の正の霊力。
(女神が授けた“魔王”を殺すための武器……。反吐が出るほど、完璧な処刑道具じゃねえか)
サイがその光景に戦慄した、その時だった。魔王の全身から、空間を圧殺するような凄まじい魔力の波動が放たれた。
ドゴォッ!!
轟音と共に、大気が一気に爆ぜる。地面は砕け、周囲の巨木たちが悲鳴を上げてしなった。その衝撃は地を這い、森を越え、はるか遠くにいた鳥たちすら一斉に羽ばたかせた。上空へと舞い上がる数百羽の鳥影。風が逆巻き、空気が引き裂かれるような音が鼓膜を打つ。
魔王の放ったその一撃は、もはや咆哮にも等しい――世界に存在すること自体が罪であると知らしめる、圧倒的な魔の波動。
「うわっ!」
衝撃に吹き飛ばされそうになったサイを、柔らかな光の膜が包み込んだ。
「……魔法の障壁?」
「大丈夫! 『霊障結界』を最大出力でかけてあるから、少々の攻撃じゃやられないよ!」
振り返ると、セラが必死に手をかざし、全員を護りの光で繋いでいた。
「角が見えるまで霧を削ればいいんだよね! バフは切らさないから、安心して!」
「本体を斬るのが剣の本来の役目だが……剥がすだけなら、造作もない!」
エイデンが『瞬歩迅雷』の加速を乗せ、稲妻のような速さで跳び出した。
跳ねるように魔王の周囲を駆け巡り、銀閃が黒い霧を一刀ずつ切り裂いていく。切り裂かれた霧は主を失ったかのように空中を彷徨い、四方へと霧散していった。
ドオォンッ!!
魔王が抵抗するように何度も衝撃波を放つが、セラの障壁はそれらを完璧に遮断し続けていた。
(……この障壁、負の霊力を完全に遮断してやがる。歴代の魔王がすべて勇者に滅ぼされたのも、この光景を見れば頷けるな……)
魔王を殺すために作り上げられた、完璧なシステム。その残酷なまでの機能美にサイが息を呑む中、エイデンの声が響いた。
「そろそろ、その姿、見せてもらうぞ。――『絶影・雲散』!!」
凄まじい剣撃が網の目のように魔王を覆う黒い霧の表面を駆け抜ける。渦巻く闇は抵抗するように激しくうねったが、刹那、エイデンの正の霊力によって強制的に主から引き剥がされていった。
「すげぇ……。もう少し……もう少しだ!」
剥ぎ取られた闇の向こう側から、『災厄の子』の輪郭が見え隠れする。
そして、その額に――忌まわしくも神々しい「角」の輪郭が、はっきりと露わになりつつあった。
「レイ! レイ! 聞こえてる!? 私だよ、セラだよ!!」
セラが全身で声を張り上げる。その瞳には、決意と涙が光っていた。
「エイデン! リディア! ありがとう! 俺とセラはレイの救出に入る!」
「ああ、いい結果を期待してるぞ!」
「二人とも、がんばって!」
仲間たちの力強い声に背を押され、セラは叫び続ける。
「レイ! 今日こそあの『返事』を言いに来たんだよ! だから――その霧から連れ戻すから、それまで……絶対に、生きていて!!」
「レイを連れ戻そう、セラ!」
「うん……行こう、サイ!」
二人は地を蹴り、魔王の目前へと一直線に駆け出した。
(この霧さえ取り除ければ……俺と同じように、元の姿に戻せるかもしれない)
サイは脳裏で、これまでの知識を総動員する。
(エリンが霧を引き受けたのは、“負の霊力”が“正の霊力”に向かって収束した結果だと、錬金術師は言っていた。塔の資料にもそう書いてあった……)
サイは祈るように、自身の内に眠る力を呼び覚ます。
(俺の角は、覚醒した……。なら、これは“正の霊力”の塊ってことだろ。竜神よ、頼むぜ。うまくいったら白き竜も助けるし、女神だってブッ倒してやる!)
(だから――!)
「力をくれ、竜神ッ!!」
魔王の額に、角が完全にその姿を晒した。
サイは背中の『天より降る剣』を引き抜くこともせず――いや、もはや武器など必要ないとばかりに、全身のバフと勢いをすべて頭部一点へと集約させ、一直線に突っ込んだ。
そして。
「おりゃああああああああああああああ!!!!!」
ゴォンッ!!!!
魔王の額めがけて、サイの渾身の――「頭突き」が炸裂した。
「……は? 頭突き!?」
あまりにも予想外すぎる光景にセラはもちろん、後方のエイデンとリディアも武器を構えたままぽかんと口を開け、ただただ固まっていた。




