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(26)黒い森へ

 遠ざかる辺境伯と騎馬隊の背中を見送りながら、ハルトがため息をつく。


「はぁー……」


「何よ、あれ! 私たちの仕事も結局は『女神のおかげ』ってか!」


 ミナが忌々しそうに足元の小石を蹴り飛ばした。


「ハルト……あの辺境伯の態度、どういうことなのかしら」


 ヴェラが尋ねると、ハルトは壁に背中を預け、自嘲気味に口を開いた。


「こんな国防に関わる軍事施設さえ、どうして“魔王軍”を想定した規模に増強しないんだろう……って、ヴェラは疑問に思わなかった?」


「ええ。思ったわ。……考えたくもないけれど、まさか、辺境伯の領内で意図的に“魔王軍による被害”を出すため……なの?」


「ご名答」


 ハルトの肯定に、ヴェラは息を呑んだ。


「被害が出たところで、僕達『勇者』が魔王軍を鮮やかに追い払う。その方が、追い詰められた領民がもっと熱心に感謝して祈るわけだね。自分たちを救ってくれた“女神様”に」


「薄々分かっていたけど、吐き気がする……」


 ミナが両腕を抱え込み、身震いした。


「領民がひどい目に遭うのをスルーするのも、私たちだけに魔王軍と戦わせているのも、全部、あの女神様を必死に拝ませるためなんだよ……」


「国外の脅威から勇者たちを保護する、という名目で……制約魔法で勝手に国外に出られないようにしているのも、そういうことなのね」


 点と点が繋がり、ヴェラの声が震える。


「同じだろうね。他国で“魔王軍による被害”を極限まで拡大させるためさ。救いを求めてひざまずくまで、王国の女神教会は手を差し伸べない」


 重苦しい沈黙が落ちた。茜色だった空は、いつの間にか血のような赤黒さを帯び始めている。


「……たまに、思うんだ」


 ミナがぽつりと、消え入りそうな声で零した。


「もう、聖女の役目とかぜんぶほっぽらかして、チキュウに帰りたいな、って」


「ミナ……」


「それだけは考えちゃだめだよ、ミナ」


 ハルトの鋭い声が、夕闇に響いた。いつもの朗らかな彼からは想像もつかない、切羽詰まったような響きだった。


「エイデンと約束しただろう? 魔王を倒すまでは、帰るなんて考えちゃだめだ」


「そうだけど……」


「エイデンが、そんなことを?」


 ヴェラが驚いてハルトを見る。彼らの故郷である“チキュウ”。なぜ、そこへ帰りたいと願うことすら禁じられているのか。


「うん。理由は教えてくれないんだけどね。……とにかく、考えちゃだめなんだ」


(帰ることを考えてはいけない……? エイデン、あなたは一体、何を知っているの……)


 ヴェラの胸に、黒い靄のような疑念が広がる。だがハルトは、それ以上その話題に触れることを避けるように、パンッと両手を叩いた。


「はい、この話はおしまい! さぁ、日が暮れる前に僕らも屋敷に帰ろう?」


「え、ええ……」


「はぁーい……」


 完成したばかりの堅牢な防壁は、夕闇の中に凛とそびえ立ち、静かに国境を見守っている。けれど、その頼もしさとは裏腹に、三人の歩む先には、嘘で塗り固められた屋敷の灯りが不気味に揺れていた。


 * * *


 翌日。

 北の隣国へ向かう、四人の転移者たち。彼らは王国内に張り巡らされた魔法の転移門ゲートをいくつも中継し、北の最前線へと急いでいた。国内のゲートを抜け、また次のゲートへと続く道を歩き……そうして、ついに国境付近へと辿り着こうとしていた、その時だった。


「――っ」


 突然、リディアの胸に鋭い痛みが走った。思わず立ち止まり、胸元を強く掴んで顔をしかめる。


「どうしたの? リディア」


 隣を歩いていたセラが、いち早くその異変に気づいて顔を覗き込んだ。


「痛っ……いや、なんでもないわ。気のせいだったみたい」


 リディアは誤魔化すように小さく笑い、掴んでいた手をそっと下ろして再び歩き出す。だが、そのやり取りの背後で、エイデンだけは冷ややかな目を細め、無言のまま彼女の背中を見つめていた。


「……そろそろ着くぞ」


 エイデンの重い声が響く。彼が見据える先には、ひときわ巨大な石造りのアーチがそびえ立っていた。


「あそこが、北の隣国へ向かう最後の転移門だ」


 四人は頷き合い、アーチを満たす眩い光の中へと足を踏み入れる。

 空間の跳躍を終え、光の出口を抜けた瞬間――一行の肌を、刃のように冷たい北の空気が撫でた。


「……ぶはっ! ぜぇっ、ぜぇっ……着い、たのか……?」


 到着するなり、サイが酸欠でよろけながら石畳に膝をついた。リディアが呆れたように笑いながら手を差し伸べる。


「ぷっ……サイ。何度も言っているけど、転移中は息を止めなくていいのよ?」


「……そうは言っても、身体がバラバラになりそうで何だか緊張しちゃって……。でも、すごいな。あの距離を一瞬で……」


 サイは息を整えながら周囲を見渡した。

 ひんやりと澄んだ空気の中に、古い石造りの重厚な建物が並んでいる。旗に描かれた紋章が、ここが王国を跨いだ先の「北の隣国」であることを示していた。だが、空は陰鬱な灰色の雲に覆われ、街全体がどこか死んだように沈み込んでいる。


「ここが、北の国か……。交易の要所だって聞いてたけど、想像してたよりずっと静かだな」


「……魔王の接近を恐れて、人々が戸口を固く閉ざしているんだろうな」


 エイデンが周囲に鋭い目を配りながら答えた。


「まるで、息を潜めていなければ、音だけで『災厄』を呼び寄せてしまうとでも言うようにな」


 ――魔王城。

 “魔王”の出現とともに、世界の果てのような最北の地に突如現れた巨大な建造物。それはまるで、かつて存在した人間の国を丸ごと奪い取り、何百年も放置したかのような不気味な様相を呈しているという。

 そこを拠点として南下を始めた魔王軍は、すでにいくつもの村や町を壊滅させ、ついにこの重要な交易都市へと迫っていた。追い詰められた北の国が、王国の女神教会に助けを乞うた結果が、エイデンたちの派遣である。


「……いよいよ、魔王と二度目のご対面だな。セラ、大丈夫か」


 エイデンが振り返って問うと、セラは静かに風の吹く方角を見つめ、小さく頷いた。


「うん。今度は、もう狼狽えたりはしないよ」


 彼女の視線の先――風に煽られ、遠くの針葉樹林がざわりと不気味に揺れている。


「……『黒い森』は、あの方角ね」


 リディアが風に揺れるスカートの裾を押さえながら言った。


「北の国からも偵察部隊がいくつか送られているけれど、途中で消息を絶ったって話よ」


 サイの眉がぴくりと動く。セラも小さく息を呑んだ。


「つまり、その森に『いる』のは間違いないってことか」


「ああ」


 エイデンは一度だけ頷き、長く息を吐いて三人を見た。


「よし。じゃあまず、領主へ到着の報告を済ませて――早速、魔王が潜むという“黒い森”へ向かう」


 その言葉に、三人の顔つきが引き締まる。サイは拳を強く握りしめ、セラはゆっくりと瞼を閉じてから、静かな決意と共に目を開いた。


「いいわね。行きましょう。『災厄の子』を――レイを、助けに」


 * * *


 陽はいつしか高く昇っていたが、黒い森の奥深くまで進むと、その光は淡く頼りないものに変わっていた。空までも覆い尽くすような濃い緑の針葉樹が延々と続き、地を這うように冷たい霧が漂っている。

 一行は、張り詰めた空気の中を休むことなく進み続けていた。


「……なあ。魔王の軍勢って、どれくらいの強さなんだ?」


 前を歩くエイデンの背中に、サイが小声で問いかける。


「転移者五人で撃退できたくらいだから、大体察しはついていると思うが……個々の力はそう強くはない。ただ数が多く、アンデッド特有の『しぶとさ』がある。絶対に油断するなよ」


「強くはないって……単に、エイデンたちが強すぎるだけなんじゃ……」


 サイが苦笑交じりに言いかけた、その時だった。エイデンがピタリと足を止め、片手を上げて制止の合図を送った。


「気配がする……。俺が上から様子を見てくる。お前たちはここで息を潜めていろ」


 言うが早いか、エイデンは跳躍のスキルを発動させ、高い木々の枝を軽々と蹴って上空へと駆け上がっていく。そして、音もなく着地して戻ってきた。


「いた。……森の奥に、淀んだ黒い霧がはっきり見えた。間違いない」


 エイデンの低い声に、場の空気が一気に凍りつく。


「魔王と化した、『災厄の子』……」


 サイは無意識のうちに、剣の柄を握る拳に力を込めていた。その手が、微かに震えていることに自分でも気づく。魔王。この世界を脅かす忌むべき『災厄』であり、同時に――彼らが救うべき一人の青年の成れの果て。


(落ち着け……息を整えろ……)


 そう自分に言い聞かせた瞬間、ふと視線を感じて横を向いた。そこには、セラがそっと――どこか楽しげにすら見える、柔らかな微笑みを浮かべて立っていた。


「……セラ?」


「ふふっ。サイがそんなにガチガチに緊張してくれているせいで、私、なんだか全然緊張しなくなっちゃったみたい」


 強がりではなく、本当に憑き物が落ちたような彼女の笑顔に、サイは毒気を抜かれたように目を見張り――やがて、小さく吹き出した。


「ははっ……それは、よかった」


 震えていたサイの拳から、ふっと余計な力が抜ける。二人は互いに頷き合い、黒い霧が待ち受ける森の深淵へと、静かに足を踏み出した。


 鬱蒼とした森の奥へ進むたび、じわじわと皮膚にへばりつくような不快な気配が濃くなっていく。魔王の軍勢との接敵、あるいは魔王そのものとの遭遇は、もはや時間の問題だった。


 張り詰めた空気の中を歩きながら、サイはふと、自身の心の奥底で響いた『声』を静かに反芻していた。


『その者に授けし“角”を覚醒させるのだ。そのためには――その“角”を、お前の持つその剣で貫け』


 竜神が残した、あの不可解な言葉。この手にある『天より降る剣』が角を覚醒させる鍵であり、その力で“角”か、それとも“角を持つ者”か。その真の力を引き出すことが、剣を授かった者に託された本来の役目だったはずだ。


 ……だが、ただひとつ、竜神の想定と大きく異なってしまったことがある。


「はぁ……まさか、“角を持つ者”と“剣を持つ者”が同一人物。つまり、全部俺の役目になっちまうなんてなぁ」


 サイは誰にともなく、小さく息を吐いた。

 本来ならふたりに分かれるはずだった役割は、あの日、エリンが代わりに『災厄』を引き受けたことで、すべてサイの身に重なってしまった。竜神がこの「女神の世界」に直接干渉できないのだとすれば、これは気の遠くなるような遠回しな準備の連鎖だったのだろう。

 だが、イレギュラーはあったものの、結果として事態は“ほぼ”竜神の思惑どおりに進んでいるようだった。


「あの事件で、俺の角は……覚醒したってことだよな」


 サイは歩きながら、己の額にそっと触れた。ハルトに「自分の頭をカチ割る羽目になった」と大笑いされたあの無茶苦茶な荒業によって、この角には力が宿っているかもしれない。


(そしたら、覚醒したこの力で……魔王から“黒い霧”を剥ぎ取って、元の姿に戻せるかもしれない)


 かつて、エリンが自分の黒い霧を吸い取ってくれたように。今度はサイ自身が、魔王と化したレイから“負の霊力”を奪い尽くすことができれば――。


「人間の姿に戻すことも――きっと、できるはずだ。……待ってろよ、レイ」


「ふふっ。さっきまで緊張しっぱなしだったのに、急に頼もしいね、サイ」


 不意に隣から声がして、サイは「うわっ!」と肩を揺らした。見れば、セラが面白そうな、けれどどこか優しい目をして彼の横顔を見守っていたのだ。


「セ、セラ……聞こえてたのか」


「うん、バッチリ」


 バツが悪そうに視線を逸らすサイへ、セラは少しだけ声を落として口を開いた。


「……でも、今のサイ、すごくいい顔をしていたよ」


 からかうような色を消し、彼女はどこか遠くを見るように目を細める。


「似ていたな、と思って。一人で災厄を引き受けて、『大陸の果てまで旅立つ』って決めた……あの日のレイに」


 彼女の口から出たその言葉の重みに、サイは一瞬だけ目を見開いた。誰も傷つけまいと、理不尽な運命に一人で立ち向かった英雄。セラが誰よりも大切に想っているその存在と、今の自分を重ねてくれたのだ。


「……それは、光栄だな。あの英雄と同じだなんて」


「サイ。……頼むよ」


 セラは立ち止まり、祈るように両手を胸の前で組んだ。その声は微かに震えていた。サイは力強く頷き、一切の迷いのない瞳で彼女を見つめ返す。


「ああ。……任せとけ」


 その時だった。

 先頭を進んでいたエイデンが、ぴたりと足を止めた。


「……この先だ。霧の源は――あの奥にある」


 その低く鋭い声に、全員が弾かれたように身構える。

 足元に流れる空気が、唐突に変わった。風が止み、木々のざわめきが消える。鳥のさえずりも虫の音も遠のき、まるで黒い森全体がひとつの巨大な意志を持って、彼らの行く手を強烈に拒んでいるかのようだった。


「……息が詰まるわ。肺の奥まで凍りつきそうな気配ね」


 リディアが杖を握り直し、険しい顔で呟く。息を呑むような、濃密な死の気配が張り詰める。

 次の瞬間、前方の木々の隙間から、どす黒い瘴気が堰を切ったように漏れ出し、視界の奥を完全に覆い尽くした。一歩足を踏み出すたび、皮膚に纏わりつくような“気”が、物理的な重さを持って圧を増していく。


「……姿を見せるぞ」


 エイデンが、地を這うような声で警告した。

 分厚い霧が、内側から押し寄せるどす黒い奔流に押し流され、濁流のように左右へと割れる。 渦を巻く風、震える大気。その黒いベールの向こう側に――“黒い霧”を分厚い鎧のごとく纏った、おぞましい巨躯がゆっくりと姿を現した。風にたなびくように全身へ纏わりついているのは、間違いなく高密度の“負の霊力”。


 それが、かつての英雄の成れの果て――“魔王”。


「……こちらから、行くぞ!」


 エイデンの号令とともに、四人は黒き巨躯が待つ方角へと一斉に駆け出した。

 その先に、セラが永い間追い求めてきた“答え”が待ち受けていると信じて――。

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