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(25)ゴーレム姫

「姫――姫様」


 焦燥を帯びた声が、白亜の回廊を駆け抜ける。


「もう、この城は危険です。隣国へ避難いたします。ご準備を――」


「どうして……どうして、こんな酷いことに……」


 少女の目に映るのは、かつて荘厳だった城の惨状。

 燃え、崩れ、嘆きの声がそこかしこに響いていた。


「『災厄』が……怒り狂っているようだ」


 重く沈んだ声が漏れる。


「やってはならなかった。『災厄の子』の角を……全身を、切り刻むなど……」


「――姫様、あちらの馬車へ!」


 腕を引かれながらも、少女は振り返る。見慣れたはずの玉座の間に、父の姿も、母の姿も、どこにもない。


「お父様は? お母様はいらっしゃらないの……?」


「……姫様。皇帝陛下と皇妃陛下は、もう――」


 言葉を続けることなく、騎士は首を横に振った。


「あなた様が最後の皇族です。どうか……ご無事で」


 こうして、グラナ=ミールの大地に君臨していた大国――フェルゼン帝国は、音を立てて崩れ落ちた。


 『災厄』が現れるようになってから、大陸は絶え間なく血を流し、国はひとつ、またひとつと滅んでいった。技術は失われ、魔法も信仰も、過去の遺物のように風化していく。

 けれど、どれほど嘆いても、どれほど祈っても――神は、決して答えてはくれなかった。『災厄』が剣で滅ぼされるという伝承があっても、それはすべてを破壊し尽くした後の話だった。


「……神様って、死んじゃったのかな」


 揺れる馬車の中で、ぽつりと少女は誰かに尋ねた。


「いいえ、いいえ姫様。必ず、神は救ってくださいます。永久に『災厄』などが現れない日が、必ず訪れましょうとも」


 ――ザ…ザザッ――

 魔導器のようなものが不調を訴える、耳障りな音がどこかから漏れ聞こえた。


「姫様――」


 付き従う老侍女が呼びかけると、少女はふっと微笑んで言った。


「ふふっ、もう姫様じゃないわ」


 そう言って窓の外へ視線を投げる。そこには、王宮の高台から見渡す、のどかな風景が広がっていた。

 柔らかな起伏を描く丘陵地帯には、羊の群れが白い点のように散り、その向こうには、陽にきらめく青い海が穏やかに寄せては返していた。海辺の村々からは細く白い煙が立ち昇り、潮風に混じって、麦と花の香りがほのかに部屋の中まで届いてくる。


「も、申し訳ございません。長年の癖でして…」


「王太子妃になって一年。子どもまで授かったというのに。なかなか抜けないのね」


「…早いもので、あれから十二年経ちます。…殿下は、今も帝国領が気がかりですか」


「ええ。何年かかっても、必ず帝国領を復興してみせる。わたくしが……必ず」


 ――ジジッ…ジ――

 再び魔力の濁ったような雑音が走る。まるで、記録映像の不具合を予兆するかのように。


「とうとう、帰ってこられたわ。ああ、懐かしい風景……」


 窓の外に広がるのは、かつての故国――草木に呑まれ、廃墟と化した城塞都市の名残だった。しかし、彼女の瞳は懐かしさで潤んでいた。


「ふふっ、はしゃぎすぎですよ。殿下」


 老侍女の言葉に照れるように頬を染めたそのとき――

 ギィィ……

 車輪が不自然な音を立てて、馬車が止まった。


「……なにか起きたのかしら。こんな場所で止まるなんて」


 直後、外から複数の音が立て続けに響いた。

 魔法が爆ぜる鋭い音。金属が砕ける音。人の叫び声。そして、肉が倒れるような鈍い衝撃音。


 ――静寂。

 すべてが終わったかのように、あたりはぴたりと音を止めた。

 その沈黙を破るように、馬車の扉が、ギィ……と開かれる。覗き込んできたのは、気味の悪い深緑のローブを纏った男。

 口元には不気味な笑みを浮かべ、瞳の奥にじっとりとした欲望の光を宿していた。


「これはこれは、帝国の姫君であらせますな」


 男は唇の端を歪めて、ぐにゃりと笑った。


「ふん……流石は皇族といったところか。この私などより、“器”にこれほど相応しいとはな」


 ――ザザッ…バチン――


 ◇◇◇◇◇


「……ん……」


 ヴェラは、重たいまぶたをゆっくりと持ち上げた。見慣れない天井が目に映る。天窓から差し込む光が揺れ、草の香りが心地よく鼻先をくすぐる。


(――夢?)


 胸の奥に、冷たいものがじんと残っていた。とても嫌な、酷く哀しい夢を見ていた気がする。


(……どんな夢……だったかしら……)


 だが、掴もうとすればするほど、夢の断片は霧のように消えていく。まるで最初から自分のものではない記憶を、無理やり見せられていたかのように。

 ヴェラはシーツを握りしめたまま、静かに目を閉じて、ひとつ深く息を吐いた。


 サイが目を覚ましてから、三日が経った。

 その間、エイデン、リディア、セラ、サイの四人は、火急の報告を受けて北の隣国へと発っていた。“魔王”が侵攻を開始したという報せ。その調査と、最悪の事態への対応のためだ。


(……セラは、とうとう彼と再会するのね)


 ヴェラは遠く、北の空を見上げる。

 魔王と化したレイに、救いの道があるのかは分からない。それでも仲間たちは「必ず救う」と誓い、迷いなく旅立っていった。

 かつて、セラがサイの無事を祈ってくれたように。今度はヴェラが、静かに祈りを捧げる番だった。


(――どうか、彼らに導きを。そして、囚われた()の魂が、再び自分を取り戻せますように。……どうか、皆が笑って帰ってこれますように)


 一方、ヴェラ、ハルト、ミナの三人は、王国の国境線にて“新たな魔王”の出現に備えていた。

 ここは辺境伯の屋敷。昨夜遅くに到着した三人は、そこで短い休息を取っていた。


「おーい、ヴェラ!」


 ヴェラがテラスに出ると、外からハルトの呼ぶ声が聞こえた。


「おはよう!」


「あら、早いのね。ハルト」


「朝の鍛錬だよ。朝食が準備されたみたいだから、いただこう」


「分かったわ。じゃあ、後で会いましょう」


 案内されたダイニングルームには、豪華な食事が並んでいた。そこへ、髪を乱したミナが眠そうにふらふらと現れる。


「おふぁよう……」


「おはよう、ミナ。まだ眠そうね。昨日は眠れなかったの?」


「ううん。朝が弱いだけ~」


「ふふっ、なるほど」


 そこへ、汗まみれだった服を着替えてきたハルトが到着する。


「お待たせー」


「朝の鍛錬、お疲れ様、ハルト。……それにしても、立派な食事ね」


 並べられた豪華な皿の数々に、ヴェラが感嘆の声を漏らす。


「んー、ほうらねー。この国では、どこに行ってもこんらふうに、もへなしてふれるんだー」


 さっきまで半分寝ていたはずのミナの胃袋は、すでに完全覚醒していた。次々と料理を頬張りながら、いつものことだと得意げに話す。


「お行儀が悪いわよ、ミナ」


 ヴェラは思わず吹き出した。緊迫した国境付近とは思えない、賑やかな朝食。和やかな空気の中、ハルトが今朝の本題に入る。


「今日はこれからどうする? しばらく国境警備だって指令だったけど、ここにいても、実際やれることは少ないかもね。“魔王軍”が攻めてきたら、三人じゃ分が悪いし……。


 かと言って、辺境伯領の領民を置いて逃げるわけにもいかないけどさ。 まずは、三人でも出来ることを探す感じかなぁ」


 ――魔王軍。


 もともと“魔王”は自我のない『災厄』であるはずなのに、どうしてか軍勢を率いる。それは、この世界に転移する際、“勇者”や“聖女”と同じように女神からスキルを授けられるからなのか。現状では何も分かっていない。


 軍勢、つまり魔物と呼ばれるものたちだが、その編成種族には魔王の特徴が色濃く反映されるという。当代の魔王――正体はレイであるだろうと見られている“第三十魔王”の軍勢は、スケルトンやリッチなどのアンデッド族が中心だ。


 そして、“新たな魔王”――エリンであるだろうと見られている存在は、全く動きがない。最初に発見された魔王城に今も留まっているのかすら不明であり、軍勢がどのような種族で編成されているのかも見当もついていない。


「しかも、“魔王”が出現しても絶対に交戦するなって、エイデンに口酸っぱく言われてるし」


「でも、配下の軍勢とは戦っていいって意味だよね」


「まあね。エイデンに確認したらそういう意味だって。でも、軍勢とも極力交戦せず守りに徹しろって」


「守りね……。だからハルトと私がこっちの担当に選ばれたわけか」


 ミナの言葉に、ヴェラが率直に尋ねる。


「理由があるの?」


「うん。一応、攻撃のスキルも持っているけど、僕のスキルは守備で使うものが多いかな。だから、守りは得意ってわけ」


「ミナだって攻撃のスキルはあるけれど、回復用のスキルを多く持っているんだ。頼れるヒーラーだよ」


「ふふん! 癒やしは私に任せなさい」


 胸を張るミナに、ヴェラは微笑んだ。


「そう。ミナ、頼りにしてるわ。ハルトも。……でも、わたくし、ひとつ思いついたことがあるの」


 食事を終えた三人は、国境線ギリギリまで移動した。ここには辺境伯によって建てられた砦と側防塔があり、塔と塔の間に防御壁が構築されている。


「思ったより規模が小さいのね。これでは、本当に魔王軍が攻めてきたらひとたまりもないですわ」


「相手が人間であることを想定した設備だからね。こういうところだって、何故か、“魔王軍”を想定した建て替えが行われないんだ」


「だったら、わたくしたちで建てちゃいましょう」


「えっ?」


 ハルトとミナが振り向く中、ヴェラは静かに足元の大地を見据えた。


「ふふっ。実はわたくし、元の世界では『ゴーレム姫』と呼ばれていたのよ」


 彼女が両手を広げた瞬間、数十もの黄金色の魔法陣が一気に展開される。


「清らかな大地の精霊よ、その慈しみのかいなをわたくしに貸して。土塊(つちくれ)に魂を――『アース・ゴーレム』!」


 地鳴りと共に、魔法陣の中から岩や土を纏った巨大なゴーレムが次々と現れた。


「は、はぁぁぁぁぁ?」


 ハルトとミナはその光景に驚いたが、流石に彼らも剣や魔法の類には慣れている。すぐに冷静さを取り戻した。


「はは……これはすごいね……。さすが土の上位精霊の契約者」


 ハルトがゴーレムを見上げ、物欲しそうな目で見つめる。


「これ……一体欲しいな」


 その姿を見たミナが呆れて言う。


「何言っているの、ハルト? まったく、いつまで経っても、こういうの好きなんだから」


「巨大マシーンは男のロマンなの!」


「あー、はいはい。ってか、ヴェラ! あなたやっぱりお姫様だったんじゃない!」


 ミナの興奮気味な声に、ヴェラは小さく首を振った。


「え? ああ、ゴーレム姫? 違うわ、それは嫌味でつけられたあだ名よ。錬金術師がわたくしをそう呼んでたの」


「あぁー、ヴェラに色々した人ね」


 ミナにとっても、あの男の話は苦々しい。


「ゴーレムの技術で作られたこの手足を装着されてから、しばらくそう呼ばれていたの。エリンのお陰で、“ヴェラ”という名前を貰うまでは」


 ヴェラは自分の義肢をそっと撫で、晴れやかな笑みを浮かべた。


「今となっては、『ゴーレム姫』でも気にならないわ。だってこの身体のお陰で、わたくしはこんなことまで出来るようになったのですから」


「吹っ切れたね、ヴェラ。『こんな人形みたいな』とか言ってたのに」


 ミナがそっと微笑みながら、意地悪っぽく言う。その声には、確かに少しの安堵が混ざっていた。


「それには、もう触れないでくださいませ!」


 ヴェラの顔がぱっと赤くなる。相当恥ずかしかったのか、少し大声になってしまった。

 ハルトが笑いながら割って入る。


「それで、ヴェラ。自分たちで建てればいいって言ってたね。もしかして……」


「ええ、彼らと土魔法を使って、強固な防御壁を一気に作るわよ。ハルトたちも手伝ってくれるでしょう?」


「オッケー! ふふっ、楽しそうだ」


 ハルトとミナは快諾し、未だかつてない防御壁造りが始まった。

 数十体のゴーレムが大地を踏み鳴らし、一斉に動き出す。その光景は、まさに圧巻の一言だった。


「お願い、土塊の巨人たち! 堀の土を掻き出し、新たな壁の礎石として!」


 ヴェラの指揮に呼応し、ゴーレムたちが丸太のような腕で大地を大きく抉り取る。彼らが持ち上げた巨大な土塊は、ヴェラの土魔法によって瞬時に硬質な岩へと圧縮され、国境線に次々と積み上げられていった。


「すっご……! 魔法って土木作業にもこんなに使えるんだね」


「魔法の可能性は無限なのよ。さあハルト、ただ感心しているだけでは、異世界のスキルが泣くわよ?」


「オッケー! じゃあ、壁の成形と型枠は僕に任せて!」


 ハルトは愛用の大剣を背に回し、代わりに両手を前に突き出した。


「『堅牢なる城塞フォートレス・シールド』!」


 本来は敵の魔法や突撃を弾き返すための、巨大な光の盾。

 それをハルトは、積み上げられた岩の側面に沿うようにピタリと展開させた。光の盾が「巨大な定規」あるいは「型枠」の役割を果たし、ゴーレムたちがその内側に土砂を流し込んでいく。

 ヴェラがすかさず魔法で硬化させると、凹凸のない、滑らかで強固な防壁が瞬く間に出来上がった。


「ハルト、その守備スキルの使い方、すごく便利ね!」


「あはは! 伊達に守りが得意って言ったわけじゃないからね。どんどんいこう!」


 二人の連携は完璧だった。しかし、これだけの規模の魔法とスキルを連続して使えば、当然魔力も体力も激しく消耗する。ヴェラの額には汗が滲み、ハルトの息も上がり始めていた。

 そこで、現場監督よろしく上空からゴーレムやハルトに指示を出していたミナが、満を持してふわりと二人の間へ舞い降り、得意げに杖を天へと掲げた。


「ふふん! ここからが私の本領発揮よ! 『広域聖気(エリア・ヒール)』! おまけに『体力持続(スタミナ・リジェネ)』もいっくよー!」


 ミナの杖の先から、淡い翠緑の光が波紋のように広がり、作業を続ける二人を包み込んだ。途端に、鉛のように重くなりかけていたヴェラの腕が羽のように軽くなり、枯渇しかけていた魔力が泉のように湧き上がってくる。


「すごい……疲れが全く残りませんわ」


「でっしょー? 私がついてる限り、徹夜で土木作業してもピンピンしてるからね! ブラック労働の味方、ミナちゃんにお任せあれ!」


「それは頼もしいけど、例えがちょっと嫌だな!」


 ハルトが苦笑しながらも、再び光の盾を展開する。ヴェラの精密な魔法構築、ハルトの規格外な物理成形、そしてミナの無尽蔵な回復サポート。三人の力がパズルのように噛み合い、国境の景色は文字通り「一変」していった。

 やがて、傾きかけた夕陽が大地を赤く染め上げる頃。


「……ふう。これで、ひとまずは完成ですわね」


 ヴェラはそっと息を吐き、眼前にそびえる漆黒の壁をふっと見上げた。

 三人の目の前に立ちはだかっていたのは、辺境伯が建てた心許ない砦とは比べ物にならない、高さ十メートルを超える岩壁だった。

 継ぎ目一つないその巨大な防壁は、まるで大地そのものが意志を持って隆起し、国境を塞いだかのような威容を誇っている。


「やったー! お疲れ様、二人とも!」


 ミナが両手を上げて歓声を上げ、ハルトも満足げに額の汗を拭った。


「すごいな、本当に半日で砦を一個作っちゃったよ。これなら、アンデッドの軍勢が押し寄せてきても、そう簡単には抜かれないはずだ」


「ええ。それに……」


 ヴェラは、防壁の前に静かに整列している数十体のゴーレムたちを見渡した。


「彼らもこのまま、防壁の一部として待機させるわ。もし敵が壁を越えようとすれば、自律して迎撃するように命令を組み込んだの」


「完璧だね、ゴーレム姫。――現場監督もお疲れ様ー!」


「ちょっと! 現場監督って何よ! そこは『戦場の癒やし天使ちゃん』とかでしょ!」


 からかうハルトに、ミナが顔を赤くして抗議する。そんな二人のやり取りを見て、ヴェラは愛おしそうに目を細めた。緊迫した国境の最前線でありながら、三人の間には確かな絆と温かな笑い声が夕暮れの空に溶けていく。

 だが、その和やかな余韻は、けたたましい馬蹄の音によって唐突に破られた。


「これは……壮観ですな。勇者殿」


 数十騎の護衛を連れて視察に現れた辺境伯は、見上げるような漆黒の大防壁を前に、馬上で目を丸くしていた。ハルトが一歩前に出て、愛想の良い笑顔を浮かべる。


「でしょう? これでアンデッドの軍勢が攻め込んできても、領内の被害は最小限になるはずですよ」


「はは、そうですな」


 辺境伯は笑い声を上げたが、その表情はあからさまに曇っていた。これほど完璧な防衛機構が完成したというのに、彼の目には微かな苛立ちすら見え隠れしている。


「領民もさぞ喜ぶことでしょう。これもすべて、女神様の思し召し。このような素晴らしい勇者殿を我が領地へ遣わしていただいたことに、深く感謝を捧げねばなりませんな」


「……ええ。女神様……ね」


 ハルトの笑顔の裏に、冷ややかな色が混じる。


 視察の目的は果たしたとばかりに、辺境伯は早々に馬首を返し、そそくさと屋敷の方角へ帰っていった。

 遠ざかる騎馬隊の背中を見送りながら、ハルトが深い、深いため息をついた。

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