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(21)呼応

 夜の帳が落ちた城の一室にて、魔導卿はひとり深く考え込んでいた。燭台の揺らぐ火が、眉間に刻まれた皺をより深く照らす。


「……女神も預かり知らぬ事が、起きているやもしれぬ」


 魔王の出現は、決して珍しい出来事ではない。だが、これまでの常とは決定的に異なっていた。本来、魔王の存在が明らかになるときには、必ず女神から神託が下り、それに従って召喚の儀式が執り行われる。そこに現れるのが、異世界からの転移者――“勇者”と“聖女”である。

 だが今回は、神託がなかった。それどころか、当代の魔王――第三十魔王が現れてまだ一年も経たぬうちに、新たな魔王が姿を現した。


「二体の魔王……。どう対処すべきか」


 王国の戦力では、一体でさえ難しい相手に、同時に立ち向かうことなど不可能に近い。

 思案の果て、魔導卿はひとつの決断に至った。


「……両方、やるしかあるまい」


 神託がなくとも、召喚の儀式を強行する。そして、あの魔王を生みし世界からの来訪者――ヴェラとサイを、戦力として正式に迎え入れるのだ。


 * * *


 翌朝。城内は騒然としていた。転移者たち七人が、謁見の間に呼び集められる。

 厳粛な空気の中、魔導卿が重々しい口調で口を開いた。


「……すでに伝令より伝えた通り、魔王城にて、新たなる魔王の出現が確認された。だが、当代の魔王はいまだ健在。ゆえに現在、この世界には“二体の魔王”が存在する」


 言葉そのものは、すでに知っていた。だが、国の最高位からそれが公に語られると、あらためて事態の異常さが胸にのしかかる。転移者たちは静かに息を呑み、誰ともなく視線を交わす。


「我が国の戦力では、二体を同時に相手取るには力が足りぬ。そなたたちを失うわけにもいかぬ。ゆえに、明日、召喚の儀式を執り行うことと決定した。神託はない。だが、それを待つ余裕もない」


 魔導卿の声は、やがて穏やかさを失い、焦りと苦悩が滲んでいた。

 ヴェラは、魔導卿の言葉を反芻していた。

 ――勇者と聖女を、失いたくはない。

 口にしたのはその一言だけだったが、その裏にあるものは、痛いほど伝わってきた。彼は、本気で恐れているのだ。勇者が敗れ、聖女が倒れた先にある“世界の終わり”を。


(……当然ですわね。勇者と聖女が倒れれば、魔王に抗える者はいなくなる。この世界は、滅びの道を転げ落ちるしかないわ)


 それでもヴェラは、どこか釈然としなかった。


(ずっと……三百年前から、そうやって“勇者”と“聖女”に頼る道を選び続けてきた。それ以外の選択肢は、本当に存在しなかったの?)


 魔導卿の振る舞いは、確かに慎重で誠実だ。それでも――彼らは、危うい綱渡りを延々と続けているように思えた。


(“魔王”に敗れることも、当然あるはず。“勇者”側が絶対に勝てるとは限らないわ……)


 彼女の脳裏に、以前、魔導卿が語った言葉が浮かぶ。

 ――国外には、転移者を我が物としようと、虎視眈々と狙う者たちがいる。


(つまり、この国が守っている“勇者”や“聖女”は、世界で唯一の戦力。それを巡って他国から狙われる可能性があるのに、それでも“勇者”頼みの構造を変えようとはしない……)


 ヴェラは眉をひそめた。


(あまりにも不安定で、危なっかしい。なぜ、こんな道を選び続けているのかしら? 王国の人間たちは、自分たちの行動に疑問を抱かないの?)


 そこまで考えて――ヴェラの中に、一つの仮説が芽生えた。


(……いいえ。“疑問を抱けない”のかもしれない)


 違和感が確信に変わっていく。


(この国は、“勇者”と“聖女”に頼るしかないように、“最初から作られている”のですわ。そのように“設計”された……何か大きな理由が、ある)


 その“理由”が、女神にまつわるものなのか、王国の成り立ちに関わるものなのか――まだ答えは出ない。だが、ヴェラの思考は、確実に“何かの核心”へと近づきつつあった。


「それから――ヴェラ、サイの二名」


 突如として名を呼ばれ、ヴェラは背筋を正した。隣でサイもすっと顔を上げる。


「情けない話だが、我が国の戦力では、魔王には到底太刀打ちできぬ。申し訳なくは思うが、どうか、この国を――この世界を、守ってはもらえぬか」


 魔導卿の言葉は、丁寧だったが、言外に“要請ではなく決定”の色が滲んでいた。

 ヴェラはほんの一瞬だけ迷ったが、すぐに心を定めた。エリンに会うためには、魔王に接近できる立場が必要だ。そのためなら、“聖女”という肩書きなど、いくらでも利用してみせる。

 彼女はサイと目を合わせ、軽くうなずく。


「――謹んで、お受けいたします」


「俺も。力不足は承知ですが、できる限り務めます」


 魔導卿は深く頷き、宣言した。


「本日より、ヴェラは“聖女”として、サイは“勇者”として、王国に迎え入れる」


 その言葉が響いた瞬間、ヴェラには、謁見の間の空気がほんのわずかに動いたように感じられた。しかし彼女の表情は変わらない。ただ静かに、心の奥で呟く。


(エリン……どんな姿になっていても、あなたに会いに行きますわ。必ず)


 こうして、ヴェラは“聖女”として、サイは“勇者”として、正式にこの国の守護者とされた。


 * * *


「まったく! なにが“歯が立たぬ”よ!」


 居住区に戻るやいなや、ミナが怒鳴り声を上げた。頬を膨らませてテーブルを叩くその姿は、妙に愛嬌があるが、怒りは本物だ。


「ヴェラ。この国、ちゃんと軍を持ってるのよ? 周辺国向けの、ちゃんとしたやつ。でも、魔王に対しては、情報収集部隊と補給部隊だけ。戦力の中心は、転移者だけなのよ」


 リディアが静かに補足する。


「つまり、対魔王戦力をまったく自前で育ててないってことだ」


 エイデンが腕を組みながらため息をついた。


「失敗を繰り返しても、全部“勇者”頼み。正直、無責任よ」


 リディアの声にも苛立ちがにじむ。


「でも、戦える人間が他にいないんじゃ……」


 とサイが言いかけると、ハルトが肩をすくめた。


「そう。だからこそ、俺たちが全部やるしかないんだよ。まあ、みんなが文句の一つも言いたくなるのは無理もないけどさ」


 ふっと、ヴェラは微笑んだ。騒がしいが、彼らは信頼できる。だからこそ、エリンのことも話せたのだ。


「でも、本当にいいのか? 事情があるとはいえ、君たちにとって危険な役割だろう?」


 エイデンが問いかける。


「大丈夫ですわ。わたくしは土魔法が使えるから、そこそこ戦えますわ」


 ヴェラが軽く笑うと、ミナが食いついた。


「えっ!? 土魔法!? 何それ、超見たい! 今度、見せてよ!」


「ええ、もちろん」


「俺も……まだまだ未熟だけど、ちゃんと戦うつもりだよ。あの剣もあるし」


 サイも続ける。


「じゃあさ――」


 ハルトがにやりと笑う。


「いきなり実戦ってのもアレだし、軽く模擬戦でもしてみない? 感覚掴むくらいの」


「模擬戦!?」


 ミナの目が輝いた。


「やろうやろう! お前らがどんなもんか、見せてもらおうじゃん!」


 サイは少し困ったように笑いながらも、肩を竦めた。


「めちゃくちゃ強いんだろ? お手柔らかに頼むよ」


 こうして、穏やかな雰囲気の中、模擬戦の約束が交わされた。

 ――だが、その約束が果たされることは、なかった。


 * * *


 城の訓練場は、昼下がりの穏やかな陽射しに照らされていた。石畳の広場に立つふたりを、他の転移者たちが囲むように見守っている。


「ほんとにやる? 本気出すからね?」


 ミナがにやにやと笑いながらサイを指さす。


「えっと、そういうのは……できれば手加減してほしいな……」


 サイは額に汗を浮かべながらも、冗談めかして応じた。軽口を交わすふたりを見て、ハルトが微笑む。


「じゃあ、俺が相手するよ。お互い武器は剣だし、いい訓練になる」


「うん、よろしく。まだちゃんと使いこなせてないけど……」


 サイはゆっくりと歩みを進め、腰に佩いた『天より降る剣』に手をかける。

 その瞬間――わずかに空気が張り詰めた。


「……!」


 ヴェラは、小さく息をのんだ。周囲の空気が、目に見えぬ霧のように歪んだ気がしたのだ。サイは手にした剣を正面に構えた。白銀に輝く刃が、昼下がりの光を受けてきらめく

 だが、彼の瞳は――そこにあるはずのハルトを見てはいなかった。


「サイ……?」


 ハルトが訝しげに声をかける。だが、返事はなかった。サイの目は虚空を見つめ、意識が抜け落ちたような表情を浮かべていた。


「……なあに、これ……」


 ミナの声が小さく震える。


 ◇◇◇◇◇


 手にした剣を正面に構えた、その瞬間だった。

 音が消え、光が消え、重ささえ失われて――視界が、純白に包まれた。


 ……まただ。

 サイはすぐに気づいた。これは、かつて“始まりの塔”で見た――“竜界”の映像だ。


 視界を埋め尽くす白の彼方から、サイの全身を容易く飲み込むほどの巨大な影が現れた。翼を持ち、角をたずさえた黒き竜の姿。だがそれは実体ではなく、空間そのものに焼き付けられた強烈な“残留思念”のようなものだった。


 ――よくぞ辿り着いた、剣を持つ者よ


 鼓膜ではなく、脳に直接響くような重低音。


(剣を持つ者……? この剣の持ち主に向けられた、竜界からの伝言か!)


 ――よくやってくれた。あの忌まわしき女神の世界に、無事に辿り着いてくれたな

 ――お前に頼みがある。我が愛しき白き竜を取り戻すため……我が“鱗”を授けし『災厄の子』を探してくれまいか


(『災厄の子』を探せ? ……竜神が言っている“鱗”ってのは、間違いなく俺の額にあるこの角のことだよな……?)


 サイは自分の額の角が、熱を持ったようにわずかに疼くのを感じた。


 ――その者は我が黒き霊力を纏い、その世界に転移している。いまだ理性を失い、『災厄』として暴走しているやもしれぬ


 白の世界に、ぼんやりと影が浮かんだ。黒く歪んだシルエット。角を持ち、重苦しい気配をまとう化物。


(黒き霊力……? 違う、霊力はエリンが引き継いでいったはずだ! 竜神は知らないんだ、身代わりという想定外の事態のせいで「霊力」と「角」が別々の人間に分かれていることを……!)


 ――その者に授けし“角”を覚醒させるのだ。そのためには――その“角”を、お前の持つその剣で貫け


(……は?)


 サイは、自分の額にある角と、今自分が手にしている剣の存在を繋ぎ合わせ、戦慄した。


 ―恐れることはない。―見つけ次第、剣を構えよ。あとは、剣に込めた我が霊力が導いてくれる


 その言葉が響いた瞬間――サイの手の中にある剣が、まるで自らの意志を持ったかのように、ギリッと刃先をサイ自身の額へと向け始めた。


(ちょっ、待て……! 導くって、まさか……!)


 標的は、ゼロ距離。

 “剣を持つ者”と“角を持つ者”が同一人物に重なっているという、致命的な不具合。

 剣に掛けられた強制力が、サイの手首を捻り、切っ先を彼自身の頭へと固定していく。


 ――頼むぞ、剣を持つ者よ


(待て、バカ、どっちも俺だ!!)


 サイの必死のツッコミなど意に介さず、無慈悲な伝言が終わると同時に――サイの意識は、強引に現実へと引き戻された。


 ◇◇◇◇◇


 そのときだった。

 サイが剣を構え直した。目の前に立つハルトへ向けるでもなく――その刃先を、自らの額へとゆっくり向けていく。


「……嘘、でしょ……?」


 誰かの呟きが聞こえた。サイの動きは、まるで夢の中のようにゆっくりで――

 それでも、誰も止めることができなかった。ヴェラの目が見開かれた。


「サイッ――!!」


 振り下ろされた剣が、鈍い音を立てて彼の額を裂く。血が、花弁のように舞った。


「サイィィィッ!!」


 悲鳴のようなヴェラの叫び声が、白昼の訓練場を(つんざ)いた。サイの頭からは血が流れ、彼の身体は糸が切れたようにぐらりと傾いて、そのまま石畳へと崩れ落ちた。


「サイッ!!」


 駆け寄ったヴェラは、両膝をつき、彼の身体を抱き起こす。血の気の引いたサイの顔に、息を呑んだ。


「誰か、誰か治癒魔法をっ……!」


 ミナがすぐに駆けつけ、手をかざす。


「治癒魔法、かける!」


 だが――魔法の光がサイの傷に触れても、治癒の兆しは見えない。


「……効かない?」


「そんな……。これは、ただの傷じゃない……。何かが、肉体に干渉してるような……」


 呆然と見守るしかない一同。ヴェラは必死に血を止めようと手で押さえながら、彼の名を呼び続けた。


「サイ、しっかりして! サイ! わたくしです、わかりますか? サイ!!」


 けれど、その呼びかけにサイが応えることはなかった。

 ――それでも。

 かすかに、彼の胸は上下していた。


「……生きてる。息は、ある……っ」


 ヴェラの頬を伝う涙が、サイの顔にぽたりと落ちる。

「……よかった……。生きてる……。お願い、助かって……」


 魔導卿が駆けつける。


「運び出せ! すぐに訓練所の治癒室へ! 魔道士長を呼べ!」


 号令に従い、兵たちが慎重にサイを担架に乗せ、運び出していく。

 その場に取り残されたヴェラは、しばらくその場から動けなかった。あの瞬間、確かにサイは何かに突き動かされていた。自らの意志というよりも――あれは、何か別の力に導かれるように。


「……どうして。どうして、こんな……」


 自分の両手を見つめる。サイの血で、赤く染まっていた。


(――また、守れなかったの?)


 脳裏をよぎったのは、あの薄明の海岸で、目の前で剣に貫かれて消えたエリンの姿だった。

 激しい恐怖が、遅れてヴェラの全身を襲う。だが、その恐怖をねじ伏せるように、彼女は血に染まった両手を、ギリッと強く握りしめた。


「……ふざけないで」


 ぽつりと漏れた声は、低く、地を這うように冷たかった。


「わたくしの目の前で、これ以上、誰も奪わせはしませんわ……!」


 涙に濡れた顔のまま、ヴェラはサイが運ばれた方角を真っ直ぐに見据えた。その瞳の奥には、理不尽な世界の悪意に対する、底知れぬほど鋭い怒りの炎が燃え上がっていた。


 ……夜が近づいていた。

 空は薄闇に包まれ、静かな風が廊下を吹き抜けていく。

 サイが意識を失ったあの場所には、まだ彼の血が、乾ききらずに残っていた。その上に、ひとつ、彼が落とした銀色の髪が、静かに揺れていた。

 誰の手にも届かぬまま――

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