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(19)確定

 転移の翌朝、まだ空に朝靄の名残が漂うころ。ヴェラとサイは、ハルトと共に王宮の奥――謁見の間の扉の前に立っていた。

 昨日の続きがある、と告げられたのは、ほんの数時間前のこと。魔導卿からの通達は簡潔で、何ひとつ感情を滲ませていなかった。それがかえって、肌を刺すような不安を煽る。


 やがて、回廊の先から足音が響いてきた。エイデン、リディア、ミナ、そして最後に、セラが静かに姿を現す。

 ヴェラとサイにとって、セラと顔を合わせるのはこれが初めてだった。昨日、セラは謁見の場にいたはずだが、常に他の転移者たちの後ろに控えていて、その顔を直接見ることはなかった。


 同じくセラも、謁見中はヴェラとサイの背しか見ていなかった。

 そして――今日のサイは、頭にいつものタオルを巻いていなかった。その額に浮かぶ一本の角を見た瞬間、セラの顔色がみるみるうちに失われていく。


「セラ? どうしたの?」


 リディアが気づき、咄嗟に彼女の体を支える。だがセラはすでに細かく震え、唇から小さく絞り出すように言葉をこぼした。


「そ……それは……その角は……『災厄の子』の……?」


 その場の空気が一瞬で凍りつく。その言葉を、彼女が知っているはずがない。昨日、災厄と『災厄の子』の話がなされたのは、ハルトの部屋での内々のこと。

 彼女はそこにいなかったはずだ。


 ヴェラはすっとセラの前にしゃがみ込み、震える彼女と目線を合わせた。その瞳に恐怖と混乱が浮かんでいるのを、見逃すはずもなかった。


「セラ……。その件は、あとでお話ししましょう?」


 声はあくまで穏やかに、だが確かに届くように。セラの背を支えるリディアを一瞥し、ヴェラは言葉を継ぐ。


「わたくしたちに聞きたいことがあれば、何でも言って」

「全部、正直に話すと約束するわ。サイの角のことも。あなたが魔王と対峙して、気づいたことも――全部」


 セラの目がわずかに揺れ、やがて小さく頷く。その表情に、ほっとしたような気配が差した。


(間違いない。この人も気づいているわ。『災厄』と『魔王』の関係に。……こんなものを、一人で抱えていたのね)


「……はい。あとで、お願いします」


 その返答を聞き、ヴェラはそっと立ち上がった。七人の転移者が揃ったところで、扉が静かに開かれ、謁見の間へと通される。


 魔道卿の問いは、女神との邂逅、転移時の記憶、身体の異変、およびスキルの有無にまで及んだ。だが、どれも確認程度の淡々とした質問で、深くは踏み込まない。


 ヴェラは飾ることなく、すべてに正直に答えた。自分たちは女神の召喚者ではなく、スキルも与えられていないのだと。

 魔道卿は反応らしい反応を見せることもなく、ただ静かに次の問いを紡ぐ。


「では、お前たちの世界は、どのような場所なのか? その剣がそちらにあったということは、この世界に転移した者がいた可能性もある。知っていることを、話してくれ」


 その問いに、ヴェラはわずかに口ごもった。答えるべきか、濁すべきか――。

 するとすぐ隣で、ハルトが一歩前に出た。


「その件については、昨日、僕たちが話を聞きました」


 その声は落ち着いていて、堂々としていた。


「彼らの世界にも、こちらで言う“魔王”のように、世界を蝕む存在がいたそうです。『災厄』と呼ばれるものです」

「そして、あの剣はその『災厄』を滅ぼすための道具。こちらの世界で言えば、伝説に語られる“聖剣”のような存在だと理解しています」


 一拍置いて、ハルトは続けた。


「ある日、大切な人がその剣に貫かれて姿を消すという出来事が起きました」

「そのとき、剣に“転移の力”があると気づき、彼女たちはその人物を追って……自らも剣に貫かれ、この世界に来たのです」


 すべてを言い切ることなく、だが真実を覆わずに。

 その語り口は、ヴェラの重荷をふと軽くしてくれるようだった。


「……ふむ。つまり、転移の力を最初から理解していたわけではない、ということか」


 魔道卿が呟くように言い、ほんの一瞬、目を細めた。その視線には、明確な疑念があった――が、それを表に出すことはなかった。


「では、その『災厄』とやらが今、どうあるのか“知っている”か?」


 ついに核心に踏み込んできた。ヴェラは、少しだけ息を吸い込む。心を整え、嘘にならぬ言葉を選ぶ。


「……わかっているのは、その剣によって“滅ぼされた”ということだけですわ」


 これは事実だった。まだ、エリンに再会していない以上、あの時の一撃が転移だったのか、それとも消滅だったのかは、誰にも断言できない。

 言い終えて、ほんの一瞬だけ、魔道卿の目が揺れた。だが、すぐにまた無表情に戻り、次の言葉を発することはなかった。


(……気づいているはずですわ。『災厄』がこの世界に現れている可能性に)

(なのに――なぜ追及してこないの?)


 沈黙が場を包む。あまりに冷静すぎるその応対が、逆に不気味でならなかった。


(……やっぱり、何かを知っている……。この沈黙は、ただの無関心ではないわ)


 だがそれ以上、深く問われることはなかった。数問の確認を終えると、魔道卿は淡々と告げた。


「本日はこれまでとする。ふたりの扱いについては、追って通達する」


 “勇者”や“聖女”という称号が押し付けられることもなかった。謁見は、あっさりと、拍子抜けするほど静かに終わった。


(……静かすぎるわ)


 そう感じたのは、ヴェラだけではなかったはずだ。胸の奥に渦巻く不穏な予感を抱えながら、彼女は静かに謁見の間を後にした。


 居住区へ戻った七人は、昨日と同じようにハルトの部屋に集まっていた。

 湯気の立つ茶がテーブルに並び、室内はほんのりとした温もりに包まれている。


「セラ……もう大丈夫?」


 リディアの柔らかな問いに、セラは俯いたまま一口だけ茶をすすり、吐く息とともに頷いた。


「うん。落ち着いたわ。……心配かけて、ごめんなさい」


 その様子を見て、ヴェラが静かに声をかける。


「セラ、今はあなたの話を聞く時間にしましょうか? それとも、わたくしたちに聞きたいことがあるかしら?」


 強いることも、急かすこともない穏やかな声に、セラはしばし口をつぐんだあと、ぽつりと呟いた。


「私……まず、みんなに、謝らないと」


 彼女の視線は、ヴェラとサイ以外の四人に向けられていた。


「……ずっと、話していなかったことがあるの。これからヴェラたちに話すこと……ずっと、黙ってた」


「気にすることないよ」


 ハルトが微笑みながら言う。


「僕だって全部打ち明けてるわけじゃないし」


「そう。話したいって思ってくれたなら、それだけで十分」


 リディアもやさしく言葉を重ねた。


「私も聞きたい」


 ミナの瞳は真剣だった。


「セラが何を抱えてたのか、知りたい」


「みんなの言う通りだ。昨日も驚きっぱなしだったし、今さら何を聞いても驚かないさ」


 エイデンは少し肩の力を抜きつつ言った。


「それに、あの日から様子が変だった。みんな、心配してたんだぞ?」


 その言葉に、セラの肩がわずかに揺れ、目元が潤む。


「……うん。ごめん。ずっと言えなくて。でも、本当に心配させちゃってたんだね」


 そして、彼女はゆっくりと自身の身の上を語り始めた。


『災厄』という理不尽な脅威が存在する世界に生まれ育ったこと。

 そして、その災厄が引き起こした凄惨な天災に巻き込まれ、命を落としてしまったこと。

 その後、“チキュウ”という別の世界へ転生したこと。

 そして、その世界で突如として転移の剣に貫かれ、女神から“聖女”の役割を与えられて、この世界へと落とされたこと――。


 あまりにも数奇で、過酷な告白。

 ヴェラたちが言葉を失い、その重い事実を静かに受け止めている中――ただ一人、ミナだけがたまらずセラに抱きつき、大粒の涙をこぼしていた。


「うぅっ……セラちゃぁぁん……っ、つらかったよねぇ……っ」


「えっ、ちょ、ミナ……? 泣きすぎだってば……」


 突然のハグに戸惑いながらも、セラは少しだけ表情を和らげ、ミナの背中をぽんぽんと優しく撫でた。


「……まさか、嘘だろ。本当に異世界に“転生”なんて……」


 サイが呆然と呟く。


「ええ。でも……セラは確かに、わたくしたちの世界を知っていたわ」


 ヴェラは静かに頷き、まっすぐセラを見つめた。


「わたくしは信じますわ。あなたがあの世界にいて、そしてこちらに来たということも」


「お、俺も信じる!」


 サイが慌てて言い直した。


 話が一段落すると、ヴェラが核心を突いた。


「それで……わたくしたちに、確認したいことがあるのでしょう?」


 セラは深く頷き、唇を引き結ぶ。


「この世界の“魔王”って……やっぱり、あの『災厄』なの?」


 ヴェラは一瞬だけ目を伏せたが、すぐに顔を上げて答えた。


「……あなたが見たその姿。それが『災厄』だったというのなら――きっと、間違いありませんわ」


 部屋に、静寂が落ちた。


「……やはり、そうか」


 エイデンが低く呟く。


「ヴェラの推測は、当たりだったってわけだな。今、それが確定した」


 セラの頬を一筋の涙が伝い落ちる。


「……私、魔王を倒したくないなんて、言えなかった」


 震える声が漏れる。


「だって、あれは……もともと、ただの人間だったのに……」


 誰も声を発せず、ただカップから立ちのぼる湯気だけが、静かに揺れている。リディアは手の中のカップを見つめたまま、そっと目を伏せた。

 朝の光が淡く差し込む部屋の中に、セラの言葉だけが染み込んでいく――。


「……それから……サイ。その角……『災厄の子』の証なの?」


「ああ。俺は……災厄になりかけた」


「なりかけたって……完全に『災厄』になってから元に戻ったわけじゃないよね? じゃあ、どうやって……ならないで済んだの?」


「俺は……たまたま……そうならずに済んだだけなんだ」


「……それでも……運命は、変えられたんだよね?」


 セラの切実な願いに、サイは重く首を横に振った。


「……よく聞いてくれ。その話は、そんな甘いもんじゃないんだ」


 サイは、声を低くして話し始めた。


「『災厄の子』に選ばれた俺は、誰も住んでいない、大陸の端に向かった。誰も巻き込まずに終わるために」


 だが、そこで起きた現実は、セラの想像を絶するほど残酷なものだった。

 サイの絞り出すような声で語られたのは、錬金術師が構築した狂気の算段――。

『災厄の子』に宿る呪いを別の器へと吸い取らせ、身代わりとして消滅させるという、おぞましい実験の全貌だった。


 あの時、錬金術師の企みによってサイの身代わりとなったのはエリンだった。彼女は膨大な霊力ゆえに即座に『災厄』へと至り、『天より降る剣』によって跡形もなく消し去られたのだ。

 そして何よりおぞましいのは、『竜神の鱗』と、母体である『ヴェラ』が存在する限り、この犠牲が何度でも繰り返されるという事実だった。

 世界が平和を享受する裏で、ヴェラは永遠に身代わりの子供を産み落とし、奪われ、苦しみ続ける運命を強いられていたのだ。


 サイは目を伏せ、痛みを堪えるようにヴェラへと視線を向けた。


「だから俺は……そんなやり方、許せなかった」


 それを聞いたセラの目が大きく見開かれた。


「……その錬金術師を、倒したの?」


 セラの問いに、サイはほんの少し間を置いて、静かに頷いた。


「……ああ。倒したよ」


 その言葉を聞いた瞬間、セラの視線がわずかに行き場をなくしたように泳いだ。

 けれども彼女は、俯くことも目を逸らすこともせず、すぐにまた、まっすぐにサイを見つめ返した。

 サイもまた、その視線から逃げなかった。まるで、責めを受け入れる覚悟があるかのように。


「分かってる。セラの言いたいことは。……錬金術師とヴェラと“鱗”さえあれば、世界は助かったんじゃないかって、そう思ったんだろ?」


(……あのとき、もっとできることがあったかもしれない。でも――)

(あれが、俺の精一杯だったんだ)


「……」


 セラは、何も言わなかった。だが、その瞳の奥で、行き場のない感情が渦巻いているのを、誰もが感じ取っていた。


「でも俺は――」


「ごめんなさい」


 腰にしがみついて鼻をすするミナの背中をそっと撫でながら、セラは静かに口を開いた。


「本当は、分かっている。サイは、何よりも愛する人を救いたかった。私だって――」


 セラの声は震えていたが、その瞳には、かすかな光が宿っていた。


「……あ、愛する人――?」


 その時――サイがまさかのワードを拾ってしまった。


「……やっぱり! ふたりは付き合ってるの!?」


 涙声のまま突然顔を上げたミナが声を張り上げ、部屋の空気が一瞬で軽くなった。その勢いに、ヴェラとサイは同時にぽかんと口を開ける。


「へ……?」


 ミナは二人の表情をじっと見つめ、首をかしげた。


「ん? なにその反応。おかしくない?」


 怪緯そうに、彼女はヴェラとサイの顔を交互に見比べる。

 その様子を見ながら、リディアがお茶をすすりつつ、さらりと口を挟んだ。


「恋人未満、そういうことなんでしょ」


 まるで天気の話でもするかのように、冷静な口調だった。


「え? じゃあキスもまだなの?」


 ミナが悪びれることなく、さらりととんでもないことを口にした。空気というものを、彼女は呼吸以外の用途では使わないらしい。


「……キス――?」


 サイがぽつりと、気になった言葉をそのまま口に出してしまう。二度目である。

 その瞬間、記憶が脳裏に閃いた。確かに、キスをした。思い出したのは、それだけではない。指先に伝わった、なめらかな肌の温もり。襟元から覗いた、淡く光る鎖骨の曲線。その全てが、記憶の底から一気にあふれ出す。


 ぶわっ――

 サイの顔が見る見るうちに赤く染まり、ついには耳の先まで真っ赤に染め上がった。どこまでも真面目で、どこまでも照れ屋な彼の本領発揮である。


「……あら、これは」


 ミナが面白がって首をかしげるのとほぼ同時に、リディアが飄々と口を開く。


「そういう経験が“あった”という事実が、顔に書いてあるわね。しかも――」


 お菓子を一口かじりながら、いつもの調子で淡々と続けた。


「たぶん、キスだけじゃ済んでない」


 分析は冷静かつ正確だった。


「はあ? じゃあ、何で、付き合ってないの!」


 ミナが詰め寄る。空気などまるで読まないこの子は、まだまだ引く気配がなかった。


「え、え? ふたりは将来も一緒にいたいとか思わないの?」


「……将来――?」


 またしても、サイがその言葉を反芻する。三度目である。

 そして、唐突に訪れた。雷鳴のような衝撃が、体の奥から突き上げる。


(……エリンがいなくなってから、必死だった。でも――)

(いま、彼女を迎えに行く道が、少しだけ見え始めている)

(だったらもう、その先のことだって――将来のことだって、考えていいんじゃないか……)


 思考は自然と、ひとりの女性に向かっていた。

 サイは、ヴェラを見つめる。何かを言いかけようとした――その瞬間だった。


「サイ?」


 ヴェラが、にっこりと微笑む。だがその笑顔には、うっすらと――怒気が混じっていた。


「今は、そんな場合ではないでしょう?」


 こ、怖い。サイは瞬時に悟り、無言でコクコクとうなずくしかなかった。


「ヴェラ、その態度……きっと後悔するよ?」


 急に、セラが口を開いた。その声は静かだったが、真っ直ぐにヴェラを見据えていた。


「絶対に後悔する。後になって思うの。“なぜ、あのとき、素直になれなかったんだろう”って」


 その言葉には、隠しようのない重みがあった。

 彼女の胸の奥に今も残る、痛みと後悔。レイに、素直になれなかった――。『災厄の子』に選ばれる前、一日でもいい。恋人として、隣にいられたなら。

 そのたった一日のために、声にしたかった想いが、今もそっと置き去りのままだ。


「――」


 ヴェラは、息をのんだ。その目に、わずかな迷いと、揺らぎが浮かんだ。


「今だよ、サイ」


 ミナが、そっとサイの耳元に顔を寄せて囁く。


「好きだって言っちゃえ!」


 サイの目が大きく見開かれた。心の奥で、何かが跳ねた。


「ヴェラ……その……いや、」


 サイは真剣な表情で口を開き――……黙った。


「意気地なし!」


 ミナのツッコミが、午前の光の中に響き渡った。

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