(18)聖女セラ
――セラ
「セラ! 今日こそプロポーズの返事を聞かせてもらうぞ!」
まただ。今日もあいつがやってきた。
レイ。私の幼馴染で、どうしようもなく一直線で、どうしようもなく、バカで優しい男。
「もう何回も言ったわよね! 私とあんたなんかが釣り合うわけがないって!」
思ってもいない言葉が、また口から滑り出た。
……なんでこんなこと言っちゃうんだろう。
「違う! 俺たちは相性抜群だって! 俺は絶対に君を諦めないからな!」
その笑顔。あったかくて、まぶしくて、どうしようもなく胸が苦しくなる。
「アホ! そのお気楽な頭、なんとかしなさいよ!」
私は背を向けて、玄関の戸を乱暴に閉めた。――心より先に、体が動いてた。
……また追い返しちゃった。ほんとは一緒になりたいのに。ほんとは今日こそ、ちゃんと返事するつもりだったのに。
なんで私は、こんなにも素直になれないんだろう。
幼馴染って、ずるい。あいつが近すぎて、遠すぎて、いつまでも子どものままの自分を捨てきれない。
明日こそ、ちゃんと伝えよう。
そう心に決めて、私はベッドに潜り込んだ。
* * *
――次の日。
レイは来なかった。
毎日、あれだけしつこく通ってきたくせに。
その姿が見えない夕焼けの空に、ぽっかりと穴が空いたような気がした。
……まさか、今度こそ嫌われた?
不安で、喉が焼けるようだった。昨日のあれが最後の会話だったらどうしよう。
――明日も来なかったら、私から会いに行こう。
絶対に、絶対に言おう。
* * *
そして――次の日。
レイはやってきた。
心臓が跳ね上がって、私は思わず玄関を飛び出していた。
「レイ!」
だけど、そこにいたのは、私の知っているレイじゃなかった。
いつものお調子者の笑顔はどこにもなく、彼は深刻な顔で立ち尽くしていた。
「セラ……ごめん……」
――嫌。やめて。
「セラとは……一緒になれなくなった」
やめて、やめてよ!
「この町を出ることにしたんだ」
言葉が冷たくて、息が止まりそうだった。
「なんで? なんでよ!? ほかの町に好きな人ができたとでも言うの!?」
混乱して、心がぐちゃぐちゃで、涙が溢れて止まらなかった。
「違うよ。俺が好きなのは、セラだけだ」
「じゃあ、なんでよ!? 今日こそ私……!」
「君を巻き込みたくないんだ。君に、生きていてほしいんだ」
そう言って、彼は帽子を取った。
――額には、短い角があった。
『災厄の子』。それは、この世界で最も恐れられる存在の証。
* * *
その夜、町の人々が全員、集会所に集められた。
レイは隠すことなく、自分が『災厄の子』に選ばれてしまったことを話した。
そして、町の誰もが『災厄』の犠牲にならないよう、『災厄』となるまでの三ヶ月――人のいない、大陸の果てまで旅をする、と宣言した。
一瞬の静寂ののち、集会所に安堵の息が広がった。
みんな、ほっとした顔をしていた。
レイが自ら犠牲になると宣言したのに、どうして安心した顔ができるの?
誰かが手を挙げて言った。
「レイ、君が本当に大陸の端まで辿りつける保証はあるのか?」
「必要な物資は提供しようと思うが……三ヶ月の旅路では、補給も難しいだろう?」
「他の土地で災厄の子だと知られれば、拘束される恐れもある。前の災厄の子のように……」
「下手に手を出されてしまっては、かえって災害が拡大しかねない」
まるで彼を心配しているような言葉。けれど――誰ひとり、レイの運命を悼んではいなかった。
ただ、自分たちが無事でいられるか。それだけがこの場での正義だった。
……こいつら、自分のことばかり!
悔しかった。レイは皆を守ろうとしているのに。それなのに、誰もレイを守ろうとしないなんて。
「私が、大陸の果てまでレイを見送る! だったら、心配ないよね!」
気がつくと、私は叫んでいた。空気が止まり、視線が一斉に突き刺さる。
「セラ!?」
驚くレイの声。そりゃ、驚くよね。でも私は、本気だった。
離れたくない。たとえ、あんたが『災厄の子』になったとしても。
すると、一同の顔に明らかな安堵が広がった。
「セラ、すまんな。その役目、引き受けてくれるか」
「はい」
これは、町のためじゃない。私の意志。私が、そうしたいから。
* * *
そのあと出発まで、レイを説得するのは本当に大変だった。
「危険すぎる」「一緒にいたら、君まで災厄の巻き添えになるかもしれない」
そんな言葉を、何度も何度も繰り返された。でも私は、何度でも返した。
「それでも、私は行く」
最後には、彼と“ある約束”を交わした。
――目的地にたどり着いたら、私は必ず引き返すこと。
それでようやく、レイは頷いてくれた。
けれど、私は信じていた。ほんの少しでも、未来は変えられるかもしれないって。
あの日心に決めた言葉は、まだ飲み込んだまま。
(本当は、レイのことが――)
それが、彼に届く日は、きっと……。
* * *
三ヶ月後。レイと私は、たどり着いた。誰も住まない、世界の果てに。
地平線の果てがぼやけるほどに風が強く、空は灰色で、ここにはもう何も生まれないと、そう思わせるような場所だった。
「セラ。ありがとう」
「……うん」
「セラを好きになって、よかったよ」
「……うん」
「この旅で、もっと好きになった。でも、ここでお別れだ」
「…………」
ごめんね、レイ。私、あんたとの約束を――破るつもりでいる。
ここから引き返したりなんか、しない。あんたが『災厄』になったとしても、私はずっとここで祈ってる。
あんたが、災厄じゃなくなって、生きて帰ってきますようにって。
そのときだった。
地面が揺れ、黒い霧が周囲に広がり始めた。空が軋むような音を立て、見えない何かが蠢く。
レイが、変わってしまう。『災厄』になってしまう――。
だけど、私はあきらめない。あの日、誰も信じなかったけれど、私は信じてた。
ほんの少しでも、未来は変えられるかもしれないってことを。
だから、ずっとここで、待ってる。
* * *
強い雨と風が、何日も、やまなかった。
身体が、震える。手の感覚がない。足も。……体全部。もう何も感じない。
だけど、私は、まだここにいる。
レイが『災厄』になったあの日から、ずっと。
「災厄がやんだとき、あんたが生きて戻ってきますように」
それだけを祈って、ここにいた。
……でも、きっと私は、災厄がやむ前に――死んでしまったのだろう。
* * *
『災厄』は、それを見ていた。
いや――見えていたかどうかはわからない。けれど、その巨躯は、その場所を離れようとはしなかった。
風にさらされ、雨に打たれ、朽ちゆく彼女の亡骸。
『災厄』は、それを見下ろし、寄り添うように佇み続けていた。
彼の中に悔恨の情があったのか。自我が残っていたのか。それを知る者は、誰もいない。
けれど――ただ黒く、ただ重く、その“想い”が、『災厄』を“成虫”へと育てていった。
“世界の痛み”を喰らいながら、絶望を力に変えながら、災厄はその姿を完成させていく。
そして、その日が――やってきた。
空が、裂けた。
雲の中心に、ひとすじの光が生まれる。それは剣の形を取り、まるで時間が遅くなったかのように――ゆっくりと、重く、厳かに――降りてくる。
『天より降る剣』。それは、何者をも裁く刃ではなく、世界の理そのものだった。
災厄の胸を貫いた瞬間、空が、山が、大地が震え、そして静寂が訪れる。
その身体は、塵のように崩れていく。風と共に、どこかへ消えていった。
……そして、彼女の遺体もまた、同じように――この世界から、姿を消していた。
* * *
「……また、あの夢か」
明け方。薄く白む天井を見つめながら、私はぼそりと呟いた。
胸の奥にまだ、あの痛みが残っている。肌寒い風が吹き込んでくる気がして、薄手の毛布をぎゅっと握った。
――あれが、私の前世。
何ひとつ変えられなかった。何ひとつ救えなかった。
結局、ただ祈ることしかできなかった、あの人生。
それを思い出したのは、ほんの数ヶ月前だった。
ふとした瞬間に蘇った、遠い町の記憶。雨に濡れた大地と、彼の姿。
災厄になったレイのことも、最期に交わした言葉も、痛いくらい鮮明だった。
私は――“チキュウ”という世界に転生していた。
この世界の人間として生まれ、育ち、十七年を生きてきた。
ごく普通の家に生まれ、友だちもいて、未来もあると思っていた。
けれど、あの前世を思い出してしまってから、私の心は、何かが決定的に変わってしまった。
この世界には『災厄』はいない。それが、あの祈りの結果なのだとしたら――どうして、レイがいないの?
欲しかったのは平和なんかじゃなかった。ただ、もう一度あの人に会いたかっただけなのに。
でも、ここに彼はいない。もし本当に願いが届いていたのだとしたら、私はただ、一人きりになっただけだった。
そんなことを考えていた、ある日の午後だった。
私は、いつものように街の中を歩いていた。人通りの多い、陽の差す通り。
何気ない日常の風景の中に、不意に――音が走った。
「逃げてっ……!」
誰かの悲鳴。反射的に振り返る。
その瞬間、目に入ったのは、血走った目でこちらに突進してくる男の姿。
手には刃物。鋭く、そして速く――
肺が、きゅうっと締めつけられる。足がすくんで、声も出なかった。
次の瞬間、胸の奥に焼けるような痛みが走った。
……ああ、またか。
あっけないな。今度も、何もできなかった。
レイにも、会えなかった。こんな風に死ぬなんて、あんまりだよ……
そのときだった。
世界が、音もなく反転した。
全てが白く染まり、痛みも、悲鳴も、街のざわめきも、すべてが溶けていく。
そして私は、“彼女”の声を聞いた。
女神の導きによって――私は、“聖女”として、この世界に転移したのだった。




