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(10)喪失の夜

 空気が、ぴんと張りつめていた。夜の名残を含んだ冷たい空気に、湿った土の匂いと、空が裂けた直後の苛烈な魔力の残滓が混じり合っている。


 サイが手にした『天より降る剣』の刃が、昇り始めた朝日を浴びて、冷たく、白く光り輝いた。

 その光を見た瞬間、錬金術師の背を冷たい汗が伝った。


(まずい……)

(まずい、まずい、まずい……)


 胸の奥で、警鐘が狂ったように鳴り響く。


(理論に、酔いすぎた……。あの剣が、まだ『役目を終えていない』ことに、もっと早く気づくべきだった!)


 歯噛みしながらも、彼は現実を認めざるを得なかった。災厄であるエリンを貫いた剣は、今やその「正の霊力」をサイという新たな器に預け、己を弄んだ錬金術師へと牙を剥いている。


(くそ……! さっさと『ゴーレム姫』を攫って離脱すべきだった!)

(こんな時こそ、ホムンクルス技術で作った、私の偽物をここに遣わすべきだったのだ……!)


 顔色を失いながらも、錬金術師は狂ったように声を張り上げた。


「だが小僧、剣を操るのはお前ひとりだ! この物量を……さばききれるかな!?」


 彼はなりふり構わず、背後の闇に控えていた全戦力を解き放つ。


「行け、ゴーレムども! 止まることは許さん! 奴を仕留めるまで、戦い続けろ!!」


 地響きと共に、数十体の巨躯が二人へと殺到する。


 サイは、重い剣の柄を両手で必死に握りしめ、襲い来る圧殺の塊へと闇雲に突き出した。技術も、型もない。ただの必死な一撃。

 だが、その切っ先がゴーレムの分厚い胴体に深く突き刺さった瞬間、剣身から溢れ出した高純度の「正の霊力」が、白く濃密な霧となって噴き出した。

 白い霧は意思を持つかのように、突き立てられた刃を伝ってゴーレムの内側へと膨れ上がり、その核へと激突する。


「――ガ、ギ……ッ!」


 物理的な衝撃ではない。内側に秘められた核が、耐えきれぬほどの清浄な力に触れ、激しく拒絶反応を起こしたのだ。次の瞬間、ゴーレムの核は内側から弾け飛び、巨体は一歩も進めぬまま、ただの石塊となって崩れ落ちた。


「うわ……! すっげ……!」


 サイ自身が、その威力に目を見開く。突き立て、引き抜くたびに漏れ出す白い霧が、周囲の空気を清めていく。

 だが、ゴーレムの物量は絶望的だ。一体を消滅させても、背後から次なる巨腕がサイの頭上へと迫る。


「っ……! 前を見て、サイ! 後ろは……わたくしが、絶対にさせませんっ!」


 ヴェラの鋭い声が響くと同時に、大地が激しく隆起した。サイを挟み撃ちにしようとしていた二体のゴーレムの足元から、巨大な土の槍が突き出し、その膝関節を強引に跳ね上げる。


「ヴェラ……!」


「驚いている暇なんて、ありませんわ! 雑兵くらい、わたくしが食い止めます!……あなたは、目の前の敵に集中してっ!」


 ヴェラは泥にまみれ、両手を地に突き立てたまま、鋭い眼光を錬金術師に向けた。

 かつては「あの男」の機嫌を損ねぬよう、震えながら魔法を調整していた指先が、今は彼を打ち倒すための術式を、必死に、そして気高く紡いでいく。


「わたくしは、もうあなたの実験道具ではありませんわ。……エリンが命を懸けて繋いでくれた、わたくしたちの生を、これ以上あなたの好きにはさせない!」


 ヴェラの呼びかけに応えるように、台地の至る所から無数の鋭い石柱がせり出し、ゴーレムたちの突進を強引に分断した。

 さらにその足元から土で形成された無数の「腕」が這い出し、石像たちの脚を、胴を、泥にまみれた指先で執拗に絡め取っていく。分断され、身動きの取れぬ石像の群れへ、サイは白い霧を纏った剣を、その「核」を狙って迷いなく突き立てていった。


 だが、敵は地上だけではなかった。


「ギギギ……ッ!」


 鈍い軋み音を響かせ、数体の飛行型ゴーレムが上空で旋回を始める。それらは地上の拘束を嘲笑うように、無防備なサイの頭上から鋭い鉤爪を突き立てんと急降下を開始した。


「っ……上からも……!」

「……っ、落としますッ!!」


 ヴェラが地表へ魔力を流し込むと、戦場を埋め尽くす石柱の側面を起点に、幾多の魔法陣が展開される。そこから放たれたのは、地を削り、弾丸へと変えた魔力の散弾。空を覆わんばかりの土の弾丸が、急降下の勢いに乗る飛行型の翼を、逃げ場なく貫き、叩き折った。

 制御を失った異形の塊は、失速したままサイの目の前へと、無防備に流れ落ちた。


「今です、サイっ!」


 手が届く距離まで落ちてきた標的へ、サイの剣が鋭く突き立てられる。白い霧を纏った刃がその身をなぞった瞬間、ゴーレムの核は耐えきれぬほどの清浄な力に晒された。

 ――直後。

 内側から激しい拒絶反応を起こした核が弾け飛び、飛行型はただの土塊へと還りながら、足元へ崩れ落ちた。


「……助かった、ヴェラ!」


「……礼には及びませんわ」


 ヴェラは短く応えながらも、その視線はすでに、戦場の奥で不穏な動きを見せる錬金術師へと向けられていた。


(……今なら)


 錬金術師は、土煙に紛れて誰にも気取られぬよう、足元に魔法陣を描き始めた。

 転移魔法――この場からの逃走。だが、その術式が完成を見る直前。


 ビキビキビキッ!


 激しく地面が鳴り、亀裂が走る。描き出された術式の光は無惨に乱れ、ひび割れた。


「あら、ごめんあそばせ? せっかくの魔法が、台無しになってしまいましたわね」


 ヴェラの声だった。

 彼女の土魔法が、地面ごと男の姑息な術式を粉砕していたのだ。


「こ、この……『ゴーレム姫』ごときが……っ!」


「ねぇ?」


 ヴェラは瓦礫の向こうから、冷ややかに言い放つ。


「あなたが次に何を考え、どう動くかくらい、わたくしには手に取るように分かりますわ。……だってわたくしたち、あの塔で、嫌というほど長い付き合いでしたでしょう?」


 その声には、鋭い皮肉と――積み重なった憎悪が滲んでいた。

 機嫌を損ねぬよう、表情一つ、指先一つを必死に観察し続けてきた日々。その生存戦略が今、男の逃げ道を完全に断つ刃となった。


 ズウン。


 最後のゴーレムが、サイの放った白い霧に貫かれ、重たい音を立てて崩れ落ちる。

 訪れたのは、耳が痛くなるほどの静寂だった。サイは白く光る剣を携えたまま、錬金術師へと一歩、また一歩と歩み寄る。


「ま、待て……!」


 後ずさりしながら、男は必死に言葉を絞り出す。


「わ、分かった! もう……もうお前たちや、その鱗には手を出さん! 誓おう! 本当だ!」


 その見苦しい命乞いを、ヴェラは鼻で笑った。


「あら、本当ですの? 見逃して差し上げたら……大人しく隠居でもなさるの?」


「ああ! 誓うとも!」


 必死に頷くその男を、ヴェラは冷徹な瞳で見下ろした。


「……わたくしが、そんな言葉を信じるとでも思っているの? それとも、わたくしがあなたを許すと?」


 一拍の沈黙。


「エリンがいなくなったの」


 その名を口にした瞬間、ヴェラの声が激しく揺れた。


「わたくしは……何度も、あなたに“溶かされ”て。素材として、道具として、何度も……!」


 震える拳。錬金術師の目から、最後の希望が消えた。


「ヴェラ」


 その名を呼んだのは、サイだった。彼はそっと彼女の震える手に触れ、自分の両手で包み込む。ヴェラの荒れていた呼吸が、少しずつ落ち着きを取り戻していく。


「サイ……お願いがあるの」


「うん」


「エリンの……仇を討って。わたくしの、この消えない恨みを……」


 サイは、短く頷いた。


「もちろんだ」


 彼の手の中で、剣がいっそう鮮やかな光を放つ。サイが剣を真っ直ぐに突き出すと、そこから溢れ出した白く濃密な霧が、逃げようとする錬金術師を容赦なく包み込んだ。


「ひっ、あ……あああああ……っ!!」


 それは物理的な刃よりも、はるかに苛烈な純粋なる「光」の侵食だった。男の皮膚が、血管が、内側から膨れ上がる霊力の圧力に耐えきれず、白く発光しながらひび割れていく。


「馬鹿な……霊力が、直接注ぎ込まれている……!?」


「やめろ、やめろっ! 人間の器に、こんな濃度の霊力は耐えられん……っ」

「壊れる……私が壊した奴らと同じように、細胞が、魂が、焼き切れてしまう……!!」


 男は絶叫した。

 自らが何十人もの人間を「素材」として使い潰し、その断末魔から導き出した残酷な「理論」。今、その法則通りに、彼自身の身体が崩壊を始めていた。


「あなたの理論通りですわ。……喜んで差し上げますわね、その身をもって証明できたのですから」


 ヴェラは、光の中で崩れゆく男を、瞬き一つせずに見守っていた。

 男の指先から、腕から、まるで乾燥した粘土が剥がれ落ちるように、肉体が白い塵となって崩落していく。


「嫌だ……私は、私は救世主になる男だ……っ!」

「こんな……こんな、ただの“実験結果”のように死ぬなど……っ!!」


 男は最期に、空を掴もうとして手を伸ばした。

 だが、その腕は肩から先が既に塵と化しており、言葉もまた、噴き出す光の奔流の中に掻き消された。


 ボロボロと、音を立てて男が崩れ落ちていく。あとに残されたのは、男が身に纏っていた深緑のローブの残骸と、風に舞う白い灰だけ。


 夜と朝の境目。

 世界から「あの男」の気配が完全に消え去った静寂の中に、ただ、ヴェラの荒い呼吸だけが響いていた。


 * * *


 夜の森に、ぽつんとひとつ、火が灯っていた。

 ふたりがたどり着いたのは、かつて三人で焚き火を囲んだ場所だった。ヴェラとエリン、そしてサイ。三人が最後に揃っていた、あの夜明けの記憶が、肌に触れる風とともに蘇る。


 エリンがいないと、火を起こすのも一苦労だった。やっとのことでくすぶる火を囲み、サイは黙って炎を見つめていた。

 その耳に、幻のようにあの声がよみがえる。


 ――ねっ、ヴェラって、すごーく格好いいでしょ。


 ついさっきまで隣にいたかのように、彼女の声が耳に残っている。出会ってからというもの、彼女は毎日のようにヴェラの話ばかりしていた。誇らしげで、嬉しそうで。

 ヴェラのそばにいたかった――彼女は、きっとそう思っていたはずだ。


 けれど、その願いはもう叶わない。


(あのとき、別れてさえいれば。もし、自分ひとりでここに来ていたなら……)


 あの子は、巻き込まれずにすんだのだ。最初から、自分の役目だった。滅ぶのは、サイ。そのつもりで「ありがとう」と「さようなら」を綴った。

 なのに、いなくなったのは彼女だった。


『ありがとう。ここまで来られたのは、君たちのおかげだ』

 ――違う。一緒に来るべきではなかった。二人を巻き込むべきではなかった。


『君たちが霊力を操る方法を見つけられますように。そう願っている』

 ――何が「願っている」だ。そのエリンが、自分の代わりに災厄になって滅んだのではないか。


 あの時の言葉は、すべてが無意味だった。むしろ、残酷な皮肉ですらあった。

 二人の願いを、自分が壊したのだ。


『さようなら』

 ――あれは、自分が去るはずだった別れの言葉だった。こんな形で言うつもりはなかった。こんな別れになるなんて、思いもしなかった。

 あんな言葉を残して、彼女をあんな風に見送ってしまった。


(……自分は、取り返しのつかないことをしたんだ)


 ヴェラの泣き声が、まだ耳に残っていた。鱗を抱きしめて、崩れるように泣き続けていた彼女の姿が。エリンがいなくなって、世界は静かになった。けれど、自分の中だけは、何ひとつ終わっていなかった。


 あのとき、エリンは何も言わなかった。ただ、肩を小さく震わせて、黙っていた。普段の彼女なら、絶対に何か言ってくれたはずなのに。「ありがとう」とか、「またね」とか。……あるいは、冗談のような軽口でもよかった。

 自分は、何も受け取れなかった。だからたぶん、今でも、終わりを受け入れられずにいるのだ。自分のせいで、彼女が消えた。それだけが、動かしがたい事実だった。


「……サイ、酷い顔をしていますわ」


 ヴェラの声がして、サイは顔を上げた。彼女は立ち上がり、膝に手をついてこちらを覗き込んでいた。


「今にも死にそうな顔をしているわ……」


 その声には、わずかに笑みが含まれていた。けれど、近づいた彼女の顔は、どこか今にも壊れてしまいそうだった。


(……ヴェラだって、酷い顔をしているじゃないか)


 サイは言葉を飲み込んだ。ただ、彼女の瞳を真っ直ぐに見つめることしかできなかった。


(俺が……ヴェラを、こんな顔にさせてしまったんだ)


「ふふっ、どうしたの? 黙ってしまって」


 ヴェラが膝をつき、そっとサイを抱きしめる。その腕は細くて、かすかに冷たかった。


「また、声が出なくなってしまったの?」


「……い、いや。そうじゃないよ」


「エリンのこと、思い出して……辛くなってしまった?」


 彼女の問いに、サイは何も言わず、目を伏せた。


「……当たり、ですわね」


 ヴェラは、わざと明るく声を弾ませた。


「ねぇ、サイ。辛いなら……」


 彼女はそう言って、静かに唇を重ねてきた。

 優しいだけの、祈りのような口づけ。何かを埋めるように、あるいは、何かを誤魔化すように。


「気持ちが紛れるなら、この身体……好きにしていいですわ」


 サイの手を取り、彼女は自分の胸元に導いた。


「ほら、手足は作り物ですけれど……ここは、本物ですから」


 ぽたり――。

 サイの腕に、一粒のしずくが落ちた。

 ヴェラの目から、涙が零れていた。


「あ、あれ……?」


 自分でも信じられないというように、彼女は戸惑った声を漏らした。


「おかしいですわ。もう、全部枯れてしまったはずなのに……」


 今度は、サイがヴェラを抱きしめた。ぎこちなく、けれど精一杯の思いを込めて。


「……エリンの代わりには、なれないけど」

「それでも、ヴェラのそばにいていいかな」


 ヴェラはしばらく何も言わず、ただその言葉の余韻を抱きしめるようにしていた。

 そして、小さく頷いた。


「……ええ」


 焚き火が、小さく揺れた。

 誰のためでもなく、ただ傍にいるために。誰かの傷が少しでも癒えるように。ふたりは、静かに身を寄せ合った。


 その夜、ふたりはひとつの布の下、ぬくもりを分け合った。

 それは、安らぎとは程遠い、喪失の隙間をそっと埋めるための、静かな夜だった。

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