桜の人気者
季節は春――。
三匹の子猫たちは生後八週目を迎え、ますます育ち盛り。
いつの間にか、桜の木に登る技まで習得していた。
木の幹の分かれ目(二股)は、恰好の休憩場所であり、隠れ場所でもあった。
気分の良い時には、枝の上を歩いて遊んだ。
枝先の方まで移動すると、枝がしなって動くのが面白かった。
枝から枝へ飛び移るのも、達成感があって楽しかった。
時々、兄妹で同じ枝を歩いて渋滞してしまうことも。
猫は後ろ歩きが苦手なので、譲る譲らないでケンカになることもあった。
バランスを崩しそうになった時は、爪を思い切り立てて踏ん張る。
それでもダメなら、両手両足で枝にしがみ付く。
もちろん、たまには落ちてしまうことも。
でも、地面は柔らかい土だから大丈夫。
すぐに起き上がると、足でちょちょいと頭を掻いてから、また木に登り始めるのだった。
こうして、三匹の遊び場は草ぼうぼうの庭から、桜の木の上に変わっていた。
✻ ✻ ✻
玉見川両岸の桜は、今がまさに満開の見頃。
毎年この時期は、世界がさくら色に染まる。
猫たちが、無性にウキウキしてくる季節。
堤防の遊歩道を行き来する人間が、普段の何倍にも増える季節。
子猫を守るトトにとっては、まるで気が休まらない日々が続いていたが、子猫たちにとっては、なにもかもが初めての体験の連続だった。
週末になると、人間の数が更に何倍かに増えた。
トトの桜の木の前で足を止め、談笑する人間たち。
スマートフォンで写真を撮る人間たち。
階段を途中まで下りて撮影する人間たち。
そこへ、満開の桜の花の間から、三匹の子猫が顔を覗かせる。
思いがけない出会いとその愛くるしさに、人間が嬌声をあげる。
たちまち人が集まる。
桜の木の上の人気者は、この短い期間限定のアイドルになった。
アル「あれがにんげん?」
ミミ「そうよ、たぶん」
ムム「ねこじゃないの?」
アル「ちがうよ、あれがねこなわけないよ」
ムム「そうなの?」
ミミ「ムムにはあれがねこに見えるの?」
ムム「あたまがあって、てあしがよっつ。おんなじだよ」
アル「ぜんぜんおなじじゃないよ」
ムム「そうかなぁ」
ミミ「ほら、ちゃんときいて。ことばがちがうでしょ」
ムム「……ほんとだ。ぜんぜんわかんない」
ミミ「アタシたちみたいな、りっぱなヒゲもないわよ」
ムム「ホントだ、ない」
アル「しっぽだってないさ」
ムム「しっぽはママもないよ」
ミミ「アルのばか。よけいなこといわないで」
アル「ごめん。しっぱいしちゃった」
猫だってちゃんと人間を見ているのだ。
トトは人間を警戒しながらも、桜の木の下に座って見守っていた。
木の上なら簡単に手を出せないし、遊歩道の様子を見せるためにも良い機会だった。
トトが実は登りが得意ではなかったのは内緒だ。
野良猫には色々と事情があるのだ。
✻ ✻ ✻
春満開の季節と共に、三匹の子猫たちは順調に育っていく。
それでは一匹ずつ紹介していこう。
トトの長男、アルの毛色はキジ白。
キジ柄部分が少しだけグレーがかっていて、一見するとサバ白に見えなくもないけれどキジ白だ。
尻尾は、母親譲りの短いボブテイル。
普通の猫の尻尾の三分の一程度の長さだ。
体の背中側がキジトラ柄になっていて、お腹側はほとんど白かった。
四本の足は白い靴下を履いているようだったが、左前足だけは肘までキジトラ柄が伸びていた。
鼻と口の周りもぐるりと白。
鼻の左側にある小さなキジトラ模様がチャームポイントだ。
性格は父親に似て、のんびり屋さん。
小心者だけれど、気を許すと甘えん坊な部分も見せる。
体はガッシリしているのに争いごとは苦手で、喧嘩も滅法弱い。
兄妹喧嘩では末っ子ムムにも余裕で負けてしまうほど。
どこか抜けてる天然ドジっ子な面もあるけれど、そのかわり、とびきり優しいお兄ちゃん。
アルは三匹の中で一番丈夫で、今も元気にすくすく成長中。
目が開いて、床下から外に出たのもアルが一番最初。
ちょうどチャチャが外に来ていた時だったので、パパとも一番最初に御対面。
「おはようアル。わかるかな、パパだよ」
「パパ、パパ」
まっすぐチャチャに近づいて行くと、チャチャが鼻を近づけて御挨拶。
からのお尻くんくん合戦。
チャチャがアルの頭から体まで優しく丁寧に舐めてあげると、御満悦のアルは、うっかり寝落ちしそうになってしまって、両親に笑われたのはご愛敬。
「ぼくはママみたいに強くなる!」
アルが最初に宣言した夢。
ゆっくりでも、一歩ずつ近づけるといいね。
✻ ✻ ✻
トトの第二子、長女のミミの毛色はキジトラ。
キジトラといっても茶トラに近い毛色は、トトのオレンジを受け継いだのかもしれない。
兄と同様、ボブテイルだったが、アルよりも1~2センチほど長かった。
この、ちょっと長いのがミミの自慢。
アルと口喧嘩になった時は、必ずこの尻尾の話題でマウントを取ろうとするのだった。
「なによ! アタシより尻尾短いくせに」
「尻尾の短い猫には言われたくありませーん」
「順番は尻尾の長さで決めましょ」
「ねぇねぇ、そこの尻尾の短いお兄さん」
といった具合だ。
ところが、アルはというと、一向に意に介する様子もなく、ぽけっとしているのでそれ以上争いはエスカレートしなかった。
話をミミに戻そう。
ミミは運動神経抜群だった。
三匹の中ではダントツ。
そのうち大人の猫と比較しても、卓越した才能を発揮するようになる。
だから、子守りの負担も猫一倍大変だった。
持前の運動神経とスタミナで、際限なく動き回る。
トトはもう途中で諦めて、専らエリンやコウに相手を頼むようになった。
そのエリンやコウでさえ、途中で音を上げてしまうのが常だった。
動体視力も普通より優れているのか、あっという間にバッタを捕まえたり、トカゲを捕まえたりするようになった。
尻尾の取れたトカゲを咥えて戻って来るミミに、アルやトトが「うわぁ」と歓声をあげて集まっていくのをトトが見たのは一度や二度ではなかった。
「ミミは翼町のスーパースターになるよ」
四月の中頃には、トトは来る猫来る猫みんなにそう自慢するのだった。
食欲も旺盛。
もりもり食べてガンガン遊びまわって狩りをして、そしてぐっすり寝る。
そんな体育系猫のミミの夢は「屋根の上で生活する」だった。
桜の木の上だけでは飽き足らず、もっと高い所に憧れたのかもしれない。
だけどミミ、そこは思った以上に危ないんだよ。
✻ ✻ ✻
トトの二女、末っ子のムムはサビ猫。
サビは黒とオレンジの毛が混じり合った、独特の個性的な模様になる。
ムムの場合は首元が特徴的で、淡い山吹色のような毛色になっていた。
それが、まるで首にストールを巻いているように見えるのだった。
実はこのストール模様は母トトや兄アルにもあるのだが、ムムより面積が広いためかアクセントというよりも、全体の模様の一部に見えた。
トトはこのムムのストール柄が大のお気に入り。
「どう? ムムはウチに似てオシャレだろ」
とさりげなく自分のこともアピールするのだった。
そのうちミミが「これ、アタシも欲しい」とトトにねだり始めたので、あまり言わないようになったのだが。
そんなムム本人の自慢は、なんと言っても兄妹で、いや家族で唯一の長い尻尾だった。
いつも尻尾をゆらゆらくねくねさせ、トトに甘える時も常に尻尾を絡ませる。
尻尾は口ほどにものを言うのだ。
しかし一方では、トトがあれだけ苦心して世話をしたにも関わらず、ムムの体は小さいままだった。
兄や姉と比べると一回り小さく見える。
サイズが、というよりは体の線が細いのだった。
吐き戻しグセも変わらず。
この、健康面での不安要素がムムの一番の弱点。
性格はというと、一言で言うなら、好奇心の塊。
警戒心が強く臆病な割に、何にでも興味を示してちょっかいを出さずにいられない。
ご飯も、自分の分が目の前にあるのに、隣の皿が気になる。
他の猫にも、猫以外の生き物にも、常に興味津々。
どこに行くかわからないので、少しも目が離せない。
サビの毛色が迷彩色のようになって、夕方以降は特に見えにくい。
天然のステルス性能で、「すぐ近くにいるのに行方不明事件」が何度も発生した。
かくれんぼの天才、忍者ムム。
そして最後にもうひとつの称号。
ママが好き過ぎるムム。
三匹ともママ大好きっ子たちだったが、ムムのそれは少しばかり過剰だった。
トトの姿が近くにあればすぐに駆け寄ってすりすり。
ぺろぺろ。
尻尾でぺしぺし。
そして寄りかかるようにゴロン。
トトも最初のうちはちゃんと相手をしていたが、そのうち「はいはい」という感じで軽くあしらうようになり、そうなるとムムの方はますます「構って構って」になるのだった。
トトあるところ、ムムの影あり。
これは翼町の猫あるあるとして広く周知されることになるのだった。
そんなムムの夢は「いつまでもママといっしょ」。
以上、トトの三匹の子供たちを、これからもよろしく。
✻ ✻ ✻
夕方にかけて、だんだんと人間の数が減ってくる。
そこからは猫の時間だ。
最近ではその時間帯になると、トトは子猫たちが遊歩道に出るのを許すようになっていた。
「おっきな速いヤツにだけは気をつけるのよ」
これだけは何度も何度も、口を酸っぱく繰り返しながら注意した。
ちょうどその頃、渡り階段の川表の途中に、ベニヤでできた小さな小屋が出来た。
翼町で動物保護活動をしているご夫婦が、わざわざトト親子のために作ってくれたのだ。
もちろん、トトたちには細かい事情など知る由もなかった。
ある日突然、面白い場所、便利なものができた、くらいの認識。
トトたちは、そこを「外のおうち」と呼ぶことにした。
毎日夕方になるとおっきな速いヤツに乗った人間がやってきて、外のおうちで缶のおさかなフレークをくれるのだった。
ウェットフードは野良猫には大のご馳走なのだ。
それをお皿にいっぱい。
山盛りで置いていってくれるのだった。
それともうひとつの皿には、きれいなおいしいお水も!
日中の餌やりさんのかりかりご飯と、夕方の缶のおさかなで、トトたち家族はほとんどご飯に困ることもなく、思う存分外の生活を満喫できたのだった。
シャーーッ!
トトが飛び出していって、威嚇するので子供たちが驚いてそっちを見ると、すごすごと帰っていくジャンボの後ろ姿が見えた、ということが二度ほどあった。
ジャンボは、缶のおさかなの匂いに誘われてきただけだったのだが。
子猫たちのご飯なら諦めるしかなかった。
また、外のおうちから少し西の水門寄りの辺りでは、スミという三歳のオスの黒猫がひっそりと暮らしていた。
夜にならないと出歩くことはなく、他の猫との接触もほとんどないというカギ尻尾が特徴の一匹猫だ。
そのスミも、実は暗がりからいつも缶のおさかなを狙っていた。
たまに食べ残しがないか、暗くなってから近づいて確認し、残りものをバクバクモシャモシャと一気食いしてすぐに逃げ去る、という生活習慣を確立していた。
もちろん、まだ誰にも知られていなかった。




