探しもの
よく晴れた梅雨のある日。
ジャンボは川の畔まで行って、水面を覗き込んでいた。
魚獲りの腕も、だんだん上達してきていたのだ。
この時期は水量がやや多めなので、注意が必要なのだが、ジャンボはまだ季節毎の変化などはよくわかっていなかった。
その時、下流の方からけたたましい音が近づいてきた。
ブォォォォォ。
川の上を尖った箱が進んでくる。
後ろから紐が伸びていて、その先には人間がいた。
水の上に立っている!?
箱がすごいスピードで近づいてきたと思ったら、ジャンボの足下に大きな波が押し寄せてきた。
「うわっ!」
危うく波に足を取られそうになって、飛び退くジャンボ。
箱は上流の方に行ったと思ったら、またすぐ戻ってきた。
今度も大波が幾重にも重なって押し寄せる。
なにをしているんだろう?
ジャンボは暫く見ていたが、箱は川の上を何度も行ったり来たりしていた。
箱が人間を引っ張っているのは理解した。
バランスを崩した人間が、何度もひっくり返って水に沈んでいた。
ジャンボはそれが可笑しくて、ついつい見入ってしまう。
あれはきっと人間の水遊びのひとつに違いない。
面白いことを考えるなぁ、人間は。
「ジャンボ! ジャンボじゃないか!」
突然、背後から名前を呼ばれたので驚いて振り向くと、見たことがある姿が。
堤防の上からこちらを見下ろしている麦わら猫――チャラさんだ!
✻ ✻ ✻
「チャラさん、どうしてここに?」
ジャンボは堤防の上まで一気に駆け上がると、チャラの鼻に顔を近づけた。
「久しぶりに会ったのに、そんなつまらない質問?」
面白がっているチャラの様子を見て、ジャンボは一気に懐かしくなる。
「ああ、ごめんなさい。久しぶり! 元気だった?」
「見た通りよ。私もとうとうこんな流れ猫になっちゃったわ」
「あの辺も、もう住めなくなっちゃったの?」
「そうよ。人間たちが大勢来て、おっきな機械で土を掘り返し始めたのよ。あ、機械ってわかる?」
「キカイ? あの川の箱みたいな?」
「あれはちょっと違うけど、まぁ完全に間違いではないわね」
ポカンとしているジャンボを見て、チャラは続ける。
「車は知ってる? 人間が乗って道を走る箱」
「うん! 町の中を走ってるヤツだよね」
「そうそう。それの仲間でね、もっと大きくて、土をたくさん運ぶやつとか、ながーい鉄の腕みたいなので土を掘り返すやつとかがいるのよ」
「それがキカイ?」
想像しようとしたけれど、ジャンボには無理だった。
「正しい名前は知らないけど、生き物じゃない鉄で出来たものは大抵機械よ」
「へぇ。相変わらず詳しいね、チャラさん」
「まぁね。わからないことがあったら、なんでも私に聞きなさい」
何故か自慢げに胸を反らせるチャラ。
チャラは四歳のメスで、長毛の麦わら猫だ。
去年の夏に、空港エリアの空き地に捨てられた。
その後、散歩中のジャンボと出会い、仲良くなったのだった。
慣れない野良生活の愚痴をジャンボが聞いてあげる代わりに、人間のことや飼い猫暮らしについて色々教えてもらったのだった。
「ジャンボ! その猫だれなの?」
遊歩道にいたのは膨れっ面のリッティ。
おっとこれは修羅場の予感。
「あ、リッティ。こっちはチャラさん。ボクの知り合いなんだ」
ジャンボの紹介にも、硬い表情を崩さないイカ耳のリッティ。
「初めまして、チャラよ。今さっきここを通りかかったらジャンボがいたから、懐かしくてつい声をかけちゃったの。あなた、ジャンボのお友達なの?」
チャラの自己紹介まで無視するわけにいかず、渋々近づいてくるリッティ。
「あたしはリッティ。この辺を仕切ってるグレコの娘よ。チャラさんはジャンボと同じ町から来たんですか?」
「ええ、そうよ。人間たちのせいで追い出されちゃって、困ってるのよ」
「何匹か、この翼町に来てる猫がいるわよ。もしその気があるなら、いつでも歓迎するわ」
リッティが今度は自信を取り戻したように、ヒゲをピンとさせ尻尾を立てて宣言した。
「ありがとう。せっかくだから検討させてもらうわ。で、ジャンボはどこに住んでるの?」
リッティの耳が片方だけピクリと動いた。
「あ、あそこの家の下」
川裏にある人間の家の方を見ながら答えるジャンボ。
「あら、人間の家の下に住むなんて、なかなかいい考えだわ」
「時々ご飯もくれるんだ」
「ふぅん。私もそこにしようかしら」
「えっ!?」
リッティが大きな声を出したので、ジャンボとチャラはびっくり。
「冗談よ、冗談。あなたのジャンボを取ったりなんかしないわ」
「えっ!?」
今度はジャンボだけが小さく驚いた。
リッティは下を向いて尻尾を大きく振っている。
「ウフフフ。私はもう少しあちこち見てこようかしら。それじゃまたね」
チャラは笑いながら歩いて行ってしまった。
とても機嫌良さそうに尻尾を揺らしながら、リズミカルな歩き方で。
✻ ✻ ✻
「ねぇ、チャラさんてどういう猫なの?」
チャラの後ろ姿が充分に小さくなったのを確認してから、リッティは口を開いた。
「チャラさんはね、去年の秋に初めて会ったんだ。人間と一緒に暮らしていたんだけど、突然外に置いていかれちゃったんだって。なんだかかわいそうだなと思って、それから何度か話をするようになって――」
「ちょっと待って。人間と一緒に暮らしてたの? チャラさんが?」
「うん、そうだけど。それがどうかしたの?」
「よく今まで無事で、っていうかあんなに元気そうにしてるわね」
「どういうこと?」
「人間と一緒にいた猫が急に外で暮らし始めたら、大抵の猫は具合が悪くなっちゃうのよ。私も前に一匹、そういう猫を知ってるけど、すぐに病気になっていなくなっちゃったの」
「え……ホントに? その猫それからどうなったの?」
「たぶん、死んじゃったんだと思う」
「かわいそうだよ、そんなの」
「ねぇ。もしかしてあんた、まだ死んだ猫を見たことないんじゃない?」
「いなくなっちゃった猫なら知ってるけど、死んだところは見てない」
「やっぱり。とんだお坊ちゃんだったってわけね。どうりで」
「それがどうかしたの?」
ジャンボはちょっとムキになって訊ねる。
「あ、ううん。なんでもないの、ごめんなさい。でもあなた、ちょっと素直過ぎるわ」
「なんで? 素直じゃダメなの?」
「ダメじゃないけど。悪い猫や人間に騙されたりしないでね」
「人間かぁ……ボクはちょっと苦手だな」
「あたしも! 良かった、一緒で」
リッティはすっかり機嫌を直したようで、ジャンボの顎の辺りに額を擦り付けてきた。
それからジャンボは、リッティに人間のヘンな遊びの話をして、堤防の上から一緒にそれを眺めて過ごしたのだった。
✻ ✻ ✻
「あの、すみません」
ジョーは見たことのないスラリとした白猫に声をかけられた。
「この辺でうちの子、小さな白猫を見ませんでしたか? 生まれて三ヵ月くらいの」
白猫はキラキラした首輪をしていた。
人間に飼われている猫だ。
それならジョーが知らない顔なのも納得だった。
かなり落ち着かない様子で、そわそわと周囲を見回している。
「見てないな。いついなくなったんだ?」
迷子なのだろうと察したジョーが、もう少し詳しい情報を尋ねる。
「今日なんですけど、時間はわからなくて。お昼まではいたと思うんです」
今はもう陽が傾きかけている。
それなりに時間が過ぎていると思った方が良さそうだった。
「あんたの家はどこなんだ?」
まず起点となった場所を知らなければならなかった。
「こっちです。ついてきてください」
白猫が小走りで移動を始めたので、ジョーも後に続く。
面倒なことになりそうだなと思ったが、今更引くに引けない。
ジョーは五歳のオスで、明るいオレンジ色の茶白だった。
筋肉質でシュッとしたボクサーのような体つきに、くっきりとした縞模様が映えた。
マールと同じ駐車場で、縄張りをシェアしていたが、マールとはそれほど親しいわけではなかった。
マールの二度目の妊娠の時に、ボディガード代わりを頼まれ、それ以来の付き合いだった。
ほかに親しい猫もいなかったが、かといって性格に問題があるわけではなく、単に生来生真面目でやや社交性に欠けているだけなのだ。
だいたい巻き込まれ型の猫生だったので、今回もまたかという感じだった。
白猫の家の前まで来ると、二匹は立ち止まった。
「ここです。この入口じゃなくて、奥の窓の方から出たんだと思います」
「だが、この辺はもうあんたが探したんだろう?」
「はい。もうずっと探してて。見つからないので少し遠くも見てみようと行った先で、あなたを見かけて声をかけたんです。あ、あの、それですみません。私はミルクと言います。あなたのお名前を聞いてもいいですか?」
「ジョーだ」
「ジョーさん。無理を言ってしまってすみません。でもどうかお願いします。力を貸してください」
「その子の特徴は?」
「まだ三ヵ月ですけど、少し体は小さめの白猫です。私と同じ、この銀色の首輪をつけています」
「その首輪に鈴でもついていれば、見つけやすかったんだがな」
「そうですよね。うちのご主人様は鈴が鳴っていると眠れないみたいで、最初はついていたんですけど、外されてしまったんです」
「人間の都合か……」
夜になると厄介だ。
白猫とはいえ、小さいので見つけにくい。
人間や移動する箱の通行量も増えるので、危険も多い。
「あんたは引き続き、この周辺を探してくれ。もしかしたら戻って来るかもしれない」
「はい。それでジョーさんは?」
「オレだけじゃ手が足りない。ちょっと応援を頼んでくる」
申し訳なさそうに頭を下げるミルクを置いて、ジョーは夕陽を浴びながら駆け出した。
✻ ✻ ✻
ジョーの応援要請を受けて、マールはすぐにグレコに相談。
グレコはミチを使って、町中に子猫捜索の指令を出した。
あっという間に、翼町のほとんどの外猫に情報は広がり、そこかしこで捜索が行われたが、子猫の行方は依然不明のままだった。
ちょうどエリン組の三匹と話し込んでいたチャラも、その話を聞いて一緒に探すのを手伝うことにした。
「また見ない顔だな。今日は新顔をよく見る日だ」
たまたま、ジョーとばったり鉢合わせしたチャラ。
「初めまして、チャラよ。エリンたちと話してたら迷子の噂を聞いたものだから、私も探すのを手伝っているの。でも土地勘がないとなかなか大変よね」
「そうだろうな。なら、一緒に来るか?」
迷子探しが迷子になられちゃ堪らない、と思ったジョーは半分義務感で聞いてみる。
「名前を教えてくれたら」
予想外の返答だった。
「ジョーだ」
だが、面白い。
下手な会話を続けるより、ずっとラクだった。
「まぁ素敵! それじゃ行きましょ、ジョー」
出会って十数秒でこんなことになるのは、ジョーにとって初めてのことだった。
おそるべしチャラのコミュ力。
✻ ✻ ✻
二区画分ほど進んだところがミルクの家だったので、ジョーはもう一度寄ってみることにした。
家の近くに、ミルクの姿はなかった。
この辺りを探しているのかと思って周囲を見渡すが、いない。
「どうしたの、ジョー」
「ああ、この家のミルクという猫の子供なんだ。行方不明になったのは」
「ふぅん」
そう言うとチャラはおもむろに、ミルクの家と隣の家の狭い隙間にすっと入って行ってしまった。
「おい、何してるんだ?」
「いいから、待ってて」
うろたえたジョーの問いに、暗がりから返事だけが戻る。
ジョーがやきもきしながら待つこと数分。
何食わぬ顔でチャラが戻ってきた。
「子猫って、白猫よね? そのミルクって猫に子猫は何匹いるの?」
「あ、いや……それは聞いてない」
そんなことは思いもしなかったジョーは焦った。
「たぶん、もう家に戻ってるわよ。家の中で二匹の子猫と母猫が一緒に寝てたもの」
「えっ!? 本当か?」
「ええ。とても迷子を心配している風には見えなかったわね。幸せそうな感じ」
「そ、そうなのか……?」
何が何やら、ジョーには全くわからなかった。
「たぶん、あなたたちが探しているうちに、家に戻ってきたんじゃないかしら」
「それならそれで見つかったって教えて……あ!」
ジョーは大きな見落としに気が付いた。
「やっぱりね。見つかった時の連絡方法、決めてなかったんでしょ」
「……すまん」
すっかり落ち込んだジョーは頭を下げ、尻尾も垂れてしまった。
「無事だったならいいじゃない。さ、みんなに知らせに行きましょ」
「あ、ああ。そうだな」
チャラに促されるようにして、歩き出すジョー。
歩きながらチャラに励まされて、次第に気分が落ち着いてきたジョー。
そしてチャラは――。
「ウフフフ。なんだか面白そうな町ね。うん、決めた!」
翼町の猫社会に、また新たな仲間が加わった。





