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翼かける猫  作者: くろイけ


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10/10

人なるもの

年初――。


「あ、岡部さん。明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」


「おめでとうございます。今年もよろしくお願いします」


桜の木の階段で、新年の挨拶を交わす二人の中年女性。


「吉岡さん。今日三毛、見ませんでした?」


「いえ、見てませんけど。昨日はそこの桜の下にいましたよ」


「元気そうでした?」


「いつもと変わらなかったと思うけど……どうかしたんですか」


「たぶんあの三毛、妊娠してると思うんですよ。だからちゃんと様子を確認しようと思って」


「まぁ! 妊娠! それは大変。ご飯多めにあげた方がいいのかしら?」


「それは大丈夫。いつも通りでいいわよ」


「そお?」


「みんなそうやって量を増やしたら、他の猫がエサ目当てに来て危ないから」


「ああ、そうね。うっかりしてたわ」


「たぶん、二月か三月アタマぐらいだと思うから、気にかけておいてください」


「わかった。任せてよ」


桜の木の下の地面には、うっすらと霜が降りていた。



✻ ✻ ✻



二年前――。


「マーちゃん、よく頑張ったわねえ」


「まぁ四匹も。可愛いわねえ」


二人の中年女性が、アパート横の駐車場の隅でダンボールを囲んでいた。

箱の中からは、子猫の鳴き声が重なって聞こえていた。


女性たちの後ろには、毛足の長いサバ白が横になっていた。

ゆっくりと尻尾を揺らして、リラックスしている様子だった。


「そうだ、岡部さんに知らせなきゃ」


コンビニのレジ袋を持った女性が思いついたように言った。


「今の時間ならシェルターの方にいるはずよ」


上下ウォーキングウェアの女性が子猫を見ながら言う。


「電話してみるわ」


レジ袋女性がスマートフォンを取り出して操作を始めると、そこへもうひとり別な女性が、自転車で通りかかった。


「あら、斉藤さん。西野さんも。どうされたんですか?」


自転車を止めて声をかける。


「生まれたのよ。マーちゃんの子猫が」


レジ袋がテンション高めに伝える。


「あら、良かった! もうそろそろじゃないかと思ってたのよ」


自転車が嬉しそうに答える。


「四匹よ、四匹」


ジョギングが子猫を見ていた視線を自転車に向けて、指を四本立ててみせる。


「それじゃ一匹はうちで預かろうかしら」


自転車が小首を傾げながら冗談めかして言う。


「マーちゃんお乳は出るから預かりはいらないわよ、たぶん」


レジ袋が冷静に指摘。


「そうなの? 残念」


さほど残念そうでもない自転車。


「岡部さんが来たら聞いてみるといいわ」


「来るの? 岡部さん」


「今さっき電話で伝えたから。後で来るって」


「マーちゃん、前は何匹だったかしら?」


突然思い出したようにジョギングが口を開く。


「確か前も四匹じゃなかった?」


レジ袋も指を四本立てる。


「そうそう、四匹よ。割とすぐに里親も決まって」


自転車が、本体を脇に寄せてスタンドを立て、話し込み体制に入る。


「ああ! だからあんまり記憶にないのね」


「この子たちはどうなるのかしらね」


「もし何ならアタシ二匹まではいけるわよ」


「あなたのとこはもう三匹いるでしょ。ダメダメ」


「マーちゃんの子はみんな可愛いから、たぶんまたすぐに決まるわよ」


「そうね、そうよね」


「でもそれまではちゃんと見てあげないとね」


「私も、暫くは一日三回にするわ」


「アタシは四回にするわよ」


「そんなことで競争してどうするのよ、しょうがないわねぇ」


アハハハハハ。



✻ ✻ ✻



五年前――。


「あなた、やっぱりここに居ついたのね。三毛ちゃん」


二十代後半くらいの女性が、三毛猫の前にしゃがみ込んで話しかけていた。


水門の下で最近よく見かける三毛猫だった。


毎朝五時半、堤防の遊歩道を走るのが彼女の日課だった。


少し前から見かけるようになったこの三毛猫が、気になっていたのだ。


最初のうちは、人間を警戒しているのか全然近づいて来ないし、こちらが近づこうとしてもサッと逃げてしまうほど、つれない感じだった。


それが今朝は違った。


近づいても逃げない。


門の横にある階段の下で、じっとしていた。


こんな時のために、と用意していたドライフードをアスファルトの上に山盛りにした。


三毛猫は、ゆっくり近づくとすんすんニオイを嗅いでいたが、やがて舌でちろっ、ちろっと転がすようにしてみせた後、いきなりパクッと食いつき始めた。


「お腹空いてたよね。これから毎日、少しだけど持ってくるね」


そう約束した手前、多少の雨風程度ではジョギングが休めなくなってしまった。


こうして女性と三毛猫の関係は始まった。


始まったのはいいが、なかなか進展しなかった。


三毛猫は、頑として触らせてくれなかったのだ。


ただ、ドライフードはおとなしく食べる。


時にはニャーと鳴く。


それがもっとくれ、なのか、ありがとう、なのかはわからない。


わからないけど、女性は嬉しかった。


そのうちに、やっと少しだけ触らせてもらえるようになった。


そんな付かず離れずの関係が、半年近く続いたのだった。



そして、半年後のある日――。


「あのね、三毛ちゃん。私、明日結婚するんだ。だからもう遠くへ引っ越さなきゃいけないの。あなたに会えるのは今日が最後。わかる? 最後なの……」


女性は途中から涙声になっていた。


ドライフードを食べていた三毛猫は、つつとしゃがんだ女性に近づくと、その周りをウロウロしながら、時々頭や腰を擦り付けるような仕草を続けた。


「三毛ちゃん……」


頭を撫でる女性の手を、首を捻って舐め始めた三毛猫。


そのままゴロンと横に寝てお腹を見せると、じっと女性を見つめてきた。


「触っていいの?」


三毛猫は微動だにしない。


おそるおそる手を伸ばす女性。

右手の指先がお腹の毛に触れる。


大丈夫、動かない。

嫌がってない。


そのまま少しずつ触れる部分を広げていって、とうとう手のひらでお腹を撫でられた。


「うふふふ」


さっきまでとはまるで違う表情で、笑う女性。


「ありがとう、三毛ちゃん。元気でね」


女性は何度もありがとうを繰り返しながら、しばらく三毛猫を堪能し、やがて名残惜しそうにその場を立ち去った。


走り去るその背中を、三毛猫はエジプト座りでじっと見送っていた。



✻ ✻ ✻



十年前――。


初老の男性が自転車を止めた。

前のカゴから一匹の猫を持ち上げると、そのまま地面に下ろす。


「いいかタロ、俺が戻ってくるまでここで待ってるんだぞ。できるか?」


猫はずっと男性を見上げている。

何かを期待しているのか。

何かに不安を覚えているのか。


「ばあさんと一緒に何度も通ったことあるだろ。覚えてるか」


男性はしゃがむと猫の頭を撫でながら、遠い目で周囲を見渡す。


「お前をひとりで家に置いとくのも、もうかわいそうだからな。あんなに鳴いて……」


声を詰まらせる男性。


ニャー。


猫が返事をする。

その声は枯れて、掠れて、弱々しかった。


男性は暫くの間、しゃがんだままうんうんと頷いていた。


猫は男性の足元をぐるぐる回りながら、額を擦り付けている。


「一応、そこのアパートの管理人さんには伝えてあるから。たまに様子を見てくれるはずだ。それにばあさんもちゃんと見守ってくれてるからな」


再び猫を撫でる。

頭から背中を通ってお尻まで、ゆっくりと何度も。


「お前の好きな外だし、色んな人は通るし、仲間もいるはずだ。退屈はしないぞ」


ニャー。


意を決したかのように立ち上がる男性。


「夕方には戻るからな。遠くに行くんじゃないぞ」


言い残すと自転車でどこかへ行ってしまった。


ニャー。


楕円形の目の中で緑の瞳が、男性の後ろ姿を見送っていた。



✻ ✻ ✻



五月末――。


渡り階段の川表(かわおもて)側に座っている男女。

つば広の帽子を被った髪の長い女性の膝の上には茶白猫が丸くなっていた。


「茶々丸、大丈夫かな」


女性が茶白を撫でながら男性に話しかける。


「今日も目ヤニが結構あるし、ちょっと動きもスローだね」


男性も心配そうに茶白の顔を覗き込みながら、濡らしたガーゼで目ヤニを取ってやっていた。


そこへ別の猫が二匹、階段を下りてやってきた。

キジ白とキジトラだった。


「あ、ポンちゃんとムギちゃん」


女性の両脇から茶白猫に鼻を近づける二匹。

ポンちゃんと呼ばれたキジ白のオスは茶白のお尻に。

ムギちゃんと呼ばれたキジトラのメスは茶白の鼻に。


「ほら、おやつあげるよ」


男性がリュックから細長いスティック状のペーストおやつを取り出してあげる。


三匹で仲良くシェア。

でも最後は必ず、みんながスティックの端に口を並べてペロペロしてしまう、いつもの光景。


「あのね、ポンちゃんムギちゃん。茶々丸をうちで引き取ることにしたの。ごめんね。でも健康で過ごせるようにちゃんとお世話するから、許してね」


茶白を膝に乗せたまま、少し声を詰まらせて足元の二匹に話しかける女性。


「本当はみんな一緒に暮らせたらいいんだけど。規則で一匹しか飼えないんだ」


男性も申し訳なさそうに、キジ白の背中を撫でながら話す。


「こんにちは。いらしてたんですね」


河川敷の小路を、犬を散歩させながらやってきた小柄な女性が声をかけてきた。


「こんにちは。あの、今日茶々丸を連れて行きたいんですけど、いいですか?」


「ああ、良かった! 夏になる前に里親さんができて。よろしくお願いします」


帽子の女性の申し出に、小柄な女性が喜んで答えた。


「はい。大事にします」


帽子の女性は膝の上にいた茶白を抱きかかえると、そのままお辞儀をした。

茶白は、抱きかかえられるのにも慣れた様子でじっとしていた。


「この子たちは、これから夏場、大丈夫ですかね」


下の二匹を見ながら、男性が小柄な女性に訊ねる。


「まぁ元気な子たちだから、大丈夫よ。そこの日陰もあるし」


女性は、階段の途中にあるベニヤの仮小屋を指差した。

それは、女性の夫が急遽取り付けたものだった。


「あ、でもまず動物病院に連れていってあげてね。どこか悪いと困るから念のため」


「はい。これからすぐ連れていきます」


「なにかわかったら連絡ちょうだい。もしもの時は掛かりつけの病院もあるし」


「ありがとうございます」


男女は揃って頭を下げた。


「それじゃあ、どうかよろしくお願いします」


「はい」


小柄な女性はそのまま犬を連れて、小路を水門の方へ歩いて行った。


「じゃあ行こっか。茶々丸」


「今日からずっと一緒だぞ」


「私たち、これからは家族よ」


「ようこそ広瀬家へ。茶々丸」


男性は女性から茶白猫を受け取ると、横に置いていたキャリーケースにそっと入れた。


茶白猫はじっとおとなしくしていた。

自分の運命を理解しているのか。

喜んでいるのか、ただ受け入れているのか。


「じゃあね。ポンちゃん、ムギちゃん」


別れの声をかけながら、残される二匹を愛おしそうに撫でる二人。


やがて互いに頷きあって、その場を立ち去った。


二匹は渡り階段の上の踊り場でそれを見送った。


去っていく二人と一匹の後ろ姿を、遊歩道の脇、柵の外から三毛とサビの二匹の猫も、ひっそりと見送っていた。

次話公開は6/27(土)17時です。

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