第3話 上野動物園と似ている存在
昼下がり。
トキオーの空は、すっかり夏の顔になっていた。
じりじりと照りつける日差しに、アスファルトが少しだけ溶けて見える。
「いやぁ、暑いねぇ」
久美子は帽子をぱたぱたさせながら歩く。
「夏ですからね」
「そのまんまだがね」
二人は、上野の動物園の入口に立っていた。
子どもの声、売店の呼び込み、
どこか懐かしい匂い。
カズヤは少しだけ目を細めた。
(……こういうとこ、いつ以来だ)
「パンダ見たい?」
「もう、Ⅽ国に還ったよ。」
「却下で」
即決である。
【サル山】
鉄柵の向こう。
岩の上に、一匹のサルがぽつんと座っていた。
周りのサルたちは騒いでいる。
跳ねる、追いかける、喧嘩する。
でも、そいつだけは違った。
動かない。
ただ、ぼーっと外を見ている。
カズヤは、足を止めた。
じっと、そのサルを見る。
「……どうしたの?」
久美子が横に並ぶ。
カズヤは少しだけ間を置いて、
ぽつりと呟いた。
「……あれ、俺だ」
久美子は、サルを見る。
またカズヤを見る。
もう一回サルを見る。
「……ああ」
妙に納得した顔。
「いや、納得しないでくださいよ」
「似とるもん」
「どこがですか」
「なんかこう……“外から見てる感じ”」
図星である。
カズヤは少し口をつぐんだ。
「……あいつもさ」
ぽつりと続ける。
「群れの中にいるのに、入ってないっていうか」
「うん」
「周りがうるさくても、関係ない顔してるっていうか」
久美子は何も言わず、隣に立つ。
「……俺、ああだったなって」
風が少し吹いた。
遠くで子どもが笑う声。
しばらく沈黙。
そのあと――
久美子が、ふっと笑った。
「でもさ」
「?」
「あんた、ちゃんと“こっち”見とるよ」
カズヤが振り返る。
「え?」
「ほら」
自分の目を指さす。
「人の目、ちゃんと見とる」
少しだけ照れくさい顔で笑う。
「それ、サルにはできんよ」
カズヤは、言葉を失った。
サルをもう一度見る。
自分を見る。
そして――
小さく、息を吐いた。
「……そっか」
少しだけ、肩の力が抜ける。
「俺、まだ人間やってたんだな」
久美子が、吹き出した。
「なにそれ」
「いや、なんか……確認したくて」
「大丈夫だがね。ちゃんと人間」
ケラケラ笑う。
その笑いを見て、
カズヤも、つられて笑った。
ほんの少しだけ。
でも、確かに。
【売店前】
「暑い!」
久美子が急に立ち止まる。
「アイス食べたい!」
「急ですね」
「急に食べたくなるのがアイスだがね」
売店でソフトクリームを二つ買う。
……が。
「はい」
一本だけ差し出す。
「……あれ、もう一本は?」
「これ一個を分けるんよ」
「いやいやいや」
「いいから」
ぐいっと近づける。
白いソフトクリーム。
距離が近い。
(またこれか……)
カズヤは少し迷って、
小さくかじる。
冷たい。
甘い。
「うまいです」
「でしょ?」
そのまま久美子が食べる。
一拍。
にやり。
「はい、また成立」
「だからやめてくださいって!」
顔、真っ赤である。
「ほんと分かりやすいなぁ」
「からかわないでください……」
「いやぁ、見てて飽きん」
笑いながら、また一口。
距離が、近いまま。
でも――
さっきほどは、嫌じゃない。
むしろ、
(……まあ、いいか)
少しだけ、慣れている自分がいた。
少し離れた木陰。
アイゼンハワードがベンチに腰掛けていた。
帽子を目深にかぶりながら、ぼそり。
「……自分を笑えるようになったか」
紅茶の入った水筒を一口。
「それでいい」
誰に言うでもなく、そう呟く。
帰り道。
夕方の風が、少しだけ涼しくなる。
カズヤは、ふと立ち止まる。
「……あのサル」
「うん?」
「まだ、あそこにいるんですかね」
「たぶんおるでしょ」
「そっか」
少し考えて、
小さく笑う。
「まあ、いいや」
久美子がちらっと見る。
「なにが?」
「……俺は、もうあそこじゃないし」
その言葉は、自然に出た。
無理も、背伸びもなく。
久美子は、何も言わず、
ただ少しだけ、嬉しそうに笑った。
夕焼けの中、二人の影が、少しだけ近づいていた。




