第6話 鈴の約束
ミヤザキ・油津、理髪店「なつこ」の夜は、雨音と一緒にやってくる。
さてさて皆さん。
恋ってやつぁ不思議なもんでしてな。
昼間はあんなに賑やかに笑ってた男女が、夜になると急に口数が減る。
で、減った分だけ、胸の音がうるさくなる。
これがまた厄介でして。
ま、聞いてやってくださいよ。
夜の理髪店。
外はしとしとと、南国らしからぬ静かな雨。
古い扇風機が「ぶぅん……ぶぅん……」と回り、
天井の銀の鈴が、わずかに揺れていた。
カラン……♪
「……今夜は、静かですね」
なつこが、白い布を畳みながら言う。
「うむ。昼間の喧騒が嘘のようじゃな」
アルおじさん。アイゼンハワードは、椅子に深く腰掛け、
煙草に火をつけるでもなく、ただ指でくるくると弄んでいた。
「……吸わないんですか?」
「吸うと、考えすぎるのでな」
「吸わなくても考えてる顔ですよ、それ」
「ほう、わかるか」
「ええ。理髪師ですから」
くすり、と笑うなつこ。
その笑いは、昼間より少しだけ静かで、少しだけ遠い。
「……なつこ殿」
「はい?」
「その“鈴の話”だがな」
アルが天井を見上げる。
銀の鈴が、かすかに揺れる。
「最初に鳴らした者と結ばれる……だったか」
「ええ。子どもの頃からの言い伝えです」
「信じておるのか?」
少しの沈黙。
なつこは、窓の外の雨を見ながら、ゆっくり答えた。
「……信じたい、とは思ってます」
「ほう」
「でも――」
その“でも”が、やけに重く落ちる。
なつこは、ふっと笑った。
「もし本当に結ばれるなら……困りますね」
アルの眉が、わずかに動く。
「なぜだ」
なつこは、少しだけ俯いた。
「私……汚れてますから」
おっと来ましたよ、皆さん。
こういう一言がね、男の胸にズシンと来るんです。
軽口叩いてた空気が、急に本音に変わる瞬間。
逃げるか、受け止めるか。
ここが分かれ道ってやつでしてな。
「……汚れている、か」
アルは、ゆっくりと立ち上がる。
靴音が、静かな店内に響く。
「それは、誰が決めた」
「……え?」
「世間か? 過去か? それとも、お前自身か」
なつこは答えない。
ただ、指先が少し震えている。
「人はな」
アルは、すぐ目の前に立つ。
距離が、近い。
近すぎて、互いの息がかすかに触れる。
「生きているだけで、多少は汚れるものだ」
「……」
「綺麗なままの人間など、おらん」
なつこの目が、揺れる。
「じゃあ……」
小さな声。
「……それでも、いいんですか?」
アルは、少しだけ笑った。
「構わん」
即答だった。
沈黙。
外の雨の音だけが、やけに大きく聞こえる。
カラン……
鈴が、また鳴った。
なつこは、そっと一歩近づく。
「……不思議ですね」
「なにがだ」
「こんな距離で、人と話すの」
「理髪師のくせに、何を言う」
「仕事と、これとは違います」
アルの胸に、なつこの手が触れる。
軽く。
本当に、触れるだけ。
「……心臓、早いですね」
「そなたこそ」
「聞こえます?」
「うむ。やかましいくらいだ」
ふたり、同時に小さく笑う。
「……アルさん」
「なんだ」
「もし、この鈴が本当だったら」
なつこは、天井を見上げる。
「私たち、どうなってたんでしょうね」
アルも、同じように鈴を見る。
少しだけ間を置いて――
「……面倒なことになっておっただろうな」
「ふふ、それは間違いないです」
「だが」
アルは、ぽつりと続ける。
「悪くはない」
なつこは、その言葉に少しだけ目を見開く。
いやぁ、なんともまぁ。
若い恋もいいが、こういう“遅れてきた恋”ってのも、味がある。
言葉は少ないが、重みが違う。
それにしても、この鈴。鳴るたびに人の心を揺らすとは、
なかなかの役者でございます。
夜は更けていく。
雨は、まだ止まない。
だが理髪店の中だけは、どこかあたたかい。
触れる距離。
聞こえる心臓。
言葉にしきれない想い。
それでも
誰も、まだ“踏み込まない”。
それが優しさなのか、臆病なのか。
その答えは、まだ少し先の話。
カラン……♪
鈴がもう一度鳴ったとき、
ふたりは同時に顔を上げた。
だが、その意味を、まだ誰も知らない。
つづく




