第5話 ミヤザキ・油津の異変
強いってのはね、拍手ももらうが、同時に“距離”も生むもんでございます。
ミヤザキ・油津の町。
昼下がり。
じっとりとした空気に、焼肉の煙がゆらゆらと溶けていく。
この町の連中はね、笑って飯を食うのが上手い。
だけどその笑いの裏に、ちょいとばかり“飲み込んだもん”がある。
それを見抜くのがよそ者ってやつでして。
「ふむ……この匂いは、なかなか罪深いな」
暖簾をくぐるアル。
焼肉屋「たん吉」。
「いらっしゃい、アルさん! 今日もいい肉入ってますよ」
「では、適当に見繕ってくれ。あと冷麺もな」
「はいよ!」
ジュウ……ッ
肉が焼ける音。
脂が弾ける匂い。
「……平和だ」
ぽつりと呟くアル。
――だが、その平和は、長くは続かない。
ガラッ
戸が乱暴に開く。
「よぉ、今月の“ご祝儀”まだ貰ってねぇぞ、たん吉さんよ」
店の空気が、一瞬で凍る。
入ってきたのは三人組。
黒いシャツ、光るネックレス、笑っていない目。
天道組。
さっきまで笑っていた客たちが、
まるで潮が引くみたいに黙り込む。
「す、すぐ用意します……」
店主の手が震える。
奥へ引っ込もうとした、その時――
「やめておけ、焼肉が冷める」
アルが立ち上がった。
煙の向こうで、ゆっくりと振り返る三人。
「はァ? なんだこのジジイ」
「食の礼節を弁えぬ者に、客の資格はない。ましてやこの町の者に恐喝とは……下衆以下だな」
一瞬。
空気が張り詰める。
「……調子乗ってんじゃねぇぞ」
ナイフが抜かれる。
カチャリ。
その音が、妙に大きく響いた。
その瞬間。
ざわり――
アルの漆黒の外套が揺れる。
「……おい」
誰かが小さく呟く。
床が、わずかに軋む。
空気が重くなる。
息がしづらい。
――“圧”。
見えない何かが、店を押し潰す。
「目覚めよ、古き獣よ……
闇よ、我が肉体を喰らい尽くせ。
王の血よ、魔獣の骨よ――
真の姿へと具現せよ……」
声は低い。
だが、店の隅々まで届く。
「《魔獣 ライカントロス》!」
ドン――ッ
風が巻き起こる。
壁が軋む。
焼肉の煙が一気に吸い上げられ、
天井に、巨大な“影”が現れる。
牙。
爪。
目。
それは、確かに“何か”がいる影だった。
「な、なんだコイツ……!」
ナイフを持っていた男の手が震える。
「ば、化け物……!」
「逃げるぞ!!」
椅子を蹴飛ばし、三人は店を飛び出していく。
ガラガラガラ――ッ
戸が激しく揺れる。
静寂。
「……焼きすぎると硬くなるぞ」
アルは何事もなかったかのように席へ戻る。
箸を取り、冷麺をひと口。
「……この冷麺、なかなか美味いな。焼肉もよかった。たん吉殿、続けてくれ」
店主は、しばらく動けなかった。
やがて、深々と頭を下げる。
「……あ、ありがとうございます……!」
だがその声は、感謝だけじゃない。
“恐れ”が混じっていた。
――さて皆さん。
ここで拍手喝采……といきたいところですがね。
世の中、そう単純じゃございません。
強い奴が現れるとね、助かる人間もいれば、
逆に――“怖くなる”人間もいるんです。
その夜。
町は静かにざわついていた。
「見たか……あの人……」
「ヤクザ追い払ったらしいぞ」
「でもよ……あれ、人間か……?」
「理髪店のなつこさんとこに泊まってるんだろ……?」
声は小さい。
だが確実に、広がっていく。
理髪店「なつこ」。
明かりの落ちた店内。
なつこは、ひとり電話の前に立っていた。
受話器を握る手が、わずかに震えている。
――しばし沈黙。
やがて、意を決したようにダイヤルを回す。
ジー……コトッ、コトッ……
古い電話の音。
「……もしもし」
声は、いつもの柔らかさを消していた。
「……ええ、私です」
一拍。
「……来ました。例の人」
沈黙。
「はい……間違いありません」
唇を噛む。
「……どうしますか?」
受話器の向こうで、低い声が何かを告げる。
なつこの目が、わずかに揺れる。
「……わかりました」
ゆっくりと、受話器を置く。
カタン……
そのまま、天井を見上げる。
魔法の鈴。
カラン……
風もないのに、わずかに揺れた。
「……ごめんなさい」
誰に向けた言葉かは、分からない。
二階の窓辺。
アルは煙草をくゆらせていた。
「……さて」
遠くの海を見る。
「ちと、騒がしくなってきたな」
煙が夜に溶ける。
「強さってのはな……」
ぽつり。
「静かにしておきたい連中を、引っ張り出す」
目を細める。
「面倒なことになるぞ、これは」
強い男はね、町を救うかもしれない。
けれど同時に、町の“隠してたもの”まで暴いちまう。
それが、いいことか悪いことか。
まあ、それは、これからのお話でございます。
次回、ちょいとばかり、深いとこまで踏み込みますよ。




